風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

遍路を包んでくれる温かさ

2011-11-30 | 四国遍路 (2011)

何カ所かの札所で一緒になった可愛い遍路犬。
人間と同じ白衣を着て、読経の間も飼い主のそばでじっと「おすわり」で待っている。

このワンちゃんを見た人は、お互いに「可愛いねえ」と笑顔に変わっていく。
なんとも心和ませてくれる遍路犬。

                           

最近の遍路は、昔と違って悲壮感はなくなったと言う。
「目的探し」「自分を変えるため」などのために歩く若い人が増えたらしいが、
乗り物利用ではなく歩き通すには、相当の覚悟と意志と努力が必要だろう。

遍路一人ひとりが抱えている想いは、はたから見るだけではない解らない何かがあるのだろう。
遍路したからと言って、すぐに大きな変化はないかもしれないが、
その想いを抱えて歩いている自分を自覚するだけでも、少しの進歩があるのかもしれない。

遍路同士には、お互いに深い部分には触れないという暗黙の心遣いが流れていて
お互いに挨拶する笑顔が優しく感じる。
こういう温かさが心に沁み、くじけそうになった時に力となり、背中を押してくれるのかもしれない。

温かさと言えば、途中で頂くお接待にも、力を頂いた。


清滝寺への歩き遍路を終え、駐車場に戻ってきた私に、
売店の奥さんがコンペイトウを「お接待」と差し入れてくれた。

小さな袋のコンペイトウだけれど、大きな「感謝」の気持ちで一杯になった。
ありがとう

石段を一歩ずつ、人生も一歩ずつ

2011-11-26 | 四国遍路 (2011)

36番札所「青龍寺」

車遍路といえども、どこの札所も本堂のそばまで車で行けることは稀で、
駐車場から結構な距離を歩く場合が多い。
特に石段が多く、左膝の痛みを抱えている私にとっては辛い道のり。
(幸い今回は、強い痛みは出なかったけれど)



初日の最後に打った10番札所「切幡寺」の333段の石段もきつかった。



歩き遍路で行った高知の25・26番札所「津照寺」と「金剛頂寺」の石段もきつかったけれど、
同じく歩き遍路で行った35番札所「清滝寺」も大変だった。



納経所が閉まる3分前に駆けのぼった41番札所「龍光寺」の長い石段も苦しかった。
心臓がパクパクと口から飛び出しそうな感覚を、久し振りに味わった。



愛媛・久万高原にある45番札所「岩屋寺」の250段の石段もきつかった。



だが何と言っても、香川にある71番札所「弥谷寺」(いやだにじ)の、
555段(駐車場からの階段も足して)の石段には相当堪えた。


その「弥谷寺」の中盤に現れる、この108段と言われる急階段。
途中で何度休んだかは・・・秘密。


今回は「苦しい」「辛い」「きつい」と嘆きながらも、よく歩きよく上ったものだが、
毎日のように石段を上っているうちに、私なりのコツを見つけた。
それは、階段の先を見ては駄目。
足元を見て、一段一段と上って行くのだ。

はるか先を見ると、あまりの距離に気持ちが萎えてしまって力が抜けてしまう。
一歩一歩、自分の足元だけを見つめて足を運んでいるうちに、何とか上って行けることを掴んだ。
そして、これは人が生きることにもつながるのではないかと思った。

生きるのが苦しい時は、とにかく今日を生きる。
先を見ては気持ちが萎える。

今日を何とか生きる。
そしてまた明日、一日を何とか生きる。
そうしているうちに、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、1年が過ぎ、
それを繰り返していくうちに、やがて数年が過ぎてくれる。

階段を上がる自分の足元を見ながら、そんなことを考えた。

納経所でのご縁

2011-11-23 | 四国遍路 (2011)


参拝を済ませた最後に納経帳に墨書きと朱印をいただくのだが、
この納経所も、お寺によって本当にいろいろ・・・

納経帳に朱印を押して貰わなくても、納経したと言う事実だけでもいいとは思うものの、
やはり、その証を残しておきたいと思うのが万人の常か、
ほとんどの人が納経所を訪れているようだ。

この納経所が空いている時はいいが、団体さんと重なった時には自分の順番が来るまでじっと我慢で待つしかない。
「待つのも修業・・」と言い聞かせつつ。

で、因みにこの納経帳の代金は300円。
夫婦で一冊ずつお願いすると600円。
これに駐車場料金などを払っていると、1000円近くになってしまう。
これが88ヶ所+高野山となると・・・
う~ん、決して侮れない金額ではある。

その納経所で、驚きと憤りを経験したことがある。
何処とは言わないが、ある足摺岬の立派な札所でのこと。
中年の女性が、何とガムを噛みながら墨書きをし朱印を押してくれたのだ。

傍からみると、この行為は特に咎めることではない些細な事かもしれないが、
遍路する身にとっては、許しがたい行為として映った。
何度「戻って一言言おうか・・」と足を止めたかしれないが、
「意見して解る相手なら、最初からあんなことはしない」と、ぐっと我慢した。

それから数日後、愛媛の札所の納経所でこの話をしたら、
「それは、悪いお手本を見せてもらったと感謝すればいいのですよ」との言葉。
そう!確かに。その通り。
この言葉でいっぺんに私の心は雪解けに。
人の言葉も態度も見方を変えるだけで違ったものになり、場合によっては自分の心の糧になる。
有難いことなのかもしれない。

更に、私に納得の言葉を下さったご住職(かな?)は、
私の納経帳に名前が書いていないのを見て、名前まで書いてくださった。
「つい前だったら団体さんが続いて、こんな話も出来なかったはず」
「こうしてゆっくり話せるのも、ご縁ですよ」と。

確かに、ご縁かもしれない。
ほんの数分違いで、こうしてゆっくり話せたことも、
数日前の心のつかえが私の口からポロリと出たことも。

私の憤りの気持ちが感謝に変わった、この出会いに心からの感謝。


高知の札所でよく見かけた、黄色の彼岸花

弘法大師の悟りの場所 《御厨人窟(みくろど)》

2011-11-19 | 四国遍路 (2011)
青年だった弘法大師が修業を積み、初めて悟りを開いたのが室戸岬だそうだ。
その悟りの場所《御厨人窟》(みくろど)には、是非行ってみたいと思っていたので、
近くの札所《最御崎寺》に行った折、ちょっと寄り道。



洞窟は2つあって、向かって左は生活の場、右が修業を積んだ場所。
そのどちらも、入った途端にひんやりとした独特の空気が流れている。

弘法大師が修業を積んでいたある夜、空に輝く明けの明星が自らの口に入るという神秘体験をし、
それが仏と一体になり悟りを開くことにつながったらしい。


そして、その洞窟から外を見た光景。
この洞窟から見た空と海から、のちに「空海」の名を得たとか。




弘法大師と深い繋がりのある最御崎寺(ほつみさきじ)には不思議な石《鐘石》がある。
窪みに乗っている石で岩を叩くと、カーンと鐘のような澄んだ音がする。
そして、その響きは冥土まで届くとも言われているそうだ。

迷信だと思いながらも、私も石を叩きながら、
「戻ってこーい」の声をかけてみる。
が・・・

札所めぐりの楽しみ

2011-11-16 | 四国遍路 (2011)
遍路でまわっていると、同じ四国の札所でありながら、
お寺規模、お寺側の姿勢(心遣い)に大きな違いのあることを感じる。


                           

境内の広さも、本当にそれぞれ。

 
左のようにこじんまりした札所もあれば、右の香園寺(こうおんじ)のように鉄筋コンクリート造りの札所も。

私の好きなのは、無料駐車場完備で、こじんまりして、手入れの行き届いたお寺。
それに分かりやすい案内看板があると「言うこと無し」なんだけれど。
コレ、ありそうで、なかなか無い


                           

仁王門も、その門に立つ金剛力士像も、札所によって本当にそれぞれ。


弘法大師が生まれた地に建つ75番札所《善通寺》の仁王門


 
67番札所《大興寺》(だいこうじ)の仁王門にある金剛力士像は、あの運慶作!


 
42番札所《佛木寺》(ぶつもくじ)は、真新しい仁王門と金剛力士像が迎えてくれた。
力士像が身にまとった布の色と模様が何とも綺麗!


                           


札所の境内に、地元の農家さんが出している小さな販売所を見るのも楽しみのひとつ。

 
この時季、私の大好きなイチジクが各地の販売所で売られていて何度買ったかしれない。
それにしても新鮮で安くて、美味しかった!

                           

そして、これは改善して欲しいことだが、
お寺によっては本堂・大師堂・納経所への案内がなく(あっても見つけにくい場所に)
境内の中をウロウロと探し回ることもある。

なかには、昼休みには納経所の窓口を閉めてしまい、
知らずにこの時間に行ってしまった場合には一時間も足止めを余儀なくされる。
こういうことは、少しの思いやりがあれば改善できることだと思うけれど、どうだろうか。

太龍寺へのロープウェイが出来るまで

2011-11-12 | 四国遍路 (2011)
四国遍路札所には、市街地にある場合もあれば、遥か山の上にあることもある。
一概に「山の上」といっても、その多くが細い曲がりくねった道を通らなければならないし、
中には、その距離や危険を考えると尻込みしてしまう場所に建つ札所も数か所。

そういうお寺に楽して簡単に行ける方法として、ロープウェイで行けるお寺が2ケ所(太龍寺、雲辺寺)
ケーブルカーで行けるお寺が1ヶ所(八栗寺)あり、
まず遍路3日目に、太龍寺へ行くために、そのロープウェイに乗った。



101人乗りという大きなゴンドラは、川を越え、山を越え、
一気に海抜600メートルにあるお寺まで運んでくれる。
その距離は全長3キロ程で、現在では西日本最長の距離を誇っているようだ。




目指した「太龍寺」なのに、今年の台風で杉の木が倒れて本堂に直撃してしまい、
現在は修復中で、参拝は本堂に向かう階段の下でしなければならない。

ロープウェイで山の上まで連れて行ってくれることを有難いと思うべきだろうが、
「高い料金払ってはるばる来たのに、本堂で参拝も出来ないなんて」と、
不満ブツブツと下りのロープウェイ乗り場まで来た。
そして、その改札口の横に貼られた新聞記事の切り抜きを見つけた。
このロープウェイを建設した会社の会長さんの話だ。



記事を抜粋
【ロープウェーを建設】太龍寺に強い思い入れ 四国ケーブル会長

1972年に21歳だった長男を交通事故で亡くした。
それから仏教に関心を持つようになり、札所めぐりも始めた。
太龍寺から平等寺まで歩いていた夏のある日、暑さでくじけそうになった赤川さんに、
すれ違った中学生が「お遍路さん、ご苦労さん」と声を掛けた。
思いがけない励ましに急に体が軽くなり「息子に再会できた」という思いが込み上げた。
その場にひざをつき号泣したという。
その時から太龍寺への思い入れが強くなり、ロープウェイ建設につながっていく。


その記事を読んだ途端、私も泣いた。

悲しみを抱えた人は、いつもは自分の気持ちを奥にしまい込んでいるけれど、
それは決して、その悲しみが薄れたのではなく、忘れてもいない。
ただ、そうしなければ生きていけないから。

でも、その思いは一つのきっかけで、堰を切ったように溢れてくること。
それは自分でも押さえきれなくなることを、私は知っている。

この小さな切り抜きを見つけたことで、私にとっても忘れられない21番札所「太龍寺」となった。

遍路参拝の作法

2011-11-09 | 四国遍路 (2011)

左は「納札」(おさめふだ)
右は「経本」(きょうほん)

「納札」は、願い事、参拝をした日付、住所、名前、年齢を書いて、本堂と大師堂に納めたり、
お接待を受けた時に使ったりする。

私が写経して持って行った枚数は92枚。
本堂と大師堂の両方に納めるには枚数が足りないので、
写経は本堂のみに納めて、大師堂には納札を使うことにした。

「経本」は、般若心経やご真言などが書かれたもので、
お経を暗記した場合でも、この経本を開いて読むことが作法となっている。


                              

昔は、巡拝した証に、木や金属で出来た札を霊場の柱などに打ちつけていたことから、
霊場を「札所」(ふだしょ)と、また霊場を巡ることを「打つ」と呼ぶようになったと言う。

札所の巡拝の順序は

 ①まず、山門や仁王門の前で一礼して境内に入る。
 ②手水場で、手と口をすすいで清める。
 ③鐘をつく(参拝後につくのは「戻り鐘」といって縁起が悪い)
 ④ローソク、線香を立てる(貰い火はやめて必ず自分の火で点ける)
 ⑤写経または納札を納め、お賽銭をあげる。
 ⑥本堂で読経
 ⑦大師堂でも本堂と同じく、ローソク、線香、写経または納札、お賽銭、読経を繰り返す。
 ⑧納経帳に墨書きと朱印をいただく。
 ⑨門の前で一礼



                           

読経の作法もあり、人によっては般若心経だけに省略することもあるそうだが、
「最初で最後かも・・」との思いがある私は、
悔いのないように本堂でも大師堂でも、なるべく正式に沿うようにお唱え。

 ①合掌礼拝(がっしょうらいはい)
 ②開経偈(かいきょうげ)
 ③懺悔文(ざんげのもん)
 ④三帰(さんき)
 ⑤三竟(さんきょう)
 ⑥十善戒(じゅうぜんかい)
 ⑦発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん)
 ⑧三摩耶戒真言(さんまやかいしんごん)
 ⑨般若心経(はんにゃしんぎょう)
 ⑩御本尊真言(ごほんぞんしんごん)
 ⑪光明真言(こうみょうしんごん)
 ⑫大師宝号(だいしほうごう)
 ⑬回向文(えこうもん)
 ⑭合掌一礼



                           

こうして書き出すと、とても面倒な作法のようだけれど、
遍路を始めて2~3日もすると、慣れてくるものだ。


ただ毎回使う遍路用品が、数珠、ローソク、線香、ライター、写経用紙、納札、お賽銭、納経帳と、結構かさばる。
特に私の納経帳は御影帳(みえちょう・納経所で頂ける御本尊の御影を入れるもの)も一緒になっている大型なので
リュックサックに入れての参拝になり、一見歩き遍路のような格好。
実際「歩きですか?」と声を掛けられることもあり、その度に「いいえ・・」と恐縮

初日に話しかけられた歩き遍路さん2人。
1人は霊山寺で、歩き遍路で結願のお礼参りを済ませた中年男性。
台風で1日休んでしまったものの42日間で回ったとのこと。
柔和な表情の中に、やり遂げた達成感と自信がみなぎっていた。




そして、もう1人は切幡寺の長い階段を駆け降りてきた若い女性。
「これで結願なんです!」と、はじけるような笑顔。
この女性も
「台風で1日休んじゃいましたけど、44日で」と。
そして、また長い坂を「民宿の車が迎えに来てくれるので」と駆け降りていった。

その後ろ姿に「お疲れ様」「ガンバレ」のエールを送る。
若いっていいな。

遍路 スタート

2011-11-05 | 四国遍路 (2011)
歯の痛みから解放され遍路旅の疲れも徐々にとれ、やっと通常の生活に戻れるようになってきた。

体力もさることながら記憶力の衰えも感じる昨今。
やはり今回行っておいてよかったかも・・・と、写真を見ながら記憶をたどっている。


                           
  



10月初旬
東名高速道⇒神戸淡路鳴門自動車道を通って四国に入る。

淡路島には会いたい友人もいるけど、今回はスルー。
鳴門大橋の下の大きな《うず潮》を近くから見たいけれど、今回はスルー。
徳島には大塚国際美術館があるけれど、それも今回はスルー。
ひたすら一番札所を目指して車を走らせる。


遍路の出発点、一番札所《霊山寺》りょうぜんじ

駐車場で真新しい白衣(びゃくえ)に袖を通し、遍路用品を持って本堂に向かい、
緊張と気恥ずかしさのなか、たどたどしい般若心経でスタート。

霊山寺の本堂前では、私達のように初遍路でまごついている人への案内人がいて
「写経を納めたら、納札を入れる必要はありませんよ」
「納経所に行くのは読経を終えてからです」などと説明してくれた。
霊山寺で参拝する遍路人の多くが初めてだろうから、こういう人がいてくれるのは有難い。
(最後に又この霊山寺を訪れた時には、この案内人はいなかったので、たまたま居てくれたのかな?)

                           

そして初日の宿泊は、これも初めての体験である宿坊で。


宿坊の夕食
ビールまで注文できる。

宿坊と言えば相部屋のイメージだったが、
6番札所の安楽寺宿坊は個室で、温泉の大浴場まである。


 
朝食
デザートのバナナは紙袋つきで、持ち帰りが出来るような配慮が嬉しい。
(この持ち帰ったバナナは、結局この日の昼食となり重宝した。)

この宿坊は2食付きで6,500円という安さで助かるが、最近は宿坊を閉じるお寺が増えているようだ。
快適なホテルや旅館に押されての撤退だろうか。
それにしても結構立派な宿坊が有りながら利用出来ないとは、何とも勿体ない話だ。