風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

カンボジアに思う

2014-12-29 | ベトナム・カンボジア (2014)
 
シェムリアップの市街地から離れると、小さな高床式の家ばかり。
それも、清潔とは言い難く・・・


見かけるどの牛も、ガリガリに痩せている・・・

小学生くらいの子供が、仕事を手伝ってお金を稼いでいる。
義務教育を受けるのはお金はかからないらしいが、多分その学校にも行っていないのだろう。
私達が乗った船の舵取りをしていたのも10歳前後の男の子。
舵取りの仕事が終わると、お客さんの肩を揉んで1ドルのチップを貰う。

他に、ちょっと驚いたことがある。
遺跡を見学した時、数人の警察官から自分の帽子を5ドルで買わないかと声を掛けられた。
「ニセ警察官じゃない?」と仲間内で話していたら
「ホンモノ」と、その警察官から日本語が返ってきた
それでも疑っていたら、ガイドさんが
「公務員はお給料が安いので、支給物の帽子や手帳・バッジなとを売って生活費の足しにしている」
と説明してくれた。
うーーーん、それっていいの?

そう言えば、案内されたお土産品店で、店員さんに「チップ」と飴をねだられた人もいた。
飴がなかったのでガムを3つあげると「5個」と更に要求された。
それも悪びれた様子ではなく、当然という顔で。

貧困からくるものか、国民性の違いか・・・
日本も戦後の生活は大変だったけれど、20年、30年後は、それなりの生活は出来ていたと思うが、
一体、何が違うのだろうか・・・

現地ガイドのお父さんは、地方の教員をして10人の子供を育てたので生活が苦しかったそうだ。
「もっといい仕事をすればいいのに」との家族の声に
「要職につけば、戦乱があった場合には一番に命が狙われる」と言って都会には出ず、
小さな地方の村で、貧困ながら安全な生活を選んだという。

ポルポト政権時代には、単に知識人というだけで200万人が虐殺され、
その後も内戦が続き、多くの罪のない人達が命を奪われた。
そういう事情で、ここカンボジアの平均年齢は25歳。
ベトナムの27歳よりも、もっと若い。

今回のベトナムとカンボジアの旅は、世界遺産を巡るだけのつもりでやってきたが、
いろいろなことを考えさせられる旅でもあった。
最近では、その若さの将来性に期待して外国からの資本が流れ込んでいるらしい。
若いからこそ国を変えるエネルギーがあるのかもしれないと、
これからの発展に期待したいと思いながら帰ってきた。


 
カンボジアのシェムリアップ空港に到着した時に、首にかけて貰ったお花飾り。
洗面所に掛けていたら、ドアを開けるたびに甘い香りが

トンレサップ湖 & オールドマーケット

2014-12-27 | ベトナム・カンボジア (2014)
アンコールワットから車で1時間位のところに、トンレサップという東南アジア最大の湖があり、
そこでは100万人もの人が水上で生活している。

 
学校と教会

 
学校へ行くのも、買い物に行くのも、移動は小さな船を使って。
顔を洗うのも沐浴も、この泥のような水で済ませるらしい・・・

 
土地も要らない、好きな場所を選べる、季節によって移動できると、水上生活の良さを説明されるが、
船酔いしやすい私は絶対に無理・・・


 
船乗り場で、座り込んで売っているのは蓮。
ガイドさんが買って「美味しいから食べてみてください」と、みんなに分けてくれた。
緑の実を取り出し、更に剥いて白い実を食べるのだが、
不味くはないものの美味しいものではない
でも、カンボジアの人達の口には合うんだろうね。


                            


シェムリアップにあるオールドマーケット
こういうマーケットは、カンボジアの人の生活が垣間見られるので楽しい。


材料を前に、オバちゃんが目の前で作ってくれる。


氷の砕いたもの、フルーツを刻んだもの、豆を煮たもの、などが並べられ
好みのものをミックスして食べるスイート。
日本の「氷あずき」みたいなものだろう。



ここで私が買ったのは、ヤシの実で作ったお砂糖。
「パーム・シュガー」が欲しいと言っているのに「味の素」を出してくる店員さんがいたり、
私の値切り交渉に粘り強く付き合ってくれたり、
人との触れ合いを楽しめたマーケット探索だった。

カンボジア アンコール・トムなどの遺跡巡り

2014-12-26 | ベトナム・カンボジア (2014)
世界遺産 アンコールトム
アンコールトムは、周囲12kmもある広大な城壁都市で、その中心にバイヨン寺院がある。
因みにアンコールは「王都や都市」、トムは「大きい」という意味がある。

 
バイヨン寺院へ入る。

 
レリーフがきれいに残っている。


「クメールのほほ笑み」と呼ばれている四面塔。
想像していたよりずっと大きい。


王宮前に面して350mもの長さが続く「象のテラス」
柱が象の鼻のデザインで、壁にも象のレリーフが続き、
まるで象の大群が行進しているかのように見えてくる。


                                 
 
世界遺産 バンテアイ・スレイ寺院
バンテアイは「砦」スレイは「女」という意味。

 
赤い砂岩で作られた寺院

 
彫りが深くて緻密なレリーフが、結構残っている。 


この寺院を有名にしたのが、このデバダー「東洋のモナリザ」だ。
本当はもっと近くで、その美しい顔を見てみたいが、
以前、盗掘されたことがあるので、今では近くで見ることができない。


                                 
 
  
世界遺産 タ・プローム寺院
ここも崩壊した石がゴロゴロしていて、修復を待っている。

 
ガジュマルの木などで締め付けられている寺院が、悲鳴を上げているように見える。
これはこれで南国の自然な姿なのかもしれないが、近いうちに木を取り除くらしいので、
またスッキリした姿の寺院を見ることができそうだ。


                                
 
カンボジアの食事は、ベトナムと同じようなものが多かった。


カンボジアでもベトナムでも、ホテル朝食のフォーが美味しい。
日本の蕎麦やうどんのように、その場で好みの具を入れて作ってもらい直ぐに食べる。
食欲のない時でもツルツルと入るし、スープが美味しい
毎朝、欠かせない味となった。

カンボジア アンコールワット

2014-12-24 | ベトナム・カンボジア (2014)
今までカンボジアと言えば、ポルポト内戦とジャングルくらいしか知識はなかったので、
アンコールワットに行くことが決まって、事前に調べてみると・・・
「治安は安定しているものの、長期にわたる内戦により銃器が広く出回っている」
「郊外にはまだ地雷が撤去されずに残っていることもあるので、十分に注意」
などと物騒な情報が
が、今回はツアーだし、観光客が行く場所は安全だろうし・・・
この際、アンコールワットだけでなく、カンボジアの現状を見てこようと思い直した。
(しかし、アンコールワットがなければ絶対にカンボジアには行くことはなかったことは確か

                                    

アンコールワットに行くからには、夜明けも日中も夕焼けの光景も見たい・・という願いが叶ったが、
あいにく天候は曇り。


 
朝5時の真っ暗な中、ホテル出発。
アンコールワットを正面から見える濠の前に陣取って待っていたが・・・
残念ながら真っ赤な朝焼けの中に浮かび上がる光景を見ることは出来なかった。
が、雨が降らなかっただけでも良しとしよう。



チケット売り場では、その場で写真を写して写真入りパスを作成してくれる。
私達は当日限りの1日券。
このチケットで、この付近の遺跡を朝から夜まで何度でも入ることが出来て、
そのまま記念に持って帰ることが出来る。


西参道から環濠を渡り、西塔門へ。

 
一番奥の第3回廊は、工事中とかで立ち入ることは出来なかったが、
手すりもない急階段なので、どちらにしても私達年配者が登るには無理だろう。

 
算盤のような模様やデバダー(天女)のレリーフは美しい。
が、修復した箇所が何カ所も。
ずっと放置されていたのだから仕方ないよね。



第2回廊
朝の時間帯なので、まだ人が少なく静かでいい。

 
レリーフが結構きれいに残っている。
(特に手が届く位置はみんなが触ったのだろう、脂が沁み込んで陰影がくっきりできれい


 
修復を待っている石がまだゴロゴロとしているし、ポロポロと崩壊している部分もあり、
早く修復しなければ・・・

 
夕焼もイマイチながら、それなりに綺麗だった。

それにしても今日は、途中にホテルの部屋で一休みしながら2万歩も歩いた。
登山と違って登りがないから頑張れたのだろうし、曇りの天気も幸いしたのかもしれない。
が、疲れたーーー

統一会堂(南ベトナム大統領府及び官邸)から見えたベトナム戦争

2014-12-22 | ベトナム・カンボジア (2014)

ホーチミンの統一会堂は、かつて南ベトナムの統領府で、
つい40年程前のベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸として使用されていた。



統一会堂に突入したT-54戦車
ベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車がこの建物のフェンスを破り突入、
南ベトナムの首都サイゴンは陥落した。
その当時のソ連製の戦車が敷地内に展示されている。



慶節室
各部屋で行われた歴史的写真が展示されているので、当時の様子を思い浮かべながらの見学。



内閣会議室



国書提出室
壁一面の見事な漆絵があり、国の歴史が描かれている。



大統領執務室
執務デスクの後ろのドアは、大統領専用の緊急用エレベーター
他にも、側近が走り下りる螺旋のような階段もあり、当時の緊迫した状況が目に浮かぶ。

 
地下室は爆撃にも耐えられる造りになっていて、作戦指令室や通信室は緊急時に使われていた。
あの頃、ここで、どんな作戦が立てられ、どんな指令が出されていたのか。



ヘリポート
実際に、陥落の直前には大統領がここからヘリコプターで脱出したらしい。 



私が若い頃、巷ではベトナム戦争反対運動が叫ばれていた。
戦場の悲惨な報道写真を見る度に胸を痛め、出口の見えない状況に気を揉んだものだった。
あの頃の自分と、この場所で起こっていたであろう想像の出来事が重なり、不思議な感覚になった。

ベトナム戦争で年配者の多くが亡くなったので、現在の国民の平均年齢は27歳だとか(日本は45歳)
あの時に使われた枯葉剤の影響は今も残っているとか。

あの戦争は何だったのか。
あの戦争で何が残ったのか。
どう考えても意味を見い出せず、負であったことだけはわかる。

今も地球上で起きているテロや戦争も、同じように意味のないこと。
しかし、同じ轍を踏んでしまっている。
人間って、どうしてこうも愚かなんだろう。
と、正義感だけは強かった若かりし頃の自分に戻り、今の世界情勢を思ったベトナムの旅だった


ベトナム最大の街 ホーチミン(サイゴン) 

2014-12-20 | ベトナム・カンボジア (2014)
以前は「サイゴン」と呼ばれた街は、今は「ホーチミン」と名前を変え、
首都はハノイでありながらも、ここホーチミンはベトナム最大の都市として発展を遂げている。

                                        


 
ホーチミンの銀座にあたる賑やかな「ドンコイ通り」で、
私達が乗ったバスが後ろのトラックに追突される事故に遭った。
ベトナムはどこもバイクの洪水で、ここホーチミンは、その中に自動車も加わり、
交通ルールもあってないようなところがある。
「危ないな~」と思っていたけど、まさか自分たちのバスが追突されるとは
でも大型のバスだったので、誰も怪我しなくて本当によかった。


 
ベトナムの女性は働き者だが、男性は??
日中から街角で椅子に座っての~んびりお喋りに花を咲かせているのは男性ばかり。
この姿を見るにつけ、あのベトナム戦争の粘り強い戦闘ぶりとどうにも重ならない。
今のベトナムを支えるのは、もしかして女性の力あってのことかも 


 
昼休み時の街角
お揃いのアオザイ姿の生徒さんが歩いていたり、小さなテーブルと椅子で露店販売のランチを食べていたり、
路地は普段の生活が垣間見られるのが楽しい。

                                        

ベンタイン市場

 
所狭しと商品が積まれているが、陳列の仕方がきれい。
やはり都会の市場だ。

 
野菜も新鮮で、並べ方もきれい。


 
この果物屋さんで売られていたのは、バンレイシ(釈迦頭)、マンゴ、みかん、ざくろ、ライチ、ランプータンなど。


初めて見たのが、バナナの花。
生で食べるのだろうか?火を通すのだろうか?
バナナのように甘い味がするのだろうか?
食いしんぼうの私にとって、また食べてみたいものの出現だ。

                                        

アオザイ姿の若い女性   

 


アオザイを着ている女性は、みんなスタイルがいいし、美人さんが多い気がする。
アオザイが女性を美しく見せるのか、それともスタイルのいい人がアオザイを好むのか

ベトナムの古都 フエ

2014-12-18 | ベトナム・カンボジア (2014)
フエは、ベトナム最後の王朝である阮(グエン)朝の都だった地で、
ベトナムで最初に世界遺産に登録された。

阮朝の皇帝は第二次世界大戦の終戦まで宮殿に住み続けたので、本来ならその繁栄の姿が残されているはずだが・・・
その後のベトナム戦争で多くの遺産が破壊されてしまった。
フエでは当時の建造物の80%は失われたそうで、何とも残念なことだ。


                                

カイディン帝廟
フランス統治時代に造られたカイディン(啓定)帝の墓所

 
中国様式とフランス様式をミックスしたような帝廟。
廟といいながらも華やかで、お城のような雰囲気がある。


 ⇒近づいて見ると陶器や瓶を割ったもの 
陶器や瓶を使った装飾は、とても綺麗。
中には日本製のビール瓶を使った箇所もあり(日本のビール名称入り)ちょっと嬉しい。


                                

阮朝王宮


建造された当時の王宮模型
中国の紫禁城を模して建造されたが、ベトナム戦争で、ほんどが破壊・消失してしまっている。


皇城への東門(顕仁門)
王宮は殆どが破壊・消失したらしいので、この門は修復されたのかもしれない。
当時は、こんな綺麗な門がいくつもあって見事だったんだろうな。

 
少しずつ修復が進められているので、あと10数年もすると、また違った姿が見られるだろう。


                                

フエ宮廷料理

 
大根やニンジンで細工した鳳凰で飾ったお料理。
「きっと鳳凰の部分は使いまわすのよ」と、日本人のオバちゃん達の厳しい指摘が

 
ニガウリで作ったのは龍かな? 魚かな?
青ネギを葉っぱに、人参と大根で作った小花が可愛い。

 
デザート
ヤシの葉っぱで綺麗に包まれたスイート。
中身は米粉を蒸した物のよう。
それにしても包み方が綺麗で見事!

ベトナム中部 ミーソン & ホイアン

2014-12-16 | ベトナム・カンボジア (2014)
ベトナム中部には世界遺産が数ヶ所あり、
そのうち今回は、ミーソン遺跡、ホイアン旧市街、古都フエに

                                

ミーソン遺跡

 
ホイアンから1時間程の場所にある、かつて6世紀から13世紀頃まで栄えたチャンパ王国の遺跡

ここは駐車場から結構歩く
遺跡巡りでは歩くことを覚悟すべきなんだろうが、私はちょっと体調を崩していたので
せっかくの世界遺産ながら途中でギブアップ
奥まで行かず、1人で入口辺りまで戻り休憩待ち。
それにしても最近の私、随分体力がなくなったものだ・・・


                                

ホイアンの旧市街

 
この旧市街地は、ベトナム戦争でも破壊されることがなく昔の面影をそのまま留めている。


日本橋(来遠橋)
16世紀末頃に国際貿易港として繁栄したが、その頃には日本(江戸幕府)との取り引きもあり、
大規模な日本人街や中国人街が形成されたそうだ。
その時に日本人によって造られたということで「日本橋」と呼ばれている。

私と言えば、体があまりにだるいので熱を計ったら38度
おまけに、お腹の具合まで悪くなってしまったので食事はせず、ひたすら部屋で寝て休息
都合のいいことに、ここホイアンでは同じホテルに連泊だったので本当に助かった。
で、体調に関しては、日毎に回復
しかし、旅をしたいのなら、もう少し体力をつけないといけない・・・


                                

ホイアンのランタン祭り
ベトナム中部の町・ホイアンの見どころは、世界遺産になっている古い町並みのほかにランタン祭りがある。
最初は、このランタン祭りのことを知らなくて別の日に参加を考えていたが、
ホイアンのことを調べるうちに、月に1回催されるランタン祭りのことを知った。
せっかく行くのなら・・と、急遽日程を変えたといういきさつがある。


家の前では火を焚き、お盆の迎え火のようでもある。

 
満月になる旧暦の14日、提灯の明かりが町を照らす。
ただ、ガイドブックでは「電気の灯りを消して提灯だけ」と書いていたが、
電気も提灯も灯されていて、とても明るい。
まあ、治安の為にはこのほうが安心でもあるけれど。

 
提灯屋さん
色も形もそれぞれで、一斉に灯した美しさにしばらく見とれていた。
体調さえ悪くなければ、もう少し見ていたかった・・・

ベトナム ハロン湾クルーズ

2014-12-14 | ベトナム・カンボジア (2014)

2日目は、ホテルを8時にハロン湾に向けて出発


朝早いので、まだ湾には観光船も少なくて静かだった。


 
果物や海産物を載せた小舟が、売り込みのため観光船に横付けしてくる。
果物は1盛り5米ドルなので結構安いが、朝食を食べたばかりでパス。
せっかく勧めてくれたのに、ごめんなさい。 


 
ランチつきの貸し切りクルーズなので、のんびり外の景色を眺めながら食事が出来る。
乗り込んだ時には、若い娘さん達がお料理の準備をしていた。
船の中で作ったばかりのお料理を頂けるなんて、もうそれだけでご馳走。



香辛料で茹であげた海老が一番美味しかった。


量はすべて4人分。
このあとにチャーハンとフルーツも。
蟹殻の中には蟹の身入りのすり身を入れて揚げた物で、柔らかめで美味しかった。
揚げ春巻きも熱々で、景色を観ながらのんびり食べられるランチを堪能。



この島は、ベトナムの紙幣に印刷されている。



湾内には何千という島があり、そのほとんどが無人島。
あいにく曇り空だったが、それが却って墨絵のような光景となり、趣きがあって見飽きない。

その昔、中国が攻めてきた時、竜の親子が現れてベトナムを救ったという伝説がある。
ハロンの漢字表記は「下竜」で、ハノイのタンロンは「昇竜」と表記されるのも、
この竜の伝説と関係あるのかもしれない。


                     

 おまけ

 
島にある鍾乳洞に立ち寄った時、タイの山奥から旅行に来ていた少数民族の女性たちに出会った。
せっかくの旅行中に写真を写させて貰うのも申し訳ない・・・と遠慮していたら、
同じツアー仲間が写真撮影のOKを貰った
なので私もついでにパチリ
頭に巻いた布の刺繍がとっても綺麗

ベトナムの首都 ハノイ

2014-12-12 | ベトナム・カンボジア (2014)
ベトナムへの出発は12月初旬、旅行期間は8日間。
当日は、早朝5時20分にタクシーを予約して、夜明け前の真っ暗な中を出発し、
JR成田エクスプレスで成田空港へ。

成田を10時に出発してから所要時間6時間30分でベトナムの北部にある首都ハノイへ到着。
時差は2時間なので、現地到着時間は午後2時半。

ベトナムは乾季に入っているので暑いだろうと思っていたが、
北部は意外と涼しい、というか肌寒い。
ベトナムは日本と同じように南北に長いので、北部と南部では気温差が相当あるそうだ。

 
                                 

まずは、ハノイ市内の観光
タンロン城、文廟、ホーチミン廟、一柱寺、ホアンキエム湖などを巡る。

 
タンロン(昇竜)城の正北門
ガイドの案内解説より、私は左側にある大きな破壊穴が気になって仕方がない。
質問したら、「フランス軍からの砲弾痕」とのこと。
こういう攻撃を受けた挙げ句、フランスの植民地にならざるを得なかったのだろうと実感した。

このタンロン城遺跡は世界遺産だが、今日は時間がないので門だけ。
でも一応、世界遺産に行ったことになるんだよね・・・

 
ホーチミン廟
ベトナム国民の敬愛を集めているホー・チ・ミンを祀り、衛兵に24時間守られている。
廟の前にはバーディン広場と国会議事堂。


 
1000年以上も前(1070年)に建立された文廟(孔子廟)
ベトナムで最古の大学が置かれ、この中の孔子像には、受験シーズンになると合格祈願の学生が増えるとか。
どの国の受験生も気持ちは同じだ。



最初の宿泊地は、ハロン湾近くのホテル。
宿泊した部屋の窓から眺めた町並み。
フランスに支配されていた期間が100年近くもあったので、古い建物は西洋スタイルが多い。



ベトナムの第一印象は「とにかくバイクが多い!」こと。
それも2人乗りどころか、3人乗り4人乗りも多く、時には5人乗りも

そして、信号も横断歩道もほとんどないので、道路を横断するのが命がけ。
道路を横断する時のコツは、一旦渡ると決めたら決して走らず、ゆっくり歩けば相手が避けてくれると言うが、
バイクや車がスピード上げて近づくと、つい走りたくなる
当たり前ながら、これは何度経験しても恐くて慣れるものではなかった


旅行初日は、早朝出発し、ホテル到着は夜11時(日本時間 夜中1時)
あーーー、疲れた

ベトナム・カンボジアへの旅 準備編

2014-12-01 | ベトナム・カンボジア (2014)
北海道の旅も終り、留守中に溜まっていた用事も片付き、中断していた夫の診察通院も始まった。
半年近くも投薬だけで通院をストップしていたので、結果が心配だったが、
検査の数値は、改善はないものの特に異常もないということで、ひとまず安堵。

ならば、このいい状態の間に、かねてから行きたいと思っていたベトナムに行こうかと、
話がトントンと進んだ。

最初は個人旅行と思っていたが、個人で手配するには準備期間が足りない。
思い立ってすぐに行けるツアーがいいのでは・・と、探していたら、
ベトナム周遊にカンボジアのアンコールワットがセットになったツアーを見つけた。
おまけに、ホイアンのランタン祭りに合わせた日程という。
電話で問い合わせると、間がないのでキャンセルは出来ないというが、
残席が2名分しかないという言葉に、その場で申し込み。

出発まで間がないが、一応のベトナム・カンボジアについての事前学習はしておきたい。
歴史、現状、世界遺産の詳細・見どころ、グルメ、買い物情報などの下調べと並行して、
諸々の準備に入る。

ベトナム入国にはビザは要らないが、カンボジア入国にはビザが必要らしい。
旅行会社に依頼すれば、ビザ料金3,600円の他に、手数料が1人6,500円かかるという
手数料だけで2人分13,000円とは勿体ないので、自分で取得することにした。



赤坂にあるカンボジア大使館
ビザは到着後に空港で手続きできるらしいが、ツアーなので前もって取得しておくようにとのこと。
カンボジア大使館のHPから申し込み用紙を印刷して記入、写真、パスポート持参での手続き。
申し込み受け付けは午前中だけで、受け取りは次の日以降の午後のみ。
なので、取得のためには2回行かなければならない。
面倒だが、夫が引き受けてくれた



ビザも無事取得
ベトナムとカンボジアで使える米ドルへの両替も済み、
だんだん準備が整いつつある