日々雑感

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お経

2018年05月12日 | Weblog
         お経

お経は釈迦の教えである。彼がこの世のありとあらゆる体験をして、その後に、宇宙の真理を明らかにし人間の生き方について ノーハウを教えた。お経はそのエッセンスを凝集したテキストである。
あらゆる思索と体験をしてその後に、釈迦が、悟った人生の根本原理と生きがいのある、悔いのない人生を送るための考え方や。実践の仕方それを満載したものがお経である。

 われわれはこれを、誤解して陰気臭いもの、抹香臭いものと思っているが、それはお経の本質や、実態から離れ過ぎたものである。
お経が悪いのではなくお経を読む、現場が悪いのである。我が国ではお経は葬式や法事など死者を弔ったり、死者を忍んだりする時にかぎられて用いられる。
だからわれわれは、お経に対して偏見を持つのである。

人生はどういうものであるにしろ生き方は、個人にゆだねられている。生きがいのある人生か、つまらない人生か。それは、すべて個人にゆだねられ、個人が決めていくことになっている。ということは人生については、各人がおのおのの人生に対して責任を持たなければならないということである。より有意義な人生を送るためのノウハウ、や智慧が経文の中にたくさん盛り込まれている。

もともと、インドで生まれたものであるからインドの、言葉で、書かれておりそれが、玄奘によって、中国語に翻訳され ほとんどそのままの形で日本に、輸入され中国語で書かれたお経にぶっつかるから現代の日本人にとってはとても読みにくく、しかも難解なのである。
 
歴史上の大天才が体験し、思索した物の集大成だからそれは決してやさしいものではないが、日本語でわかりやすく解説すればもっともっと、現代の日本人にも受け入れられるように思われる。

この世に生まれて、生きる目標がたくさんの富を得る事であり、社会的な地位を得ることでありというような世俗的な事ばかりに関心が奪われているような人にはお経は一見して、無用に見えるが、それは全く逆のことで、そういう俗世の確かな物を得るためにも、お経は必要な物なのである。

しかしながら、僕はあらゆる人にとって人生読本だと思うにも関わらず、これが不思議なもので、極少数の人にしか縁のないテキストなのである。
考えてみると、これも縁なき衆生と、縁のある衆生とに分かれていて、縁なき衆生は、とことん縁のないものなのであろうか。

しかし生き甲斐のある人生を送るための、すばらしいアイデア集であり、賢く生きるための知恵の宝庫であるものだと思うから、僕はどなたにも読むようにお勧めしたい。

そのためには何の知識もない一般衆生が、日常生活の中で困った時に問題解決の為の手引き書として、つまり漢字がが判らないときに、漢和辞典を引くように、人生辞典として、いつでも手元で活用できるような、日本語訳が不可欠である。出よ。お経の日本語翻訳者。