日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

目には目を、歯には歯6-4

2018年06月14日 | Weblog
例を挙げるまでもなく、ここ1ヶ月ほどの間に、残酷な事件が毎日のように発生している。

復讐はいけないといわれるが、あまりにも、理不尽で無残な殺人事件が発生すると、

被害者の人権はどうなるのか。殺されたものがソンをすることは社会正義の観点から

許されることではない。思い浮かぶのは目には目を、歯には歯をという思いである。

何の落ち度もない看護師が連れ去られ、殺されて、犯人二人が捕まった事件などは決して

許してはならないものだ。人の命を奪ったのだから、その責任は己の命であがなってこそ

バランスがとれる。つまり問答無用で社会的に抹殺することである。犯人は

即時処刑して殺してしまうことである。生かしておく理由は何もない。理由を聞いて酌量する余地は全くない。

悪事を働いて他人の命を奪う輩は、平和な社会にはいらない。即刻地上から抹殺することだ。

それが社会正義のあるべき姿だ。

いたいけな子供、新幹線車内殺人事件、看護師殺人事件、どれもこれも気の毒すぎて、

涙なくしては語れない。被害者に変わって敵をとってやりたい。 

米朝会談

2018年06月12日 | Weblog
米朝会談

朝10時から19時まで,テレビに釘付けになって,米朝会談の成り行きを追った。

率直に感想を書くと政治ショウ的な匂いがした。

それから何事も 尻が詰め切れていないので、実現するかどうか不安である。

どんないいのがでもできる。明らかに北の勝。

今までの北外交手法を使われたら、取り決めは空文化するだろう。

ただし今回は委員長直々の交渉だから、今までの手法はそのままでは使えない。

そこで手法を変えてくるだろう。

最良の道は普通の国ように、約束は守る、遵守するということだが、

果たして期待できるだろうか。

率直に言って期待はずれで失望した。

力の背景は

2018年06月11日 | Weblog
どんなことだってふたを開けてみないと、実態はわからない。

しかし今回行われる米朝会談の背景はわかる。アメリカは国力、経済力、軍事力など

今回の交渉のバックには北朝鮮とは比べものにならない強力な力を持っている。

力の対決だったら、とうの昔に決着がついている。

強力な力をバックを持ったアメリカに、どんな物言いの交渉が出来るのだろうか。

無言の圧力が十分認識できる状態での交渉開始だから、アメリカが一方的に押しまくっても

それだけの力を持っているが故に、バランスのとれた交渉であるようにみえる。

何事も力のないものは、力のあるものに押し切られるのが普通だ。この逆はあり得ない。

アジャンタ0

2018年06月10日 | Weblog
           アジャンタ 
 エローラを見学した翌日、バスを利用してアジャンタに行った。アジャンタはデカン高原の北西、アウランガバードから北へ100キロほどのところにある、仏教の石窟寺院である。馬蹄形をえがいて流れるワゴーラー川に沿って、600メートルにわたる岩の断崖をくりぬいて、
 塔院窟5つと25の僧院・ビハーラからなっている。サルナートの根本香積寺の壁画を描いた
野生司香雪も、大正時代にここを見学したとか、日本とは古くから付き合いの有る遺跡だなと感慨深かった。
バスの発着所前から少し階段を上って入り口に到着。入り口には、入場料のオフィスがあってビデオカメラの使用料は大した額ではないが、また別に徴収される。

 エローラに比べると、穏やかで静的である。最初から最後まで、すべて仏教に関するものであった。 作りは大きく分けて前期、紀元前1世紀から1世紀にかけて、と後期5世紀中頃から7世紀にかけての、2つに分かれる。おとなしい感じがしたが、その中に秘められた力強さは不気味なほどであった。
 到着したのが11時過ぎで,ものすごく日差しが強く、暑い。ところが窟院の中に入ると極暑を忘れる。これは極楽と地獄じゃないか,大袈裟だが、僕は本気でそう思った。ここにいて仏道に励んだ修行者達も、きっとそう思ったことだろう。たしかに酷暑を避ける人間の知恵には違いないが、これを作る段階ではどれほどの苦労があっただろうか。その大変さが偲ばれた。
 前期には仏陀の姿を表すものはなく・ ,A卒塔婆や舎利などが、仏陀のシンボルとされていた。
後期になると、仏像が刻まれて鎮座している。特に第1窟のライトに浮かび上がる壁画は、これが日本の法隆寺壁画の原画かと感動した。この遺跡の壁画は日本に直結している。
第1号窟と第二号窟の壁画をみて、法隆寺の金堂に描かれた壁画そのものが、ここにあるとも思った。こちらのものは法隆寺のそれに比べるとかなり大きい。しかし実に良く似ている。
それに何番か忘れたが、大きな釈迦の涅槃像がある。僕はこの前に立って、こっそり写真を写してもらった。そしてこれがアジャンタの唯一の記念になった。
この当時の仏教芸術は、ここからはるばる、日本までやってきて、日本で止まった。太平洋は渡らなかった。
ブッダン   サラナン ガッチャミー   (仏に帰依したてまつる)
ダンマン   サラナン ガッチャミー   (法に帰依したてまつる)
サンガン   サラナン ガッチャミー   (僧に帰依し たてまつる)



 断崖にほられた洞窟の奥に、祭られた釈迦像の番をし、説明していた中年の女性はこの三宝に帰依し奉るという経文をソプラノの美しい声で唱えた。それは洞窟の中で反響し合い、神秘で荘厳さを増した。よく問題にする仏の世界の音楽とはこのことか。
それだけではない。疲れた僕の心に甘露の雨を降らせた。聞きほれるというわけでは無いのに、疲れた体はくぎ付けになった。 外は猛烈に暑い。しかし今の僕には暑さも、小商人がまつわりつくあのうるささも何も無かった。
あるのは耳の奥でわーん、わーんと響くこの経文の響きだけだった。
 僕は三帰三きょうを唱えてみた。
でし、むこうじんみらいさい 帰依仏 帰依法 帰依僧
でしむこう じんみらいさい 帰依ふっきょう 帰依ほうきょう 帰依そうきょう
意味は同じだが、響きの美しさには雲泥の差があった。
女性は続けて三回歌った。いや唱えた。
お釈迦さんの説かれたお経には、なん曲かメロデイをつけた経験のある僕だが、これほど単純な節が、これほどまでに心に染みるとは思ってもみなかった。きっと今後作曲する際に1つのクライテリオンになるだろう、そんな気がして、そこを立ち去るのは勿体無いような気がした ・B
もし僕が現地の言葉に堪能なら、心からお礼をいったことだろう。しかし僕はお礼の言葉もかけずに、そして僕の感動を伝えることも無く、またドネーションもせずに、そのままそこを立ち去った。沈黙を保ち、感動を逃がさないように、他の事に気を奪われないように、自分を覆い囲んだのだが、あの女性に感動を伝えなかったのは、返す返すも残念なことだった。
アジャンターの見学は3時間ほとで終わった。
エローラのカイラーサナータ寺院が持つ、男性的で迫力のある作りには、否応無く圧倒されて感動した。それは心臓が波打ち、呼吸が荒くなるような激しいものだった。それに比べてアジャンタの石窟で受けた感動は、低周波の振動のように、大きなうねりであった。波長が長いために深い海の底から伝わってくる、あの大きなうねりで、感動が体全体を包んでしまうようなものであった。動的と静的、と対照的に表現しても、その感動の大きさは優劣の差がでるものではない。
ブッダン   サラナン  ガッチャミー  (仏に帰依したてまつる)

ダンマン   サラナン ガッチャミー   (法に帰依したてまつる)

サンガン   サラナン ガッチャミー   (僧に帰依したてまつる)

香妃 シャンフエイ5-63

2018年06月09日 | Weblog
香妃 シャンフエイ

清朝の乾隆帝の悲恋物語を扱った長与善郎作の作品に曲がついた。
山田耕筰先生のグランドオペラ・ 歌劇。大作である。
関西は大阪フエステイバルホールで 上演された。
詳しいことはもう忘れたが、山田先生の名は教科書に載っていて、また音楽室にはベートーベンなどと並んで、教室の後ろの方に写真が張ってあって、その名を知らない人は居なかったほど有名な、作曲家である。

だのに関西人は先生の大作に触れようとはしない。入場券の売れ行きは
さっぱりで、会場を埋めるのに苦労した覚えがある。 この作品を作る最中に、脳溢血で倒れられ、途中から作曲は團伊久磨先生に引き継がれた。
団員は全員東京から連れてこられたから、経費もかかったことだろう。当然のことながら大きな赤字があいたと聞いた。

しかし当時は、先生の著作権収入があったから、何年間かにわたって、穴埋めはできたと思う。
とにかく芸術は金がかかる。

昨今は地方公共団体がバックアップしないと公演はできない事になっているが、採算上から見て赤字になることは必定なのに、それを個人でやろうとするのだから、僕みたいな小人は、協力するとすれば、入場券売りのお手伝いをするのが精一杯で、第一スケールの大きさが違うと言って逃げ込んでしまうのがオチである。
今、先生より長生きして、思うに、巨人というのはこの世にいるのだとつくづく実感する。
そういえば雑誌・文芸春秋に「20世紀の巨人たち」の特集があるが、そこに先生のことが載っている。
今振り返ってみると、やっぱりそうだとうなずく。僕にはそのじっかんがある。

南海トラフ

2018年06月08日 | Weblog
東京から九州に至る太平洋岸

大地震  大津波

損害額1,410兆円

死者予想  30万人以上

30年以内に7,80%の確率で発生する

起こったらそのときに考えるほかはどうしようもない。

最貧国になる恐れもある。現在の国家予算の14倍の損害を被るわけだから。

こんな話はもうやめた。

鬼夫婦に対する復讐心

2018年06月06日 | Weblog
鬼夫婦に対する復讐心

虐待を受けた幼児はノートに許してください。お願いします。と書いた。
朝4時に起きて、その日の課題を始めたと言う、幼児。
虐待問題とは言え、程度が悪すぎる。
この夫婦は香川から東京へ転居したらしい。児童相談所は今連絡の最中にこの事件が起こったと言い訳している。
この文章を報道で知った時本当にかわいそうで涙が出た。と同時に、この鬼夫婦に対する復讐心がムラムラと湧いてきた。なぶり殺しにあってもざまーみろとののしってやりたい。
警察も児童相談所も知っていて、こんなかわいそうな子供を救えなかったのか。こういう事件が起こるといつも決まり文句がある。曰く。
モッカ調査中であった。経緯を検証してみたい。まるで他人ごとだ
児童相談所に連絡されていることは、どんな言い訳をしても、正当化できない。
お前ら給料をもらってこの仕事をしているんだろ?人の命ということを考えて、もっと真面目にやれよ。怒りは鬼夫婦を通り越して、児童相談所の職員に八つ当たりした。それでも怒りは収まらない。こんな悲劇は二度と起こさないとでも職員の口から聞きたい。

推測が当たるかどうか

2018年06月06日 | Weblog
推測が当たるかどうか

CViDは6か月あるいは一年で完了するように押し切らなければ
北の策略によって10年前と同じ結果に終わる。
つまり交渉は失敗する
cvid 完了は6か月ないし1年というのが不可欠条件である。

何事によらず北はちみつな交渉計画が作成されているはずだから、
それを状況によってうまく活用して、成果を上げてきた。
今回もおそらくそうなるだろう。

北の読み方に意表をつくものでないと結果は北の勝利に終わる。

交渉中止の話が出たときの、北をあわてぶりを見ればわかる。
シナリオ外の出来事だった。

この会談が政治ショーに終わればアメリカは大国として相応の成果をあげることに失敗した。という点で世界中の笑いものになる。

交渉の結果が少しでも北に有利なものだと思われたら、トランプは愚か者の見本にされてしまう。経済力、軍事力で圧倒的な差がある現状では、国力に大きな差があり、それに見合う成果をあげなければ交渉は失敗である。

以上が交渉に対する僕の見解である。

この見解が外れるように願うのみ

会員制デートクラブ0

2018年06月05日 | Weblog

   会員制デートクラブ

姫路市内のデートクラブが兵庫県警によって摘発された。原始古代の昔から未来永劫にわたってこの種の問題は起こるから、とりわけ注目に値するものではないが、会員制のこのクラブは六十才以上の老人が三割を占めていたというところがわたしの関心を引いた。 検挙された経営者は若いサービスガールに、老人は金と時間があり、大人しいから特にサービスするように、と訓示していたという。
地位があり財産がある老人は恐らくこれらを活用して、簡単に女を手に入れることが可能だろうから、多分デートクラブなど利用することはないだろう。しかしそこらそんじょの庶民の老人はこういうクラブを利用する以外、シルバーセックスのはけ口がないから、俺たちの楽しみを奪う余計な事をしやがってと恐らく内心では警察を恨んだことだろう。 六十才過ぎの老人に性欲なしと決めてかかる世間の誤解はいうに及ばず、高齢化社会が急速に近づいてくる我が国の現状からすると、老人は性欲なしで涸れるべし、年よりの癖にいやらしいと偏見を持つ社会も恐ろしい。 このような社会的な禁忌がある為に、老人の性は抑圧されており、追い詰められている。

生命有る限り性欲があるというのが生きている証しでもある訳だから、今一度この問題を考えてみなくてはならない。
性欲なんてものは全く個人的なもので年齢的な側面から論じられるものではない。本来死ぬまであると考えるのが自然であろう。
さて老人の現状だが、基本的に老人は人生の夕暮れにいる訳で、夕日が沈むがごとく、やがてこの世をさる日がくることを本能的に直感している。そこから浮かびあがってくるのはどうしようもない寂しさである。また第一線からは引退させられることによって自分は社会とは直接かかわりを持たないという疎外感もある。
また一歩ひるがえって自分の家庭をみると、巣立った子供達はそれぞれの家庭中心に生活を回し、そこに老人が安らげる場所などはない。子供においてすら付き合いが薄れて行く現代の風潮からして、若い女の子と付き合うチャンスなどは絶無である。
こうなると老人にとっては毎日まいにちが淋しい時間の連続でしかない。これが俺の人生か。これが俺の人生のたそがれか。ため息が聞こえて来そうである。

そういう心境にある老人が、体内にくすぶる生命の余燼、己の性欲をいかに処理するか。デートクラブの存在は恐らく日だまりに集まった老人たちの茶飲み話を通じて急速に広がったに違いない。そのクラブを通じて老人は沈みかけている己の人生に青春の息吹を吹き込もうとしたのかどうかは知らないが、この世に有る限り、自分の生命を存分に楽しもうとしたことはごく自然なことである。
建前や、体裁にこだわって静かに死を待つという生き方は人生の冒涜と言ったほうがよいのかも知れない。
世間的にみっともないと言って自分の体裁をかまう子供たちが、本当にどこまで老人の立場を理解しているか、老人の心理と生理を、どれほど実態に即して眺めているのか。
また老人についてなにがしかの事を思うのなら、老人をもっと暖かく迎えいれる気遣いや配慮があるのか。
老人が相方に若い女性を求めるのは自然の理にかなっている。というのはこれがいわゆる正常な人間の生命現象でそれが即ち自然の意思だから。言い換えればいやらしいという感じを飛び越えて、自然の摂理、神の思し召しと心得るべきである。
ところで私も会員になる資格があるが、最後の最後まで生命を燃やして生きなければと思うこのごろである。

9-42いじめを受ける子供達

2018年06月04日 | Weblog
こんなことでいいのか


自殺を巡り、仲の良かった生徒から聞き取ったメモがあったにもかかわらず、学校側が遺族に対し「記録として残していない」などと説明していた問題で、神戸市教育委員会から調査を委託されていた弁護士は3日、市教委の担当者が当時の校長にメモの隠蔽を指示した、などとする調査報告書を公表した
市教委の関係者らによると、メモは自殺から5日後、友人6人から聞き取った。女子生徒が他の生徒から言われた悪口や生徒間の関係が記され、「いじめ」という記述もある。コピーは複数の教員に配られ、学校に派遣されていた市教委担当者にも渡されたとみられる。その後、学校が保管していた。
女子生徒の母親は17年2月、学校の調査資料に聞き取りの内容が反映されていないとして、理由と情報提供を求める質問書を市教委に提出。17年3月、前校長が文書で回答し、聞き取りは生徒へのカウンセリングの一環で内容は市教委に口頭で伝えたため「記録として残していない」とした。
第三者委が昨年8月にまとめた報告書ではメモを「破棄された」とし、これを見た現校長が保管していることを市教委に連絡。市教委は「内容は報告書に反映されている」とし、約8カ月間対応しなかった。
弁護士の調査は、当時の教職員や市教委の担当者らに聞き取った。17年3月の時点でメモの存在を認識していたにも関わらず、遺族に「ない」と答えた経緯などが盛り込まれ、組織的な隠蔽についても言及するとみられる インターネットより引用

これが教育現場の実情である。もはや教育問題を通り越している。
完全に警察問題にしないと、いじめはどうにもならない。自殺させられる子供がかわいそうでならないと思うのは僕だけだろうか。

腎臓ガンが消えた6-2

2018年06月03日 | Weblog
            c    
 電話の向こうから聞こえてくる老師の声はいかにも意気消沈した弱々しいものであった。いつもの様子とはちょっと違う。声に張りが無い。艶も無い。声に晴れやかな表情が無い。一体何があったんだ?。僕は咄嗟に不吉なものを感じた。
 
「実は今、腎臓ガンと診断がくだされましてな。有名な病院の泌尿器科のモニターにはっきりとガンの姿が映っている。3カ所で診断してもらったが、答えは皆同じ。腎臓ガンだそうな。大きいのは8センチくらいでそれがだんご状に重なっているのです。医者としては一刻も早くこれを切り取って治療を行った方が良いから、即刻入院した方が良いとアドバイスがありました。本当に困ったことに成った。」
 
 すい臓や腎臓にガンができるとほぼ命を失うことになるというのが、現代の我々の常識である。医学はこれらのガンを完全治癒させる程度にまで発達していない。
言い換えれば現代の医学でば力の及ばない難病である.。
治療といえば、ガンのできた部位を切除することしかないのだろう、診断を下した医者は全員同じ意見で、できるだけ早く手術をして取り除いたほうがよいということであった。

「先生、これは大病ですね。3箇所の医者がそう言うなら、アドバイスにしたがって、治療をを受けられることが大切じゃないでしょうか。
しかし先生は普通の人と違って、神仏の御加護があります。こういう時にこそ神仏のお力を借りたいものです。

比叡山の回峰行をやり、わらじがけで四国88カ所の遍路をなさった先生には、神仏のばく大なご加護があるはずです。私のようなものが申し上げるのは釈迦に説法もいいところですが、どうか気を強く持ってご守護を下されるご本尊様に強く御祈願ください。必ず病魔は退散して、元の健康体に戻られること、まず間違いありません。及ばずながら私もお大師さまに祈願させていただきます。ちょうど良い機会です。88カ所分国打ちの遍路をさせていただきます。心を込めてお大師さまにお願いしてきます。」
 
 まもなく私はまず1番札所、霊山寺をはじめとして発心の道場・徳島23か寺を回る遍路旅に出かけた。
 お大師さまにお願いするために私は私なりにお経をアレンジした。
妙法蓮華経普門品第25、いわゆる観音経の中にある・げ門・は特別のご利益があると聞いていたので、般若心経の前に唱えることにした。そして夏の暑い盛り、7月の末日から8月にかけ、天気予報で調べ雨の少ない日を選んで出発した。
おさめ札に老師の名前と年齢を書き、真ん中には病魔退散、腎臓ガン撲滅と祈願文を書
いてそれを参る先々の寺の大師堂に納めた。

まずは発心の道場からと思い、徳島県23ケ寺のうち23番の薬王寺だけを残して、22ケ寺を祈願して回った。

 

二ヶ月たって9月の初めに元気な声でいきなり「これは奇跡ですな、」と弾んだ声。その声は元気に満ち、晴れ晴れしていたし、ぴちぴち踊っていた。電話の主は老師である。
 「実は8月の終わりに大阪府立病院に入院したのだが、手術することなくガンは干からびて影は残るが、ガンの本体は消えうせた。もう私はガン患者ではありませんよ。ついでに体を調べてもらったがどこも悪くない。明日退院してくれて構いませんよと病院側から説明を受けた。その治療たるや30秒ほどで終わったんです。
 なんとたった3日の入院ですべてが終わったんです。腎臓ガンが治って消えうせた。
塞栓術といってガンに栄養を送っている血管を、あるところで詰まらせてそこから先には血液が行かないようにする治療を受けたわけです。術そのものは30秒ほどで終わったが、これはガンに対して兵糧攻めをするということですな。栄養をもらえなくなったガンは血流ストップと同時に死んだ。あんなにはっきりと白く大きく映っていた影が、元の映像とは似ても似つかぬ形になって、丸で干し柿のようにしわしわの姿になって影を映していた。
 主治医は写した映像を見ながら詳しく説明してくれたし、また自分のこの目で確かめたから間違いありません。余りあっけなかったので力が体全体から抜けたような感じがしているし、何かキツネに包まれたような気がするが、これは本当の話です。
医学の力もさることながら,その後ろについて御守護された神仏の力の大きさをこの事で改めて知りました。ありがたいことです。
 
翌日院長先生から即刻退院の許可が出たが、主治医の先生は大事をとってもう1日入院しておいてくださいということですから、私も納得しました。
 心配かけたけど、もうガン患者ではありません。静養はするが元の健康体としてまだまだ頑張ります」
「それはそれはよかあったですね。こんなうれしいニュースは恐らく生涯1度あるかないかです。ところで変な言い方ですが、命取りと定評のある腎臓ガンがこんなに簡単に治ったなんて急に言われたって、はいそうですか、という気にはなれません。気持ちがそこまでついていかないのです。僕も今は先生と同じくキツネにつままれたような感じです。それにしてもよかったですね。僕は素直にうれしいです。

先生のようなお方はまだまだ元気で今までどおりに,
世のため人のため、お役に立ってほしいと願っていましたから。
もう少しお話を伺いたいので、自坊のほうへ伺いたいのですが、よろしいでしょうか。
はい、分かりました。では後ほどに。」



 日をあらためて僕は先生を訪ねた。ちょっとやせられたかなーとは思ったが、先生の体は完全に元に戻っていた。何しろ治療した日には熱も出ないで,医者が首をかしげたそうである。
僕はこれはきっと先生のご守護さん,地蔵菩薩か不動明王か弁才天、それにお大師様のどなたかがまもられた、いや全部の神仏がご守護されたのだと思った。
しかもそれを追認するかのように,老師は,
「自分が生きているのではない,自分が生きているように思えるが実は大いなる力によって生かされていることをしみじみ実感した。
生死の境をさまようような思いをして、そのことがつくづく分かった。生きているのじゃない、生かされて生きているのですよ。」
と実感を込めて話された。
 現実はともかくも、少なくとも意識的には我々は生死ぎりぎりの線まで追い詰められないとこのような実感は味わうことが出来ないのだろう。僕は老師の腎臓ガンという病気を通して、何かを見せていただいてる感じがした。老師の体のできごとだが、リアルなモデルとして目の前に見せてもらった。これは神仏が老師をとおして、私に何かを教えようとされたのに違いないと受けとめた。今回もまた、僕は老師からも、その背後におられる神仏からも大切なことを教えていただいた。

 こういうことに遭遇すると、実際に回った四国88箇所遍路とは、ただそこにあるというだけでもありがたいものだなとつくづく思う。確かに高野山奥ノ院に参り、お大師さんに願をかけるのも良いが、四国1国打ちをするとやはり実感や充実感がある。
歩き遍路ではないので、ありがたさや充実感は半減しているかもしれないが、それでも一国を打ち上げたという充実感のおかげで自信がわいてくる。その充実感がお大師さんからご利益をいただいたと言う実感になってくるから、他人事とはいうものの、わが事のように嬉しい。不思議なもんだ。早速ご祈願をして回った1番札所から22番平等寺までお礼参りに単車で駆け抜けようと思う。
 生か死かというような追い詰められた状態に陥ったときに、頼れるもの、祈願できるもの,即ちお大師さんにおすがりしたり、弁天さんにご祈願できるということはどれほど恵まれたことか、またありがたいことか、今回のことでまた思い知った。これからは神仏とのパイプをさらに太くする努力を重ねたいものだ。


僕の憶測では

2018年06月02日 | Weblog
僕の憶測では
北朝鮮の実情を推測するに今回の米朝会談はまさに渡りに船じゃあるまいか。
世界的な制裁圧力が加わり、軍事プレゼンスがあり、
将来このままでは、おそらく5年も持たないということは、自国のこととして、一番よく知っていることである。

そういう見通しと、現在持ち上がっている核放棄と、その見返りが国益にかなうかどうか、現在状況からは客観的に見て、そういう状態に置かれていることは明白だ。
訪れた好機を逃さずに、見返り受け取り計算がされているはずである。
だからこの好機を逃すわけにはいかない。
従来の瀬戸際外交を引っ込めて、新しい対応が求められるのは自然の成り行きである。
腹の中は以上のような状態ではなかろうか。

いじめと第三者委員会6-20

2018年06月01日 | Weblog
いじめ自殺については、第三者委員会設置が当たり前になってきている。

そこで真相究明をするというのだ。

ここで真相が解明されても、自殺はすでに起こっているから、いくらやっても後の祭りである。

調査や真相解明をして何の役に立つのか。次の自殺予防に役立てるというのならお笑いものだろう。

何故後の祭りに力を入れるのか。そんな力があったら、予防に力を傾倒させる事が先決だろう。

今このときも、どこかでいじめは起きているのだ。いじめは人間の本性だからなくなることはあり得ない

必ずいつか、どこかで起こるものである。

第三者委員会が役にたってるように見えるのは、そう思うだけで、

それは自殺者や保護者に対して行われるいいわけであり、教育関係者の言い訳の隠れ蓑になっている。

問題をこの委員会にほりあげれば、まるで免責であるような印象を与えて、結局は幕引きがされる。

大の大人が集まっていじめに対してはこの程度の知恵しか出せないというのは、お笑いである

何故もっと根本的な対策を考えて実行しないのか。自殺が起こるたびに

この国の文部行政は一体何を考えているのだろうと、いぶかしく思う。

いい加減にいじめ問題の根本にメスをいれなけりゃ。