あっという間に一月も終わろうとしていますね。
私はようやく旅行ボケが収まりつつあります。しばらくは朝起きると「えーっと、ここはどこの国だったっけ・・・」と考え、いやいや日本、しかも自宅、しかも朝から仕事だ!を繰り返しておりました。
そうして、体重も順調に増え続け、ふらつきもなくなり、睡眠すら普通になり、眠剤を完全に飲まなくなりました。
目は、あれれこれはもしかして眼瞼けいれん?と思いつつ、キューピーコーワゴールドiプラスのドリンク剤を飲んでしのいでおります。
これがまた、即効性だけはめちゃくちゃあるのです。あなどれない、このドリンク。おすすめです。
さて、4日目である12月28日の夜に、4時間かけてイグアスからリマに向けて飛行機に乗り込みました。
今回は、飛行機堪能、相方はルンルンです。ブラジルに来るまで約30時間を費やしているため、ここらへんになるとかなり手馴れてきます。
ツアコン女史は毎回きちんと人数を確認し、出来るだけ速やかに行動できるよう心を砕いて「では皆さん、ここで裏技を使います」と彼女の持てる技を駆使してくれました。
搭乗する際に、大抵グループ分けして並ばされます。まずは子連れさんたちやお年寄り、体の不自由な方。次はファーストクラス、続いてビジネスクラス、その後エコノミークラスがグルーブ振り分けされて順々に呼ばれます。
飛行機の中の機内持ち込みは結構スーツケースが多く、早く入れないと荷物が入れられなくて右往左往したりします。
そこで、ツアコン女史は「では、年配の方たちに『お手伝いが必要な方』として最初に並んでいただき、その付き添いということで若い方たちも一緒に並びます」と、しれっと優先列に並んじゃったり、「エコノミーだけど、私はグルーブ2、相方はグループ6」なんてことがあると「カップルだと言って2に一緒に並んでください」と時短が半端なく、すいすい楽々乗り込んじゃうのです。
ツアコン女史の戦いは常に空港で巻き起こり、空港職員相手にバトルして無理難題を押し通す・・・いやいや、当然の権利を主張する、といったものでした。
深夜にリマにつくと、すぐにホテル。夏のはずですが、朝夕はそこそこ涼しく、長そで必要。ホテルではバスタブはなくシャワー。日本人にとっては疲れも取れない気分になります。トイレもね、水圧がないわけではないのですが、トイレットペーパーは流さず横のゴミ箱に捨てる、という暗黙の了解。なかなか慣れずにうっかり便器に、なーんてことが多々ありました。
翌日は久しぶりにゆっくり目で出発が朝の6時半。ホテルでの朝食も久々ゆっくりめ。今まで3時起きとかしていたので、ちょっとのんびりだわねーなんて思うのですが、普段から朝早めなのでいつも通りな感覚で、3時起きもあんまり苦じゃなかった。旅行気分も手伝ってのことだろうけど。
そうして、いよいよマチュピチュに行くのですが、大きな荷物は持って行けないので、リマの提携旅行会社に預かってもらいます。だから前日に 別のリュックにマチュピチュ滞在分の荷物をつめておきました。(もちろん、ツアコン女史の号令もあり)
でも機内持ち込み程度のスーツケースなら持って行けました。(まぁ、私たちは本当にリュックだけにしたのですが)事前に調べてペットボトル不可と聞いてわざわざ持ってきた水筒もいらなかった。ペットボトルはダメといわれているけれど、チェックも何も入らないので大丈夫です、とツアコン女史。で、わざわざ持ってきたけれど、水筒はスーツケースにお留守番、となりました。
荷物を預けた後、バスに乗り込んでパンアメリカンハイウェイを南下して、ナスカの地上絵へ。
途中で昼ごはん。ペルー名物の「セビーチェ」なるものを食す。
セスナに乗り込んでナスカの地上絵は見ます。その空港。結構しっかりした大きく空港。
パイロットさんは日本語の羅列で、見るべき絵の場所を教えてくれます。
「右、右、右。羽、羽、羽。下、下、下。くじら、くじら、あったー!」
これはそのくじら。
慣れないうちは え?え?と思っていたけれど、ガイドさんが事前にパイロット説明解読してくれていたのも手伝って「おー、あれだー!」とみんなで堪能。
ナスカの地上絵を横切ってパンアメリカンハイウェイが走ってます。ここにこの絵たちがあることをまだ知らなかったケネディ大統領の指揮のもと、作られちっゃたそうです。あとから見つかって、あちゃちゃ、だったらしい。
その日はまた同じホテルに戻って少し買い物をしました。さあ、もうすぐマチュピチュです。
私はようやく旅行ボケが収まりつつあります。しばらくは朝起きると「えーっと、ここはどこの国だったっけ・・・」と考え、いやいや日本、しかも自宅、しかも朝から仕事だ!を繰り返しておりました。
そうして、体重も順調に増え続け、ふらつきもなくなり、睡眠すら普通になり、眠剤を完全に飲まなくなりました。
目は、あれれこれはもしかして眼瞼けいれん?と思いつつ、キューピーコーワゴールドiプラスのドリンク剤を飲んでしのいでおります。
これがまた、即効性だけはめちゃくちゃあるのです。あなどれない、このドリンク。おすすめです。
さて、4日目である12月28日の夜に、4時間かけてイグアスからリマに向けて飛行機に乗り込みました。
今回は、飛行機堪能、相方はルンルンです。ブラジルに来るまで約30時間を費やしているため、ここらへんになるとかなり手馴れてきます。
ツアコン女史は毎回きちんと人数を確認し、出来るだけ速やかに行動できるよう心を砕いて「では皆さん、ここで裏技を使います」と彼女の持てる技を駆使してくれました。
搭乗する際に、大抵グループ分けして並ばされます。まずは子連れさんたちやお年寄り、体の不自由な方。次はファーストクラス、続いてビジネスクラス、その後エコノミークラスがグルーブ振り分けされて順々に呼ばれます。
飛行機の中の機内持ち込みは結構スーツケースが多く、早く入れないと荷物が入れられなくて右往左往したりします。
そこで、ツアコン女史は「では、年配の方たちに『お手伝いが必要な方』として最初に並んでいただき、その付き添いということで若い方たちも一緒に並びます」と、しれっと優先列に並んじゃったり、「エコノミーだけど、私はグルーブ2、相方はグループ6」なんてことがあると「カップルだと言って2に一緒に並んでください」と時短が半端なく、すいすい楽々乗り込んじゃうのです。
ツアコン女史の戦いは常に空港で巻き起こり、空港職員相手にバトルして無理難題を押し通す・・・いやいや、当然の権利を主張する、といったものでした。
深夜にリマにつくと、すぐにホテル。夏のはずですが、朝夕はそこそこ涼しく、長そで必要。ホテルではバスタブはなくシャワー。日本人にとっては疲れも取れない気分になります。トイレもね、水圧がないわけではないのですが、トイレットペーパーは流さず横のゴミ箱に捨てる、という暗黙の了解。なかなか慣れずにうっかり便器に、なーんてことが多々ありました。
翌日は久しぶりにゆっくり目で出発が朝の6時半。ホテルでの朝食も久々ゆっくりめ。今まで3時起きとかしていたので、ちょっとのんびりだわねーなんて思うのですが、普段から朝早めなのでいつも通りな感覚で、3時起きもあんまり苦じゃなかった。旅行気分も手伝ってのことだろうけど。
そうして、いよいよマチュピチュに行くのですが、大きな荷物は持って行けないので、リマの提携旅行会社に預かってもらいます。だから前日に 別のリュックにマチュピチュ滞在分の荷物をつめておきました。(もちろん、ツアコン女史の号令もあり)
でも機内持ち込み程度のスーツケースなら持って行けました。(まぁ、私たちは本当にリュックだけにしたのですが)事前に調べてペットボトル不可と聞いてわざわざ持ってきた水筒もいらなかった。ペットボトルはダメといわれているけれど、チェックも何も入らないので大丈夫です、とツアコン女史。で、わざわざ持ってきたけれど、水筒はスーツケースにお留守番、となりました。
荷物を預けた後、バスに乗り込んでパンアメリカンハイウェイを南下して、ナスカの地上絵へ。
途中で昼ごはん。ペルー名物の「セビーチェ」なるものを食す。
セスナに乗り込んでナスカの地上絵は見ます。その空港。結構しっかりした大きく空港。
パイロットさんは日本語の羅列で、見るべき絵の場所を教えてくれます。
「右、右、右。羽、羽、羽。下、下、下。くじら、くじら、あったー!」
これはそのくじら。
慣れないうちは え?え?と思っていたけれど、ガイドさんが事前にパイロット説明解読してくれていたのも手伝って「おー、あれだー!」とみんなで堪能。
ナスカの地上絵を横切ってパンアメリカンハイウェイが走ってます。ここにこの絵たちがあることをまだ知らなかったケネディ大統領の指揮のもと、作られちっゃたそうです。あとから見つかって、あちゃちゃ、だったらしい。
その日はまた同じホテルに戻って少し買い物をしました。さあ、もうすぐマチュピチュです。