日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

キリングフイールド5-65

2018年05月14日 | Weblog
      
             キリングフイールド
         

 カンボジャの首都、プノンペン市内にある国立競技場のそばを、バイクタクシーで通り抜け、
しばらく走ると人通りはまばらになり、田舎道にでた。田舎道は舗装がされて無く、昨日降った雨のためにどろんこにぬかっていた。バイクの後ろ座席に跨り、でこぼこ道を十分ばかり走ると、道の両側に家が有り、家の前には店が出ていた。店といっても小屋に商品が並べてある程度で、都会の店の感覚ではこれが店かと思ってしまう。市街を抜けて村につくのには一五分くらいかかった。その間、対向する車もなく走ったから危険は感じなかった。 
T字を左に回り、ものの五分も走らないうちに門の前についた。それは門というよりは鉄柵といったほうがふさわしい。鉄の棒を組み合わせてつくった柵の前には門番兼入場者記録係がいて、僕は窓口に置かれているノートに自分のことを記帳して2ドル払った。 
目の前に有る建物は四方ががガラス張りになっていてそのガラスを通して頭蓋骨がこちらを向いている。縦横同じくらいの長さ、たぶん7、8メーター高さが10メーターくらいの建物は中が幾層にも分かれていて、各層ごとに髑髏が四方八方に目をむいている。僕は生まれて初めての経験でじっと見つめることも、面と向かい合うこともできなかった。それは数が多いからではなく、このようにして死んでいった同胞(僕の心の中では世界のあらゆる所に住む、いま生きている人を国が違うということで線引きはしない)の無念の悲しみの大きさに、身のすくむ想いがしたのである。僕はいまにも落ちそうな涙を堪えながら、声もなく後ろ手にしてその御堂をぐるりと回った。しばらくたたずんでいると、韓国人らしい一団がどやどやと入ってきた。威勢良く入ってきた彼らも急に言葉を失い、黙って御堂の回りを歩いていたが、そのうちの一人が机の前においてあった花火のような線香に火をつけて供えた。それを見た僕は我に返り、同じく線香を供え賽銭箱とおぼしき箱に500リエル札一枚をこそっといれた。僕はその場に立ったままでお経を唱えた。仏教国カンボジャの同胞のために。いや、為に祈ったのではない。祈らないではいられない衝動に駆られてお経を唱えたのだ。
 内戦だから仕方がないというのは大雑把すぎる。確かに戦争だから殺しあう事があっても不思議ではない。しかしそれは戦闘員においての話である。無差別に(ポルポトの場合は知識人とそうでない人をより分けてインテリ層を中心に虐殺したという)殺してどんな正当性を主張できるのか。正確な数字は分からないが、全人口が八百万人とか九百万人とか言われる中で、百万人単位という数字は大きすぎる。しかもそれが知識層中心に殺されたとなると戦後復興の力は大きく削がれる事になる。



 戦争によって荒廃した国土を立て直すとき、頭脳が最も必要であるのに、その部分が消えてなくなっているとすると、カンボジャは何を頼りに元の国力の回復を図るのか、他人事ながら気になった。
 世界の歴史をひもといてみるとき、歴史とは戦争の歴史でもある。戦争の為にどれほど多くの人が命を失ったことか。
 二十一世紀も近くなり人類はやっとそのことに気づき始めているか、それでも地域紛争は絶えない。ボスニヤでも民族対立から多くの人が犠牲になり死んでいった。アフリカでも事情は同じことで、今なお死と直面した大量の難民が大きな問題となっている。
 そして人々が武器を手にして戦う場合は必ず犠牲者が出る。人類がこうした蛮行を続けている限り悲劇は後を絶たない。それぞれに言い分があり対立する現実は分からないではないが、それを乗り越えないと弱者はいつも犠牲になる。そんなことを漠然と考えていた。
 ところがちょっと待て。今そんな悠長な事を考えている場合ではない。
 僕の足下には虐殺の犠牲となった人が着ていたと思われる衣服が、半ば腐りかけて土からのぞいている。恐らくこの服の下には遺骨が埋まっているはずだ。つまり僕は墓の上に立っているのだ。踏まないようにどちらかに避けなければならないのだ。こう思ったとき急に抑えがたい憤りに全身が包まれてしまった。