西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

少年ベートーベンの周辺

2008-01-09 11:02:37 | 音楽一般
少年時代、ベートーベンはどのような環境に置かれていたのだろう。
3歳の時、祖父ルートヴィヒが亡くなります。その2年後、5歳になる前、祖母が亡くなりました。祖母は、手元の本によるとアルコール中毒だったと言うことです。父ヨハンは、この母親からアルコール中毒を受け継いだようだ。ベートーヴェンは亡くなる直前、2日前のこと、出版社からリューデスハイム・ワインが届けられた時、「遅すぎる」と言ったということであるから、ベートーヴェンにもアルコール好きは受け継がれている。この時は、ベートーヴェンはテーブルに並べられたワインの瓶を眺めるだけだったということだ。5歳で父親にピアノを習う頃には、下の弟も生まれ、5人家族で生活していた。
16歳になった時、ウィーンへ旅するが(このとき、モーツァルトの演奏を聴く)、母親の具合が悪いとの知らせを聞き、大急ぎで帰郷する。そしてまもなく母は亡くなってしまった。41歳の若さだった。(「彼女は私にとって本当に良い、愛すべき母親であり、私の最良の友でした」との言葉を残している)生活意欲を失った父ヨハンは一家の中心足りえず、また弟2人の面倒を見るのは16歳のベートーヴェンだった。しかしこの頃、生活に光明がさしてきた。一家の生活を支えるべく、貴族の子弟たちにピアノ演奏を教える中にブロイニング家という一家があった。当主たるべき宮廷顧問官ブロイニングは、10年ほど前のボンの選帝侯宮殿の火災で命を落とし、その時はブロイニング未亡人は4人の子供と生活していた。ブロイニング夫人は、母を失ったベートーヴェンを子供のように可愛がり、また生家では考えられないような教育・教養をベートーヴェンに授けたようだ。またここで重要なのは、この一家を通じて多くのボンの名士と知り合うことができた。ベートーヴェンの飛躍のステップがここで与えられたのである。
そのブロイニング家で知り合った中に、ヴェスターホルト一家があった。父がファゴットの名手で、その娘はピアノを弾き、息子はフルートを吹いた。昨日、書いた
「ピアノ、フルート、ファゴットのための三重奏曲 ト長調」(WoO37)はこの一家のために作曲したのです。「ピアノ、フルート、ファゴットと管弦楽のためのロマンス ホ短調」(Hess13)もこの一家のために作曲されたと考えていいでしょう。
今久しぶりに「ピアノ、フルート、ファゴットのための三重奏曲 ト長調」(WoO37)の第1楽章を聴いてみました。おそらくはベートーヴェンもヴェスターホルト一家の演奏を聴いたことだろう。さらにブロイニング家では多くのベートーヴェンにとっては忘れられない人たちに出会ったのでした。

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