Heartbreak Ridge (1986) Official Trailer
- Clint Eastwood Drama Movie HD
『ハートブレイク・リッジ』(1986年)
は、アメリカ海兵隊の新兵たちと
教官の生活を描いた作品だった。
現実にあったグレナダ作戦の時の
戦闘シーンはかなり映画風味だ
が、クリント・イーストウッド
のジャングルハットの被り方等
は堂に入ってる。
映画作品自体は超感動という作
ではないが、なかなかの佳作だ。
単純に面白いし、軍隊物語を
描いている。
そして、ちょうどこの新兵たち
の若者は私と同世代なのだが、
日本では私たちの世代は「新人類」
と呼ばれて、古き時代の風習を
壊す野放図なならず者で何を
考えているのか分からない世代、
と年上の人たちから評されてい
た。
だが、実はアメリカ合衆国に
おいても同時期にそうした傾向
が若者たちの新世代には広がっ
ていた事がよく分かる。
その世相を描いているし、ジェネ
レーションギャップに悩みながら
も教官が若者たちに大切なものを
教えていくグローイングストーリー
としてまとめられている。
アメリカ映画にはポケットビリヤード
のシーンが良く出てくる。
西部劇にも現代劇にも。
この作品にも、年上の歴戦の勇士
である教官の言いつけをまったく
きかずに、さぼって兵員クラブで
玉突きばかりしているところに
クリント教官が乗り込んでくる
シーンがある。
そして、なんと、キューを叩き
折ってしまう。
遊んでばかりいやがって、と。
ひで~、なにも折らなくとも(笑)。
しかし、要するに、体と精神を
鍛えるスポーツとしてプールが
あったのではない事を示す。
それはプールゲームが発祥の
アメリカ合衆国にあってさえも
だ。
そうした「遊び・娯楽」でしか
ない対象としてプールという
撞球が描かれているのだ。
米国でもこの時期には、プールは
スポーツとしては定着しておらず、
バーベキューと同じ娯楽遊興で
しかなく、選手権はあっても、
それをスポーツと認識してプレー
している人間はごく一部だった。
大抵はオアソビか博打に利用する
ためにキューを握って玉突きを
していた。
そうした事が映画からも読み
取れる。
あか~ん、と思った事がある。
1980年代のビリヤード入門解説
漫画での事。
漫画でビリヤードを解説する
のだが、その中でお話として
素敵な先輩の女性撞球師に
憧れる主人公の女の子が、実は
大好きなプールバーの経営者の
息子の男性と女性先輩が恋仲
ではと疑う。
そして、自分で腕を磨いて先輩
に勝負を挑む。
勝ったほうが彼と付き合う、
それを賭ける、と。
なんで賭けるんやねん(笑)
それ、いっちゃんあかんやつ(笑)
人間を勝手に賭けている。
オハナシは少女漫画作家が描いた
お花畑なのだが、肝心な根幹で、
「ビリヤード=賭け事」という
捉え方を自問して疑問視する
問題意識が皆無なのよね。
スポーツを否定する極めて社会
意識の低さを作者が露呈させて
いる。
あか~ん、というやつ。
1980年代は、日本でも一般的に
玉突きなどはその程度の認識
だった。
金など賭けない勝負のほうが
ずっと精神的にも厳しいのに。
映画『ハスラー』(1961)で人々
に製作者が問いかけた「人に
とって大切なものは何か」と
いう事を深く斟酌する人間は
日本人では1980年代には殆ど
見かけなかった。玉を突く人間
たちには。
賭ける?金賭けて玉を突く?
負けたら100%命取られる、と
いう大博打だったらどうする?
『ディアハンター』のロシアン
ルーレットの博打のように。
やらないでしょう?玉突きの
掛け玉人たちは。
結局、それが何百万だろうと
何千万の玉突きゲームだろうと、
それらは「はした金」のダイム
ゲームなんだよ。
それに勝った負けた、銭取った
取られた云々で一喜一憂する。
どんどん、それって、人間として
『ハスラー』で規定していた
「ルーザー」一直線なんだよね。
賭け玉今でもやってる連中は、
一刻も早く目覚めないと。
大切な事に。
『カイジ』の主催者と同じ種族に
なっちまうぜ。
スポーツを博打に利用するのは
あかんねん。