日々雑感

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秋の興福寺にて

2012年10月16日 | Weblog
秋の興福寺にて

近鉄電車は、奈良市の中心部へ地下鉄となって乗り入れる。階段を上って地上に出ると、奈良公園はすぐ近くだ。駅前の行基菩薩像の噴水を右手に、みながら、坂道を東の方に、200メーターも歩いていくと、左手に県庁. す右手に公園が広がる。ひんやりした風に当たりながら、右折して公園を横切る形で突き進むと、西の方すなわち元来た道の方角に興福寺の五重塔が見える。

興福寺五重塔

五重塔の原型は、スツーパはである。釈迦が入滅したとき、その遺骨は八つに分けられて、その一つが、インドのパトナーの近くにある。
バイシャーリー遺跡の発掘によってここに、納められていたことが最近の発掘調査で分かったらしい。

釈迦の遺骨を収めたのが、スツーパで、それが時代を経て、塔になり、今僕の目の前にある。興福寺の五重塔がそうである。これはインドへ行って見て来ないと、気のつかない。ことだ。

インドの旅はきつかった。自然条件の違いもさることながら、僕と接触する
インドの人々(インド人かどうかわからない。)とは、心情的に違うものを感じて、最後まで、気が許せないで、合わなかった。日本では、釈迦を尊敬し、その教えを日常生活の中の、隅々まで染み込んでできたはずの日本人の心情とはまったく異質なものがあると思った。
なぜだろう。

日本には現れず、聖なる大地マハーバーラタのインドに、大聖人は、現れたというのに、インドに生まれた。正確には、ネパールルンビニに生誕地がある
釈迦、。
そこで僕は考えた。その他大勢の雑魚は、インド人でも、日本人の僕でも、普遍的なことを考える前に、事ぶっっび想いの立場を最重要視するために、言い換えると、己にこだわるために、溶け合わない部分が目立つのではないか。と、そういう理屈をつけてみても、では握手という訳にはいかない。まだ心に引っかかるものがある。

目の前の国宝のこの五重塔を見ていると、やはり日本をみてしまう。ネパールでよく見かけた特に、カトマンズ郊外のバクタプルで見かけた木造建築の塔ともまた違う。しかし基本は同じである。尊いものをまつるというスツーパの原理は石造、木造か。スケールの大、小か。そんなことには関係なく、仏教では重要な建造物である。


せっかくインドの分析めぐりの旅に出て、サルナートまで聞きながらサルナートにある、有名な石造のスツーパを見逃したのは、なんとしても、残念で悔しい。

バラナシには、何日も滞在したのに、サルナートの見学は1日で済ませた。なぜだろう。多分相当疲れていたのだ。
境内にあるマハーボデイ寺院では、日本語を話せるインドの若い修行僧がいたし、僕が生まれる1年前に亡くなっている画家香雪が、この寺に、壁画で釈迦の一代大記を残している。

サルナーとトは、バラナシの北約15キロのところにある。境内は芝生の緑が眩しい。そしてなによりも静かである。小さい動物園があり、池にかかった橋を渡るとき、水面を見ると、小魚がたくさん泳いでいる。パンをポケットから取り出して、水面にほり込むと、小魚がワット寄せて、銀鱗が踊る。心が和む。一瞬だ。そして境内には、釈迦が初めて説法したときの様子が像で表されている。釈迦の説法を聞いている5人の弟子たちの像が、等身大で、設置されている。像は日本人の僕から見ると、ちゃちである。日本では、釈迦であろうと、その高弟であろうと、荘厳であり威厳があるのを見慣れているので、物足りないものを感じた。

どうしてあの大聖人こんな軽いタッチの像にするのだろうか。人種によって美的感覚が違うのだろうか。
まず最初に、ブッタガヤのマハーボーテイ大塔にある釈迦のおおきい像を見だ時の第一印象は、日本のそれと比べてなんと軽いタッチの像だろう。まるでおっちょこちょいに仕上がっている。と不思議に思った。その印象が尾を引いているのだろうかとも思ったが、それは違う。
作りそのものが荘厳なものではなく、僕の目から見れば、軽い。タッチで、作るのが、インド人の国民性なのかもしれないと思い直した。

どうしたわけか。興福寺の五重塔を目の前にして、次々と駆け巡るのはインドの仏跡のことだった。ブッタガヤ、ラージギル ナーランダ バラナシ サルナート

やがて冬の西日を浴びて、塔は輝きだした。

















作成日: 08/01/11