日々雑感

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妙適これ菩薩の位なり

2008年05月21日 | Weblog
 妙適これ菩薩の位なり


 カトマンズ市内のニュロードを走る車の排気ガスはもの凄い。車の数は日本のそれに比べると、問題にならないほど少ないのだが、排ガス規制がないから、すすと爆音を撒き散らして車が走るので、カトマンズの大気汚染はすごいものがある。加えて、どうもカトマンズという街は、盆地の底にあたるようだ。地形が池の底みたいなもので、排気ガスが四方から集まってくるのだろう。
 すべての大気汚染がこの盆地に集まってきて、小さな町全体を包み込んでしまう。排気ガス規制とは無縁の車が、もうもうと排気ガスを出して走って回っている。商店街が立ち並ぶ通りは道幅が狭く車が通れるような状態ではないのだが、それでも排気ガスのせいで、のが痛くなるし、息が苦しくなる。僕はタオルを口に当てて、町の主だった通りを歩いた。カトマンズの大気汚染を思うと、これは正解だ。
 日本と違って、工業が発達していない農業中心の都市であるにもかかわらず、あのもの凄い排ガスとはどういうことか。それは工場の排気ガスではなくて、単に車の排気ガスだけなのだが、緑もあり、川もある、こんなちっぽけな街に排気ガスが充満して、息苦しいなんて信じられないことだ。
日本はあんなにたくさん、車が走っているにもかかわらず息苦しいとは思わない。

 そんなカトマンズを離れて、田園風景を楽しみながら、こ1時間もトロリーバスにゆられていると、終点バクタプルに着く。
バクタプルは15世紀から18世紀にかけて栄えた町で、奈良や京都と同じく古都である。そこではネワール文化が栄えた。この街は別名バドガオンともいうが、それはどういう事を意味するのだろうか。
 バクタプルは赤茶色のレンガで作られた街で、町全体が埃をかぶったようにくすんで古びている。古色蒼然とした雰囲気が街一面に漂っている。古色蒼然、そう、!。この言葉が良く似合っている。ぴったりだ。この街はレンガを作ったり、焼き物を作っているので、あちこちから煙が立ち昇り、
そのせいで余計に、くすんで見えるのかも知れない。いや4,500年も昔の古都だから古びているのは当たり前だ。街を一巡して僕はそう思った。

 日を改めて後日、僕はそんなバクタプルへ出かけた。トロリーバスを降り、街の中心部に入ろうとするとゲートがあり、ここで入場料を払うことになっている。この町の中心部はすべて文化財であるので、その保護基金として
外国人は入場料を払うわけである。
 ダルバール広場へ行くのには、歩いて15分ほどかかった。地図を持っていなかったので、どこをどう通ったのかわからないが、細い迷路のような
路地をさまよっているうちに広場に出た。そこには五重の塔があり、その向かいには木造の寺がある。

 その寺の木製のひさしには、いろいろ彫刻が施されていた。
ひさしの上の方には菩薩の姿が刻み込まれていて、その下にはさまざまなスタイルのミトーナ像が柱1本につき1体刻まれていた。
なに?ミトーナ像が、寺のひさしのに?
僕はびっくりして、この意味を誰かに尋ねようとしたが、人通りは少なく尋ねることもできず、そのままになってしまった。
 それにしてもこの木造の寺は日本の寺とは大違いである。日本の寺には少なくとも性に関することは、一切見受けられない。だいたいミトーナ像などというものは、おっぴらに人の目の前にさらしておくべきものじゃないと
いうのが僕のセンスだ。だのに、わざわざどうして寺のひさしにこんなものを彫刻したのか、僕にとっては不思議なことであった。
 性と宗教のかかわり合いなど日本では、おおよそ切り離されてタブー視されるものである。にもかかわらず、バクタプルのこの寺ではご丁寧にも、屋根の庇回りすべてに、ミトーナ像が彫り込まれている。
おまけに人間だけでなく動物、たとえば象などのミトーナ像もある。
 はじめ僕がミトーナ像を見たときには大いなる違和感を感じた。
違和感はやがて疑問に変わった。ひょっとすると僕の知らない世界がここにあるのではないか。そんな疑問の渦巻く気持ちにもなった。
 300年も昔の人は宗教においても、現代とはかけ離れた変な事を考えるものだなあ、と思いながら僕は日本に帰ってきた。
 
 ところがある日、宗教と性のかかわりあいを「仏典の言葉」の中に見つけだして2度びっくりした。
NHKの教育テレビで仏教と性のかかわり方を解説していたのである。それによると食欲、性欲という本能を積極的に肯定して、人生を有意義なものにしようと仏典は説いているのである。特に真言宗の根本経典である理趣経や東大寺の華厳経のなかに、それは説かれているという。
簡単にいえば男女交接の絶頂感が菩薩の位であると解説されている。
「妙適これ菩薩の位なり」とはそういう意味いらしい。
こんな結び付きがあったのか、僕は驚いた。
それならなぜ女人禁制のしきたりがあるのか。特に真言宗本山、高野山では1,000年の長きにわたって、女人禁制だったのではなかったか。
この疑問に正面からどう答えるのか。僕は誰に尋ねるともなく、こうつぶやいた。ひょっとしたら僕の知らないところでこのような世俗的なことが、どこかに隠されているのではないか、そんな疑問も頭を持たげてきた。
 NHK教育テレビのこの講座を聞いてから、僕の仏教観は変わった。
自然にあるものを自然に受け止める、そこに自分のもろもろの意味付けや、解釈や、感情や、目的を放りこまないで、ごく自然にすべてを自然体で受け入れるところに、仏教の真の教えがあるのではないか。そんな気がしてきたのである。
 こう解釈することによって、僕は宗教と性を自然な形で結び付けて
自然な形で受け止めるようにしようと思った。
 このような理解の下で、今一度思い直してみると、バクタプルのあの奇妙な、ミトーナ像も今となっては、嫌悪感どころか、そこには深い意味があり
なんとなく懐かしい思いがする。
 インドを旅した時も、ヒンズー教のご神体がリンガーだと知って、強烈な違和感を抱いたが、思い返してみると、僕の仏教に対する理解や常識やこだわりが、むしろ偏狭だったんだろう。
 仏教は人間の生死という両極面のあり様に、かかわりを持つものだとは思ったが、このように仏教の中に、あからさまに性の表現をされると驚きが先に立ってしまう。すんなりと受け入れるには、余りにも違和感がありすぎる。今まで持ちつづけた宗教,特に仏教のイメージと目の前にあるものとが距離がありすぎて、つながらないのである。ギャップが埋まらないのである。
人は自分が持つ好みの視点によって物をみて、自分なりに解釈するから、答えはバラエテイに富むとは思うが、カジャラホのミトーナ像を見たとき、
人はどんなことを思い、何を考えるのだろうか。ふとそんなことを思った。
 仏教って僕が今まで漠然と把握していたものよりは、はるかに大きな
スケールのものであることを今回の旅で知った。大体仏教というのは道徳の基本として、日常生活のマナーとして取りこまれて、行動の指針として何気なく生活に溶け込んでいるという程度にしか考えていなかったので、
違和感と同時に、1つの問題意識として頭の中にこびりついた。
 ところで、僕はこれから仏教について何を考え様としているのか、自分でもまだはっきり分からない。分ったことは、日本に定着している葬式仏教は死の世界のことを扱うものだが、いわゆる仏教というのは同時に生の世界をも含めて扱うものなのだという事だ。
よく考えていると分ることだが、葬式仏教が仏教そのもののように思うところに大きな誤解があり、お釈迦様も説かれたように、その教えは本来生きている人間が如何に上手に生きるかというハウツーものがお経であるはずだ。その中には命の源泉について説かれていてもなんの不思議もない。
 偏った葬式仏教が仏教だと思っていたこと自体が間違いの元だった。
  なるほど。なるほど。!!!
日本にいては、おそらくこのことに気がつかないままだったろう。
やはりインドやネパールを旅したからこそ、気がついた事なのだ。
「妙適これ菩薩の位なり」。なんと美しく、輝きのある響きを持つフレーズだ。
僕は心からそう思った。

プヨンソック

2008年05月21日 | Weblog
チェさん ハーさん

釜山駅からバスに乗って太宗台までは30分そこいらかかる。案内所ではそう説明してくれた。地下道をくぐって駅と反対側からバスに乗った。

太宗台はウイークディのためか、がら空きでバスを降りたのは私を含めてたった3人だった。1人で歩いてもよかったんだが旅は道連れのほうが楽しいので、思い切って2人の娘さんに声をかけた。

韓国語はまるで分からないから開き直って日本語で話かけたら日本語が帰って来た。僕は急に嬉しくなり、話しても聞いてもわからない中で言葉を通して心を通い合わせることができて胸のつかえが1ぺんにおりた感じがして生き返ったのだ。
彼女はイマ、ソウル近郊の日本企業で働いていて日本はしたしみを感じるらしい。仕事の話はさておいて話題は旅の話になって佳境に入った。

3、40分も歩いただろうか、パンフレットで宣伝されている人魚の像のある島の突端についた。そこはほんの小さなスペースで下は崖をなして海である。高台にあるから眺望はすばらしい。 よく晴れていたら対馬が見えるとか。それは実感としてわかる。
島を1周する形で道を進んで行くと、下に降りる道があり、遊覧船があった。
彼女たちは乗るつもりらしい。

2人で話す言葉は韓国語だからさっぱり分からないがチェさんは乗リませんかと声をかけてくれた。わたしは1瞬ためらった。と言うのは今回の旅行は誰にも言わないでおしのびできているからだ。

実は太宗台公園には伝説がありそれをしらべて作詞作曲をする取材が目的なのだ。日本の題名は夫恋石(韓国語でプヨンソック)これはここに伝わる伝説を土台にして何時の時代も変わらない美しいが悲しい夫婦愛の物語を歌に載せたかったのである。

もし海で舟でもひっくり返ったらどうなるか、いやな思いをするのはかなわない。こういう気持と乗りたい気持ちが交錯したのである。
彼女は既に切符を買ってくれた。 「カムサハムニダ」ありがとう僕。はお礼を言って乗船した。

心が通じ始めるとここが外国、韓国だと言うことを僕は忘れた。時間は短かったが時を忘れて3人は語り合った。仕事のこと、流行のこと、恋人のこと若い女性だから当然の話題である 。

あっという間に時間は過ぎて太陽は傾き始めていた。彼女たちは今からソウルへ帰る。僕は今夜の飛行機で日本に帰る。バスの道は同じ方向だった。僕は空港に向かうためナンポドンでおりた。彼女たちはわざわざバスを降りて空港行きのバス停まで送ってくれた。

バスは発車した。彼女たちの姿はどんどん小さくなる。一番後部の席に腰掛けて僕は手を振り続けた。周りの人たちは僕の奇妙な仕草に何事かと目を注いだが、僕は恥ずかしいという気持ちよりも彼女たちとの別れの寂寥感に包まれていたので、何も気にならなかった。

2、3,分のうちに姿は見えなくなった。僕は正面向いて座り直した。そしたら涙が1筋スーット頬を伝った。空港に着くまで僕は今日の出来事を何回も何回も繰り返しては何とも言えない気持ちになった。まるで愛しい人と別れたあとで味わうかのように、切なくて甘くちょっぴり寂しさの混じった 初恋の味とでも言うのか、満たされながらも寂寥感の漂う気分だった。

それはもう10年も前の旅の思い出だが、今も心の中で輝いている。まるで昨日のような鮮やかさで。