風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

今年の北海道滞在が終わった

2015-11-17 | 北海道の夏 8年目(2015)

今年滞在した家から眺められた夕焼け

6月始めから始まった北海道滞在も終わった。
5ケ月近い留守は、準備・片づけ、留守時の管理など大変な部分も結構ある。
が、それらを差し引いても余りある滞在は、もう私達の生活の一部分になってきている。

今年は、去年までの滞在場所がなくなってしまい、仕方なく遠くに移転した。
が、去年までに知り合った人や、今年知り合った人が遊びに来てくれたことも嬉しいことだった。
それと、フェリーで一気に戻るのではなく、東北を巡りながら戻ったことも楽しいことだった。



今回の北海道・東北での宿の中で一番気に入ったのは・・・
夫はむつ市のホテル。
私は岳温泉のプチホテル。
1~2泊だけなら豪華ホテルもいいけれど、何泊もするなら料金は大事な選択基準。
安くて如何にいい宿をみつけるかは、腕次第。
泊まってみての正解・ハズレの体験も愉しい。
そして、ハズレの時ほど記憶に残るというのもまた面白い



来年の滞在予定にしている場所を訪ねた時、大きな虹をみた。
写真では分かりずらいが実際には二重の虹。
来年の、この地での滞在を歓迎してくれているようで嬉しかった


長距離の運転にもかかわらず元気で旅を終えられたこと、
無事故無違反で通せたこと、
二人とも元気でいられたこと、
充実した毎日だったこと、
全てに感謝。
ありがとう


安達太良経由で友人を訪ねて、そして自宅へ

2015-11-15 | 北海道の夏 8年目(2015)
朝の食事の時、隣の席のご夫婦がホテルのスタッフに道を尋ねていた。
「安達太良山」とか「あの信号を曲がって真っすぐ走る」とか「曲がって10分程」という言葉が耳に入る。
もしかしたら安達太良に行く道順かな・・・と気になっていた。

チェックアウトの時に、そのことを確かめると、10数分の所に安達太良山へ行くゴンドラがあるという。
では麓まで行ってみようよと、安達太良山を目指して行った。


「安達太良山登山口」の標識
あの智恵子が「ほんとの空」と言った安達太良山だ


 
ほんの登山口を見るだけ・・と思っていたが、
怪しげな雲が途切れたことと、ゴンドラに直ぐ乗れるのを見て、飛び乗った。


 
曇っていて紅葉の鮮やかさがないが、思いがけず、この山並みを眺められて良かった。
この旅の最後の紅葉になるのかな・・と思いながら、しばしの空中散歩を楽しんだ。


 
頂上に行ったらすぐ戻る・・と思っていたのに、登山道の入口を見ると心が騒ぐ。
又もや「チョット先まで」と歩き始めた。


 
10分程歩いた先にある薬師岳にある「この上の空がほんとの空です」の碑
でも、今日の空は雲が厚い・・・

でも、ここまで来れただけで十分。
「つい、そこまで」が、「ちょっと」 「また、ちょっと」とここまで来てしまったが、これで十分満足。
今度機会があったらフル装備で頂上目指そうか・・と、無理な相談をしながら降りてきた。


                                

東北を通って帰ろうと思った時から、「ならば彼女の所に寄りたい」とは思っていた。
が、彼女は忙しい毎日を送っている様子。
早くから予定に入れてもらうのは心苦しいので、直前に連絡しようと。
それで既に予定が入っていれば縁がなかったと諦めよう・・と。
そして数日前に連絡すると「待ってるよ」と嬉しい返事が



午前中の急な安達太良山行きで時間が遅くなったが、何とかご夫婦で作り上げた農園ガーデンに到着。
ご夫婦の温かい笑顔と、真っ赤なリンゴが迎えてくれた


 
「もう収穫が終わったようよ」との話だったが、立派な葡萄が残っていてくれた。
早速収穫してくださったが、驚くほど大きくて重い!
「素人だから」とは仰るが、いえいえプロより上手で、甘い甘い!



食用菊「もってのほか」の美しいこと!
本当に、こんな綺麗な菊を食べるなんて「もってのほか」だ
菊に申し訳ないような気持ちで食べたが、香りがよくてとても美味しい。



柚子も見事に生っていた。
葉を1~2枚残してハサミで切ると、フワーっといい香りが!



夫は、この立派な窯に興味津々
耐火煉瓦のこと、煉瓦の積みかた、鉄扉のこと、特注カバーのこと、スモークの作り方など、
訊きたいことがいっぱい!
私達には出来ない事だけれど、夢を叶えた話を伺うのはとても楽しい。

慌ただしい訪問だったが、変わらずの温かい歓迎を心から感謝。
ありがとう

五色沼⇒岳温泉

2015-11-13 | 北海道の夏 8年目(2015)
大昔の独身の時、友人たちと北海道を周遊した後に東北を回る予定で出発した。
あの時も今と同じように私が計画を立てた。
が、青森まで来たところで私に用事が出来て、途中で離脱してしまった。
私が行きたくて計画した五色沼だったのに、私だけが行けなかったのだ。

今回、次の目的地を地図でなぞっていたら五色沼を見つけた。
途端に、あの時の残念な気持ちを思い出して、ちょっと遠回りになるけれど行くことにした。
半世紀前のリベンジだ。


  
時は秋、紅葉が真っ盛りで迎えてくれた。


 
行きそびれた50年前は夏の終わりだったので、眺めは今回のほうがいいはず・・と
自分に納得させる。
でも、あの時にはち切れんばかりだった乙女の姿はどこにもない。
半世紀って過ぎるの早い



それにしても五色沼も海外からのお客様の多いこと!
そして車も多い!
その先の「道の駅」に行こうと思ったが、あまりの渋滞に諦めた。
だんだん人口の多い地域に近づいているのを実感。


                                

今回の最後の宿は、福島・岳温泉のプチホテル
部屋数は11部屋しかないので本当に静か。
近くの大型ホテルと迷ったけれど、ここにして大正解

 
玄関も小さくて可愛い。
ドアも、とっても素敵

 
階段の上り下りのスペースもゆったり
スタッフの話では満室に近いらしいが、部屋数が少ないので何処でも人とすれ違うこともなく、
まるで私達だけしか泊まっていないかのように静か。

 
併設されているレストラン部分
食事の時は庭を通って移動しなければならないのだけが面倒ではあるが・・


 
ディナーはワインのボトルをとって、ちょっと豪華に。
この旅が無事であったことの感謝と、あと一日、家までの無事を願って乾杯



レストランの人気クロワッサンと、南瓜のポタージュスープ


 
夫は肉料理「地元産豚ロースソテーとサルシッチャ」 私は魚料理「カサゴのポワレ」
ウェイターの目をかすめて、途中で半分ずつ取り替え。
これで二度、味を楽しめる



盛り合わせデセール
女性だけにプチキャンドルのサービスあり、こういう小さなこともちょっと嬉しい。


                                

朝は屋上露天風呂へ。
朝早かったので、ここも貸し切り状態で気持ちよかった


朝食は別棟のレストランではなく、ホテルの1階で。
お庭の緑が目に爽やかで清々しい。


 
飲み物だけはセルフサービスだが、あとはスタッフが運んでくる。
サラダもパンも美味しかったが、特にオムレツが絶品!
舞茸入りで、火の通り具合がフワトロで私好み。
オムレツ型に包むのではなく、広げたままというのも新鮮でいいものだ。

7~8年前にレストランに来て以来、気になっていたプチホテルに初のお泊り。
こういう女性好みのプチホテルに泊まることの少ない夫にも新鮮に映ったようだ。

震災にも守られた瑞巌寺 《松島》

2015-11-11 | 北海道の夏 8年目(2015)
東北を南下するにあたって、震災地域の三陸方面に行くことも考えたが、
まだ道路網が整備されていないので今回は中止した。
やはり東北道を真っすぐ南下したほうが楽なのだ。
だが、せめて一か所だけでも行きたいと、
そして私達が立ち寄ることで極々僅かながらも復興の一助になるかもと、松島に泊まることにした。
松島には10数年ぶりの訪問。



宿は、すぐ前が海。
真正面に福浦島が臨める。


各地に居酒屋を持つ漁業関係者がホテルを建てたというだけあって、豪快な船盛がつく夕食を堪能。
この後には、天婦羅、牛タンの軟らか煮などもあり、「もう一泊したいね」の声も出てくる。



翌朝は早起きして、日の出を観に行った。
日が昇るまで、鯛釣りをしていた地元の方との世間話。
今年の海はいつもと違って全く釣れないと、北海道の釣り人と同じようなことを言っていた。



うす曇りの中、やっと出てきた太陽に「今日も無事故でありますように」と手を合わせる。


 
夫は宿に戻ったが、私は福浦島を1周しようと橋を渡って歩き始めた。
が、小さく見えた島が思いのほか大きく、おまけに一人っきりなので小走りで回ること30分。
昼食前のいい運動になった。



朝食にもお刺身が!
それに自家製というソーセージが美味しかった。


                                

出発前に、宿に車を置いたまま瑞巌寺へ。
ちょうどガイドさんがいたので案内をお願いした。(拝観料共に1人1,200円)

 
境内に入ると正面の参道は閉鎖されて、杉の植え替えをしていた。
海水に浸かったために700本もの杉は駄目になり、土の入れ替えと、新しい苗の植樹を施している。


 
本堂拝観できない代わりに、日頃は見られない庫裡(くり)内部や、
仮本堂でご本尊や正宗の位牌などを間近で見ることが出来る。


 
これも日頃は非公開という陽徳院(正宗正室・愛姫めごひめ)の墓堂も見学できた。

  
3年かけて平成21年に豪華絢爛な姿に修復された。
よく見ると、象らしきものや虎らしき細工もあり、装飾全体に女性らしい繊細な印象を受けた。
孫によって造営されたというが、正宗だけでなく周囲の人に愛された女性だったのだろう。


                                

案内の中で、
津波の海水は、松島湾に点在する島が防波堤代わりになって、境内の途中までしか入ってこなかったこと、
ちょうど平成の大修理中にあって、屋根の瓦を下していたので地震の影響が少なかったこと、
などの説明があった。
瑞巌寺は、きっと大きな力で守られているのだろう。

光太郎と賢治

2015-11-09 | 北海道の夏 8年目(2015)
遠野⇒花巻を回り、その夜は花巻温泉に宿泊
翌日は宮城県は松島に宿を取っているので、東北道に乗る前に高村光太郎記念館に寄った。


朝8時半のオープンと同時に入館。
早い時間だったので私達のほかに誰もいなかったので静かに見学することが出来た。
が、ここも館内は写真禁止
だが、この記念館は見応えあり。
やはり光太郎が長命だったことや、この地に7年間も住んで、その間は村の人たちと結構交流があったことなどで
資料が多く残っていることもあるのだろう。



記念館の近くには光太郎が住んだ山小屋があるはず・・・が、意外や立派な建物。
光太郎が住むとなれば小屋と言っても立派だなあ・・と言うのが第一印象だった。
が、それは私の思い違いで、光太郎が実際に住んだという小屋は、この建物の中に保存されていた。
そして、その小屋は本当に粗末な小さなものだった。


 
建物の中に、更に建物という構造になっている。
如何に、この地の人が光太郎を、そして光太郎の住んだ山小屋を大切にしているかが分かる気がした。


                                

光太郎と智恵子との生活は世間から隔離した世界で、その中で智恵子を喪ってしまった。
その反省もあり、この地に住んだ7年間は、村の人たちとの交流を深めたそうだ。
資料の中には、サンタクロースの格好をした光太郎が小学校に行き、
子供たちにプレゼントをした時の写真もあった。

それと、光太郎と宮沢賢治との意外な繋がりも知った。
光太郎や草野心平たちとの交流の場に、賢治の弟さんが賢治の残されたトランクを持って行ったそうだ。
みんなでトランクの中を見ているうちに「雨にも負けず」の詩が残された手帳を見つけ、
それを読んだ全員が発表することを勧めて、あの詩は世に出た。
それ以来、光太郎と賢治の弟さんとの交流が始まった。
因みに光太郎と賢治が会ったのは一回きりで、それも特に話もしなかったらしい。

空襲で家を失った光太郎に、賢治の弟さんが自分の家に疎開を勧め、
1年以上も宮沢家に住んでいたそうだ。
が、宮沢家も被災し、そこで花巻郊外に山小屋を立てて住み始めたということだ。

高村光太郎ほどの人ならば、もっと立派な家に住めただろうにと思ったが、
光太郎の気持ちの中に自己の戦争責任の意識があり、自身に対する流刑の意味もあったとか。
裏山に行っては智恵子の名前を叫んでいたという話を聞いて、その辛さ、寂しさを思い馳せた。

あの、つい先日行ってきたばかりの十和田湖の「乙女の像」の制作を決心したのもこの場所。
昨日行ってきた遠野と宮沢賢治の繋がり。
その宮沢賢治と高村光太郎との繋がり。
同時代に生き、同地域に住み、そんな人の繋がりを知ったことも、今度の旅の嬉しいことだった。

賢治の住んだ花巻

2015-11-07 | 北海道の夏 8年目(2015)
花巻に来たいと思ったのは、もちろん宮沢賢治の足跡を訪ねたいと思ったから。
運よく、今年の4月にリニューアルオープンしたということで、それも楽しみだった。


ただ残念なことに館内は写真禁止なので玄関の部分だけ

館内はスクリーン映像を駆使した最新設備に目を見張った。
どこかの科学館に来たような錯覚さえする展示室は、
シニアにとっては操作や最新画像スクリーンをみているだけで疲れるような・・・

でも「賢治サロン」という小さめの部屋で、賢治の手書き原稿や、賢治愛用のチェロなどを見ることができて、
やっと心がホッとした

スタッフに「賢治が耕していた畑などは残っているのですか?」と訊くと
「花巻農業高校にあるが、ここからは遠い」と。



館外のアプローチにある「よだかの星」をイメージした彫刻


 
同じく館外にあるレストラン「注文の多い料理店・山猫軒」もあった。
入り口には、賢治の作品の中に出てくるセリフの表示あり
「どなたもどうかお入りください」
「決してご遠慮はありません」と。


                        

ここ遠野や花巻に来て初めて知ったのは、
賢治の「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」は、賢治が遠野に来てイメージしたらしいということだ。

それと、柳田国男に「遠野物語」を書くきっかけを作った佐々木喜善との交流があったことも、
更に、賢治と高村光太郎との繋がりも知った。
こうして知らなかったことを知り、点と点がつながることが旅の楽しさでもある。

この光太郎と賢治の関係は、次のブログで・・・

民話の里《遠野》 

2015-11-05 | 北海道の夏 8年目(2015)
遠野といえば、河童、座敷わらし、山姥などの民話で有名な「遠野物語」が思い浮かぶ。
当初の目的地・花巻から遠いが、遠くて行きにくい所だからこそ、そして車で来ている今回こそチャンスと決行。
そして実際に行ってみると、東北道から繋がった高速道路が延長していて案外と行き易いことも分かった。


最初に立ち寄った「伝承館」にある南部曲り家・旧菊池住宅
かつての農家の暮らしぶりを再現している。

家畜も家の中に住まわせて、大家族仲良く暮らしていた姿が想像できる。
が、私がイメージしていた遠野のイメージとは違うような気がして・・・
と、夫が駐車場の先に「カッパ淵」へ行く案内板を見つけた。
そう
私が遠野で行きたかったのはカッパが棲むという小川なのだ


 
案内板に沿って、最近ほとんど見られなくなった稲の天日干しなどを眺めながら田園地帯を歩く。
のどかでいいな~
そして、この天日干しのお米は美味しいだろうな~



小川のせせらぎが聞こえ、小さな橋があった。
だんだんカッパ出現地が近くなってきたようだ。



カッパの好物の胡瓜をぶら下げた釣り竿が川に仕掛けられている。
どうやらここがカッパ出現ポイントの「カッパ淵」のようだ。



横に注意書きあり
「カッパに引き込まれないように気を付けて」
「特に美男美女は要注意」と。
ならば、私も注意しなくては 



側には、カッパの好物の胡瓜・トマト・ピーマンなどをぶら下げた釣り竿が何本も並べられている。
野菜は新鮮だったので多分毎日取り換えるのだろう。
こんな遊び心が愉しい。



「カッパが出るといいな~」と、しばらく待ってみた。
木漏れ日が川の中に映り、吹く風が心地いい。
と、静かな中に時折「ポコッ」と音がする
近くの小川から流れ込む音のようだが、まるでカッパの動く音のようで最初はドキッとした
ここにいると、本当にカッパが現れるような気がしてくるから不思議だ。

他にも「遠野ふるさと村」などがあり、昔の農家の移築や農家体験が出来るそうだ。
それに語り部の昔話を聞ける場所もあるそうだが、
私はこのカッパ出現ポイントに来られただけで十分満足
それに午後は花巻に行きたいので、あとは諦めてここで引き上げた。

秋色の十和田湖

2015-11-02 | 北海道の夏 8年目(2015)
十和田湖畔に泊まった翌朝、早起きして「休屋早朝自然散策」に参加した。
これは朝6~7時の1時間、ボランティアガイドさんが十和田湖畔を散策しながら説明してくれるのだ。
(十和田湖のホテル宿泊者は無料、それ以外でも300円と格安)


 
湖畔の朝は、ちょっと肌寒くもあるが空気が澄んでいて気持ちがいい。



せっかくの紅葉日和なのに、この日の参加者は私達を含めて4名と少ない。
2名のガイドさんと6人で出発。

最初は空気が刺すように冷たく、ちょっと薄暗かったが
歩き始めてしばらくすると湖面に太陽があたり始め、全体がピンク色に染まってきた。



「恵比寿大黒島」やら「兜島」やら「鎧島」などの小島も紅葉が綺麗。



高村光太郎の最後の彫刻作品「乙女の像」
左右対称で、同じポーズで立つ像は智恵子をイメージし、
光太郎の「智恵子を自然の中に立たせたかった」という想いが込められているそうだ。

この像の側に「乙女の像」に対する光太郎の詩が刻まれていた。
単に像を眺めていた時と違って、読んだ後は、
光太郎が亡き智恵子への追慕をこめて制作したことがより理解できた気がした。


十和田湖畔の裸像に与ふ
                    高村光太郎
  銅とスズとの合金が立ってゐる。
  どんな造型が行はれようと
  無機質の図形にはちがひない。
  はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
  きたならしさはここにない。
  すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
  天然四元の平手打をまともにうける
  銅とスズとの合金で出来た
  女の裸像が二人
  影と形のように立ってゐる
  いさぎよい非情の金属が青くさびて
  地上に割れてくづれるまで
  この原始林の圧力に堪えて
  立つなら幾千年でも黙って立ってろ。




散策が終わるころには湖畔にも日が差してきて、紅葉した葉の色も鮮やかさを増す。
さあ朝食が待っている。
たくさん歩いた後の食事は美味しい


私達の泊まった宿・・・
ネットの口コミが良くて決めたのだが、その期待は裏切られっぱなし。
「これでお客さんが離れないのか」と不思議に思っていたら、その理由が何となく分かった気がした。
十和田湖畔の中心地を歩いたが、ホテルもお店も軒並みシャッターが降りて衰退しているのだ。
廃業する宿が多くて数が少なくなれば、企業努力も必要なくなるのかもしれないと、変な納得。
でも、十和田湖や奥入瀬渓流の名に胡坐をかくのではなく、頑張って欲しいものだ  

秋の奥入瀬渓流

2015-10-31 | 北海道の夏 8年目(2015)

八甲田山から奥入瀬へ通じる道の、なんと美しい紅葉だろう
八甲田山で結構時間をとったので早く進みたいのだが、あまりにも見事な紅葉なのでスピードを緩めてしまう。
そして何度も車を停めて、その色、空気、風、木漏れ日を心に焼き付ける。
ここは、この東北旅で一番心に残る紅葉の美しい道だった。


 
そんな寄り道で、肝心な目的地・奥入瀬(おいらせ)渓流に着いたのは2時半を過ぎていた
当初は、以前来た時に歩けなかった下流部分をゆっくり歩く予定だったが、
大幅に端折って、石ケ戸休憩所に車を置いて、その上流を散策することにした。
(だが時間が夕方だったお陰で所々にある駐車スペースが結構空いており、そこに駐車して散策することができた)


 
川の周辺の紅葉はかろうじて残っていた。
時間が夕方近くなるにつれお日様が傾き、川に陽が差さなくなるので紅葉の鮮やかさがなくなる。
やはり山間部の紅葉狩りは早い時間に限る。


 
奥入瀬には川に沿って散策路があるので、一日かけてゆっくり歩くのがいい。
歩く距離の目安は14キロで4時間くらいなので、お弁当を持って行って、
気に入った場所で渓流を眺めながら食べるのが良さそうだ。


「雲井の滝」
この滝は車道から見ることもできるが、よく見たいので車を置いて歩いて行った。
落差20メートル程で結構水量もある。

15年程前に来た時は、上流からこの滝まで歩いたことを覚えている。
あの日は生憎の雨で、ここの「雲井の滝」バス停で20分程、寒さに震えながらバスを待ったものだった。


 
「寒沢の流れ」と「銚子大滝」
この二つの滝は車道を挟んで左右にある。
奥入瀬の数多い滝の中でも最大の「銚子大滝」は、幅20mあり水量も多いので結構迫力がある。
この滝は別名「魚止めの滝」とも言われ、奥入瀬を遡上して十和田湖に入ろうとする魚を拒む滝でもあるらしい。

  
奥入瀬渓流を上流と下流では標高差が200mあるので、
十和田湖側の子ノ口から奥入瀬渓流館に向かって歩くほうが楽そうだ。
川の流れを楽しむのであれば下流を、数ある滝を楽しむのなら上流がいい。
そして混むときは車を宿に置き、バスなどを使ってのんびり歩くほうがいいような気がする。

むつ市⇒八甲田山

2015-10-29 | 北海道の夏 8年目(2015)
むつ市のホテルは高台にあり、部屋、温泉、食事ともに合格点。
予定より早く到着したが、1階カフェのコーヒーサービスがあったり、
併設の美術館を学芸員に説明してもらったりで、夕食までが充実した時間となった。

 
夕食と、朝食
どちらも丁寧に作っていて美味しかった。
それに、お好みのアルコール付きだったこともプラス要因 
 

                        

次の目的地に向かって走っていると、夫が
「つい先日、八甲田山が初冠雪したとテレビで放映していたが、紅葉が綺麗だった」と言い出した。
地図で確認したら、何とか途中で寄ることが出来そう
と言うことで、急遽の寄り道に。


 
ロープウェイ乗り場は長蛇の列
同じようにテレビを見て来た人も結構いるのだろう。
この人出を見るにつけ、ここは北海道ではなく本州なんだ・・と改めて実感。
並び始めて30分ほどでやっと乗ることが出来た。



紅葉した山に、自分が乗っているロープウェイの影が映る。
このロープウェイの定員は100人なので結構大きい。


 
ロープウェイの頂上駅付近の木は既に落葉して、紅葉した木は皆無に近い。
先日降ったという雪が残っていて風も冷たい。
頂上駅には散策路もあったが、今回は時間がないので回らずに降りてきた。


 
ロープウェイを降りて改めて周りの景色を眺めてみると、山より、この辺りの紅葉が一番綺麗
そう言えばロープウェイ乗り場の案内に「山頂と中腹は落葉、山麓は見頃」と書いてあったものだ。
せっかく此処までやって来たのだからと山頂まで行ったのだが、素直に案内書きに従えばよかったかも


 
走れども走れども、紅葉の美しさに歓声の声が出てしまう。
周りの景色を眺めつつ、運転も慎重に


 
酢ヶ湯温泉付近にある地獄沼も紅葉がかろうじて残っていてくれた。


八甲田山の山頂には30分コースと60分コースの散策路もあるし、
酢ヶ湯温泉の近くにも景色のいい沼があり、見どころが結構ある。
次回は、この付近でもう1泊するコースを考えたほうがいいかもしれない・・と、
もう次の行程を考えながら帰ってきた。

祈りの地、恐山

2015-10-27 | 北海道の夏 8年目(2015)
霊場として知られる「恐山」
なかなか行きにくい北の果てにあり、しかも名前からしてちょっと怖いイメージがあった。

 
総門で入山料を払って入ると、山門がある。
お天気のいいカラッとした日だったので恐い感じはなく、
むしろ大きく包まれて迎え入れられるような感じだった。


 
山門を入ると、硫黄の匂いが強くなり、左手に簡素な湯小屋があった。
湯小屋は幾つかあり、それぞれ男女に分かれている。
お湯はエメラルドグリーンの透明で、泉質も良さそうだ。
だが今日は時間がないので見るだけでパス。


本尊安置地蔵殿
背景には紅葉し始めた地蔵山


 
あの世へ手向けた風ぐるまが、風を受けてキュルキュルと悲しげな音を鳴らす。
先に逝った人の声のようで切ない。


 
賽の河原や地獄と呼ばれる一帯は、あちこちから硫黄が噴出して草木もない。
この荒涼とした風光は、この世ではないような独特の空気が漂っている。
そういう雰囲気が、あの世との距離が近いように感じさせるのかもしれない。


 
宇曽利山湖(うそりやまこ)
賽の河原の先にある美しい湖は極楽浜と呼ばれ、強酸性で
場所によって湖底から硫化水素も吹き出ているらしい。
そのために生物はウグイ1種だけとか。
水は澄み切っていて美しい。

恐山には7月の大祭典や10月の秋詣りには「イタコ」の口寄せも行われるとか。
でも私があの世に逝ったら、こんな寂しいところには来ないだろうな・・と感じた。
私が行くのは、もっと美しく人里近い場所がいい。
花が咲き、青い海があり、温かい人がいて・・・
欲張りだけれど、そんな場所で、愛する人と一緒に暮らしたい・・・

函館⇒フェリー⇒下北半島・大間

2015-10-25 | 北海道の夏 8年目(2015)
10月中旬、函館に宿泊。
次の日の朝、北海道に別れを告げ、フェリーで下北半島の大間に渡り、
その後、1週間をかけて東北を南下し自宅に帰ってきた

5か月ぶりの我が家は、カビが生え、庭は草も木も伸び放題。
庭には防草シートを敷き、植木の枝も切り詰めたはずだったが、それでも甘かった

まず壁や床のカビをふき取り、キッチン用具(特に木製)や食器を洗う。
次に庭の手入れ。
その合間に、運んできた衣類の洗濯や、荷物の整理・・・
長期間を留守にしていたので仕方ないが、老いた身には相当堪える作業の毎日

そんな日々だが、東北の記憶が薄れないうちに少しずつ書き留めることにする。


                                    

10月14日
フェリー出航の函館を目指す。
途中、お天気がいいので駒ヶ岳の裾野をぐるっと一回りのコースを走る。
駒ヶ岳は見る方向で全く姿を変えるのが面白い。


太平洋側の鹿部町から眺めた駒ヶ岳


大沼湖畔から眺めた駒ヶ岳

 
北斗市の「きじひき高原」から眺めた駒ヶ岳と、函館山


このきじひき高原の展望台からは駒ヶ岳や函館山だけでなく、北斗市全域、新幹線の高架橋や新駅など、
360度の眺望が楽しめるお勧め場所。
(新函館北斗駅は写真右下)


 
北斗市では、来年3月の北海道新幹線の新駅「新函館北斗駅」建設が急ピッチで進められている。
次に来る時は、更に活気がある違った姿になっていることだろう。


                                

函館・湯の川温泉で泊り、翌朝、フェリー乗り場へ


函館から下北半島・大間への乗船時間は1時間30分
こちらのフェリーは、乗船する時は運転手だけでなく同乗者も一緒に乗り込める。
(大洗出航の商船三井フェリーは運転手だけで、同乗者は別の乗船口から乗り込む)
見送り客も乗船口の側まで来て手を振っている。
小さいフェリーは、心が通っていて何かしら温かい。
乗船時間の短さも、船に弱い人や、ペット連れのひとには有難い。



函館山を海側から眺めるのは50年ぶり。
というか、あの青函連絡船に乗った時の記憶は薄れているので、初めてのようなもの。
結構な断崖絶壁だ。



大間のマグロを食べたい・・と思ったが、今晩のホテルの夕食に期待をして先を急ぐ。
途中、以前から気になっていた薬研温泉郷へ立ち寄ったら、紅葉が始まっていた。



今日の目的地は恐山
山道の高度を上げるごとに紅葉が進んでいる。
交通量も少ないので、途中何度も車を停めて眺めるので、なかなか目的地に着かない



途中、林の中に見慣れない動物が
車を停めて写真を写すも、なかなか逃げない。
多分、カモシカだと思うが、野生のカモシカを見たのは初めてだった。

真狩(まっかり)の人気レストラン

2015-10-19 | 北海道の夏 8年目(2015)
数年前から一度行きたいと思いながら、どうしてもタイミングが合わずに行けなかったレストラン。
今回も、こちらの都合のいい日(ちょうど近くを通る日)には予約が取れず、
仕方なく、レストランの空きがある日に、わざわざ2時間も車を走らせて行くことになった。
私達の年齢になると、思い立った時に動かなければ「また、いつか」があるかどうかが怪しくなるので、
行ける時に行っておかなければと。



このレストラン「マッカリーナ」は、洞爺湖サミットでの料理を担当したとか、
北海道で一番予約が取りにくいとかの話を聞き、そのたびに行きたい気持ちがニョキニョキ。
でも、実際行ってみると、近くで道路工事をしていて場所が分かりにくい。
それに駐車場からレストランまで離れているので、お天気のいい日はいいが、今日のような雨の日は困る。
と、食事の前から気になるところが目に付く。



時間を勘違いして30分前についてしまったので、ロビーで時間調整。
でも、心地いい空間なので、却って癒しの時間に



窓からは紅葉の始まった林が眺められて落ち着ける。
今日は台風が近づいているので、時折雨が降ったり、強風で木の葉が舞い散ったり。
そんな窓の外を見ながら、最初のお料理が運ばれるのを楽しみに待つ。



席からは、ガラス越しに厨房が眺められる。
私達の前菜を作っているようだ。


 
パテや魚のマリネなどに20種類ほどの野菜が花畑のようにデコレート。
この花畑のような前菜は最近の流行りのようで、いろいろなレストランで出されるようになったが、
ここはお野菜自体の甘さが際立っていて美味しい。



次は、白菜を煮たものを出してくれたが、食べ終わったお皿に乗せてくれた。
味はいいのだが、出来れば新しいお皿に盛ってくれるほうが、私は嬉しい・・・



トウモロコシのポタージュ
とても濃厚で、トウモロコシをそのまま食べているようだ。


 
メインディッシュ
私は魚料理、夫は肉料理
メインの料理はそれなりに美味しかったが、特に付け合わせの大根ソテーが味も柔らかさも絶妙だった。



デザート
アイスクリームと、胡麻のパンナコッタ



小菓子
デザートのほかに、この4種類のお菓子が予想外のおまけのようで、なんだか得した気分



私はコーヒー、夫はハーブティー


行く車の中で「今日はいくらのランチにしようか?」と話していたが、
どうも予約した時に、私は一番安いのを頼んだようだ。
メニューもなし、注文も聞かずに料理が運ばれてくるので、そのことを思い出した。
でも、高いほうを頼んだらしいお隣の人の料理と大して違わなかったし、お腹いっぱいになったし、
これはこれで十分だった。
3300円+10%のサービス料+消費税で、1人4000円弱。

確かに美味しい料理だったが、この料理を食べるために次回も2時間かけて行く程の味かな?
まあ1回行けばいいかと・・・

北前船で栄えた町 《江差》

2015-10-16 | 北海道の夏 8年目(2015)
  
江差町に残る旧中村家住宅と、横山家住宅
旧中村家住宅は国指定重要文化財、横山家は道指定有形文化財
共に、ニシン漁全盛時代の繁栄ぶりを今に残していて立派な造りだ。



江差山車会館
毎年8月9~11日の姥神大神宮渡御祭では、13台の山車(やま)が練り歩くとか。
さぞかし見事なのだろう。



江差追分会館では一日三回、民謡・江差追分を聴くことが出来る。
伸びやかな声、独特の音調にうっとり。
日頃は民謡など聴くこともないが、こうして江差追分を聴いていると、じんわり心に響いてくる。



さて今日のランチは、ご当地グルメ「史伝江差にしん丼」
ニシンの甘露煮、数の子、レンコンなどが入って結構美味しい。

この他に、復元された開陽丸を見たり、評判の人気パン屋さんに寄ったり、蔵を利用したスイーツ店など、
江差は見どころ、食べどころの多い町だ。
今度は姥神大神宮のお祭りに来てみたい・・・
来年また来ようか・・・
と、江差は、ちょっと気になる町ランキングに入りこんでしまった

最北の城下町 《松前》

2015-10-14 | 北海道の夏 8年目(2015)
以前から気になっていながら、なかなか行く機会がなかった松前町へ 

 
久しぶりに青い空が広がる好天気に恵まれ、日本海側の海岸線を南下する。
出発7時半。
途中、道の駅に寄ったり眺めのいい場所に寄ったりしたが、到着11時半。(4時間もかかった)
やはり松前は遠い 


 
到着後は、まず「松前藩屋敷」へ。
藩屋敷というので、かつての武家屋敷が残っているのかと思ったら、江戸時代の建物を新たに再現したものだった。
奉行所、武家屋敷、旅籠、商家、民家、番屋などが再現されて、なんだか映画のセットのよう。
平日ということもあってか私達のほかに入場者がいないので、江戸時代にタイムスリップしたような気もしてくる。


 
旅館のレストランでランチ
私は「松前まぐろ三色丼」、夫は「まぐろ漬け丼」
松前と言えば松前漬しか頭になかったが、松前沖で獲れる本マグロも松前の人気グルメだとか。
そう言えば、津軽海峡の東側では大間のマグロが有名なので、松前沖のマグロも美味しいということになる。


 
ランチの後は、いよいよ松前城へ



天守閣から見た景色は、遠く白神岬まで見ることが出来た。


 
お城の中に、蠣崎波響の描いた「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」の複製画があった。
(ガラスが反射して見えにくい)
が、蠣崎波響に関する資料はない。
せっかく楽しみに来たのに・・・と気持ちがモヤモヤ。
そこで、町役場に行って本か資料がないかと訊いてみた。

役場では教育委員会の方が応対してくれた。
しかし、以前に蠣崎波響展が開かれたものの、もう資料は残っていないと・・・
残念
ただ、松前の近世を記した本に波響に関する表記があると、その部分をコピーしてくださった。
インターネットで検索した内容とあまり変わりはないが、その心遣いが嬉しい。

資料によると
○蠣崎波響は、松前藩主の5男として生まれた。
○2歳で藩の家老蠣崎家の養子となった。
○叔父の松前廣長が波響をこよなく愛し、詩文や画の才能のあった波響を江戸に出して学ばせた。
○松前に戻ったあとも、江戸や京都を行き来し、文人墨客との交友が続いた。
○「クナシリ・メナシの戦い」の鎮圧に協力したアイヌの指導者を描き(夷酋列像)
 時の天皇や諸藩の大名たちの称賛を受け、多くの模写がなされた。
○「夷酋列像」でアイヌの指導者を猛々しく描いたのは、そういう民族の協力を得られているという
 松前藩の位置づけを示すためと言われている。


 
お城の後方には寺町が残り、松前藩主の菩提寺や、戊辰戦争でも焼かれずに残ったお寺もあり、
散策するのに歩きやすい道が整備されている。
松前は桜の木が多いので、5月連休頃には町が桜色に染まるそうだ。



今日の宿は江差(松前は満室で取れなかった)
遠くに大島が見える。


滞在先から松前まで4時間、松前町を車で回り、更にまた江差まで1時間半の運転はハードだった
(おまけに江差までの北上は太陽が眩しくて、とにかく疲れた)
次回からはもう少し行程を考えないと、年齢的に無理は利かなくなった・・・