明るい乳がん生活&子宮体癌生活(の、予定)

~~2006年11月告知、12月手術、明るい生活を送っていこうと決めました!愛猫たちと頑張る!~~

移り変わるマイブーム・コンちゃん

2007-03-29 17:14:57 | うちにゃん
うちには、昔むかし、可愛い三匹の子猫がいました。
名前は、べーすけ・ロロちゃん、そして今回ご紹介するコンちゃんです。

三匹は、あーにゃんという名のお母さんの愛情に育まれ
すくすくと育ちました。
もう、すでに子猫ではございません・・・。

コンちゃんは三匹の中でも用心深く、抱っこが大嫌い。
あまり なついてくれない子ですが、しゅっとしたお顔は、子狐のように可愛いの。
で、名前も安易に、子狐コンを連想してつけちゃいました。

彼女の最初のマイブームは、つり銭数え。
閉店後に持ってあがったレジを見つけると、ちゃりちゃり数えてくれます。
あまりの可愛さに写真も撮ってみました。
   ね?お手手がかわいいでしょ?

  こうやって、ああやって、つり銭を出しちゃう。(笑)

それも遠い昔。今ではレジなんて気にもしません。


ついこの間までのコンちゃんのマイブームは、私との鬼ごっこ。
私が鬼にさせられて、コンちゃんを追っかけるっちゅうものでした。
それも最近では、気持ちが失せているらしい。


最近のコンちゃんのマイブーム、それはしっぽを膨らませて、相方か私に誘うようにして、顔をこすり付けること。
それもいつまでさせてくれるやら。
でもね、ボンっ!と膨らんだおしっぽは、とってもキュートで、写真を撮りたいけれど、なかなかシャッターチャンスが難しい・・・。でへへっ。


中国4000年の歴史

2007-03-25 15:38:33 | 中医学
何年前だったかな、昔、中国留学生のバイトがいました。
何人かを雇っては続かず、を繰り返していて、
出来たら中国人は雇わないでおこうよ、という話をしていた頃、彼女はやってきました。

以前の何人かの中国人の評価を覆すほど、すごく働き者だったヨウさん。
勉強もしっかりしていたし、どちらかというと、日本人に近い感覚でした。

でも、彼女の中にしっかり根付いていた中国文化。

しばらくして、仲良くなるうちに、
ヨウさんは、自分で作ったという薬膳のような甘いおかゆを
ガラス瓶の空き瓶に詰めて持ってきてくれたりしました。
中には、クコの実やなつめやお豆がいっぱい入っていて、
他のバイトの子には少々不評でしたが、私は大好きでした。

三年ほどバイトしてくれましたが、彼女の話はとても面白かった。
文化の違いもあったんだけど、
食べ物を陰と陽に分けて、これは身体を冷やすから風邪の時は食べちゃダメ、とか
へ~~~と思うようなことを教えてくれて、中国ってやっぱ4000年の歴史だねぇとみんなでけらけら笑ってた。

彼女のお母さんが中国から遊びに来たときも、お土産にくれた、女性が食べ続けるものという『黒ゴマときな粉と砂糖を混ぜ合わせたもの』をぱふぱふ言わせながら食べていたけれど、途中でちょっとやんなった。

あの時、もっと、食べ続けていたら、今の状況は変わっていたかしら・・・とちょっと考える。



ちょっと前に、「たけしの本当はこわい家庭の医学」だったかなぁ、
特集を組んでたと記憶しているんですが、
身体を「実証」体質か「虚証」体質かに分けて健康を考えるってやつ。
気になっていたんですが、そのままになってました。

で、先日、本屋さんでパソコンの本を見に行って
その並びの棚で見つけた本。
題して
「がんに負けない養生レシピ」(世界文化社・1890円)
おおっ!
見入って、買っちゃいました。
対象は、がんになっちゃった人への体質改善を目標とするレシピのようです。
初めてのがんの本ですぅ。

なんでガンになったかな?と思う時、
そりゃあ たまたまで、そりゃあ 大なり小なりのストレスとか、そりゃあ やっぱ・・・。
相方が嫌いなものを避けて通っていた食生活?(笑)

ここで少し見直そうと考え始めている私。
最近は、相方の食べられそうなものをにらみ合わせながら、養生レシピも取り入れるぞ、と。

茶色っぽいものが多いけどね、
ちこちこさん、やっぱ野菜は絶大だよ!(笑)
みんなでいい野菜、いっぱい取ろうねぇ~!!




月検診日

2007-03-23 21:43:10 | 退院1年目の雑感
やってまいりました、三回目の検診日。
今までの二回は、先生と世間話のような程度で、私がしつこく病理結果とか聞かなかったら、注射を打ちにいってるようなものだった。

今回は、諸先輩に見習って、前日に聞くことを書き出して、
多分老眼だろうと思われる先生のために文字の大きさを少し大きめにして
「先生への質問状」と題してプリントアウトして持っていった。
聞き逃しがないように、聞けなかったと悔やむことがないように。

入った途端に「どうですか?」といつものように聞かれたけど
「ちょっと、胸が張っているというか、痛みがあるというか・・・」と
質問状の内容を口頭で言っちゃってるし!

「じゃ、診ましょうね」
おおっ!!今回は、診察らしい診察でしたぁ。ちょっと感動。
先生も、ちゃんと先生じゃん。

胸のハリは、大胸筋が萎縮してきてるから、と言われて
うっひゃあ・・・・。
そっそんなっ、先生どうしたら・・・。
胸の前に両手を持ってきて押してやる運動をしなさいって。
もっと早く教えて下さったら、しておきましたのに!!
今は、右肩が知らないうちに上がるでしょ、知らないうちに右手が身体の前に来ているらしく鎖骨が妙に浮き出てきてるでしょ、そういうのは、萎縮してきてるということだったらしいです。

で、取り合えず質問状を見せてみた。
いろいろと書いた中でいい質問は
4.乳がんは脳に転移しやすいって聞きましたが本当ですか?
5.腫瘍マーカーって測ったんですか?
のふたつだけだって。

脳の話は「本当です」
じゃ、先生、年に一回するっていう検査の中でするんですか、と聞くと
「ぼくは、やらない」脳にきたら症状が出てわかるから、それからでいいと。
安易な私は、じゃそういうことで、と思っちゃいました。

今まで話題にも上らなかった腫瘍マーカーは、測っていたらしい。
で、先生、それは?
「よっつ測って、全部正常」
?????なに?手術後の話??
「いやいや、手術前だよ」

えっ!腫瘍マーカーが正常でも乳がんになるのーーーっ!?
乳がん、奥が深くて、本当に、はてなマークだらけ。
「ちゃんと、頑張って勉強するんだよ」と励まされました。
まだまだ勉強不足です・・・。

初めて買った本

2007-03-22 18:46:07 | 退院1年目の雑感
この間の祝日は、祝日だったのでもう一軒の店のお昼は休業。
おまけに喫茶部門は、バイトの子が二人来てくれたので、
相方と買出しに出かけました。
お出かけ先は、尼崎のコストコ。
会員制なんですが、安いものあり、高いものあり。
でも、ロットで買うと安いものも多いんです。

ついでにお隣のカルフールにも立ち寄り、ふたりでぷらぷら。
私は、パソコンの本が欲しくて探している本を見に行きました。
お目当てはなかったけど・・・小さなスペースのコンピュータ本の並びに
医療本が!
今まで立ち寄りもしなかったコーナーですが、まじまじ見てしまいました。

乳がんで何かあるかっ?と、何の気なしだったんだけど、
いくつか目に留まった、がんと食品についての本。

以前、たぶん「たけしの本当はこわい家庭の医学」で取り上げられていた、
中国医学を用いての健康法。
ちょっと気になっていたけど、そのままになってました。
それがね、何と、本を見つけたんです。





題して
「がんに負けない養生レシピ」(世界文化社・1890円)
おおっ!
見入って、買っちゃいました。
対象は、がんになっちゃった人への体質改善を目標とするレシピのようです。
初めてのがんの本ですぅ。

でね、いろいろ実践しようと思ってますが、
乳がんの人のためのレシピもありました。



腫瘍の痛みや胸の張りを陳皮とルーコラで緩和させるそう。
今の私にぴったりかも!最近、胸の皮が引っ張られますぅ。
「ルーコラ陳皮かゆ」

材料
米・・・1/2カップ
ルーコラ・・・50g(野生のたんぽぽの葉があればなお良いらしい!)

A:陳皮・・・小さじ1(未熟な青い温州みかんの皮があればなお良いらしい!あれば10g)
  みかんの種(食べたあとのものでも可、あれば)10g

はと麦・・・50g
塩・・・少々

作り方
1.米は洗ってざるにあげる。はと麦もざっと洗う。ルーコラはざく切りにする。
2.Aを小袋にいれ、3カップの水とともに鍋に入れて30分煮出す。
3.2に米とはと麦を加えて30~40分かけておかゆを炊く。
4.塩で味をつけ、仕上げにルーコラを加える。



3日目

2007-03-19 16:36:17 | 入院編
手術後、2日目。
入院3日目。

神経が細い子供で、修学旅行なんかでは、トイレに行けない子だった私。(の、はず)
もう、大、なんてもってのほか。フン詰まりですよね。食べられるのに。
家に帰ってようやく心置きなく、って状態でした。・・・キタナイお話ですみません。

で、この年になると、平気になっちゃうんだ~~~~!(びっくり!)
昨日は、少しフン詰まりだった、あ、やっぱりな、と思った。
でも明けて3日目、出た。普通に。
ご飯も食べてるから当然か、とも思ったけど、
・・・やっぱり、年の分だけ、図太くなってるのか・・・。

ベットからの起き上がり方がわからなくて、回転しながら左を下にして起き上がる。
みっ、右手、こんな風に動かしてもいいの?と思いながら早朝にトイレに行くのが
日課となりました。
朝は、6時起床って書いてあったけど、6時になんか誰も起きないし。

回診の先生は知らない先生で、この先生が担当医でなくてよかった、と少し思った。腕を動かすように、と看護士さんも先生も言うけれど、どういう風に動かしたらいいのか、全然教えてくれなくて、それでいいのか?そういうものなのか?とも思う。
打ち出してきた紙を参照しながら、2日目からのリハビリを開始。

病院生活には縁がなかったので、時間をどうやってつぶしたらいいのか、皆目わからない。昨日は締めっぱなしにしていたカーテンも、あまりの息苦しさに一人開けっ放しにしてみた。
通りかかる同室のおばあちゃんと目が合えば会釈。
お友達は、あきらめた。

楽しみは、毎日来てくれる相方と義姉のお見舞い。
相方に「うーちゃん、どうしてる?ちゃんと食べてる?チーは?あーにゃんは?」と子供を残してきた気持ちになった。
ここではひとりだ、と思う。
のびのび寝られる、なんて感覚はないよ。確かに戻ったら猫たちがベットに押し寄せて、ぎゅうぎゅうだけど。

その夜だけ、自分が可哀想になって、涙してみた。
何だか、なんでこうなっちゃんたんだろ、という思いや、これからどうなるんだろうという思いが交差した。
でも、最後には、泣いてても始まらないや、頑張ろう、と思いながら寝てしまった。




今日の話:
ううっ、20才前後のにいちゃんに食い逃げされました。

モーニング頼んで、出てきたホットドックを手に持って、かかってきた電話に出ながら外に出て行くので、なんてお行儀の悪い!と思っていたら、戻ってこない。
気づいて(多分、1分ほどして)慌てて探したけれど、もうどこにもいなかった・・・。

食い逃げって!どうなのっ?!おいっ!と、ちょっと怒りが。
これで病気が悪くなったら、とんでもないことだ!と思いながら、相方や義姉や、バイトの子に訴えました。お塩、入り口に振っておきました。お清め、お清め。
今度来たら、逃さない!(二度とこないだろうけど、笑)

手術日

2007-03-17 11:01:13 | 入院編
翌日の14日

朝10時の手術だったので、8時半からわらわらと家族が集まった。
いらないよ、いらないよ、と口では言ってたけど、やっぱり来てもらうと頑張る気持ちも倍増。
まな板のコイですが、それが何か?と、ハケンの品格口調にもなります。

前日に渡された変な靴下、履いて、
上だけの手術着を着て、
パジャマの下は?そのまま履いてていいの?
あっという間にお迎えが来て、
「歩けますか?」
いやぁ、歩けるでしょう、全然。

総勢8名(案内の職員さん含む)がぞろぞろとエレベーターに乗り込む。

そうか、あの、手術の時にベットに寝かされて、とかは無しか。
いいんだけど、そういえばどこかのサイトで歩かされたと書かれていたのを読んだことがある。
ここも歩かせるのね。
エレベーターの入り口でばったりと手術着姿の執刀医と出会う。
「あっ、先生っ!」実家の父母に紹介。バタバタだわぁ、あわただしい。
後から聞いたら、その日は夜中の2時から救急で手術が入って終わったら即私の手術があったらしい。

手術室の入り口で、麻酔科の看護士さん二名に出迎えられる。
ご挨拶して、少し説明を聞く。
ご家族もご一緒に、と ほん入り口までぞろぞろぞろぞろ。
「行ってきますぅ」と挨拶してひとり入る手術室。

感想は、えっ、こんなもんなの?質素だわ、手術室。
自分でベットに寝転んで
『うわ~、音楽、ロックやん・・・』出来たら静かで落ち着いたクラシック辺りで、慎重に手術していただきたかったんですが。

マスクを当てられて、ことんと寝た。
そう、記憶無し。

気づいたら、ベットの上で、
しかも部屋に戻ってた。
・・・。

時間にして1時間半ほどだったらしい。
痛くもなんともない。
で、えっと、すぐ大部屋に戻ってます。
違うお部屋に一泊、とか先生は言ってなかったか?ナースの隣の部屋とかって。
ま、いい、取りあえず眠いっ。

相方の声が聞こえる。
家族と数人の看護士さん、みんなでこんな狭いベット区画にひしめきあってるぅ。
「呼びかけてください」
「Keiko、起きて、起きてたほうがいいって」
いや、めっちゃ眠い。うとうと。
でも、何か異様に暑いぞーーー、どうなってるの?熱があるの?

「どうですか?」看護士さんの声に
「暑いですぅぅぅぅぅ」と答えたら
「じゃ、電気毛布、取りましょうね」

電気毛布ぅぅぅぅ?どうりで暑かったはず。
取ってもらって少しすっきり、次第に自分の状況把握。

ああっ、履いてたパジャマのズボンがないっ!!
すっぽんぽんでした。
目で探すと、丁寧にたたまれてビニール袋に入ってました、パジャマずぼんと、おパンツ。
うっ、尿の管、めっちゃ痛い。これが一番嫌い。気持ち悪っ。
胸は、怖くて触れない。どうなってるんだろ。でもそっとしておこ。

ああっ、腕、腕、動くかな。
手術当日にするリハビリを思い出しながら動かす。
動くじゃ~~~ん。
よしっ、頑張るぞ、目指すは以前の動き。

途中で、酸素吸入器みたいなのも取れて、
気持ち悪い尿管も、あれ?あれは翌朝に取ってもらったのかな。
その日のご飯、覚えてないなぁ。
多分、食べたんだろうけど。
何もする気はしなくて、うとうとうとうと、を繰り返した。

同じお部屋の人たちも、ちらちら見かけるが、ご挨拶どころではない。
しかも、おばあちゃんたちばかり。かなり年配だわねぇ。
お友達、諦めるか・・・。

入院する

2007-03-11 16:31:57 | 入院編
2006年12月13日

午後2時に入院ということで、まとめたら妙にでかくなった荷物を下げながら、来てくれた義姉(相方はバイトの子と交代するまで店で仕事、)と一緒にてくてくと病院に向かう。

義姉は、冷えるからとちゃんちゃんこやズボン下(今はこんな言い方しないのかな?)を無理やり私に持たせた。

私の実家には病気治療中の父と足の悪い母と病弱な妹なので「来なくていいよ、大丈夫」と言っておいた。行く前に電話して「いってきます」を伝える。
「明日は行くから」と父が何度も言っていた。いいんだけどなぁ。
大阪に嫁いでいる妹も、会社を休んで明日は来るという。
うーーん、本当にいいいんですよー、一人でも。

病院で受け付けてもらうと、案内してくれて、6階の病棟に行く。
何といっても初めての体験。不謹慎ながら、少しわくわく。
作った本に「入院しても手術までは時間があります。お友達を作りましょう」みたいな項目があって、ぜひぜひ、お友達を作りたい。

まずは看護士さんからナースルームの横の部屋で説明を受ける。
腕に名前が書いたバーコードを一番につけられる。
ちょっと・・・ペットみたい、と思う。
「部屋は個室に・・・」という姉の横で「私っ、大部屋で全然かまいませんっ」と看護士さんにいう。ふぅー、個室が空いてなくてよかった。
そんな贅沢はできましぇぇぇん。

決まった部屋は6人部屋。
どのお部屋も・・・しっかりカーテンが閉まっていて、ご挨拶すら許されないような雰囲気。
ええっ!お友達は?無理なのか?

しかも私は肩身の狭い真ん中のベット。きゅうきゅうでした。
ここで過ごすのかぁ。取り合えず荷物を分けて、自分の陣地を確保って感じ。
麻酔科の女医さんが来て説明をするからと、義姉と移動。
いろいろと説明を受けましたが「下あごを突き出してください」
ええっ!できましぇぇぇぇん。
ついこの間、顎関節症になりかけた私は、変なおじさんのだっふんだ状態が出来なかった・・・。
「あらーーー、器官が傷つきやいかもね」それでなくてもここ最近、変な痰が絡むような感じなので、これ以上はいやだーーと思いながら、なるようになると少しやけっぱちも入った。


夕方6時に夕食。給食みたいだー。どんぶりに入っているごはんには苦戦。白ご飯をあんなに大量って無理。

食事が終わったと思ったらすぐにバタバタと担当の先生からの説明。
「あれっ、ご主人は?」
あーっ、すみませんっ、仕事でたった今帰りました。(私の食事を見ていても仕方がないからーーー。)
二人で聞かないとダメらしかったけれど、いないものは仕方ないし、一人で聞きました。いろいろなサインも一人でしました。
再度、確認に切る部分を図解説明する先生。
「再建、どうされますか?」
えっと、私はしたいとは思ってないんですけれど、どうも主人がして欲しそうなんです。
「じゃ、再建も視野に入れてっと」
取り合えずっ、そんなことより、宜しくお願いしますぅと思いました。
ここまで来ちゃったよ。
とうとう来ちゃったよ。

今夜は、一人さみしくシングルベット。
手を伸ばしても誰もいないしさ。いつもならふかふかの猫の毛を触っているのにさ。
そうして明日は手術。
渡された、手術の心得。そうか、CD持ってきたら自分の好きな曲、かけてくれるのか。もっと早く教えてよ。
術後に動かすための運動シュミレーションをしながら眠りにつきました。


幼名はちびりん・ブタ猫チー

2007-03-09 22:19:48 | うちにゃん
ある日うちのビルに住み着いた、野良猫ちゃん。
いつの間にかお母さんになってました。

産んだ可愛い子猫三匹。
うちの店の裏ドアに片手を挙げて、ご飯のおねだりに来る、そんな可愛い「ちびりん」。
しばらくは外猫としてお世話していましたが、同じビルのテナントさんが大激怒して嫌がらせを言ってくるの。
しまいには「毒でも混ぜて・・・うんぬん」とか「保健所で引き取らせろ」とか。

もう、うちは大勢いるから一匹も二匹も三匹も(子猫は一匹いつの間にかいなくなってた・・・)、増えても同じ!と大捕獲作戦決行。
ちびりんとちびちびりんと呼ばれた二匹は確保。
親猫のみけちゃんだけがいまだに捕まえられません。
知らん振りして、毎晩ご飯はあげてます。

で、その可愛いちびりん。
捕まえたその夜から、丸一日布団の中で寝続けました。
小さいのに野良として生きるのはつらかったのだ、安心してようやくほかほかの気持ちで寝られるのね、いいのよ、いいのよ、どんどん食べなさい。

見事、おでぶになりました・・・。
もはや小さくないので、ちびりんとは呼べずチーに改名。
重いです。
入院中に、病院からもらったパンフに
「患腕は大切に、重いものは持たないように(10キロまで)」とあって、
相方が「チーは抱っこしたらあかんで」
うっ。

そんなチーちゃんは、うちの中で誰よりもビビリ。
「チーちゃーーーん、ぶろろろろんするよー。」と掃除機を持つ私の姿を見るとそそくさとベットの下に避難します。

結果がわかって

2007-03-07 21:52:51 | 告知編
診察時間外の待ち合わせで、先生と受付でバタバタと出会う。
あの時のことって、本当に気持ちも走っていたなぁ。
何故あの時、もっとブログを調べてみなかったのかな。
こんなにも先輩がいっはい居たのに。

でも、あの時は戦う自分しかいなかった。
一人で頑張って戦う自分だけ。
横目で乳がんサイトの掲示板を見ながら、こんな風に声を掛け合ったりは出来ない、と思ったりもしたっけ。

「乳がんでした」という事実を先生から伝えられて、
これは一刻も早く!と胸が叫んでいた。
最短の、出来る限りの早い手術を!
先生にそういうと、「14日なら、丁度時間が取れるよ」
それだ!もう14日しかない!
「お願いしますっ」と即決。

14日手術、前日の13日に入院、退院は約一週間ほどと大まかな説明。
看護士さんに連れられて入院のしおりとか説明とか血液検査とか、その日に全部済ませた。

取りあえずは、帰ってくるんだ!
全部さっぱり取って生還してやるーー!
何よりも、大イベント近鉄百貨店の閉店セールには間に合わせて、働けるようにならなければ!
それには、一日も早い手術、まずは手術、頭はぐるぐるまわりながら、そう決心していた。

それまでに、親への告知やら、妹たちへの告知や、さまざまなイベントがあったけど、そういえば、あまり泣かなかった。
妙に腹が座っちゃって、笑って免疫をアップさせて、頑張ろうと思ってた。
乳がんの自覚を養う為、ちくちくと胸パットも、お古のブラジャーを解体して作ってみた。
でも、胸がまだあるので、どうもよくわからない。
とりあえず退院用に、とちくちくお裁縫をした。

それから、入院中のシュミレーション用に、自分で本を作った。
腕がすぐに上がるように、ネットから体操を探し出しては打ち出して、自分用の本を作りました。
実は、乳がんの本は一冊も読んでません。
11日に入院の説明を受けて、13日に入院するまでたったの3日しか日がなかったので、仕事が終わったらしこしこと本作りにいそしみました。


足フェチ・べーすけ

2007-03-05 20:51:15 | うちにゃん
大勢の猫、と友人たちには公表しているうちの「にゃん」たち。
実際の数を聞かれると「企業秘密」ということになってます。(笑)






私が仕事から戻ってくると靴下にまつわりつくべーちゃんからご紹介。


所属:相方 こよなく相方を好きなようです。まとわりついて一緒に寝ます。     でも、それは、彼の足のにおいのせいではないか、と私は密かに・・。
性別:男の子
性格:チェリーボーイの時に先生に「ちょっと早いかも、でもいいか」と去勢されちゃったので、いつまでもやんちゃです。天敵、多数。いつもじゃれかかって、みなに嫌がられてます。


ここんところの私:わきが、ぷっくりのまま。ちょっと右肩が上がり気味。自分でも上がってるなと自覚がすごくあり。灰皿磨きで右腕を使うと、ぷっくり感倍増。はふはふ・・・。