風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

裏磐梯でバースデーを祝う

2017-07-18 | 小さな旅
3泊した裏磐梯のホテルは5階建ての大型ホテル。
最初の夕食はバイキングで、大好きなソフトクリームも、目の前で揚げてくれる天ぷらも、ローストビーフもあるけれど、
とにかくお客さんが多くて落ち着かない。

予約の時から、最終日のディナーはランクアップしてフランス料理をお願いしていたが、
ここは奮発して、2泊目もランクアップして和食コースに変更してもらった。

      

 
前菜から始まって、最後のデザートまで12種の料理

 
特に美味しかったのは、笹の葉に包んで供された太刀魚と野菜の焼物と、ふかヒレ餡の茶碗蒸し。

       
  
3日目はフランス料理
 
こちらのレストランは、味、サービス、眺望、すべて満足のいくもので、
オープンと同時に入ったのでお客も少なくてゆったりと過ごせた。


鱧とアスパラガスの前菜


メイプルサーモン サフランの香りソース


仔牛フィレ肉のグリエ


マカロン、アイスクリーム、シャーベット、フルーツが盛られたデザート

      

 
食事の前に、バーラウンジで一杯。
桧原湖を眺めながら、天井から吊り下げられた椅子に座って、私はカンパリのオレンジジュース割り、夫はウィスキー。

今年のバースデーの旅は雨にたたられてしまったが、こうして元気で誕生日を迎えられたことが有難い。
その感謝を込めて、乾杯

裏磐梯 ≪会津若松≫

2017-07-16 | 小さな旅
雨でも行こうと、ホテルから出発する「雄国沼」行きのアクティビティー・ツアーに申し込んでいた。
が、出発の前夜
「現地までの道路に崩壊の危険があり通行止めになりました」と連絡があった。

今回の第1目的のニッコウキスゲの群落を見られないなんて~
それはないよ~
と、憤っても、所詮相手は自然。
どうしようもない
歩いて行くことも考えたが、相当の距離があるようだし、雨の天候では諦めるしかない。

さて、どうしよう・・・と考えていたら、
ホテルから1日に数回、猪苗代駅までの送迎バスが出ることが分かった
時刻表を調べたら、夕方までにホテル⇔猪苗代⇔会津若松との往復ができ、市内見物も5時間程できそうなので
急遽、会津若松へ予定変更

      


9時過ぎ、会津若松に到着。
駅前には白虎隊の若き剣士の銅像が迎えてくれた。



駅前から出る、30分おきに市内を循環する「ハイカラさん号」バス
一日乗車券は500円



まず訪れたのは「鶴が城」
戊辰戦争でも何とか残った鶴が城だったが、明治にすべて撤去されてしまった。
が、市民の願いが叶い昭和40年に復元されたそうだ。



ボランティアガイドさんにお城の説明をお願いした。
会津若松の方の、お城に対する誇り・愛情をひしひしと感じた1時間。
(30分でお願いした案内だったが、倍の1時間にオーバー・・

      

 
お城ガイドさんから「歴史がお好きなようだから、是非に!」と勧められた武家屋敷
当時の武家屋敷は戊辰戦争のために残っていないので、
郊外に家老屋敷(西郷頼母の屋敷)を復元したとのこと。

中で印象に残ったのは、西郷家老一族が自刃した様子を再現した部屋。
奥方はともかく、小さな子供達まで一緒に・・・
無念と悲しみが伝わってくる・・・
いつの時代も、戦争は悲しみを生むだけだと強い憤りを感じた。

      

次にどうしても行きたかったのは「飯盛山(いいもりやま)」
あの白虎隊が壮絶な死を迎えた場所だ。


飯盛山の入口には左の長い階段と、右のエスカレーターがある。
若い人は階段を上るのだろうが、私達は当然エスカレーターで。


階段状のエスカレーターではなくスロープ状になっているので、脇の手すりをしっかり持って楽々乗車
(確か250円也)


まず最初に、白虎隊19士のお墓に手を合わせる。
戊辰戦争で16~17歳の若い命を散らした悲しい出来事に胸が痛む。
(中には13歳の子もいたとか)


白虎隊が最後に眺めた会津の町。
今では高いビルなどに囲まれて探しにくいが、当時はお城がすぐに目に入るはず。
白虎隊の20人は、この場所から、城下が火に包まれる様をどんな思いで見たのだろう。
(辛うじて1人だけが助かったが亡くなるまで当時のことを話すことはなく、
 その死後に当時の様子を書き残したものが見つかったらしい)


 
飯盛山から下りる途中にあった「さざえ堂」(正面と横からの写真)

江戸時代中期の仏堂で、上り下りが螺旋状になっていて同じところを通らずにすむ珍しい造りになっている。
横から見ると確かに「さざえ」のような巻貝形状で面白い。


急に決めて行った「会津若松」
以前から気になっていた白虎隊の最期の地に立つことも、お墓に手を合わせることもできた。

ニッコウキスゲの群生を見る旅から、会津若松への旅に替わってしまったけれど、
期せずして心に残る旅となった

裏磐梯 ≪五色沼≫

2017-07-13 | 小さな旅
毎年恒例の≪夫のバースデー旅行≫
最近は北海道内で1~2泊の旅行をすることが多かったが、
今年はまだ自宅に留まっている状態なので、少しでも北へ!と東北を選んだ。
7月初旬、新幹線で郡山まで行き、そこからは磐越西線で猪苗代へ、そしてホテルの送迎バスでホテル着。

宿泊は裏磐梯で、その第一の目的はニッコウキスゲの大群落が広がる「雄国沼」(おぐにぬま)
梅雨時期であっても、3泊4日も滞在すれば1日位は晴れの日があるだろうと高をくくっていたら・・・
なんと4日間とも雨ばかり
これほど雨にたたられるとは、無念さを通り越して、もう笑うしかない

  
2日目


雨が降りしきる中を「五色沼探勝路」を歩くことにした。

前日からの雨で道はぬかるんでいるが、
ホテルで長靴を貸してくれたので足元を気にしないで歩ける


青沼
と、この辺りで前方から若い男女のカップルが歩いてきて
「この先100メートル位の所で小熊が目の前を横切りました!」
「親熊が出てきたら恐いので僕たちは引き返します」
と興奮冷めやらずの説明
小熊がいるということは親熊も近くにいる筈だ


そう言えば、歩いてくる途中に「熊注意」の立て看板が何箇所にあったのを思い出した。
さて私達はどうしよう・・・
熊除けの鈴も持ってきていない・・・
と、しばし考えたが、このまま先に進むことを決断
その代わりに声を出して、こちらの存在を熊に知らせながら歩こうと

ある日 森の中 クマさんに出会った~
 花咲く森の道 クマさんに出会った~
出来る限りの大声で、何回も繰り返し 


るり沼
雨が降っても沼の青色が美しいので、晴れていたらどんなにか綺麗なんだろう。
(ここでも大声で歌いながら



赤沼
沼の色は赤ではないが、沼に沈む木や草が赤い。
(ここでも大声で歌いながら

 
アザミの花越しに見える「毘沙門沼」
この辺りに来ると探勝路の道幅も幾分広くなって見通しもよくなったので熊の心配もなさそうと、
(それに何組かのグループとすれちがったので)歌はストップ。
なんとか無事に歩き通せてホッと胸を撫で下ろした



雨も上がって、湖面に映る緑が美しい。


 
毘沙門沼の展望台近くに咲いていた、満開のヤマボウシ
雨に洗われた緑の中で咲く白い花は清々しい。

  

五色沼の毘沙門沼には、2年前の北海道からの帰りに立ち寄ったことがあるが、
その時は紅葉シーズン真っ只中だったので、人も車もとにかく多かった。
が、今回は6月で、しかも平日の雨の日に歩いている人は殆どいない。
(1時間程の間に出会ったのは僅か5組)
つい2年前に来たばかりなのに、季節も、お天気も、歩いた距離も違うので、
まるで初めて来たような新鮮な印象を受けた五色沼だった。

大露天風呂 宝川温泉 (3日目・最終日)

2017-06-26 | 小さな旅
最終日、帰りの新幹線は午後なので、午前中はどこかに行けないか・・と、ホテルスタッフに相談すると
「近くに大露天風呂があり、バスで送迎できます」とのこと。

その温泉は宝川温泉と言いい、毎分1,800リットルを超える湯量。
渓流沿いに露天風呂が点在し、小さなもので50畳、大きいものでは200畳、すべて合わせると470畳もの広さになる。
映画(テルマエ・ロマエ)の舞台にもなったことがある。
などの説明で心が動きはするが、ひとつだけ大きな問題があり、なんと混浴だと
「じゃ、私は無理」と尻込みすると、
「でも、女性はバスタオル巻いてもいいですよ」とのこと。
さんざん迷った挙句、どうせ午前中は何もすることないし、バスタオル巻いていいのなら・・と、
お願いすることにした

                                


宝川温泉の入口には大型バスも通る程の大きくて立派な門があり、まるでお城に入って行くような雰囲気。
知る人ぞ知る未知の世界に入って行くようで、ちょっと緊張。


 
手入れの行きとどいた広い庭園を歩き、渓流(宝川)を眺めながら歩き・・・
あまりに広いのでどちらに行ったらいいか迷っていたら、フラフラと腰にタオルを巻いた裸のおじさんが歩いてきた。
「長いこと入っていると喉が渇いて、水を買いにきたよ」と言いながら、この先の道を教えてくれた。
「そうか・・そんなに長く入るほど気持ちいいんだ・・!」と、期待感が増す



女性専用の「摩耶の湯」には脱衣場があるので、まずそこでバスタオルを巻いて、
一番広いと言う200畳の「子宝の湯」に向かった。
と、5~6人の女性以外に、男性が10人ほどと、カップル一組が入っていた。

お風呂自体は確かに広くて解放感はあるものの、男性がいるとどうも落ち着かない。
そこで、出ようとすると、巻いていたバスタオルがお湯を含んで重くなり、ずり落ちそうになる。
乾いたバスタオルなら誤魔化しもきくが、年老いたオバサンの濡れバスタオル姿なんぞ、濡れネズミのようで見られたものではない。
オバサンに注目する人はいないとは分かっているものの、お風呂から出るに出られなくなった
が、せっかく広い露天風呂にはいっているのに寛げないのでは意味がない。
「エ~イ!」と気合と開き直りで、女性専用の「摩耶の湯」へ逃亡



「摩耶の湯」は150畳の広さがあり、ラッキーなことに私一人きり
横には清流が流れ、上を見上げれば青い空と緑の木々、そして私以外には誰もいない!
その解放感たるや最高
やはりバスタオルを巻いては露天風呂の、この醍醐味は味わえないものだ。

結局、残り2つの露天風呂には入れなかったけれど、
私には混浴は無理だと分かったし、この女性専用風呂で十分 
でも、温泉好きで勇気あるかたはお試しあれ 

                                

お客様の入っているお風呂は写真を写せないので、温泉のHPより写真を拝借
(入浴料1500円)
 


尾瀬ヶ原を歩く (鳩待峠⇒山鼻⇒牛首分岐⇒山鼻⇒鳩待峠)2日目

2017-06-24 | 小さな旅
心配していた雨予報だったが、「晴れ女」のパワーで雨だけは避けられた。
が、あいにくの曇り空
ただ日焼け止めも忘れてしまった身には、ちょうどいいかも

ホテルのバスで、尾瀬の入口「鳩待峠(はとまちとうげ)」には8時15分に到着。


鳩待峠から次の休憩地点の山ノ鼻までは下りで、ガイドブックでは60分のコース
途中にはまだ雪も残っていて、尾瀬は標高が高いことを実感。
 


途中、横浜から修学旅行で来たと言う小学6年生の集団と一緒になった。
大人の集団と違って、先生もいるからか礼儀正しくお行儀もいい。
それに歩くペースが一緒なので、子供同士のクスッと笑ってしまう会話を耳にしながらの楽しい歩き。
小学生の一行は、今晩は尾瀬近くに泊って明日は日光を周って帰るらしい。


 
突然、水芭蕉の群生が!
咲き始めたばかりなのだろうか、背丈も低く、花びらは傷みもない
真っ白で可憐で、純粋無垢な姿は本当に美しい。



山ノ鼻にあるビジターセンター
お花の咲き情報を知りたいと立ち寄ったら、ちょうど登山中に熊を見たという2人連れが立ち寄っていて
大きさや場所の説明をしていた。
尾瀬は人が多いのでと油断しがちだが、ここには熊もいることを忘れては駄目だと改めて感じた。
次に来る時は「熊よけ鈴」を持って来なくては

                                
 
 
さあ、いよいよ尾瀬ヶ原に入る。
燧ケ岳(ひうちがたけ)を正面に見ながら木道を歩く。
(木道は原則的に右側通行となっている)
木道周辺の水芭蕉が何とも清々しい。



木道の途中には休憩所もあり、広い大自然の中で、そよ吹く爽やかな風を感じながら思うのは、
健康だからこそ此処まで来ることができる有難さ。


  
ジグザグ状の池塘沿いに咲く黄色のリュウキンカと、白の水芭蕉が織りなす自然の美しさ!
青空が広がっていれば木道周囲の池塘(沼)に空の青色が映り込んで見事なのだろうが、贅沢は言えない。
曇り空なれど、「来られてよかった」とつくづく思う。

 
エンレイソウやショウジョウバカマ

 
ワタスゲの花(綿毛と違って地味)や、キクサキイチゲ


お花だけでなく、美味しそうなギョウジャニンニクも見つけた!


ずっと先まで行きたいけれど、お昼御飯も食べなければならないし、帰りのバスの時間も気になるので
今回は牛首分岐(うしくびぶんき)で休憩を取った後は、後ろ髪引かれる思いの引き返し

                                


今度は雪渓の残った至仏山(しぶつさん)を眺めながら道を戻る。
せっかく歩くのに同じ道を引き返すなんて・・と思ったけれど、反対方向に歩くと景色がまた違って見えるし、
行く時には気がつかなかった花も見つけられた



山ノ鼻で、ホテルが用意してくれたお弁当を食べたが、
迎えのバスの時刻が気になってノンビリできず気ぜわしい
ここには数件のロッジが建っているので、次回はここに泊って、時間に余裕を持たせる行程にしたいと思った。

                                


山の鼻から鳩待峠へは、殆どが上りとなるので、行きは60分だったが、
戻りは倍の時間を考えておかなければならない。
(通常は90分位らしいが、歩くのが遅い私は余分に30分はかかるはず)
エッチラ・オッチラ、ひたすら上り、歩く

 
木道を踏み外さないよう、水分をとりながら、時間に間に合うよう、ひたすら歩く。


この石畳の階段が見えたら鳩待峠はもうすぐ!


やっと、迎えのバスがくる鳩待峠に到着!
思っていたより早めに戻れたのは曇り空で気温が高くなかったこともあるし、
木道など、広い範囲に管理が行き届いているお陰もあると思う。

今回歩いたのは僅か5時間ちょっとの滞在で、尾瀬のほんの一部を歩いたに過ぎない。
いつか尾瀬の中で2~3泊して、もっと奥まで歩きたいと夢は膨らんでいる

水芭蕉が咲く尾瀬へ 1日目

2017-06-22 | 小さな旅
毎年のように行っていた北海道。
今年も5月初旬から行くつもりで、既に昨年から滞在住宅を予約していたにもかかわらず、突発的な用事が出来て・・・
今も自宅に足止め状態
心は遥か北の大地に飛びつつも、7月末に出発するまで用事に精を出す日々
(ブログ更新が滞っているので心配してくださる方もありますが、お陰さまで元気です

そんな忙しい毎日ながら、この時季になると各地の花便りの声が気になって仕方ない。
ふと目にした新聞記事の「尾瀬の水芭蕉」に心が魅かれた。
中学時代の合唱クラブで歌った
「夏がくれば 思い出すはるかな尾瀬 遠い空」
「水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている水のほとり♪」
の歌詞が頭の中をグルグル・・・

首都圏から日帰りでも行けるという話を聞いて以来、いつでも行けるし・・と思いながらウン十年。
今こそ行っておかなければ!と、ネットで情報収集。
往復新幹線と宿泊ホテルがセットになった2泊3日のチケットを申し込んだ。

今のシーズンは尾瀬近くには車が乗り入れできないので、
宿泊ホテルから出る送迎バスを利用するのが時間にロスがなく便利。
ただ同じ場所への送迎なので、同じコースを途中で戻ってこなければならない。
情報を得るごとに「同じ道を戻るのではなく、更に先に行きたい・・」と欲は出てくるが、
まず最初は尾瀬の一端に触れて、次にまた行けばいいのだと自分に言い聞かせる。

                            

 
宿泊のホテルは連泊で移動はないし、部屋も広いので寛げる。

が、あろうことか携帯電話を持ってくるのを忘れた
更に、化粧ポーチも忘れた
携帯電話はともかく化粧ポーチは、この歳になれば絶対的な必需品。
ホテルの売店にも化粧品は売っていないし、山の中なのでコンビニもない
まあ、知っている人はいないし、「臭いものに蓋」ならぬ「汚いものに蓋」で帽子を深めに被ればいいやと開き直る(しかない)

 
出発する直前に風邪をひいて食欲がない・・と言いながらも、フルーツやソフトクリームだけはいくらでも入る。


自分でハンドル操作してカップに盛るソフトクリームは、ホテルスタッフに「手つきが上手ですね~」と褒められた
大好きなソフトクリームだし、多い時は2度も3度もお替わりするし、上手になるのは当たり前なんだけど  


ホテルには館内の大浴場のほかに、同じ敷地内の駐車場奥に見晴らしのいい露天風呂がある。
到着時間が早いので露天に行ったら入浴客は私一人だけだったのでパチリ

到着の日は快晴
ただ明日の、尾瀬に行く日の天気予報は「雨」
晴れ女の威信をかけて 「あした天気にな~れ」

冬の日本海 ⑤最終 ≪スノーモービル & きりたんぽ≫ 

2017-03-10 | 小さな旅
せっかく雪の多い秋田にきたのだからと、最後の日は雪で遊んだ。
「かんじき」で雪原を歩いたり、スノーモービルを運転したり。


「かんじき」といっても今日使用したのは「西洋かんじき(スノーシュー)」
雪深い所を靴のまま歩くとスポッとはまり込んでしまうが、「かんじき」で歩くとそれがない。
が、通常の歩きと違って結構な筋力がいる。
日頃は全く運動をしないので、このあと、ももの辺りの筋肉痛が数日続いた。

 
スノーモービルは、最初に簡単な講習と練習があり、
その後は距離のあるコースを自分ひとりだけで運転する。
バイクにも乗ったことがない2人だったが、倒れる心配がないので乗りやすい。
冷たい風を頬に受けて自分で走る爽快さにハマりそう


                        

一昨年の秋には大館でも体験したが、今回は日本海側の「きりたんぽ鍋」を教えていただいた。


本当は最初から習う予定だったが、地元の特産品などを買っているうちに時間がなくなって、
講習場所に着いた時には殆ど出来上がった状態だった・・・

「きりたんぽ」に入れるのは、比内地鶏、まいたけ、糸こんにゃく、牛蒡、葱、セリ。


「きりたんぽ」や「だまっこ」を少量を作る時は、魚焼き器や、オーブントースターや、ホットプレートで十分だとか。
今日の「きりたんぽ」は魚焼き器で焼き、「だまっこ」は手で丸めた後にタコ焼き器で表面を焼き固めたそうだ。
(「だまっこ」は丸めただけでもいいが、焼き固めたほうが煮崩れしにくいとの説明)


ここの特徴は、セリの根もいれること。
私は今まで根は捨てていたけれど、食べてみるとシャキシャキして美味しかった。
(食べるのに夢中で出来上がり写真は忘れてしまった)

ただ残念だったのが「何杯お代わりしてもいいよ」と言ってくれたのに・・・
今まで食べた「きりたんぽ鍋」の中で一番美味しかったのに・・・
私はお腹の調子が悪くて1杯しか食べられなかったこと。
今でも思い出しては「ああ・・・」とため息・・・

                        

今回の旅では食べ過ぎで、ずーっと胃腸薬を飲みながらだった。
まず、最初の駅弁から始まり、ホテルの食事も多すぎた。
ホテルの予約をする時に、「せっかく行くのだから地元の美味しいものを」と、
お料理満載のプランを頼んでしまったことも原因のひとつ。
特に鰺ヶ沢のホテルでは食べても食べても次が出てきて、私達には多すぎた。
どうしてあんなに沢山出すのだろう・・・
それを頼んだのは私だし、更にそれを食べ過ぎたのも私だが 

それでなくても旅をしていると体調を崩しやすいのだから、食事は少なめにしなければ。
と言うのが、今回の反省事項。
ゆめゆめ忘れることのないように 

冬の日本海 ④ ≪五能線で森岳まで南下≫ 

2017-03-08 | 小さな旅

宿の車で鰺ヶ沢駅まで送ってもらって、今日は日本海を南下して森岳を目指す。
週末だからだろうか、今日の乗客は前日より少し多め。


途中、無人駅の「千畳敷」で15分の停車時間があり、乗客たちが降り出した。
駅の向こうに見える名勝「千畳敷」を目指しているのだ。
雪が積もっているし、ホームも道路も滑るし、時間にも余裕はないし・・・と躊躇していたが、
「二度と来れないかも・・」と、私も飛び降りた。


200年ほど前の地震で隆起し、当時のお殿様が千畳の畳を敷かせ大宴会を開いたとされることから
「千畳敷」と呼ばれるようになったとか。

 
若い人たちはずっと先まで行って楽しんでいたが、
年配者は発車時間までに戻ることを考えると遠くにまで行けない 

15分後に、電車はポーーッと警笛を鳴らして「お隣の方はお揃いでしょうか?」の放送後に発車。
通常の電車ながら、まるでアトラクション電車のようなノンビリ感と細やかなサービスが嬉しい。

 
日本海の海岸線は変化があって、いくら見てても飽きることがない。

この五能線沿線には、日本海に沈む夕陽を眺めながらの露天風呂がある不老ふ死温泉もあるし、
ブナ林の中に湖が点在し、その中にはエメラルドグリーンに光る青池もある。
雪に包まれた荒々しい海岸や、人の気配もない荒涼とした眺めの冬も良かったが、
今度は季節を変えて、又ゆっくりと来てみたい・・・




冬の日本海 ③ ≪五能線 「リゾートしらかみ」で北上≫ 

2017-03-06 | 小さな旅
以前から五能線を「リゾートしらかみ」に乗る旅をしたいと思い、一度は計画は立てたことはあったが、
実現しないままに終わってしまった。
ということで、今回の目的の一つは五能線に乗ること。


秋田駅から特別列車「リゾートしらかみ」に乗って青森方面に向かって北上。
この「リゾートしらかみ」は「橅」「青池」「くまげら」の3列車が走っており、今回は「青池」に乗車。


眺めのいい海側の席を取りたくて、秋田に行くことが決まって直ぐに予約したが、
実際に乗ってみると席車内はガラガラ状態。
季節は冬で、こんな寒い時に訪れる人はあまりいないのかもしれないが、
人気列車と思っていたので、ちょっと拍子抜け。



私達が乗った隣の車両はボックス席になっていて、ここは更に窓が大きいので外の景色がよく見える。
知らない人と向かい合うことになるので避けたのだが、今日は車両全部が空き状態。
車掌さんに許可を得て、私はここに移動。
独りゆったりと景色を楽しんだ。

 
途中駅で他の乗客が全て降りて、先頭車両には夫一人になった。
先頭の運転席の後ろにある展望席を独り占めして、パノラマ景色を楽しんでいた。
私もボックス席に座ったり、ここからの景色を楽しんだり、存分に楽しませてもらった

因みに、この「リゾートしらかみ」の料金は、乗車券にプラス540円だけという安さ
ただ冬とは言え、こんなに少ない乗客では、いずれ廃止ってことにならなければいいけれど・・・

                        


今晩の宿は、前後に海と津軽富士・岩木山を望む眺めのいいホテルで、
津軽三味線の演奏を鑑賞できるということで決めた。


一番前に陣取って、演奏に酔いしれる。
ジャジャンという津軽三味線の響き、伸びのある声、
やはり生の演奏は体にも心にも響いて感動!


と、演奏者からお呼びが掛かって、隣で太鼓を叩くようにとの指示が
ドンドンドコドンと単純なリズムで難しいことはないが、
広いラウンジに集まったお客さんの前では、ちょっと恥ずかしい
でもまあ「旅の恥はかき捨て」と開き直って、ドンドコと愉しんだ津軽の宿だった

冬の日本海 ② ≪秋田の歴史を辿る≫ 

2017-03-04 | 小さな旅
秋田に着いた時には、北国としては拍子抜けするほど雪は少ない状態だったのに、
その日の夕方から雪が降り出して、翌朝起きると結構な積雪
朝食を済ませ、8時半にホテルを出て「佐竹史料館」へ。


常陸から国替えになった佐竹氏が築城した久保田城は、
今は「千秋公園」として市民の憩いの場所となっている。
春は桜、秋は紅葉が美しいらしいが、あいにく今日は雪で、しかも平日の朝なので人は皆無。

 
城跡・公園内には「表門」や「御隅櫓」などの見どころがあるようだが、
今日は足元が悪いし距離がありそうなので残念ながらパス。
滑らないように一歩一歩に神経を使って歩き、「佐竹史料館」だけを目指す。


佐竹氏の家紋(五本骨扇に月丸)が入った、当時の資料が展示されている。
佐竹氏は源氏の流れをくむ名門大名であったが、関ヶ原の合戦のあと国替えされて秋田に移った。

いろいろ質問していると「では説明できる者を呼びます」と、中から職員のかたを連れてきてくれた。
佐竹氏の家紋の由来とか、この久保田城に天守閣を造らなかった事情など・・・
こんな丁寧な説明をしてくれるのも、雪と早朝で私達の他に入場者がいなかったからだろう。
早起きは三文の徳 
ありがとう

                        

  
「旧金子家住宅」
江戸時代後期の建築様式を残した町屋で、なかでも同じ屋内(台所の横)にある土蔵が大きくて立派。
昭和57年まで商いをしていたそうだ。

                        

 
民俗芸能伝承館・ねぶり流し館
竿燈祭りや曳山祭りなど、秋田の民俗芸能を資料や映像で紹介している。


竿燈体験もしてみたが、バランスをとるのが難しい。
体験したのは子供用の小さな竿燈で、大人用はもっと大きい。
それを地元の人達は、腰に乗せたり額に乗せたりするのだから驚くばかり。
テレビで何気なく観ていたが、何でも実際にやってみなければその大変さが分からないものだ。

冬の日本海 ① ≪感動の美術館≫ 

2017-03-02 | 小さな旅
2月中旬
4泊5日で秋田と青森への旅。

東京駅から「こまち」に乗って秋田に向かう。
最近の旅行は飛行機ばかりで、新幹線に乗るのは久しぶり。
そして長時間の電車旅の愉しみは・・・お弁当。


数多いお弁当の中から選んだのは、
写真上から夫の「ウニ・イクラ・カニの三色丼」と、私の「キンメ鯛・アナゴ・鮭の三色丼」
量の多さは一目瞭然、私のほうが断然多い。
多いのでご飯だけでも残せばよかったのに、美味しいものだからつい完食。
その後もずっとお腹がいっぱいの状況が続いて、楽しみにしていた夕食が食べられない。
デパ地下で軽いものを買ってきてホテルの部屋で済ませることに 
ちょっと侘しい、そして食べ過ぎたことを後悔・・・

                        

「冬の秋田に行こうかな・・・」と思ってネットで調べていると、
秋田県立美術館に藤田嗣治の作品が数多くあるということを知った。
これは是非!!と、まず最初に出掛けた。


エントランスホールの螺旋階段
安藤忠雄の設計だそうで、なんとも美しい・・・と眺めていたら、柱がないのに気がついた。
もちろん壁からの支えもないので階段のカーブの美しさが際立っているし、広々として解放感がある。
「凄いな」と思いつつ2階に上がって行くと・・・
そこにも素晴らしい空間が!!


横に長ーーい窓からは、雪に包まれた公園が眺められ、まるで一幅のモノクロ絵画のよう。
ここは館内のコーヒーラウンジ。
人も少ないし(この時は誰もいなかった)なんとも贅沢空間。

それに美術館の中も素晴らしかった!
撮影禁止なので写真はないが、広い壁全面に展示されたフジタの壁画は圧巻だった。

秋田の資産家・平野政吉と造る藤田嗣治美術館に飾る目的で描かれた壁画は、
縦3m65cm、横20m50cmもの大きさで、平野家の米蔵で15日間で描き上げたそうだ。
(残念ながら戦争が始まった為に美術館建設は中止になってしまった)

壁画は昭和12年当時の秋田の日常やお祭りの様子が活き活きと描かれていて、
2階では絵を目の当たりに鑑賞でき、3階からはちょっと高い視点から全体を観賞できる。
他にも平野政吉が生涯をかけて収集したフジタの作品が展示されていたが、
特に観たかった絵は展示していなかったので、それだけが残念 

                        


国指定重要文化財の「旧秋田銀行 本店本館」
建設は明治末期で、現在は「赤れんが郷土館」となっている。

 
貴賓室や頭取室の暖炉も豪華!

それと、この別棟3階の「勝平得之(かつひらとくし)記念館」の木版画も素晴らしかった。
ここも写真はないが、秋田の自然や日常生活を独特の作風で版画にしている。
今日は、見応えのある二つの美術館でいい時間を過ごせた

熊本・天草 最終4日目≪イルカウォッチング・世界遺産の三角西港≫

2017-02-14 | 小さな旅
最終4日目

天草から帰る日の午前中はイルカウォッチングへ。
天草の海はイルカのえさとなる小魚が豊富なことや、
漁業で網を使わないことから多くのイルカが生息しているらしい。

イルカに出会える確率は相当高いと聞きながらも、やはり実際に見るまではちょっと心配・・
と、別の船から連絡があって「たくさん現れているよ」とのこと

 
いるいる
すごい数
少なくとも100頭以上はいるようだ。


船の底を通って、右に左にと船にじゃれつく。
「餌づけでもしてるの?」と思わず訊いたら
「そんなことする必要がないくらい、ここはイルカの好む魚が豊富なんです」とスタッフが笑った。
そして、「ここには100頭の群れと200頭の群れがいるので、多い時は両方の群れが現れる時もありますよ」とも!!

船上のお客さん(私達を入れて5人と少なかった)は、イルカの動きに合わせて
船の中を右に行ったり左に行ったり大興奮。
今までイルカは結構見てはいるけれど、こんな沢山の群れを間近で観るのは初めて。
波も静かで船酔いもなく、大満足のイルカウォッチングだった

                        

世界遺産 三角西港
2~3年前に「明治日本の産業革命遺産」として登録されたうちの一つ「三角西港(みすみにしこう)」
実はココに来るまで、三角西港が世界遺産に登録されているとは知らなかった が、
石炭の輸出港として近代日本を支える役目を果たしたということだ。

 
天草の石工たちが施工した埠頭はいまも原形のまま残り、かつての海運倉庫は喫茶店として利用されている。

 
当時の主だった建造物も復元されて、往時の繁栄した街の様子がわかる。

                        

空港で美味しいもの

ガイドブックで知って以来、気になっていたソフトクリーム
熊本の銘菓「陣太鼓」のお店で販売しているが、熊本の中でも限られた場所でしか食べることが出来ない。
空港のお店で食べられることをチェックしていたので、空港に着いてすぐにお店へ。

寒いし、まず一つ買って2人で食べてみると
「美味しい!」
「もう一つ食べようか!」と、2人の意見が一致。
ソフトクリームの中に小豆と求肥(陣太鼓のお菓子)が入って絶妙な甘さ


今回の旅はお天気に恵まれ、美味しいものも沢山食べることもでき、宿も二重丸◎
充実した旅を無事に終えられたことを感謝しつつ、熊本の復興を願いながら帰途についた。

熊本・天草 3日目≪天草四郎を辿る・ピザ作り≫

2017-02-12 | 小さな旅
3日目

天草に来たからには「天草四郎の足跡などを辿りたいなぁ」と言うことで、
上天草は大矢野町にある「天草四郎メモリアルホール」へ。


建物が凝ったデザインで立派なので、期待いっぱいで入館した。
が、中身はちょっと期待はずれな部分も・・・

館内は撮影禁止なので写真は写せないし、キリスト教関連の説明が多くて、
肝心の天草四郎に関する資料が少ない。

館内のスタッフに「もっと知りたいこともあるので、他に詳しい史料のあるところは?」と尋ねると
「天草四郎については詳しいことが分かっていない」と。
確かに、若干16歳にして「自由と平等」を求めて蜂起した民衆達の「総大将」となり、
数ヵ月後には3万7千人全員が皆殺しになったのだから、詳しい証言などは残っていないのだろう。

今も「美少年だった」とか、「天草四郎は2人いた」とか、「伝説上の人物だ」などと謎が多いが、
両親の名前や出身地も分かっているという。
天草に行きながらも、私の中では「???」が解けないままの天草四郎だった。

                        

ランチはイタリアンレストランで、ピザ作り体験も兼ねて。


「好みの具を乗せてください」とのことだったので、
好きなチーズは多めに、美味しいベーコンも沢山、野菜も、ハムも・・と、乗せているうちに山盛りになった。
窯で焼いてくれたシェフが「具が多すぎて火が通りにくい」と、
上からバーナーで焼いたりして苦労しているみたいで・・・
欲張ってスミマセン

私が家で作るピザと違うのは、具を乗せた最後にオリーブオイルをかけること。
シェフの説明では、「そうすることでそれぞれの味がなじむ」ということだ。
そして、そのあとにパルミジャーノ・レッジャーノを削りかけた。


ピザの他に、パスタとサラダとパンもあり、
さすがの私もお腹がいっぱいでサラダとパンは食べられなかった。

                        


天草の島をつなぐ「天草五橋」の1号橋に並行して、新1号橋が建設中。
夫のたっての希望で近くまで行ってみた。
こうして結構な近さで建設途中の橋を眺められるのも、そうあることではない。
「近代の技術は凄いものなんだなあ」と感動しながら眺めた。

                        

 
宿には大浴場のほかに、貸し切りに出来る露天風呂が3つある。
寒い季節の温泉は、つい長湯になってしまう
海を眺めながら一人きりで入る露天風呂に満足

熊本・天草 2日目≪A列車に乗って天草へ≫

2017-02-10 | 小さな旅
2日目

 
熊本から天草に向かうために、熊本から三角まで特別列車・A列車に乗った。

 
 
天草に伝来した南蛮文化をテーマにした車内は、落ち着いた木部やステンドグラスを駆使し、
BGMにジャズを流し、何とも優雅な気分にさせてくれる。


三角から天草・松島まではジェット船で20分で到着

                        


ランチは4号橋のそばにある食堂で、海を眺めながら頂く。
食後にこの砂浜を散策したが、青く澄んだ海にボートがプカプカ
春のような暖かい日差しの中、波打ち際に立っていると時間を忘れそう
夏にまた来たいな

  
夫は天草の地鶏「天草大王」の親子丼 私は海鮮丼(どちらも1500円位)
海鮮丼も美味しかったけれど、天草大王の親子丼(夫の分を少し味見)が私好みの味でとても美味しかった!

                         


旅館のご主人がタイから輸入したというトゥクトゥクで、夕焼けの綺麗な高舞登山(たかぶとやま)に連れて行って下さった。
このトゥクトゥクは日本で2台しかなく、1ヶ月前に購入したばかりの新車。
小さく見えるが、運転手を入れて7人も乗れる。
ビニール製の幌の囲いがあるので寒さも感じなく、景色がよく見えるのがいい


夕焼けの茜色に染まる天草の海
急な依頼にもかかわらず気持ちよくトゥクトゥクで連れてきてくれたことに感謝し、
しばし天草の島々の美しさに酔いしれた。

                        

この宿の夕食の豪華さ、美味しさに感動!
 
でっかいワタリガニが1人1杯!
おまけに身を取りだすのが苦手な夫の為に、仲居さんが付きっきりでカニもエビも剥いてくれた。
その後もサラダ、汁物、茶碗蒸し、蒸し物、蟹グラタン、鯛の煮付け、カレイの揚げ物と続き、そのどれもが美味しい

 
お腹いっぱいなので、ご飯はパスしようと思っていたら、仲居さんが「皆さんに評判のいいカニ雑炊です」と、
それに「女将が作ったデザートもあります」と

私の別腹は相当大きいらしい。
カニ雑炊もデザートも全部お腹に収めた。
が、く・る・し・い

熊本・天草へ 1日目

2017-02-08 | 小さな旅
2月初旬
早朝5時45分にタクシー予約。
羽田を8時過ぎに出発し、熊本に向かう。
熊本・天草への旅は、お天気に恵まれた4日間だった。

                            
1日目
熊本空港からリムジンに乗って、熊本市街には11時頃に到着。
ホテルに荷物を預けて、すぐに予約しておいた馬刺し店に直行


ランチメニューの中で馬刺しが一番多いという「馬刺し定食」を注文(2800円)
ヒレやタテガミなどの珍しい刺身が5種と、馬肉と野菜の煮物などのセット。
馬刺しの中では、ヒレが柔らかくて私好みで、タテガミも不思議な食感。
昼間なのでアルコールなしだったのがちょっと残念。

                            
熊本城
まず、熊本城の全貌を見たいと、お城を見渡せる市役所14階の展望室へ行った。


最初に目に入ったのは、一本の隅石で辛うじて倒壊を免れた飯田丸五階櫓の痛々しい姿。
(現在は鉄骨の仮受構台で支えられている)

それに、市役所展望室の大部分が被災届けの受付所になっていて、順番待ちの人たちの列が出来ていることも、
まだまだ地震被災の状態から抜け出せていない熊本の姿を見た気がした。

その後はいよいよ城内へ・・・と思いきや、その殆どへは立ち入り禁止
8年ほど前に復元完成したばかりの本丸御殿大広間(西南戦争で焼失されていた)だけは大丈夫だろうと思っていたけれど、
それも被災して見学出来ず。
近くにある旧細川刑部邸も見学不可能・・・
ふっこう割引きも終わった今、観光に来ている日本人は少なく、
春節も重なって、その多くは外国人ばかりのようで・・・

 
二の丸駐車場からの熊本城入口も閉鎖されていて、その先には石垣が崩れて悲惨な情景が・・・

 
どこに行っても、立ち入り禁止の先には崩壊した石垣や建造物が・・・


大天守と小天守は、屋根瓦も鯱鉾も崩れ落ちた無残な姿だが、
案内してくれたガイドさんの話では、
「石積みの部分は崩れているが天守閣自体は2年後くらい先には修復できるので見学可能になるだろう」とのこと。
崩壊の大きさを目の当たりにしてショックを受けていたが、少し先に希望の明かりが見えた気がした。

が、全体の修復は20年も30年も先になるとか・・・
その話を聞いた時、夫と思わず顔を見合わせ
「その頃は私達、生きていないよね」と、同じことを呟いた。

                        
    

五高の英語教授として熊本に住んだ夏目漱石の旧居
ここも地震被害のために見学不可能で、庭先から観るだけ。  


同じく五高の教授だった小泉八雲の旧居
ここは、見学時間を僅か5分過ぎていたために見学出来ず・・・
因みに、今までここを3回訪ねたのに、時間外だったり休館日だったりで入館出来ずじまい。
よほど私、縁がないらしい・・・

                            


熊本名物の太平燕(タイピーエン)
具沢山ちゃんぽんのようだが、麺ではなく春雨が入っている。
ランチを食べ過ぎて夕食時にお腹が空かないので、これで十分だった。