『予告犯』(2015)
原作漫画は知らないが、この作は
アメリカンニューシネマテイスト
で、結構面白かった。良作。
ただ、ドラマ『3年A組-今から
皆さんは、人質です-』(2017)
程にはネット愚民の卑劣さはえぐ
り出して描いてはいない。
そして、主人公「シンブンシ」
チーム全員が本当は殺人共犯と死
体遺棄犯であるのだが、ラスト
の警視庁サイバー対策班の班長が
「踊らされてやるか」と追及し
ないのは現実にはあり得ない。
だが、公安の思い込みの独断と偏
見によるでっち上げ体質は、優秀
なるも間抜けな日本警察の実態
として鋭く描き出していた。
学力のみ非常に優秀だが、人を見
下す事しか知らない東大卒のキャ
リア警察官や官僚や政治屋たち
は、人として克服できない人間
的な「駄目」さを備えている。
それはもう日本一完璧に東大卒
は誰でも備えている。完璧完全
な欠陥人間として完成されてい
る。これはリアル社会でも事実
だ。
女性刑事のサイバー班長も同期の
公安の傲慢な刑事も東大卒だ。
形通り、現実社会を克明に映して
いる。その東大卒が超えられない
ヒエラルヒーに縛られて抜け出せな
い思考力完全停止の人間的な完璧
なる駄目さ、欠陥質性をよく描い
ている。自己否定を前面に出した
東大全共闘でさえ「知性の叛乱」
と自称して他大学から「まだ知性
の代弁者のつもりだったのか」と
痛烈に批判された程だ。東大が真
のバカで間抜けというのは、そう
した自己解析と自己切開とを一切
不能ならしめる人間的質性として
完成されている点をいう。裸の
王様とそれに追随する側近なのだ。
そうした人間たちにこの国は右も
左も天下国家も牛耳られているの
である。
独立国家と主権在民を本当に実現
するならば、一番解体すべきはそ
うした構造体であるのだ。
物理的構造体と意識性の解体。
下部構造と上部構造の同時解体。
東大全共闘は国家権力に敗北したの
ではなく、自ら自己解体できなかっ
た点において、決定的敗北をしたの
である。「造反有理」「帝大解体」
の全共闘のテーマは、大学機構を
解体するのではなく、帝大体質で
あるそのピラミッド構造を解体す
る事が本旨であり、歪んだ人間意識
を東大生と東大卒から捨象する社会
事業だった。だが、彼らはそれに
完全敗北した。
そして、この国の「構造」は半世紀
後のこんにちも継続している。
理由は明白。「時計台放送」が
「一時停止」されたからだ。
本作は、そのような点も含めて、
他のシーンの描写の描き込みも細
かく、なかなかの秀作。
スコップで産廃業者を殺害する時、
持ち方一つで効果的使用法か
どうかまできちんと細かく描い
ている。
全員で非道な業者現場監督を殺
すが、誰の一撃により死亡した
のかは武器使用の原理からよく
判る描き込みになっている。
非常に細かい。
病気で死んだ日雇い労働者を
「そこらに埋めておけ」と命令
する産廃業者は、非道であると
同時に死体遺棄の犯罪を命令し
ている犯罪者だ。報いは受けて
当然だが、非合法の処置=殺害は
違法であると同時に非道であるのは
言うを俟たない。
非道で違法な事をする者が非道で
違法な方法で報いを受ける事が
果たしてどうなのか、という重要
な呼びかけがその殺害シーンには
ロジックとして、作品の中心幹の
テーマを構成する部分として描か
れている。
この映画には犯罪者が多く出て
来る。殺人事案を見逃すサイバー
班長も犯罪を犯している。
一番の卑劣で汚い犯罪者は、無
法リンチを喜び、吊るせ殺せ氏ん
だ?と喜んで騒ぎ立てるネット民
たちだ。
全員拉致されて「元気玉」でも食
らえばいい。もしくは産廃現場監
督と同類なのだから、スコップで
頭をかち割られて埋められるか。
人に嫌がらせと犯罪を繰り返す
ネット愚民こそ「氏ね」ばいい。
氏さえつければ何を言ってもいい
とか思い込んでいる「基地外」
は。
というのはいっそどうだい?と
いうのを提起する含みもある映画
作品。主人公も警察も卑劣なネット
愚民も、全員が犯罪者である事を
描き出している点が秀逸だ。
だが、ネット犯罪の犯罪性を照射
する面の真の現代社会の問題性
のえぐり出しについては、この
映画作品は『3年A組-』には遥か
及ばない。
ただ、ネット愚民は永遠に不滅
だ。ゴキブリやダニやウジムシ
がしぶとく生きてるように。
むしろゴキブリ以上に。
殺虫剤はあるが殺愚民剤は無い
からだ。
ただし、絶滅させる方法は一つ
だけある。