日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

大阪大空襲体験を語る会

2008年05月10日 | Weblog
大阪大空襲体験を語る会

今日の新聞にこの市民運動を立ち上げた金野さんの訃報が載った。
平均寿命を全うされたわけだから、悔しいという気はしない。

それよりも何よりも、近頃は大正 昭和一桁の空襲体験をくぐり抜けた人達が櫛の歯のように欠けていく。悲惨な空襲体験者世代がこの世から消えて、彼ら彼女らの体験のみが貴重な歴史資料として残っていくだけだ。実体験は歴史の闇の中に消えていく。

それでも、この事実が何時の日か、起こるかも知れない戦争の防止に役立ってくれれば後世に対して、なにがしかのお役に立つわけで、人類の悲惨な惨劇を減らすことに貢献するわけで、ほっとするところがある。

金野さんと僕は 「空襲の跡」 とタイトルをつけて歌を作った。彼女が自己体験を短歌にして、それに僕が作曲した。悲しい思いが僕の胸にあふれて、短調の哀しみあふれる歌になった。

それは彼女が目の前にした、空襲の朝の体験を直接ノートに書き記したもので、
生々しいと言うよりは、ど迫力を持って僕の胸に突き刺さった。

ああ、空襲で被災した人はこんな風にして逝ったのか。それは哀しみと同時に逝った人達への鎮魂の情となった。

そんな想いを曲に込めた。

何であるにせよ、死というものは後がない。死によって全てがストップする。

彼女の体験語り部は学校を初め、公民館など、幅広く市民に戦争体験の悲惨さを歴史的事実として、また戦争反対を叫ぶ声となって、市民の知るところとなったのである。

またこの体験の会は語ると言う活動ばかりではなくて、出来るだけ多くの人々に知って貰うべく、体験集を編みだし、後世に残すべく、体験画集の収集にも努め、大阪府教育委員会を動かして、スライド化され永久保存として残されることにもなった。

彼女に最後の別れを言うために、彼女作詞僕が作曲した「空襲の跡」の楽譜と新聞記事と歌入りのテープを届けようとしたが、近親者のみと固辞されたので、会葬は控えさせて貰った。この文章を書くことによって、僕は心の中で彼女との永遠の別れをした。

             空襲の跡

1、空も地も 炎と燃えて 

   なつかしき  思い出すべて 焼け失せぬ ああ荒涼たり

 2,子を呼びて  逝きしとききぬ

   微笑みて 朝の挨拶  交わせし友よ  ああ 無残なり

 3, なきがらに  花たむけんと 

   捜せども   草さえ焼けし  空襲の跡  空襲の跡



               ご冥福を祈る 合掌

クリシュナ神

2008年05月09日 | Weblog
クリシュナ神

 日本では、仏像は見えても、神像はめったにお目にかかることはない。というより神像は仏像のように数多くは存在しない。
 僕がお目に掛かったのは、神仏習合時代の東大寺の僧形八幡神像くらいのもので、普通ご神体は鏡であったり、剣であったり、山や、岩であったり、自然の大木であったりして、像にお目にかかるチャンスはほとんどない。

ところがである。クリシュナという神様に、これからご対面できるというのである。僕は期待した。
 一般にアジアにおける神像は僕が見た限り、日本のそれに比べて作りが軽い。つまりおっちょこちょいなのである。少なくとも手を合わせて拝む対象であるならば、もう少し荘重で、威厳があり、荘厳な趣が必要ではないか。
 
 ボダガヤのマハーボーテイ寺院で見たお釈迦さんだって、軽い作りだった。
あんな偉大なお釈迦さんを軽く作ってどうする。見たり、飾ったりしておくならば別、少なくとも拝む対象であるからにはそれにふさわしい格調や貫禄が必要であると僕は思う。
 これは文化の違いだと割り切って納得した。こう解釈することによって、自分が拝む対象にしたかったのだ。
 
 いよいよご開帳がはじまった。ざわついていた場内は、水を打ったように静まり返った。 神殿即ち、舞台の袖にいた人が綱をひっぱると、カーテンがあいて神様が姿を現した。見たとたん、僕は空いた口が塞がらないだけでなく、キョトンとした。「なーんだ。これ。へえ、これが、、」
一瞬僕は我が目を疑った。「これが神様か。へえ、。」
 
 身の丈、70から80センチくらいの大きさの、人形がたっているのである。全身はまっくろで、漆塗りか、黒光りしている。ちょっと目には、大きめの黒猫そっくりで、おまけに真っ赤な舌をベローと出している。

 そのうえ、首にはよだれ掛けをしている。 これじゃ猫のお化けじゃないか。僕は失望した。いや呆れた。僕はこの猫のお化けの神像に見とれてはいたが、静まり帰った場内には突然地上から吹き上げるような、大きな歓声が沸き起こった。いっせいに祝詞を唱えるのか、むにゃむにゃいう人、手をあわす人、歓声を出す人。それが歓声の源だった。
 
 そして次には大きな拍手が起こった。なにごとかと思ったらツアーのメンバーの一人が
かなり多額の寄付をしたようだ。拍手は寄付した本人に向けられていた。
 
次いで、紐が引っ張られて黒猫のお化けが、そろりそろりと前へ出て来た。じっと見つめている人。合掌して祈る人、真剣な眼差しからは、光のようなエネルギーの放射さえ感じられる。
へえ、これがインドの神様か。僕は改めて神様をまじまじと見つめた。

 ものの10分も経たないうちに、クリシュナ神は紐に引かれて後ずさりを始めて、カーテンの位置から、中に入ると、カーテンも引かれて舞台は閉じてすべては終わった。
クリシュナ神は元の座に鎮座したのである。
日本流の仏像を見慣れてる僕はインドのみならず、東南アジアの荘重さを欠く釈迦像には、なにか物足りなさと違和感を感じて来た。ところが、このクリシュナ神には徹底的に驚いた。いやもう違い過ぎて嫌気が差し、更にこんな姿の神を拝み、うつつを抜かすインド人の信仰に腹が立・ 驚てきた。

 本家本元よりも、それを伝えられて自分なりのものにしている日本の方が余程宗教的雰囲気を持つ像を造り、もっと静かにおがんでいるじゃないか。陽気なのは良い、賑やかなのもいよい。が、像はあくまで礼拝の対象物である。黒猫のお化けみたいなふざけた神様など拝む気がしない。

 僕は今行動を共にしているインド人とクリシュナ神を共有しているのだが、心の中は全く空々しい。完全に一人だけ浮き上がっている。ついていけないのだ。
 メッカの方を向いて1日に何回も頭を地面にすり付けて拝むイスラム教にも違和感を感じるが、このインドの宗教も到底受け入れることは出来ない。
 
 先ほどからインド人の神に対する想いが色々な形を取って表現されているのをこの目で見てはいるが、我々日本人のそれとは大凡かけ離れたものである。
ただ、人々の神への想いは日本人のそれと比べて、大仰に表現されるので篤い想いだけは伝わってくる。

 一体礼拝などというものは、心を静めて、出来る限り落ち着いた状態の心をもって、神様を静かに拝んでこそ、礼拝したことになる。心を騒がせて、興奮状態の心で、果たして心のこもるお祈りが出来るのか。僕は率直にそう思った。

 バスに戻ってからも、人々の興奮はさめやらないのだろう、席をたって大勢の人が興奮気味に話している。
違うな、確かに違うな。深いところまでは分からないが、日本とインドは神様1つをとってみても大きな違いがあることを僕はしっかり心に刻み込みながらつぶやいた。 

 勿論インドにはカーリー神やクリシュナ神しかいないわけではない。インドにおわす八百万の神々総てがこうだとは思わないが、今でも鮮明な記憶として残っているのを見るとやはり余程大きな違和感だったんだろう。

 インドは貧しい国だ。だが民衆の神に対する想いは熱狂的なものがある。現世が貧しく苦しいから人々は熱狂的に神を求めるのか、それとも来世の幸福を求めて熱狂的になるのか、その辺の所は分からないが、いずれにせよ、日本とは大分違うなという感じが残った。


神様問答8-41

2008年05月06日 | Weblog
こんなことを言うと、バチが当たるかも知れないが、この世を作りなった神さん。ちょっと殺生じゃありませんか。

またいつものように、余計なことばかり考えて、愚痴で生きて居る。ただひたすらに、生きて寿命を全うすれば、それでよいのだ。

神さんの言い分はそうかもしえませんが、この不自由な俗世に、身を置いている身になってみてくださいよ。
第1出発点がそもそも不自由じゃないですか。この世に生まれるか、生まれないが、選択の自由がないじゃないですか。人間は問答無用で、この世に生まれさせられただけじゃないですか。

それが不満か?お前は。この宇宙の原理原則をまったく理解しておらん。お前をこの世に人間として送り出したのは確かに神だが、人間に、生まれることがいかに難しいことか。
そこの辺が分かっておらん。人身受け難し。今すでに受く。とお経に、書いてあるではないか。
輪廻転生のことわりの通り、人間としてこの世に生まれてくることは、希有なことだ。なぜかというと、この地球上の生命のあり方を考えてみろ。そのあらゆる生命の中から、その最高峰にいる人間として選ばれて、この世にでてきているわけだ。それだけでも感謝のはずだ。

神様。輪廻転生とおっしゃるけれども、これは仏教だけの考え方ではありませんか。

違う。仏教以前に、ヒンズー教もバラモン教も、こういう考え方をする。西洋にもあるのだ。
”輪廻転生”とは仏教用語であり、人間の本質は肉体の死を以て終了するのではなく、来世で異なった存在となって生まれかわるという思想である。

しかし、これに類似する思想はヒンズー教社会やヨーロッパなど世界中にある。
ヒンズー教は今からおよそ2500年前の仏教成立以前にバラモン教としてインドに存在し、西洋では紀元前6~7世紀にギリシアで興っていたオルペウス教にもその考え方はある。

オルペウスの教義は人間の苦しみは肉体の死と共に終わらず、しばしハデス(黄泉)に滞在したのち、また他の固体に宿り限り無い生成の環のなかを巡らなければいけないとしている。はっきりいっておくが、死んだらそれで全てがおわるというわけには行かないのだぞ。

お前達人間に魂という物を与えて現世におろした筈だ。魂があれば、その魂は命尽き果てれば、いつかは神の国即ち霊界へ戻ってくる。その時に魂の磨かれ具合で、次の行き先が決まるのだ。霊界の中で、地獄へ堕ちるのも、この神の国とどまるのも、それはひとえに送り出した世界での生き様だ。

わかりやすく言えば、人間世界でどのように生きたか、どこまで魂を磨き上げたか、それが問題だ。肉体を失って魂だけの存在になったとき、お前たちは霊界に行くのだ。
そこでまた修行をするのだ。 これは修行の度合いによって六道輪廻をくり返し
悪行の多い人順から 1、 地獄 2、 餓鬼 3、 畜生 4、 人間 5、 阿修羅 6、 天界 にお前は嫌でも決定され、その世界に放り込まれ、肉体を得る。
これに、声聞界(しょうもん)縁覚界(えんがく)菩薩界(ぼさつ)仏界 (ぶっかい)と言う四聖(しせい)があり合わせて. 十界論がある。

これ以上魂の浄化が進んで必要になれば、菩薩や仏界の住人即ち仏になる。
だから仏は崇拝され拝む対象になる。

神は最上界にある霊の上に君臨するもので、無条件に尊崇を受けるものだ。
それは地理的な条件で、色々言われているが、中味は全て同じ神である。一神教多神教それは立場によって生ずるもので、神自体が1つだったり、沢山だったりするものではない。
即ちキリスト教における「神」 ユダヤ教の「エホバ」ヤーベ」 イスラム教の「アッラー」
ヒンズー教の「ブラウマン」 仏教の「法」。これらの神は「1つの神の神的実在性」と言うことをになるだろう。
それぞれの地域で、それぞれの人間に体験的にとらえられた、同一の実在だとおまえらは思うだろう。それは間違ってはいない。そう考えればよい。一神教と考えるのも、多神教と考えるのもお前らの自由だ。しかしながら、神という存在がどんなものであるかは、しっかりと理解しておく必要がある。

近頃は魂とは余り関係ない、外見的なこと、例えば物質的に豊かになり、関心の中心がそこに置かれるようになったが、本来的に肝心なものは魂であることを忘れてはいかん。
魂のあり方から掘り起こして、人間の存在の原点を考えると、お前のような人間が持つ不満とか、疑問とかは、屁のようなものだ。

作ったものと作られたものの上下関係、力関係は判っているつもりです。しかし物質的には恵まれてはいるものの、心はそれに反比例するかのようにやせ細っていく世相を見ていると、一体何故神はこんな殺生な世の中を平気で見ておられるのか、不思議な気がします。
翻って我が身のことを考えてみると、仰せの通り恵まれている状況の中で、不満がふつふつと心の中に湧いてきます。一人ひとりがこんな心を抱いて生きているとすれば、その総和たる人間社会は、暗い世相を作り出して、当たり前です。
そこで神様。ここに神の智恵が必要なのです。何か良い智恵を授けていただけませんか


。お前はまだ判っとらん。神は人間を地上に送り出すのが仕事。人間に生まれたものが自分なりに一生懸命に生きて、その命を全うするのは、人間一人ひとりに与えられた課題だ。だからお前達は一生懸命に生きさえすればそれでいい。
お前達が霊界の位置を決めるのではなく、その入り口には閻魔という審判員をおいてある。その閻魔の指示に従って、行き先が決まるのだが、それは人間の生き様の集大成評価に他ならない。地獄に墜ちるも良し、神の足下にとどまるも良し。


もうちょっと具体的な話を期待してました。神様と一口に言うけれど、日本には八百万の神がおられるから、中にはもう少しわかりやすく説き聞かせて下さる神様もいらっしゃると思って、お尋ねしたわけです。もう一つ納得は出来なかったが、今日の所はこの辺にしておきます。





















三段壁

2008年05月05日 | Weblog



三段壁

 白浜温泉は、関西の奥座敷ともいわれる、
景勝の地である。
 関東人は、熱海や伊豆の温泉を愛しているが、それと同じように、
関西人は、白浜温泉を愛でている。
 東京から、伊豆方面には、2時間ほどの旅であるが、白浜温泉も、大阪から、2時間ほどの列車の旅である。
 山あり、海ありの風景は、そのまま、両者とも同じようなものである。
 
 白浜には、見るところがいくつもあるが、とりわけ有名なのが、三段壁である。
海面から、切り立った高さ四,五〇メートルの崖がそびえ立ち、真下の海面を見ると、目がくらむ。
 逆にそれだけ高いところだから、眺めは、非常に良い。展望台に立って、はるか彼方の水平線を眺めると、気宇は壮大になる。なんだか自分の体が、大きく引き伸ばされた気分にもなる。
 空と海が解け合う遙か彼方に吸い込まれたら、どんなにか気持ちが良いだろう。そんな感じもする。
じりじりと照りつける真夏の太陽の下で、帽子もかぶらずに、僕は三段壁に立って、はるか彼方の大海原をぼんやりと眺めていた。
夏の明るい太陽に照らされて、目玉として観光客を誘う三段壁の展望台は、今日も大勢の人でにぎわっている。

湯崎温泉までは、よく来るが、景勝の地とはいいながら、三段壁はめったに来ない。今回来たというのは、おそらく一〇年ぶりだろう。
特別目立って変わったところはなかったが、一カ所だけ気になったことがあった。
それは、バスを降りて展望台へ行くまでの間に、自殺防止の立て板が、たくさん建っていたが、
それが今日は、一つも見あたらないということであった。おそらく、観光客に、悪いイメージを与えていたのであろう。だから撤去されたのだろうと思った。

 もうかれこれ六〇年以上も昔の、戦前の話であるが、ある旅館の主人と、芸者が、三段壁から飛び込んで自殺した、という話を母から聞いたことがある。
 戦前の出来事であるから、今日のようにマスコミは発達してはいなかったが、おそらくセンセーショナルな出来事として、人々の記憶に残っていたのであろう。
 
 この話を聞いたときに、私は子供心に三段壁は恐ろしいところだという思いが、頭の中に焼き付いてしまって、それは今も離れない。
その事件が、世に知れわたると、同じように、
三段壁から飛び込みで、自殺する人があとを絶たなかったらしい。そこで、町当局をはじめ、
いろいろな宗教団体が、自殺防止の立て看板を立てたということであろう。
以前は道路沿いに建っていた一〇本あまりの自殺防止用の立て看板が目立っていた。
ところが不思議なことに、今回、その立て看板が見当たらない。どうしたのだろうかと思っていると、別な所に移設されて数も少なくなっていた。
 
 それは展望台へ行くまでの道沿いではなくて、真下が、海という目のくらむ断崖絶壁の岩場に、建てられていた。しかも、この海を守る牟婁弁財天・寺務所が建てた
「死んで花実が咲くものか。」
というのと、白浜町当局の
「危険だから、近寄らないように」という注意書きの立て看板。それに、日本キリスト教会の命の電話の立て看板の三つしか目につかなかった。
 イメージも大切だが、人の命はそれ以上に大切だと僕は思った。

 しかし、よく考えてみると、自殺防止の立て札が人によっては逆効果になって、そのために死に誘い込まれて、自殺をするという人が現れないとも限らない。やはりこれでいいのか。
僕は自問自答して納得した。
自殺するものも、自殺しないものも、その心の内は刻々と変化してとらえどころがないから、
その動機や真実は分かりにくい。

 夏の太陽の明るさとは裏腹に、三段壁には、深く暗い大きな影の中に、人生を最後まで、全うすることができなかった人の、悲しみや苦しみが、亡者の嘆きとして、ここに隠れているような気がした。

 自殺をする動物は、人間だけだ。
確かに人間は、自らの命を自らの手で絶つことができる動物である。
どういう運命を持って生まれてきたのか、知らないが、人生をまっとうできなかった者の悲しみは、いかばかりかであろうか。
 人が無事に人生を全うすることは、平凡な事のように見えるが、大変なことである。
 
 自殺して果たして、ことが片づくのであろうか。僕は疑問に思った。
というのは、状況というものは時間の推移とともに、変化するからである。その場面では死の苦しみを味わっているとしても、時間が経過すれば、事情が変わり、その苦しみは和らいだり、解消されていくことだっていくらでもある。

早い話が、例えば、よく世間に知られた典型
的な例として、相場師の岩本さんの話がある。株式の売買によって莫大な儲けをした彼は、
大阪の中央公会堂を寄贈したが、当時の金で、一〇〇万円だと聞いている。ところが、次の場面では、株の暴落によって、彼は大損をする。そのため、彼は、ピストル自殺する。
しかし、しばらくすると、暴落した株がまたもとに戻って岩本さんは死ななくてもよかったという状況が生まれたのである。
 時間の経過と共に抱え込んでいる問題は常にプラス・マイナスの波を打ち、それによって状況は、変わるのである。だから生死については、こだわらないほうが、よいのではないかと思う。

 人間の生死についての真実を知っているのはおそらく神だけだ。それは人間それぞれが持つ運命で、人間は自分の運命、を前もって知ることはできないのである。
 自殺などという究極の場面では、風が背中を一押しするか、しないか、そんな微妙な心の揺れが生死を分けることになる場合だってある。とすれば自殺にブレーキをかけるような立看板は、それなりの役割を果たしているはずだ。
 やっぱり人目につくところにあったほうがいいと僕は思った。と同時に次の瞬間は立て看板が死の誘引になっても困るとも思った。どちらがよいのか。本当のところは誰にもわからない。
おそらくそれを知っているのはこの三段壁の断崖絶壁が形成される前からここに鎮まって居られる弁財天しかわからない。
そこで僕は弁財天に会話を試みた。

 「弁財天は、ずっとここにいて、悲喜こもごもの人間の生き様を見てこられた。弁天さんの結論はどういうことになるのですかね。」
 「人間と一口に言っても、神と縁のあるものと、ないものがある。縁のあるものは、ことごとく救うてきたが、縁のないものは、いくら救済の手を差し伸べても、するりと手を交わし、抜け落ちてしまう。縁なき衆生は度しがたしとはこのことだ。」
 「いやいや。神の御力で、は縁なき衆生を、縁ある衆生に心変わりさせるぐらいは出来るでしょう。僕の気持ちとしては、せっかく命を与えて、この世に生まれさせておきながら、人生を全うすることなしに死に急ぐという人間をつくり、送り出すというのはどうも腑に落ちないです。つまり神がこの世に送り出したこと自体が、矛盾ではありませんか。
 そんな無用なものを神の名の下に、矛盾として放置して置いていいものですか。」
 「神が完全であるというのは人間が勝手に決めたことで、それはケース・バイ・ケースである。完全でなくてはならないものは完全にしてある。あいまいでいいものは、そのままでよいのである。 そしてその判断は、時として人間の判断とはうけいれないものもあるが、最後には神がしている。
先ほどの自殺者の話に戻すと、助けなくてはならない者は、すべて助けておる。どちらでもいい者は、人間の判断に任せてある。
彼らの判断を尊重している。それだけのことだ。」
 「ちょっと待てください。もう少し話をさせてください。あの、、」
「時間の無駄だといっておこう。何千年昔からここに鎮まって、人を眺め、世を眺めてきたが、お前のような会話を試みたものは珍しい。
 牟婁の海賊として恐れられた、多賀丸も熊野水軍もお前のような質問はしてこなかった。
 悪いやつなりに一生懸命にわしにすがっていた。人間と神の関係はそれでよいのじゃ。問答は必要ない。必要なのは祈りじゃ。これだけ言っておこう。さらばじゃ。」
弁天様はご自分の居場所である牟婁大洞窟の社に帰っていかれた。

 僕は自分では判断がつかないので、どうしようもないと諦めたが、なんとしても自殺者が減るように、と、だけは、祈らずにはいられなかった。






リタイアリンクルーム

2008年05月01日 | Weblog
インド大陸の中心から見るとカルカッタは北東にあたる。日本では北東を鬼門といって人は避ける。インドの鬼門にあたるのがカルカッタである
 この鬼門は私がいつもインドへ入国するときに利用する所である。
バンコク空港を経由してインドに行くには最も入りやすいインドの入り口である。
 
ところが僕が初めてインドへ行った時の最初の玄関口になったカルカッタはすこぶる印象の悪いものであった。前回の経験によるとこのカルカッタだけはろくなことがなかった。両替ではだまされいるは、タクシーに乗れば途中でほっぽりに出されるは、カルカッタではろくなことがなかった。インドにたいして持っていた尊敬の念は一辺に吹っ飛んだ。

お釈迦さまの出た立派な国民からなる国だと尊敬の念を抱いていたのに。僕の持っていた憧れは音をたててくずれさった。それもわずか30分たらずの間に。
そういうわけで,あれ以降、インドを旅するときには,僕はまず第一に厳重に自分をガードをしなくてはならぬと緊張する。

ニューデリーには朝6時についた。早朝だったのでコンノートプレスまで歩いた。僕はここからお目当てのホテルへ電話をしたら、空室はあるという。これでまずは安心した。
 そこで、大通りからは少し入ったコンノートプレスの旅行代理店に行き、ホテルもチケットも一緒に頼んだほうが便利で安あがりだと思い、この代理店を通じて先程のホテルに電話をかけてもらったら満室だという。

ものの1分もたっていないのに満室になるとはおかしい。そこで僕は電話を代わり、たった今空室があるといってじゃないかと抗議した。ところがフルの一点張りでらちがあかない。これはおかしい。何かがおかしいと僕は疑念を持った。つまり業者とホテルは後ろで結託しいるのでは?という思いが頭をかすめたのである。
 
案の定代理店はあのホテルは満員だから、こちらでホテルを紹介するという。さきほどのホテルでは1泊200ルピー、ところがこの業者の紹介しようとしているホテルは600ルピーだ。仕方がないから僕はしぶしぶこのホテルに泊まることにした。そうは決めたものの後味はすこぶる悪かった。

ホテルにつくと、そこには僕と同じようなケースで送り込まれた日本人の先客があった。
お互いに話をすればするほどワンパターンのやり口でだまされているのがわかった。銭金の問題ではなくて、これは悔しかった。
なにも旅行代理店に頼むんじゃなかった。ホテルぐらい自分で予約すれば済む。ただそれだけのことをしなかったばかりに、自分に腹が立った。

「畜生。」彼らの罠にひっかけられた。これは悔しかった。
金よりもなによりも、だまそうという根性に対して、又だまされた悔しさに腹が立った。散々インドの悪口を言って、日本人同士慰めあったが腹立ちは容易には消えなかった。カルカッタで2つ、ニュデリーで1つ、いやな思いが僕の心に暗い影を落とした。

ダムダム空港のリタイヤリングルーム
 

朝の出発が早いのでリタイヤリングルームを使わせてほしいと僕はエアポートのサービスマスターに行ったら、それなら国内線空港へ行けという。10キロのバッグと10キロのリュックを背負い500メートルほど離れている国内線空港へ行ったら、係りとおぼしき職員が出てきて一応の説明はした。しかし妙にアウトサイドという言葉が耳についた。煎じ詰めて言えば、空港近くにはゲストハウスがやすくてたくさんあるからそちらの方を案内をしようというのである。

僕はとりあわないでとにかくリタイヤリングルームだと頑張った。そうしたら、係りのところへ案内するからここで待っていろ、といって姿を消した。しばらくしたら 先ほどの男は2人連れでやってきて
「この人が係りだ」という。
 
僕は先ほどと同じ説明をして、リタイアリングルームを使わせてほしいと言った。彼は黙ったまま腕組みをして考えていたが、「パスポート」といった。
僕は腹巻からパスポートを出して彼に渡した。彼は腕を組んだままそのパスポートを見ていたが、インドのビザのページを見て
「1カ月もインド国内を旅していたのだから、宿はこの近くのゲストハウスを紹介する」という。

なんだ。これじゃあリタイアーリングの担当者ではなくて、どこだか知らないがゲストハウスのボンビキじゃないか。僕は腹の中でむっとした。
その手口はニューデリーで旅行代理店が紹したホテル紹介のシステムに実によく似ている。紹介料をせしめるあのやり口だ。
こんな奴にやられてたまるものか。僕はゲストハウスの件については一切受け答えをせず、この空港の宿泊施設を利用したいの一点張りで、他のことには耳をかさなかった。
2人の間にはしばらく険悪な沈黙が流れた。

僕は改めて「何とかしてほしい。ゲストハウスはノー・サンキュウ」だといった。
彼は「それじゃ仕方がない。他を探してくれて」と吐き捨てるように言った。  最悪の場合空港ロビーで徹夜しても良いと腹を決めていたので、
「おまえなんかにたのむか。馬鹿もん。」と捨て台詞をはいてオフイスを出た。

僕は国際線空港の方へ歩いていった。そうしたら今僕の相手をしていた職員が走るようにして僕の後を追いかけてきた。
600ルピーの宿賃を500ルピーするという。僕はいらないと断った。
彼はなんとかゲストハウスに泊まるように僕を説得してくる。
僕は意地になって反対した。それでもなお彼は食い下がってくる。

「分かった。それじゃ空港までの送迎のタクシー代はサービスする。それでどうか。」僕はやはり断った。
「あなたは私の親切な申し出を断っているが、それでは一体今夜どこで泊まるつもりなのか。」と半ば脅しを含めて言ってきた。僕は空港ロビーで一夜を明かす覚悟を決めていたので「国際線の空港ロビーで夜更かしでもするよ。」と笑いながら答えた。
「なに?国際線のロビーで夜明しすると?。それはできないよ。カルカッタでは夜明かしなんかしてみろ。すぐさま荷物はなくなるよ。あるいは悪い奴に脅されて金品を巻き上げられるのがオチだ。」と又脅迫めいたことを言う。
「ご親切にありがとう。とにかくここで泊まるよ。カルカッタ空港でね。」僕は顔色を変えることもなくそう答えた。

いやな奴らだ。空港職員なら日本で言う公務員じゃないか。品位やプライドのかけらもないじゃないか。
前回インドに来た時に僕はインドでは何が起こるか分からないということを強く感じた。せっかくスケジュール通りに、ここまでやってきたのに、チケット通りの飛行機に乗れないで、バンコクから関西空港までのチケットまでパーにするのは、我慢のならないことであった。

仕方がない。今夜はロビーで徹夜しよう。僕は一時間おきに目がさめたがうつらうつらして夜明かしをした。物も盗まれなかったし、悪い奴に脅かされもしなかった。
それにしてもだ。日本ではまずこう言う手のだましはしない。同国人だからということもあろうが,戦後の混乱期を除いてこのような公務員はいないと思う。

貧しい国民性なのか,それとも価値観や風習が違い生活の仕方がまるで違うからこんなことになるのだろうか。東南アジアを一人旅してもインドのような思いをしたところはどこにもない。たとえば貧しさだけを問題にするならば、ネパールの方がはるかに貧しいと思うが、カトマンズではこんな思いをしたことがない。貧しいからやることなすことみな貧しいというのは当たらない。

やはり国民性か。だとすれば、例え釈迦のような大聖人が出なくても、礼節をわきまえた日本のほうが、はるかに優れている。僕は自画自賛した。とはいえ僕は本当のインドを知らない。どこか地方の村に行きそこで村人と交流をしたときにはホントのインド人を知ることになるだろう。

象に触った盲目の人が象とは丸い柱のようなものだと言ったのは全体像を言い当ててはいないものの、彼が触った範囲でまるい柱というのは当たっている。と同様に私が接触したインド人、たとえばリキシャワーラー、鉄道マン、旅行代理店、レストランのインド人を信用しないでうさんくさい輩と見るのも当たっていると思う。