日々雑感

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大阪大空襲体験を語る会

2008年05月10日 | Weblog
大阪大空襲体験を語る会

今日の新聞にこの市民運動を立ち上げた金野さんの訃報が載った。
平均寿命を全うされたわけだから、悔しいという気はしない。

それよりも何よりも、近頃は大正 昭和一桁の空襲体験をくぐり抜けた人達が櫛の歯のように欠けていく。悲惨な空襲体験者世代がこの世から消えて、彼ら彼女らの体験のみが貴重な歴史資料として残っていくだけだ。実体験は歴史の闇の中に消えていく。

それでも、この事実が何時の日か、起こるかも知れない戦争の防止に役立ってくれれば後世に対して、なにがしかのお役に立つわけで、人類の悲惨な惨劇を減らすことに貢献するわけで、ほっとするところがある。

金野さんと僕は 「空襲の跡」 とタイトルをつけて歌を作った。彼女が自己体験を短歌にして、それに僕が作曲した。悲しい思いが僕の胸にあふれて、短調の哀しみあふれる歌になった。

それは彼女が目の前にした、空襲の朝の体験を直接ノートに書き記したもので、
生々しいと言うよりは、ど迫力を持って僕の胸に突き刺さった。

ああ、空襲で被災した人はこんな風にして逝ったのか。それは哀しみと同時に逝った人達への鎮魂の情となった。

そんな想いを曲に込めた。

何であるにせよ、死というものは後がない。死によって全てがストップする。

彼女の体験語り部は学校を初め、公民館など、幅広く市民に戦争体験の悲惨さを歴史的事実として、また戦争反対を叫ぶ声となって、市民の知るところとなったのである。

またこの体験の会は語ると言う活動ばかりではなくて、出来るだけ多くの人々に知って貰うべく、体験集を編みだし、後世に残すべく、体験画集の収集にも努め、大阪府教育委員会を動かして、スライド化され永久保存として残されることにもなった。

彼女に最後の別れを言うために、彼女作詞僕が作曲した「空襲の跡」の楽譜と新聞記事と歌入りのテープを届けようとしたが、近親者のみと固辞されたので、会葬は控えさせて貰った。この文章を書くことによって、僕は心の中で彼女との永遠の別れをした。

             空襲の跡

1、空も地も 炎と燃えて 

   なつかしき  思い出すべて 焼け失せぬ ああ荒涼たり

 2,子を呼びて  逝きしとききぬ

   微笑みて 朝の挨拶  交わせし友よ  ああ 無残なり

 3, なきがらに  花たむけんと 

   捜せども   草さえ焼けし  空襲の跡  空襲の跡



               ご冥福を祈る 合掌