西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーヴェンとブロイニング家

2008-01-10 10:43:48 | 音楽一般
ベートーヴェンがそもそもブロイニング家と知り合うきっかけになったのは、フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーという人がいたからです。ボンに生まれた、ベートーヴェンの幼友達と手元の本にあります。この本は、「ベートーヴェンの言葉 愛と苦悩の人間像」(津守健二著・朝日新聞社)で昭和46年発行のものです。
どうしてこのヴェーゲラーと知り合ったのかは、どの本にも出ていませんが、それほど大きく無い町ですから、近所の遊び友達といったところでしょうか。(今、別の本を見ると、ヴェーゲラーは1782年、既に作曲を始めたベートーヴェンと知り合ったということです。ですからそれほど幼い時からの遊び友達ではないということでしょうか。)ヴェーゲラーは、1765年生まれで、ベートーヴェンより5歳年上です。ベートーヴェンの死後、1838年にフェルディナント・リースとともに最初の「ベートーヴェン伝」を書いています。このヴェーゲラーがブロイニング家と親しくベートーヴェンを一家に紹介したということです。
ブロイニング家は、宮廷顧問官をつとめたエマヌエル・ヨーゼフ・フォン・ブロイニング(1741-77)が不慮の事故でなくなった後、未亡人ヘレーナ(1750-1838)が、長男クリストフ(1771-1841)、長女エレオノーレ(1772-1841)、次男シュテファン(1774-1827)、三男ロレンツ(1774-1798)の4人の子供を育てていた。87年に母を亡くした後は、毎日のようにブロイニング家に通ったということである。ボンの地図を見ると、ミュンスター広場にあるその家は、ベートーヴェンの家から1キロ足らずのようです。4人の子供たちとはほぼ同年齢で、未亡人の母親もベートーヴェンを我が子のように扱ったということである。ベートーヴェンには大きな救いになったことだろう。
ベートーヴェンがウィーンに出る前、おそらく1791年から92年にかけて(21歳頃)作曲されたピアノ曲に「やさしいソナタ ハ長調」という未完成のピアノ曲があります。これは献呈者の名前をとって「エレオノーレ・ソナタ」と呼ばれています。ブロイニング家の子供たちにピアノを教えていて、エレオノーレにも教えていました。このエレオノーレはベートーヴェンの初恋の人と言われています。終楽章を欠いていて、2楽章も弟子のリースが完成したということで、なぜ完成に至らなかったのかは不明です。エレオノーレは、1802年ヴェーゲラー夫人となり、2人の子供の母親となった。ヴェーゲラー夫妻は、1807年にコブレンツに移り住み、ベートーヴェンと会うことはなかったが、終生友情は変わらなかった。
これからこの未完のピアノ曲「エレオノーレ・ソナタ」を聴いてみたいと思います。

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