日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

恋衣

2018年06月15日 | Weblog

恋衣

夏の終わりは、秋というよりは、初冬を連想させる。

真っ黒な雲が、かたまりになって、空を覆い、午後の一時すぎだと言うのに、まるで夕方のように暗くなっている。

北国の夏の終わりとはこんなものか。僕はもやもやと曇った心で空を見上げた。
北国の夏の終わりの頃は空は怒気をふくんでいる。

今朝は、堺の自宅を4時に出た。京都を通り越して、鯖街道を北上し、山川登美子のふるさと小浜に着いたのは、一時すぎだった。

小浜の町は、静かで、落ち着いた雰囲気の城下町である。おそらく、夏の始まりには、海水浴でにぎわったことであろうが、もうその時期も過ぎて、祭りのあとの寂しさが漂っていた。そんな感じを受けた町の素顔は他人を押しのけてしゃしゃりでる図々しさや、自己主張に乏しい古風で、女性的なたたずまいである。それは正しくひそやかな恋こそふさわしい街である。

山川登美子という人は、こういう雰囲気の中で、生まれ育ちつつしみ深いまわりの環境の中で、情熱を燃やし、歌作りに励んだ、女流歌人である。

人間は、いかに個性的であろうと、育った環境の影響を受ける。彼女もきっとこの小浜の雰囲気を身に浴びて、心の奥底には、たぎるような情熱を胸の底に秘めて、それを控えめに、歌作りに励んだのだろう。

山川登美子は、1879年小浜に生まれ、29歳の若さで、不幸な生涯を終えたと僕は思う。恋には敗れ、父が勧めた銀行員と結婚して2年に、夫とは死に別れ、更に不運にも夫の病が移って当時不治の病であった結核にかかり、この世を去った。恋愛といい、結婚生活と言い人生の重大な局面では、彼女は悲運の神にとりつかれたように、彼女の人生は彼女にとっては不幸、不幸の連続で人生を終えることになった。

歌人与謝野鉄幹に認められ、与謝野鉄幹をめぐっては堺出身の鳳晶子と激しい恋争いをした。自由奔放な気質の鳳晶子比べて、小浜の町の古風で、女性的なひそやかな恋心を燃やしていた。


しかし、父親が一方的に決めた当時のエリート銀行家との結婚話で、古風で、堅気な彼女は、封建的な家風に逆らうことなく、恋を断念する。与謝野鉄幹は、そんな古風な女性よりも、自由奔放な鳳晶子を選んだ。つまり、山川登美子は、この恋愛レースには敗れたのである。
登美子は、恋の敗北者である。だが、若い情熱を断ち切って、運命に従った女の悲鳴にも似たる恋の情炎の激しさは、鳳晶子の情熱に、決して劣るものではないと僕は思う、いや、そう願いたい。

晶子との恋争いには破れはしても、それで彼女の心の中が収まったわけではない。激しい恋愛感情とその情熱は心の底に沈んだまま、内に秘めた悲しい叫び、恋をあきらめ人並の命さえも授からなかった不幸な生涯の断腸の思いが、彼女の歌に限りないに力を与えている。
彼女の著書を調べ、現地へ赴いて、調べることによって僕は、彼女の不幸に対して、同情の涙を流さないわけにはいかなかった。
彼女自身の自分の不幸な運命に対する嘆きは、僕の心に直接に響いて、縁もゆかりもない彼女の運命に対して、彼女に変わって敵討をしたい衝動に駆られた。彼女の悲痛なこの思いを時の闇の中に、埋もれさせてたまるか。僕の心の中は、怒りのマグマが、あれくるっていた。

彼女の実家に、立ち寄ったけれども、まわりを一周しただけで、たちよる事無く、通りすがりで、家の中を覗き、家人がおられるのを横目に見て通り過ぎ、彼女について尋ねる事はしなかった。実情を詳しく調べるという思いの前に、僕自身が、彼女の心中をそっくりそのまま、僕の心の中に、取り込んだ。いや、彼女のその部分が、乗りうつったと言った方が適切かもしれない。そして足を小浜図書館に向けた。

図書館には、山川登美子に関するコーナーは設けられてはいるが書物は、ほんのわずかしかなかった。ここに来る前に彼女が、学んだとされる梅花女学校から、彼女の著書をコピーしてもらって、調べておいたから、あらかた彼女の事は判ってはいたが、それにしても、高名な歌人をもっと顕彰すべきではないか。何か物足りないものを感じた。人というものは恋の敗者にはたとえ同郷の人であっても、同情を寄せないものであろうか。

彼女のお墓は、発心寺に在ると聞いた。図書館から、小浜線の線路を渡った近くにお寺はあった。この地方ではかなりの名刹らしく、雲水が4,5人いて庭掃除をしていた。そのうちの一人に、登美子の墓のありかを訪ねた。正面に向かって、本堂の左側の方は、山になっている。
その山を切り開いたような形で、一帯は墓地になっている。
人一人が、通れるほどの細い坂道を登っていって、左の奥に山川家の墓があった。登美子の石塔は山川一族のお墓の隣に建てられていた。

僕は、合掌しながら心の中で、彼女に次の様に、語りかけた。
恋には破れるは、結婚して夫にはわずか2年で先立たれ、同じ病を移されてわずか29才でこの世を去ったあなたの人生に想いをいたすとき、僕は心から、同情申し上げる。そして、あなたの悔しい思いは、必ずや僕の手で、世間に知らしめたい。
歴史上には、歌人として名を残しながらも、表舞台からは、忘れ去られているあなたの存在と歌集を必ずや世に問うてみる。
歴史は常に勝者にスポットライトを当てるが、そのうらには、こんな悲しい人生もあったのだと言うことを知らせば、あなたが生きた真実も世間に理解されるに違いない。
それがどうしたのかと問われると、何とも答えようながないが、それでも同じような境遇にいる人に、あなたの存在が慰めになり、場合によっては勇気ツケになり希望を与えるかも知れない。あなたのように慎ましい古風な女性はこの世にごまんといる。事実を知ればきっと多くの女性が共感するのではないだろうか。

幸い僕は人の気持ちを表現する手段を持っている。僕は今自分が感じているこの思いを詞と曲に託し、いつか世に問うてみたい。せめてそれだけが今自分の出来る事である。
どういう縁が働いてこういう事に成ったのか、自分でもよく分からないが、今このときあなたを訪問しているのは紛れもない事実である。
帰宅すれば早速筆を取ろう。そしてあなたに代わって僕の思いを世に問うてみることにする。それがせめてもの本日こうしてあなたと対面したことの意味である。

恋衣

一、
赤い夕日に 身を染めて   
北を指して帰る鳥たち
白い翼に悲しみ乗せて    
お前達かえるのか
かなわぬ恋に 身を焼いて  
北を指して帰る私
つらいさだめを  一人逃れて
私は帰るのよ
ああー 貴方は今も  私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している


二、
今は幻の恋人であっても
離したくない 離れない
恋の戦に敗れても    
恋衣は破れない
例えこの身は 召されても  
私の恋は終わらない
あなた色に染まる 恋の炎は
激しくもえるのよ
ああー 貴方は今も 私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している










散文詩集

2018年06月15日 | Weblog
tvはニュースしか興味はないが、このニュースではくらいニュースが多い。

そのたびにマイナス感情が持ち上がる。もうそろそろ暗いニュースから卒業だ。

ちかごろ井上靖の散文詩集を手に入れた。

こんなことが詞の対象になるのかと大いに参考になった。

出来ればそういう方向で、文章を書いていこう。感情を爆発させて文章を書くとそれは後々

残って尾を引いて安眠の妨げになる。

視点を広げて宇宙だとか、人類だとか地球だとかに変えていこう。所詮ブログは自分の

心の日記みたいなものだという位置づけだから。