日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

リタイアリンクルーム

2008年05月01日 | Weblog
インド大陸の中心から見るとカルカッタは北東にあたる。日本では北東を鬼門といって人は避ける。インドの鬼門にあたるのがカルカッタである
 この鬼門は私がいつもインドへ入国するときに利用する所である。
バンコク空港を経由してインドに行くには最も入りやすいインドの入り口である。
 
ところが僕が初めてインドへ行った時の最初の玄関口になったカルカッタはすこぶる印象の悪いものであった。前回の経験によるとこのカルカッタだけはろくなことがなかった。両替ではだまされいるは、タクシーに乗れば途中でほっぽりに出されるは、カルカッタではろくなことがなかった。インドにたいして持っていた尊敬の念は一辺に吹っ飛んだ。

お釈迦さまの出た立派な国民からなる国だと尊敬の念を抱いていたのに。僕の持っていた憧れは音をたててくずれさった。それもわずか30分たらずの間に。
そういうわけで,あれ以降、インドを旅するときには,僕はまず第一に厳重に自分をガードをしなくてはならぬと緊張する。

ニューデリーには朝6時についた。早朝だったのでコンノートプレスまで歩いた。僕はここからお目当てのホテルへ電話をしたら、空室はあるという。これでまずは安心した。
 そこで、大通りからは少し入ったコンノートプレスの旅行代理店に行き、ホテルもチケットも一緒に頼んだほうが便利で安あがりだと思い、この代理店を通じて先程のホテルに電話をかけてもらったら満室だという。

ものの1分もたっていないのに満室になるとはおかしい。そこで僕は電話を代わり、たった今空室があるといってじゃないかと抗議した。ところがフルの一点張りでらちがあかない。これはおかしい。何かがおかしいと僕は疑念を持った。つまり業者とホテルは後ろで結託しいるのでは?という思いが頭をかすめたのである。
 
案の定代理店はあのホテルは満員だから、こちらでホテルを紹介するという。さきほどのホテルでは1泊200ルピー、ところがこの業者の紹介しようとしているホテルは600ルピーだ。仕方がないから僕はしぶしぶこのホテルに泊まることにした。そうは決めたものの後味はすこぶる悪かった。

ホテルにつくと、そこには僕と同じようなケースで送り込まれた日本人の先客があった。
お互いに話をすればするほどワンパターンのやり口でだまされているのがわかった。銭金の問題ではなくて、これは悔しかった。
なにも旅行代理店に頼むんじゃなかった。ホテルぐらい自分で予約すれば済む。ただそれだけのことをしなかったばかりに、自分に腹が立った。

「畜生。」彼らの罠にひっかけられた。これは悔しかった。
金よりもなによりも、だまそうという根性に対して、又だまされた悔しさに腹が立った。散々インドの悪口を言って、日本人同士慰めあったが腹立ちは容易には消えなかった。カルカッタで2つ、ニュデリーで1つ、いやな思いが僕の心に暗い影を落とした。

ダムダム空港のリタイヤリングルーム
 

朝の出発が早いのでリタイヤリングルームを使わせてほしいと僕はエアポートのサービスマスターに行ったら、それなら国内線空港へ行けという。10キロのバッグと10キロのリュックを背負い500メートルほど離れている国内線空港へ行ったら、係りとおぼしき職員が出てきて一応の説明はした。しかし妙にアウトサイドという言葉が耳についた。煎じ詰めて言えば、空港近くにはゲストハウスがやすくてたくさんあるからそちらの方を案内をしようというのである。

僕はとりあわないでとにかくリタイヤリングルームだと頑張った。そうしたら、係りのところへ案内するからここで待っていろ、といって姿を消した。しばらくしたら 先ほどの男は2人連れでやってきて
「この人が係りだ」という。
 
僕は先ほどと同じ説明をして、リタイアリングルームを使わせてほしいと言った。彼は黙ったまま腕組みをして考えていたが、「パスポート」といった。
僕は腹巻からパスポートを出して彼に渡した。彼は腕を組んだままそのパスポートを見ていたが、インドのビザのページを見て
「1カ月もインド国内を旅していたのだから、宿はこの近くのゲストハウスを紹介する」という。

なんだ。これじゃあリタイアーリングの担当者ではなくて、どこだか知らないがゲストハウスのボンビキじゃないか。僕は腹の中でむっとした。
その手口はニューデリーで旅行代理店が紹したホテル紹介のシステムに実によく似ている。紹介料をせしめるあのやり口だ。
こんな奴にやられてたまるものか。僕はゲストハウスの件については一切受け答えをせず、この空港の宿泊施設を利用したいの一点張りで、他のことには耳をかさなかった。
2人の間にはしばらく険悪な沈黙が流れた。

僕は改めて「何とかしてほしい。ゲストハウスはノー・サンキュウ」だといった。
彼は「それじゃ仕方がない。他を探してくれて」と吐き捨てるように言った。  最悪の場合空港ロビーで徹夜しても良いと腹を決めていたので、
「おまえなんかにたのむか。馬鹿もん。」と捨て台詞をはいてオフイスを出た。

僕は国際線空港の方へ歩いていった。そうしたら今僕の相手をしていた職員が走るようにして僕の後を追いかけてきた。
600ルピーの宿賃を500ルピーするという。僕はいらないと断った。
彼はなんとかゲストハウスに泊まるように僕を説得してくる。
僕は意地になって反対した。それでもなお彼は食い下がってくる。

「分かった。それじゃ空港までの送迎のタクシー代はサービスする。それでどうか。」僕はやはり断った。
「あなたは私の親切な申し出を断っているが、それでは一体今夜どこで泊まるつもりなのか。」と半ば脅しを含めて言ってきた。僕は空港ロビーで一夜を明かす覚悟を決めていたので「国際線の空港ロビーで夜更かしでもするよ。」と笑いながら答えた。
「なに?国際線のロビーで夜明しすると?。それはできないよ。カルカッタでは夜明かしなんかしてみろ。すぐさま荷物はなくなるよ。あるいは悪い奴に脅されて金品を巻き上げられるのがオチだ。」と又脅迫めいたことを言う。
「ご親切にありがとう。とにかくここで泊まるよ。カルカッタ空港でね。」僕は顔色を変えることもなくそう答えた。

いやな奴らだ。空港職員なら日本で言う公務員じゃないか。品位やプライドのかけらもないじゃないか。
前回インドに来た時に僕はインドでは何が起こるか分からないということを強く感じた。せっかくスケジュール通りに、ここまでやってきたのに、チケット通りの飛行機に乗れないで、バンコクから関西空港までのチケットまでパーにするのは、我慢のならないことであった。

仕方がない。今夜はロビーで徹夜しよう。僕は一時間おきに目がさめたがうつらうつらして夜明かしをした。物も盗まれなかったし、悪い奴に脅かされもしなかった。
それにしてもだ。日本ではまずこう言う手のだましはしない。同国人だからということもあろうが,戦後の混乱期を除いてこのような公務員はいないと思う。

貧しい国民性なのか,それとも価値観や風習が違い生活の仕方がまるで違うからこんなことになるのだろうか。東南アジアを一人旅してもインドのような思いをしたところはどこにもない。たとえば貧しさだけを問題にするならば、ネパールの方がはるかに貧しいと思うが、カトマンズではこんな思いをしたことがない。貧しいからやることなすことみな貧しいというのは当たらない。

やはり国民性か。だとすれば、例え釈迦のような大聖人が出なくても、礼節をわきまえた日本のほうが、はるかに優れている。僕は自画自賛した。とはいえ僕は本当のインドを知らない。どこか地方の村に行きそこで村人と交流をしたときにはホントのインド人を知ることになるだろう。

象に触った盲目の人が象とは丸い柱のようなものだと言ったのは全体像を言い当ててはいないものの、彼が触った範囲でまるい柱というのは当たっている。と同様に私が接触したインド人、たとえばリキシャワーラー、鉄道マン、旅行代理店、レストランのインド人を信用しないでうさんくさい輩と見るのも当たっていると思う。