日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

安珍清姫

2018年05月06日 | Weblog
    清姫ってストーカーじゃないの

紀州路線走ると、御坊の次が道場寺である。ここには、安珍・清姫物語伝説が、ある。
恋にくるう女が男を追いかける。思いついたら、彼が隠れている釣鐘を恋の炎で、焼き尽くす。
何もかにも忘れて、命をかけた恋の情熱は一体どこから出てくるのであろうか。
この物語は、何を語ろうとしているのか、
1,女の恋の情念の激しさ
2,なぜそこまでエネルギーを集中して、釣鐘を焼き尽くすのが、女の内なる世界は、閉鎖的だから、一点集中したエネルギーはすべてを焼き尽くすほどのパワーを持っている。

女にかかわらず、恋という情念のもつエネルギーの大きさ。そこには、男と女という差は無いと思うが、
一点集中となると女の情念の方が、大きいのかもしれない。

命をかけてもという。望みが、押しつぶされて、解放されない情念の塊は、怨恨という形をとれば、幽霊になる。
清姫は、死んでから、蛇になるのではなくて、生きて、情念の炎を安珍が隠れたとする釣鐘を焼き尽くす。

現代の清姫に、この問題を尋ねたら、彼女達は何と答えるであろうか。
安珍代わりはいくらでもいるよ。 さっさと、乗り換えするのだね。それが、かなわないのなら、生涯独身で過ごす。
結婚しても、離婚率が高くなる現代だったら、結婚していてもいなくても大差は無い。(本当は大差がある。)
離婚したと思えば、独身でいても、なんらさしつかえない。
しかし今も女の執念は変わることがないと思いたい。
怨念といえば 清姫  おいわ  お菊 などを連想するが、どれも怨念の強さを物語る。