日々雑感

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キリングフイールド2

2018年05月15日 | Weblog
 戦争によって荒廃した国土を立て直すとき、頭脳が最も必要であるのに、その部分が消えてなくなっているとすると、カンボジャは何を頼りに元の国力の回復を図るのか、他人事ながら気になった。
 世界の歴史をひもといてみるとき、歴史とは戦争の歴史でもある。戦争の為にどれほど多くの人が命を失ったことか。
 二十一世紀も近くなり人類はやっとそのことに気づき始めているか、それでも地域紛争は絶えない。ボスニヤでも民族対立から多くの人が犠牲になり死んでいった。アフリカでも事情は同じことで、今なお死と直面した大量の難民が大きな問題となっている。
 そして人々が武器を手にして戦う場合は必ず犠牲者が出る。人類がこうした蛮行を続けている限り悲劇は後を絶たない。それぞれに言い分があり対立する現実は分からないではないが、それを乗り越えないと弱者はいつも犠牲になる。そんなことを漠然と考えていた。
 ところがちょっと待て。今そんな悠長な事を考えている場合ではない。
 僕の足下には虐殺の犠牲となった人が着ていたと思われる衣服が、半ば腐りかけて土からのぞいている。恐らくこの服の下には遺骨が埋まっているはずだ。つまり僕は墓の上に立っているのだ。踏まないようにどちらかに避けなければならないのだ。こう思ったとき急に抑えがたい憤りに全身が包まれてしまった。
 殺せ。罪のない人を死に追いやった奴は殺せ。それが人が生きて行く上での、世の中のルールである。罪のない人を殺したものが責任を問われる事なく、のうのうと生きている社会は無法社会である。無法社会には正義もなければ人権もない。それは人類が営々と積み重ねて来た血の滴る努力、人類が目指して来た方向に逆行する。歴史の針を逆に進める事、それは人類の進歩に対する挑戦である。殺せ。この地上から抹殺する以外には放置できない。そしてそれが恨みを呑んで死んで行った人の恨みを晴らす方法でもある。異民族ならまだしも、よくもまあ同国人を何百万人も殺したものだ。
僕は全身がかたくなり、心臓がドキドキ早打ちしているのに気づいた。そして覗いている犠牲者の衣服を避けながらそこへ、へたり込んでお経を唱えた。
 今の僕は何が出来る訳でもない。あなた達の無念を晴らす事も出来なければ、身に覚えのないことで命を失った不条理にたいして何をしてあげられる事も出来ないが、ただ一つ祈ることだけは出来る。罪なく地獄の苦しみを味わったあなた達の魂の苦しみを解き放つ事を神や仏に祈り、そのお力で魂を極楽へ誘ってもらうことによってどうか安らかに眠り給え、
僕は心のなかでそう叫んだ。
 カンボジャ。それは日本からは遥かかなたの遠い国である。距離もさることながら、日本人にとっては関心のない国である。歴史的にもたいしたつながりも無ければ、現在経済交流が盛んでもない。