日々雑感

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高野山1

2018年06月25日 | Weblog
高野の町は西の大門から、東の奥の院まで歩いても、距離的にはしれている。

こんな快適な日は木の香りのする山道を歩くのは、それだけで幸せである。

金剛峰寺の前の広い駐車場には今日も沢山の観光バスが停まっている。ということは大勢の観光客が全国津々浦々からこの山に登ってきた事の証拠である。

最初に書いたように真夏の暑さをもろに受ける都会や町などに住んでいる人が、観光を兼ねて、避暑に来るには高野山は、もってこいの場所である。

それはそれで良いのだけれど、せっかくここまで来たのなら、お大師さん(の生き方や、教え)を知ってほしいと思った。

昭和30年代以来、バブルがはじけるつい10年前まで、高度経済成長を支え、それに己を没頭させて、今定年を迎えつつある世代は、会社を退職すると、生き甲斐を見失う事が多いようだが、経済成長を突っ走る事にのみが人生ではないことにようやく、気付き始めている。

特に平成時代になって、経済的な不況が続き、将来の生活に不安がつきまとう時代になると、今まで自分たちのやってきた事が、果たして自分や家族を幸せにしたのかどうか、考えざるを得ない。今定年組は漠然とではあるが、そのような疑問を持っている。

 高野山は確かに、夏は涼しい。涼を求めるのもいいが、それだけだと下界に下ると、
人生は何も変わらないのではないか。単なる一時しのぎの時間を過ごしたにすぎない。
ここにこうして登ってきたのも何かのご縁によるものだと思いたいし、よい機会だ。


一生一度しかない人生だ。生きていて良かったと実感出来る人生を過ごしたいものだ。

それにはやはり自分の問題として、生き方を考える必要がある。経済不況にぶっつかって、漠然とではあるが、今までの生き方に疑問を持つ今が、チャンスである。

もう一度今ここで己の人生を見つめ直して、生き方なり、価値観なりを再点検してみたらどうだろう。お大師さんの教えについて考えるのに、一番ふさわしいのはやはりここ、高野山だ。

高野山は確かに、夏は涼しい。涼を求めるのもいいが、それだけだと下界に下ると、

またあくせくした日常生活に巻き込まれる。一時の快適さを味わうだけに終わってしまうではないか。人生は何も変わらないのではないか。また同じフレーズが頭を駆けめぐった。

余計なお節介だという声も聞こえそうだが、僕はこういうことを考えながら、杉の木立でひるなお暗い奧の院の参道を一人で歩いて行った。


余り多くの事を考えても、お大師さんの言われる実践が伴わなくなる。それでは意味がない。せっかくここまで来たのだから1つや2つは役立つことを学んで帰らなくては、
今回ぼくがお大師さんから学んだことは、

1,こだわるな

2,まず行動せよ。実践するから何かが判る訳で頭で考えていると本当の意味が分からない。物事の理解に限界がある。

3,生かされて生きているのだという事実
のほかに般若心経の’空’と言うことに付いて、もう少し勉強したかった。「空」はいつも意味がこんがらがって訳が分からなくなるのだ。

「スカッと腹に収まるような理解をしたいので誰か教えてくれませんか。」そんな呼びかけをしたかった。

 夏に冬のことをいうのも変な話だが、冬の高野山の寒さは関西では格別のようである。寒いときには零下10度まで下がることだって珍しくはない。その中で人は修行する。

己の精神を見つめ、磨くのだ。恐らく生きる意味を問い直すことを経験するだろう。か言ってそれを自分がやるとなると僕は遠慮する。そういう形で人生を見つめ直さなくともそれなりに生きていけるからだ。

だがお大師さんは電気もない、ガスもない、灯油もない1200年も昔にここを住処とし、道場を開かれたのだ。修行の道場、精神を磨く場、だったのが今は観光と避暑の格好の地となっている。

これでいいのか。我々庶民はこのくらいのことしか出来ないのだ。だから僕はお大師さんを拝む対象にしているのだ。こんな巨人と並べ比べようなんて、どだい無理な話である。

距離は100億光年だけれど、智慧だけは借りたいものだと、虫のいいことを考えながら木洩れ日も少ない、夕暮れの奧の院の参道をバス停に向かって引き返した。