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明るい乳がん生活&子宮体癌生活(の、予定)

~~2006年11月告知、12月手術、明るい生活を送っていこうと決めました!愛猫たちと頑張る!~~

結果がわかって

2007-03-07 21:52:51 | 告知編
診察時間外の待ち合わせで、先生と受付でバタバタと出会う。
あの時のことって、本当に気持ちも走っていたなぁ。
何故あの時、もっとブログを調べてみなかったのかな。
こんなにも先輩がいっはい居たのに。

でも、あの時は戦う自分しかいなかった。
一人で頑張って戦う自分だけ。
横目で乳がんサイトの掲示板を見ながら、こんな風に声を掛け合ったりは出来ない、と思ったりもしたっけ。

「乳がんでした」という事実を先生から伝えられて、
これは一刻も早く!と胸が叫んでいた。
最短の、出来る限りの早い手術を!
先生にそういうと、「14日なら、丁度時間が取れるよ」
それだ!もう14日しかない!
「お願いしますっ」と即決。

14日手術、前日の13日に入院、退院は約一週間ほどと大まかな説明。
看護士さんに連れられて入院のしおりとか説明とか血液検査とか、その日に全部済ませた。

取りあえずは、帰ってくるんだ!
全部さっぱり取って生還してやるーー!
何よりも、大イベント近鉄百貨店の閉店セールには間に合わせて、働けるようにならなければ!
それには、一日も早い手術、まずは手術、頭はぐるぐるまわりながら、そう決心していた。

それまでに、親への告知やら、妹たちへの告知や、さまざまなイベントがあったけど、そういえば、あまり泣かなかった。
妙に腹が座っちゃって、笑って免疫をアップさせて、頑張ろうと思ってた。
乳がんの自覚を養う為、ちくちくと胸パットも、お古のブラジャーを解体して作ってみた。
でも、胸がまだあるので、どうもよくわからない。
とりあえず退院用に、とちくちくお裁縫をした。

それから、入院中のシュミレーション用に、自分で本を作った。
腕がすぐに上がるように、ネットから体操を探し出しては打ち出して、自分用の本を作りました。
実は、乳がんの本は一冊も読んでません。
11日に入院の説明を受けて、13日に入院するまでたったの3日しか日がなかったので、仕事が終わったらしこしこと本作りにいそしみました。


病院えらび?

2007-01-27 12:19:31 | 告知編
12月11日。検査結果がわかる日。

あのバタバタの間に、やみくもに見た有名乳がんサイトのいろいろな情報は、あまりの慌ただしさと自分では気づかない不安で、本当に理解してなかったな、と今では思うんです。

細胞の検査結果を待つ間、約一週間。
相方は、セカンドオピニオンをしたほうがいい、と言う。
何とか乳房を残せないものか、それとも本当は誤診で乳がんではないのではないか、と考えているもよう。

・・・そんなわけないやん・・・。(笑)
私には、確信があった。何故かわからないけど、すっごく明確に確信があった。

でも、相方のために良性だったらいいなぁとかも考える。
いやいや、でもやっぱりこれは、間違いなく乳がん。
自分の意識を右胸に集中させると、ここにある、と思える。
先生の示した場所に神経集中。
小さく出来ないかなぁと無謀なことにトライもする。

相方と何度も話し合った。
家族(相方の姉たちや私の両親など)に話すかどうか。
入院中の店のことをどうするのか。
私が仕事に入れないとなると、バイトに負担がかかる。
言わないわけには、いかないのか。

出来たら誰にも知られずにこっそり、と考えました。
知られたくない、というより、知った相手の負担になるのがたまらない。
心配はかけたくない。
こっそり手術しちゃおうよ、と私は相方にも言ってみました。

でも、昼間に開けている店が二軒あり、その一軒を手伝ってくれていた相方の姉に、相方が勝手に(私に言わずに!笑)「Keikoが乳がんになった」と暗い声で電話したらしい。それで、一軒の昼間は休業する、と。
心配した姉が電話してきてくれて、その声を聞いたら申し訳なさで、どどどぉ~と涙が溢れました。
卵巣を取った経験がある姉は親身になってくれてます。
とても心強い味方です。

さて、病院。
私は縁があったのだし、近いし、結構いい感じの先生だし、もうここでいい、と何度も相方に訴える。
でも、相方も必死になって友人から聞いた乳がん専門の病院を、と必死になって言ってくれる。

時間もないのに!(と、真剣に思う、)
ここでいいのに!(と、身体が訴えてると思う、)
すぐに決着したいのに!(で、ないと、ヤバイと思う、)
じゃあ、取りあえず電話しましょう、紹介してくれるという製薬会社の部長さんの名前を出して、最近出来たというクリニックに電話。
出た看護士らしい女性のあまりにつっけんどんな物言いに、丁寧にお話をさせて頂いて電話をおく。

「縁がなかったのよ」
「すっごく、いやな感じの受付だった、縁がなかったのよ」
私の言葉にようやく、好きにしていいよ・・・と諦め顔の相方がいた。
ごめんね、私は取りあえず、すぐに切ってしまわないとヤバいと思えているのよ。
一刻の猶予もないのよ。

それで、もう迷わずにその病院、と決定しました。

検査をする

2007-01-12 23:46:07 | 告知編
週に1回しかない、総合病院の乳腺外来。
診察を決心した日が、まさにその曜日だったのは、不幸中の幸いだったのかも。

でも、来週に検査って、一週間もあけていいの??
疑問に思うけれど、言葉に出来ず。

それからの一週間は、さまざまなことを考える。
もし万一のことを考えて、私がいなくなってもわかるようにマニュアルは作らないとダメだよね。
遺書、みたいなことはしたくないけれど、今までありがとう、の気持ちはきちんと伝えておきたい。

パソコンがおかしくなったら、
猫たちの世話のこと、
経理のこと、あ、それから、電話がおかしくなったらターミナルアダプターをどうすれば直るのか、とか。
細かく考えて、少し頭を抱えました。
うーーん、結構いろんなことを・・・私に任せきりにしているね?

相方は、頼みもしないのに、あちこちの乳がんサイトを検索して私に見ておけ、と言う。
実感のわかない私は「うーーん」とあいまいに返事する。

実感が沸かないのよ、なのに一体何を知ったらいいの?
頭にはずっと、乳がんで亡くなったお知り合いの奥さんのことばかり。
最悪のことをいっぱい考える。

でも、知らないと始まらない。
読んだサイトで、多少なりとも「乳がん」の姿を知る。
昨日までは、全く関係のない世界、でもこれからずっと付き合うことになる世界。

告知の日こそ、べそべそ泣いたけど、夜中にもぽろぽろ泣いたけど、
泣いてても始まらないぞ、と思う。


12月1日。
予告告知の丁度一週間後、私はMRI検査を受けました。
相方と義姉(相方の姉)が付いてきてくれました。
検査後の画像で、先生は「やはりかなり乳がんであることが濃厚です。細胞の検査をしましょう」と有無を言わさぬ調子。
すぐに検査。
検査したら出来るだけ早く手術したほうがいい、と11月24日には言われていただけに、私も決心しなきゃ!と思う。

週に1回の外来を待っていたら延び延びになるので先生に早く確認したい、とお願いしたら、外来日でない日に結果を教えてくれるという。
では、11日に、と約束して「その日には、手術の段取りまで決めるつもりで来て下さいね」と先生から念押しされる。

そうか、ほぼ確定やん。
ほぼ確定かぁ。



まさかの診断

2007-01-12 20:48:53 | 告知編
午後の受付に向かうと、予約優先らしく、三時間ほど待たされました。
総合病院って、そういうのが大変なんですよね。
名前を呼ばれて、やれやれと思ったら
「向かいのビルの検診センターでマンモグラフィを受けてください。」
はい?

素直に行きましたが、これって無駄になるんじゃないの、とか思う。
だって、今までも婦人科でビビリながら不正出血とかを診てもらったら全然正常、とか言われたし。
あ、過去に子宮膿腫って言われたのも、自然に治りました。
家族に乳がんとかはいないし、はぁ~無駄なお金がかかっちゃうわぁと。

戻ってきて、ようやく診察。
「疑いが濃厚です。これはね、ボクは乳がんだと思います。」
とても穏やかそうな先生の口から出てくる言葉に、ポカン・・・。
「わかりましたか?」と次の診察日の予約を取ってもらって、わかりました、と言いそうになったけれど、
「せっ、先生、多分よくわかってないと思います。」と答えるのがやっと。

相方の元に戻り、呆然としながら
「ごめん・・・乳がんって言われた・・・。」と言葉にしたら涙が出てきました。
知り合いの奥さんが乳がんになって、しばらくして幼い子供たちを残して亡くなった、という話を、対岸の火事のように、大変ねぇと思ったこともあったのに。
まさか、自分が。
「えっ!」と驚いて言葉を失くした相方も、私を抱き寄せるのがやっと。
「私、アナタを残して、死ねない・・・猫たちを残して死ねないよ・・・。」
思いはまずそれでした。
自分が死ぬことは、正直余り怖くないのです。
それは、今までに私が関わってきた宗教観や人生観のようなものがあって、いずれは死ぬもの、という思いがあるせいだと思います。
でも、自分はそれでいいけれど、残されたものたちはどうなるのでしょう。
大勢の猫たちと、それからたったひとりの相方。

他にも問題はあり、うちは自営業で、人材をひとり失うというだけで死活問題にもなりうるのです。

2週間ほどかかる、といわれた入院生活の間、どうすればいいの・・・。
そんなことをぼんやり考える日々。
ましてや、そのほかのさまざまな問題。
経理上のこと、あ、相方は私に任せきりのことが多くあって、HPの更新とかどうするのよ・・・。私に万一のことがあったら・・・。私がいなくなったら・・・。

それから3日間は、わけのわからない現実と向き合うことが難しく、妙にざわざわした時間を過ごしました。
相方は必死になって、ネットで情報を得たり、友人のツテを頼って他の乳腺クリニックを捜してみたり。
「大丈夫、心配ない。」それは、相方が自分自身に言い聞かせている言葉だったのでしょう。

予兆

2007-01-12 19:44:25 | 告知編
2006年11月23日。
それは突然、ズキン、と来ました。
今までに味わったことのない、強い痛みが私の右胸を貫きました。
なんだろう、この痛みは。
経験したことのない、きつい痛みが四度ほど。
その日の夜、私は夜中に一人でそっと胸を触りました。

これは、いわゆる、しこりってやつ??

どうもそう思えてなりません。

翌朝に相方に触らせてみました。
「どう?しこりじゃない??」
「うーーーん・・・。わからん・・・。」
当てにならないやつメ!昔、ボクはきっとすぐわかると思うよ、とか豪語してませんでした?

その日に取りあえず身体を空けて、午前中に病院へ。
でも、どこに行けばいいの?
産婦人科?

しかたがないので、一番近い救急病院の受付に聞きに行く。
「どうされました?」
事務的に聞く受付のお姉さんに
「ちょっと胸にしこりがあって・・・。」とあいまいに言うと
「乳腺外来ですね、午後1時の受付になりますので、その頃にもう一度お越し下さい。」
病院の診察予定表の紙まで頂いて、一旦戻る。