日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

原発に賛成か反対か

2012年10月17日 | Weblog
原発に賛成か反対か

僕の場合
答えは単純明快である。人間がコントロール出来ない、しかも事故を起こせばその被害は国を滅ぼすかも知れないという代物は、なにをおいても、排除しなくては。被害を起こす、すべての原子力関係の施設は安全確保のために、撤去して被害を0にしなくては、と思う。

経済界の人は己の生活に困るから、再稼働せよと要求するが、事故が起こったら、どうするのか、と詰問すると答えられない。ということは、その時は野となれ山となれ、という無責任極まる主張をする。

国家的な見地から考えて、経済が大事が、国土の汚染が除かれ安全が保たれる方が大事か。答えは一目瞭然である。国があっての経済活動だ。
経団連は危険な原子力に代わる代替エレルギーの開発に力を入れるよりは、今の不安全な電子力を動かせと主張する。しかも後処理も決まらない大問題に目をつぶって。どういう神経なのだ?ソレが国の責任あるリーダーの考える事か。
僕は純粋にこの事を考える。

秋の興福寺にて

2012年10月16日 | Weblog
秋の興福寺にて

近鉄電車は、奈良市の中心部へ地下鉄となって乗り入れる。階段を上って地上に出ると、奈良公園はすぐ近くだ。駅前の行基菩薩像の噴水を右手に、みながら、坂道を東の方に、200メーターも歩いていくと、左手に県庁. す右手に公園が広がる。ひんやりした風に当たりながら、右折して公園を横切る形で突き進むと、西の方すなわち元来た道の方角に興福寺の五重塔が見える。

興福寺五重塔

五重塔の原型は、スツーパはである。釈迦が入滅したとき、その遺骨は八つに分けられて、その一つが、インドのパトナーの近くにある。
バイシャーリー遺跡の発掘によってここに、納められていたことが最近の発掘調査で分かったらしい。

釈迦の遺骨を収めたのが、スツーパで、それが時代を経て、塔になり、今僕の目の前にある。興福寺の五重塔がそうである。これはインドへ行って見て来ないと、気のつかない。ことだ。

インドの旅はきつかった。自然条件の違いもさることながら、僕と接触する
インドの人々(インド人かどうかわからない。)とは、心情的に違うものを感じて、最後まで、気が許せないで、合わなかった。日本では、釈迦を尊敬し、その教えを日常生活の中の、隅々まで染み込んでできたはずの日本人の心情とはまったく異質なものがあると思った。
なぜだろう。

日本には現れず、聖なる大地マハーバーラタのインドに、大聖人は、現れたというのに、インドに生まれた。正確には、ネパールルンビニに生誕地がある
釈迦、。
そこで僕は考えた。その他大勢の雑魚は、インド人でも、日本人の僕でも、普遍的なことを考える前に、事ぶっっび想いの立場を最重要視するために、言い換えると、己にこだわるために、溶け合わない部分が目立つのではないか。と、そういう理屈をつけてみても、では握手という訳にはいかない。まだ心に引っかかるものがある。

目の前の国宝のこの五重塔を見ていると、やはり日本をみてしまう。ネパールでよく見かけた特に、カトマンズ郊外のバクタプルで見かけた木造建築の塔ともまた違う。しかし基本は同じである。尊いものをまつるというスツーパの原理は石造、木造か。スケールの大、小か。そんなことには関係なく、仏教では重要な建造物である。


せっかくインドの分析めぐりの旅に出て、サルナートまで聞きながらサルナートにある、有名な石造のスツーパを見逃したのは、なんとしても、残念で悔しい。

バラナシには、何日も滞在したのに、サルナートの見学は1日で済ませた。なぜだろう。多分相当疲れていたのだ。
境内にあるマハーボデイ寺院では、日本語を話せるインドの若い修行僧がいたし、僕が生まれる1年前に亡くなっている画家香雪が、この寺に、壁画で釈迦の一代大記を残している。

サルナーとトは、バラナシの北約15キロのところにある。境内は芝生の緑が眩しい。そしてなによりも静かである。小さい動物園があり、池にかかった橋を渡るとき、水面を見ると、小魚がたくさん泳いでいる。パンをポケットから取り出して、水面にほり込むと、小魚がワット寄せて、銀鱗が踊る。心が和む。一瞬だ。そして境内には、釈迦が初めて説法したときの様子が像で表されている。釈迦の説法を聞いている5人の弟子たちの像が、等身大で、設置されている。像は日本人の僕から見ると、ちゃちである。日本では、釈迦であろうと、その高弟であろうと、荘厳であり威厳があるのを見慣れているので、物足りないものを感じた。

どうしてあの大聖人こんな軽いタッチの像にするのだろうか。人種によって美的感覚が違うのだろうか。
まず最初に、ブッタガヤのマハーボーテイ大塔にある釈迦のおおきい像を見だ時の第一印象は、日本のそれと比べてなんと軽いタッチの像だろう。まるでおっちょこちょいに仕上がっている。と不思議に思った。その印象が尾を引いているのだろうかとも思ったが、それは違う。
作りそのものが荘厳なものではなく、僕の目から見れば、軽い。タッチで、作るのが、インド人の国民性なのかもしれないと思い直した。

どうしたわけか。興福寺の五重塔を目の前にして、次々と駆け巡るのはインドの仏跡のことだった。ブッタガヤ、ラージギル ナーランダ バラナシ サルナート

やがて冬の西日を浴びて、塔は輝きだした。

















作成日: 08/01/11

仇討ちではない

2012年10月15日 | Weblog
仇討ちではない

尼崎のコンクリートつめ殺人事件から行方不明の幾人かが殺されてうめられている可能性があると、マスコミは報じている。
もしこれが同一犯だったら、複数大量殺人事件になる。

そこで僕は犯人に対して狂った様に怒る。やったらやり返されるのが当たり前だ

 お前は恣意的に人を殺すことによって人権を奪った。その瞬間からお前は人間としての人権を失った。つまり人間の仮面をかぶった猛獣となったのだ。
猛獣は人間じゃあるまい。町中に出てくると、即座に射殺だ。この原理をお前らに適用する。 最終的には死刑という名を付けて殺すのだが、ソレまでに地獄の苦しみを味わわせてやる。

火攻め 水攻め、はもちろんのことこの世にあるありとあらゆる拷問を体験させてやる。お前達によって殺された者の苦しみ、身体の痛み、殺された者の助けてくれの悲鳴が 聞こえる のと同様に、いたぶり尽くして苦しめてやる。
公務員陵辱罪などくそくらえだ。
そのくらいのことを俺がこの手でお前達を処分してやる。お前らに対しては同情のかけらもない、また同情する必要も無い。
人を殺したら、そんなに恐ろしい苦しみにあわされてから、殺される事くらいは覚悟しておけ。世間の怒りの怖さをその身で実感しろ。 俺の怒りが判ったか。

日本の高齢化社会

2012年10月14日 | Weblog
日本の高齢化社会

少子高齢化が進むと、国力が減衰し、日本国の存在感が失われていく。
60歳以上の人口が30%を超えるのは日本だけだが、2050年代に入ると、64カ国が、日本と同じ状態になるそうな。
だから世界は、日本社会を注目している。いずれ自分の国にも、その波が押し寄せてくるから無関心ではいられない。

他の国と違って、日本は、技術大国である。それは、30年、から40年の年月を持って、培われたものであるから、たとえ高齢者と、いえども、働ける制度をつくり、しかるべき時代に、備える必要がある。

伝承をしていかなくてはならない技術やノウハウは、高齢世代を大切にすることによって、キープできる。今後は、人手不足の企業が、新しい雇用形態をあみ出し、それが高齢化社会の活性化につなげるならば、企業そのものが新しい雇用形態を作ることになる。それは、ひいては社会が、活気付くことにもなる。

高齢者につぎ込まれた国家予算も、年金、健康保険などが減額される。こういう形の姿が成功すれば、介護ノウハウとともに、海外輸出できるようにすれば、なお、いい。要は今後どういうことを心がけて、世界のモデルになるか。という問題。
あながち悲観論だけに、終始していても、何も生まれない。ここで、日本の底力を示す必要がある。

腑に落ちない

2012年10月13日 | Weblog
腑に落ちない

有名な寺院では、拝観料を取る。その収入は莫大なものだと思うが、これが無税であるとしたら、つべこべ言っても、税を免れていることに成りはしないか。

仏像を見る半分以上は「美術品として」。観光料として残りは宗教対象物として収入になる。とすれば割合はともかくも税金をおさめるべきだ。

寺と言っても、観光収入によって維持されているというのも、おかしな話だ。寺と言えば、本来は観光に行く所ではなくて、拝みに行くところだからである。

大きく飛躍して路線を踏み外せば、観光寺というのは、文化財保存所で保存経費を拝観料という形で徴収しているんだと思えば、税金云々という前に腑に落ちる。

変化の理

2012年10月12日 | Weblog

変化の理

蟻のように群れ集まっては、東西に急ぎ、南北に走る。朝早く起きて働きに行き夜帰宅して眠る。という生活は

営むところ何事ぞや。 生をむさぼり利を求めてやむこと無し。期するところ老と死あり。その来るところ速やかにして念々のあいだにとどまらず、これを待つ間、何のたのしびかある。まどえるものはこれをおそれず。、、、、略
常住ならんことをおもい、変化の理をしらねばなり。

所で法師よ。お前さんのようなことを言ってては、現代では暮らしていけないよ。
この理が判らないのは確かに低次元かも知れないが、法師、何を言ったってこの世は金さ。これがなければオマンマはもちろんのこと、電車にものれん。
行き着く先は見えてはいるが、先がどうあろうと、今日明日の飯を食って命をつないでいかんと、どうにもならん。それは生きている限り宿命だ。その宿命に諄々としたがっているまでで、人生の価値などを論じるのは、法師のような暇人だけだ。はっきり言うと今日一日生きるのが精一杯だと言う事。
法師君。判ったかね。変化の理などどうでも良い。

山中先生語録

2012年10月11日 | Weblog
山中先生語録

1,復習するのは2時間以内

2ボールがあることは分かる。暗闇の中で、バットを振り回す。
ボールにあたるか、当たらないかは全くわからない。失敗ばかりで、どれほど失望したことが。、しかし信念を強くもってやっと今回の受賞にたどり着いた。

3、感謝  今回の受賞は、皆の支えがあったからで、全ての人に感謝します
  責任 賞をもらった限りは、今まで治療のラチ外いに置かれていた、難病の人を救う責任がある。

5,ストレスの吐き場は家庭である。妻と二人の子供の娘を見ていると、心が和む。

6,25年前に死んだ父親に、多くの難病の人助けをすることができた。と報告したい。

どれもこれも素晴らしい。語録だが、現在もコツコツと、何かをやっている。僕にとっては、勉強したことを2時間以内に復讐するということが最も心に響いた。

肉食系・草食系

2012年10月10日 | Weblog
肉食系・草食系

肉食系のイメージは、積極的攻撃型でしかも貪欲。動物で言えば虎、ライオンなど猛獣を連想する。
草食系はおとなしく温和で、筋肉もりもり型ではない。羊を連想する人も多いのでは無かろうか。

女性群は肉食系になったような錯覚を覚えるが、元来草食系を装っていた女性群が、肉食系の方に移行しつつあるような状況だ。

考えるに女性群が以前に比べて強くなったのは、強くなったのではないと僕は思っている。強くなったように見えるのは、古い価値観や道徳、慣習などが女性はかくあるべしと、という事の中に閉じ込められていたのだ。その圧力というベールが取り除かれると、女性本来の姿が現れる。生地だ。それは男性とはそんなに変わるものではない。

つまり巷間で言われているように、女性が強くなったのではなくて、社会的圧力が弱くなったので、生地がそのまま表面に出来てるというだけのことである。男女は本質的な部分で、そんなに大きな変わりは無いと思うが、いかがであろうか。貞淑娘が結婚して40年経てば亭主を尻に敷くというのは自然の成り行きだろう。所で余計なことを一言。ババ抜きはあってもじじ抜きはない。
ええ???何が言いたいの?ご想像に任せます。

一瞬迷子

2012年10月09日 | Weblog
一瞬迷子

  大阪ミナミの繁華街の地下鉄、難波で下車して、人波に乗って改札を出た。
地下鉄には出口がいくつもある。この繁華街は好きで月1回は散策に来ているから全ての事が分かっていると思っていた。
 旅慣れない東京などというようなら話は分かるが、こんなに身近なところで、自分の立ち位置がわからなくなったというのは、誠に、不安なことである。

出口がちょっと違っただけで、方向感覚を失ってしまうとは。これ如何に?うん?アルツさんの親類?いやいや、参った参った。
頭は一瞬真っ白。とにかく我を取り戻さなくてはと大きく深呼吸をした。

とにかく見慣れた改札口を見つけなければと、探したら、見慣れた改札口とその周りの風景をを見つけることができた。

一瞬の出来事ではあるが、迷子になると言うのは、非常に不安なものである。
外国の1人旅かと、見間違ったような感じがした。

同じ日本人だから、言葉が通じるから、話かけやすいのだが、都会の人には、なれなれしく言葉をかけることは出来ない。そういう気持ちが働いて、自分は完璧なエトランゼになった。ただしそれは一瞬のことではあるが。

国会事故調の報告書

2012年10月08日 | Weblog
国会事故調の報告書

東京電力福島第1原発の事故を「人災」と断定した国会事故調の報告書は、規制当局と事業者の立場が逆転し、「原子力安全の監視・監督機能が崩壊した」ことを事故の根本的な原因と指摘。規制当局は規制の先送りを許し、東電など事業者の「虜」になっていたと厳しく批判した。
「能力や専門性、安全への徹底的なこだわりという点で、国民の安全を守るにはほど遠いレベルだった」。


人間のコントロールの及ばない原子力の扱いについては、常に国民の安全が第一であるにもかかわらず、ずさんきわまりない保安院の原子力哲学ほど恐ろしいものはない。にもかかわらず、彼らはその体質を改めようとはしない。こんな連中に国民の安全をゆだねていいものだろうか。これは子供でも出せる答えである。

1年半がたつと言うのに、未だに我が家に帰れない人が20数万人いる。この現実をどう見ているのか。経済が困難を来してもよいとは言わないが、原発だけは一発の事故で、国家が滅ぶ、人が住めない状況が起こる。

電力不足で経済が立ちゆかなくなると言ったところで、それだけで国家が滅ぶことはあるまい。確かに国民には、不便はかかるが、それはその程度である。が、原発事故がどれだけたくさんのものを破壊するか、比べると比較にならない。
だのにどうして再稼動に力を入れるのか。原子力発電をこわだかに叫ぶのだろうか。
国民の安全が第一だなんて、現実には嘘っぱちもいいところだ。この国のリーダーになる人たちが、国民をだますのが、耐えられない。
報告書を読むと実にそう思う。

先達はほしいもの

2012年10月07日 | Weblog
先達はほしいもの

播州・西国三十三箇所観音霊場の一つ、清水寺に、お詣りしたときのことである。閉門時間が迫っていたと言う事もあるのだが、深い考えもなく本堂の上にある御堂にお詣りして、おさめ札を箱の中に入れてきた。
帰り道白衣を着た遍侶さんに聞くと観音様が祀られている本堂ではなくて、観音様の以外御堂に参ったことになる。

徒然草には似た様なケースガ書かれている
ある人がお詣りしたのは本殿では無くて、別なところへお詣りして
「あの神社の神さんが祀られている所ほどありがたいところは無い」、としきりに感心したが、実はその男がお詣りしたのは別宮を本殿と勘違いしてお詣りしたらしい

何事にも先達というのは、ほしいものだとその「段」は結ばれているが、僕も清水寺ではこの男と同じ過ちを犯したことになる。

帰り道この「段」が頭から離れなかった。だがもう引き返して本物の本堂にお詣りする気にはなれなかった。お詣りをすることはしなかったが、本堂の受付で納経帳には清水寺とかいてもらった。

強い外交

2012年10月05日 | Weblog
強い外交

韓国はウオンと円のスップ協定を結ばないようだ。日本にとってはこれは好都合だ。今はサムスンなど好調な業績を上げている企業も多いが、今後の世界経済の雲行きを見ると底の浅い韓国経済が自力でやっていくには、不安がある。と冷静な韓国ビジネスマンは腹のなかでは思っていることだろう。

何があろうとも、経済だけは万全を期すのが、大人の考え方だと思うが。、、、そのうちに弱音を吐いて泣きついても、すげない態度を示して、竹島問題に端を発するトラブルが日本人にどれほどの悪感情を抱かせたか、思い知らせるとよい。

90年代のような助け船を出すことは必要がない。こういう主張には必ず大人の対応とか、長い目で見て、などと大人ぶる日本人がいるが、そこがなめられる、あるいはつけ込まれる根本である。事を荒立てないで、まあまあというのは美風かもしれないが、相手はそうみているわけではない。もっとびしばしやる強い外交が必要だ。

韓国にしても中国にしても、日本の助力をえて現在があることを無視している。
典型的な例は小平と松下幸之助の会談と決断だ。歴史を忘れて恩人の工場を破壊する。こういうことをしてはいけないと、教えたのは古代の中国人だった。日本人はその教えを謙虚に学び実践して今がある。こういう事実を本家本元がすっかり忘れている。人間の質が低下したのか。今の中国から礼節の教えを受けようとは思わないし、中国にはその力もない。デモと破壊行為を見ていると、相当民度が低いなーと妙な感心をした。

あれから40年

2012年10月04日 | Weblog
あれから40年

新婚時代     言う事がふるってる。

あなたの言う事なら、なんでも聞いて、ついていきますわ。

あれから40年   大逆転

自分の身支度くらい、どうして出来ないの?何時も私に大きな口をきいているくせに。 さっさと一人で病院に行きなさいよ。私だって忙しいんだから。

お宅では大逆転は起こっては居りませぬか?

豚騒ぎ

2012年10月03日 | Weblog
。中国の経済制裁

日本と中国がトラブルと、中国が経済制裁的行為を行った。前回はレアアースをほぼ禁輸にして、世界から問題視された。今回は日本からの輸入物資の検査の遅滞があるようだ。それに対して日本人は礼儀正しい大人の国だからとして、大した対抗措置もとらず、大人の振るまいをしている。見ていて何とも歯がゆい。
  
中国では暴動と不買運動をやろうという機運も生まれているらしいが、正当性が在ろうが無かろうが、声高に実力行使して来る群衆を見ていると、いくら お隣といえども、好きになれない民だなつくづく思う。
日本は何も大人になる必要は無い。中国がやっているように政府あげて中国の弱点を突いて、困らせてやると、少しはおとなしくなるだろう。
暴れまくれば、結果として良くないことは、どんな事例を見ても判るだろう。が、何かを思い知らせるには、静かに首根っ子を握っておく必要がある。

確かに我も我もと、国を挙げるような形で、草木がなびく様に中国へ出て行った。中国はずるいから、日本のノーハウや、技術を取得すれば、今度は日本を追い出しに掛かる。その撤退にはいくら金が掛かるか。始めから織り込み済みだろうか。当面は甘い汁を吸えても、時間の経過と共に塩辛くなっていくだろう。ビジネスマンだったらその辺の計算をしていないとおかしい。
 
 どうも日本の原価計算は中途半端な気がする。例えば原発では核処理費を計上しないままに(処理する場所ですら不明であるのに)コスト計算なんて出来るものではない。それでも発電コストは原子力が一番安いと宣伝されている。
電力会社と国に対して、お前ら まともかよといいたい。
ビジネスは最初から最終コストまでが原価であるはずだ。

中国は最初はウエルカムだった。時が経つにつれてゴー・ホームである。つまりはき出せるところまではき出させて、骨までしゃぶり尽くす。今回の騒動を見てそういう予感がした。将来撤退問題が大きくクローズアップされるだろう。

非常識な法律家

2012年10月02日 | Weblog
非常識な法律家

離党メンバーに入っていると知りあわてて、残留を表明した。確かに離党届は預けはしたが、提出については、私に求めるべきである。
一般の常識では、離党届を出すと言うことは、提出する事が暗に了解されている。 離党届と提出とは別個であると彼は言う。 理解に苦しむというのが常識だろう。
そんな大事なものを預けた己の不明を恥じるのが先であろう。

難しい難関の司法試験を合格したわけだから、それはに優秀であることは間違いないにもかかわらず、世間の常識とまるで違うことを堂々と言う。
それは我々には屁理屈としてしか受け取れない。完全に無視である。
私はこういう弁護士を専門バカだというのである。そして始末の悪い馬鹿だと心底馬鹿にする。