風に誘われて

あの山から、あの海から、私を呼ぶ声が聞こえます。
風が「行こう!」と誘います。
風に誘われて、さあ立ち上がろう!!

花満開(かな?)のパースへ

2009-10-20 | オーストラリア 春のパース (2010)


我が家の生垣の金木犀が、オレンジ色の花をいっぱいにつけている。
窓を開けるたび、横を通るたびに、強い香りが漂よってくる。

この花の香りを感じると、子供達の小学校時代の秋を思い出す。
あの頃、校庭から聞こえてくる運動会の練習をしている声を聞きながら、
私は金木犀の香りのする庭で、洗濯物を干したり花壇の手入れをしていたものだ。

つい、この前のような気もするのに、今は遠い思い出になってしまった。
金木犀の花の香りの中で、あの頃の懐かしい光景を懐かしく切なく思い出している。 


                     

昨年、夫の急病でキャンセルしてしまったパース(オーストラリア)でのロングステイだが、
今年もまた諸々の問題が立ちはだかって、立ち消えか・・・と、一旦は諦めた。
が、日程調整しているうちに何とか3週間ほどの日程がとれそうなので、
急遽、出かけることに決定。

チケット購入の段階になって、また更なる問題も出てくる。
今まで唯一、直行便を出していたカンタス航空が、今秋から本数を極端に減らして、
私が行く頃は全く便がない。
(10月は5回ほどしか便はない。)
おまけに、10月から燃油サーチャージも復活して、航空チケット代が高くなってしまった。

そんなこんなの悪条件も払いのけ、行ける時に行っておかなくてはと、
パソコンに向かうこと数日。
香港での乗り継ぎ便を探し出して、チケットをゲット。
夫のETASビザも切れていたので、その取得も依頼する。

三回目のパースだが、この季節(パースは春)は初めて。
ワイルドフラワーと、ジャカランダの花を見られるのでは!と期待しているが、
あいにく、それぞれの花の端境期のようでもある。
果して、その願いは叶えられるのかな・・?

静寂の城下町に、つかの間のやすらぎ

2009-10-16 | 小さな旅
入院している母が、退院後に過ごしやすいようにと、
介護専門スタッフのアドバイスを受けて、家の中を模様替えする。

ベッドを居間に移動、
キッチンを使いやすくするために冷蔵庫を移動、
不要になった食器棚などの大きな家具を処分、などなど
女性の力では難しい作業も、姉と二人でエンヤコラと力を合わせる。

日頃は遠くに住んでいるために細かい世話はできないので、
帰省の折には、その分までもと、早朝から夜中まで働きづめ。
(自分の家でさえ、こんなに働くことはないのに・・・)


母の老いた姿は、いずれ自分の20数年後の姿でもある。
はたして私が、そんな年齢まで生きていられるかは疑問だが、
母を通して《老いる》ということを考えさせられている。


                     


郷里を発つ間際まで、母の入院先に行ったり、
退院後に必要な品の買い物などで慌しく過ごし、
空港までのタクシーに飛び乗った。

と・・・運転手さんと話しているうちに、
同じ小・中学校出身ということが判明。
共通の友人の話も出て、車中は昔の話で盛り上がる。

「少し時間があるので、途中、寄り道してあげよう」と、
空港への道を途中で迂回して、城下町・杵築に立ち寄ってくれた。

江戸時代、城を中心に二つの高台には武士が住み、
その丘に挟まれた坂の下には商人の家が並んでいたことから、
サンドイッチ型の城下町と言われる杵築。
この町を歩いていると、その昔にタイムスリップしたような感覚になってくる。



《酢屋の坂》
この坂の下にはお酢屋さんがあったことから、こう呼ばれるようになった。



往年の面影を残す武家屋敷の町並み。
ここを歩いていると、
土塀の向こうから二本差しのお侍さんが現れてきそうな気がしてくる。


何度か来た場所ではあるが、いつ来ても心が落ち着く町だ。
心身ともに疲れ切った8日間帰省の最後の日に、
この、時が止まったかのような静寂の町を眺められたのは、
頑張った私たちへのご褒美だったのかもしれない。

郷里の温かさ

2009-10-12 | 小さな旅


北海道の長旅から戻ったばかりだが、今度は九州への旅。
旅と言っても、郷里の母が入院したため、帰省の旅。

郷里の空港に降り立ったら・・・
視線の先に懐かしい友の姿が   
偶然かと思いきや、「多分この便じゃないかと思って迎えにきたよ」と

帰省する日は連絡していたものの、到着便は話していなかった。
1日に10数本もの到着便があるのに、
「貴女が乗るのはこの時間帯じゃないかと勘を働かせたの」と、
いたずらっぽく笑う。

「なかなか帰ってこないんだもの、はやく会いたくて」と話す友人を前に、
私は胸が熱くなる。


そう、私は数年前のある出来事から郷里への道は遠ざかっていた。
今回の帰省も、母の入院という切羽詰った出来事があったから、
そして、姉が付き添ってくれたから出来たこと。

複雑な思いで空港に降り立つ私の気持ちを思いやって、
こうして迎えてくれたのだろう。

優しい笑顔が私を包んでくれる。
涙が出そうになるのを堪える。
ありがとう!!!

「貴女を連れて行きたいお店があるので、そこに寄って、家まで送るよ」
と、案内してくれたお店。


この他に、スープ、デザート、コーヒーがついて、お腹いっぱい

地元食材を使ったお店で昼食を食べながら、他愛ない話を楽しむ。
昔の学生時代のように。

穏やかなひとときに感謝。
遠くにいても、優しく支えてくれる友に心から感謝

北海道野菜を使って

2009-10-07 | 暮らしの中で


野菜直売所で見かけた、茄子。
細長くて珍しいので手に取ってみていたら、
「その茄子は、皮が柔らかいよ」と、販売していたおばちゃんが教えてくれた。

皮が柔らかいのなら生でどうかな?と、
シンプルに塩もみにして、千切り生姜を加えてみる。
うん、確かに皮は気にならず、甘みがあって美味しい。


                        


ルバーブは、北海道でも新顔のようだ。
よく、このルバーブの前で、不思議そうに手にとっている人を見かける。

私といえば、友人から、このルバーブで作ったジャムを頂いたことがあり、
使い方を知らない人には
「これでジャムを作ると美味しいのよ」と教えてあげていた。
だが、自分で作ったことはなかったので、挑戦してみよう購入。



友人のHPを開いて、レシピを見ながら作ってみたら・・・
まあまあの出来上がり。

ついでに、やはり北海道で買ってきたリンゴでも、ジャムを作る。
瓶は100円ショップで購入。


ハスカップジャムを挟んで、左がりんごジャム、右がルバーブジャム。

グラニュー糖でなく茶色の甜菜糖を使ったので、色が褐色になってしまったが、
味は甘さ控えめの私好み。

こうして完成したジャムを見ていると、
友人のように手作りラベルでも作って貼りたくなるが、
中身が中身だけに、ラベル負けしてしまいそうなので止めるとしよう。

花を巡る北海道の旅  完結

2009-10-06 | 北海道の夏 2年目 (2009)

ハマナス

ハマナスの開花期間はとても長いので、
どこに行ってもピンクや白い花が迎えてくれる。


                     

三ヶ月間の北海道の旅から、無事戻ってきた。
昨年は途中リタイアしてしまったが、今年は完結することが出来た。

これも、みんなの支えがあったからこその完結と、
心からの感謝。
みんな、ありがとう!

                        


三ヶ月ぶりに帰ってきた我が家は、梅雨時季から夏の間を締め切っていたせいか、
カビ臭く(実際、場所によってはカビが生えていた)、庭は草が生え放題で、
しばらくはお掃除が大変。
それに、旅からの頭の切り替えがなかなか出来ない。

若い時は、長い間帰省していても、こちらに戻ると、
まるでタイムスリップしたような気がしながらも、
その瞬間から頭の切り替えが出来たものだ。

それが、今回はなかなか出来ない。
それだけ年を取ったということなのだろう。

日頃は特に出かけることもなく家の中ばかりで過ごすので、
考えることといえば、つい後ろ向きのことばかりになってしまう。
こうして、旅に出る用事でも作らないことには、
出口が見えない迷路に入り込んでしまいそう。

追いかけてくる老いや不安に潰されないように、
自らを奮い立たせながら、
これからも旅を続けることとしようか・・・


ノコギリソウ

定年移住の夢を叶えた二人

2009-10-05 | 北海道の夏 2年目 (2009)
F市に移住したばかりのYさん宅を訪問。

4年がかりで中古物件を探し、この地に移住して2ヶ月という。
「部屋の中は業者に頼んでリフォームしたが、外壁と屋根は自分で塗った」と、
ペンキのついたツナギ姿で話す顔は、イキイキと輝いている。
そして「4000坪もの土地を、これからどうしようか」と、楽しそうに笑う。



夢を持ち、その夢を実現できたご夫婦の姿を眩しい思いで見る私たち。
残念ながら、こんな元気は私たちには、もう残っていない。
夢物語として、楽しく伺った。


                     

移住などと大きなことは出来ないけれど、
美味しい物を探す意欲はまだ残っていると、増毛の市場に出かける。

あいにく、ウニは8月末で漁は終わったというものの、
甘エビの特大サイズが売っていたので、殻つきの帆立貝とともに購入。



この新鮮な甘エビが1,000円。
特大サイズなので、食べ応えあり。

Fさんに頂いた枝豆と、この甘エビで、終わりに近づいた旅に乾杯。
もうお腹はいっぱい 

サロベツ原野をひた走る

2009-10-04 | 北海道の夏 2年目 (2009)
今日から9月。
稚内から納沙布岬を通り、海沿いに南下する。
原野の向こうの海に、昨日行ったばかりの利尻富士が浮かんでいる。


抜海原生花園から利尻富士を望む

サロベツとは、アイヌ語で「広大無限」の意味らしい。
行けども行けども、真っ直ぐな道。
どこまでも原野が続く。




サロベツ原生花園には一周30分ほどの木道があり、
サワギキョウやリンドウなどが咲いていたものの、やはり花は少ない。
解説員のかたが「リンドウが咲くと、もう今年の花はお終いなんです」と、
申し訳なさそうに説明してくれた。

そう、もう秋の花も終わりに近く、サロベツはいっときの静かな時を迎え、
冬に向けての準備に入るのだろう。

この原野が雪に包まれる光景を思い浮かべながら、更に南下。
今日の宿泊地・羽幌温泉に向かう。

部屋のバルコニーに座って、日没時間6時14分を待つ。
日本海に浮かぶ手売島と焼尻島に、赤い夕日が静かに沈んでいった。




《利尻島》 本場ウニの美味しさ

2009-10-03 | 北海道の夏 2年目 (2009)
礼文島から、午後のフェリー船で利尻島に渡る。
(お互いに島はすぐ近くに見えるが、40分かかる)

1泊した次の日は、昨日の強風が嘘のように穏やかなお天気。
海から朝日が昇り、海面を光がキラキラと輝く。
朝の澄んだ景色を眺めながら波止場まで送ってもらい、
島一周(4時間半)の観光バスに乗る。



利尻富士を背に、姫沼で。

この沼は周囲に木道が整備されて、一周することが出来る。
花や木々の間から眺められる沼に映る利尻富士が美しい。


                     

バスから降りて、港のそばにある 《ペシ岬》に登る。
島の人たちは「見た目よりも案外簡単に登れるよ」とは言っていたが、
なかなかどうして、難儀な道のりだった。

滑りやすい急坂の道で、柵もないので下を見ると足がすくむ。
「無理しないで、もう止めないか?」と言う夫に、
「せっかく、ここまで登ったんだから」と、へっぴり腰ながら歩を進める。
そして、登頂成功!



岬の先に、昨日行ったばかりの礼文島が見える。


                     


観光が終わった後は、待ちに待った昼食。
そう、利尻に行くなら絶対に食べようと楽しみにしていた《ウニ丼》
昨晩の旅館の夕食でもウニを食べたが、
やはり満足するほどの量を食べたい。

そこで、港の食堂に入ると、
「バフンウニの漁は明日で終わりなので、ギリギリで食べられるよ」とのこと。
9月にはいると、ムラサキウニしか漁をすることは出来ないらしい。



濃いオレンジ色のバフンウニ。
殻から出したばかりで、ミョウバンなどを使っていないそうだ。
「利尻昆布を食べたウニなので特別おいしいよ」と、出してくれた。
一杯3,000円は安いのか高いのかは分からないが、美味しさは格別だった。


《礼文島》 花の浮島 ならぬ 風の浮島

2009-10-02 | 北海道の夏 2年目 (2009)
稚内の宿に車を置いて、早朝、稚内港から礼文島行きのフェリーに乗る。
昨日からの風が止まず、波は3メートルとの表示。
4メートルになると欠航というのだから、3メートルというのは相当揺れるのだろう。

ということで、酔い止めの薬を飲んで、お行儀悪く床にゴロンと横になったままの2時間。
早朝の出発だったので、いつの間にか寝入ってしまい、
気がついたら礼文島の香深港だったという楽な船旅だった。


だが、礼文島は晴れているものの、強風が吹き荒れていた。
40年前に訪れた時も風が強くて、寒いだけの印象しか残っていない。
どうも私は、礼文島と相性が悪いのかもしれない。




風の穏やかな日には、透けるような透明度で海底までハッキリ見えるという澄海岬(すかいみさき)は、
大波が押し寄せている。
ガイドさんが「こんな大波も珍しいです。なかなか見られる光景ではないです」と、
妙な慰め方をしてくれるので、みんなで苦笑い。




礼文島の最北端にある《スコトン岬》も当然、強風吹きまくり。
写真を写す時も静止できないほどで、
仕方ないので、スコトン岬の立て看板に掴まって写してもらう。

やっと、この最北の島まで来たのに、2度までも強風に迎えられてしまった。
でもガイドさんの言う通り、「滅多に見られない大波を見ることが出来た」と、
前向きに捉えることにしようか。

オホーツク海に沿って北上  宗谷岬に祈る

2009-10-01 | 北海道の夏 2年目 (2009)
わずか1ヶ月ながらも我が家となった家に別れを告げて、
再び車に満載の荷物を積み込み、オホーツク海に沿って北に車を走らせる。


オホーツクラインにある、神威(かむい)岬


紋別では、流氷科学センターで、マイナス20度のなかでシャボン玉を飛ばす実験に参加。
シャボン玉が凍って薄いガラスのようになり、手の上でコロコロ転がる。
そして、割れる時も、ガラスのように形を残したまま割れていく。
虹色のガラス球は、はかなくて美しかった。

その後は宿泊しながら、
枝幸、浜頓別、ベニヤ原生花園、クッチャロ湖などに寄りながら北上。
そして、宗谷岬に着いた。




宗谷海峡に望む日本最北の地には、アルメリアの花が咲いていた。
この花は和名《ハマカンザシ》と言い、遠く千島に多く咲いているということだ。


                     

この宗谷岬と国道を挟んだ小高い丘の上に、
あの大韓航空機狙撃事故の慰霊塔がある。
大きな鶴が飛び立とうとする姿の慰霊塔には、
269名(日本人は28名)の被害者のかたの名前が刻まれている。



その一人一人の、かけがえのない命が無残にも絶たれてしまった。
その一人一人には、これからの人生があったはず。
その一人一人の気持ちを思うと、そのご家族の慟哭を思うと、
私の胸も疼く。

その名前の中に、
私が力を頂いたご恩のあるかたのご家族の名前を見つけた時、
心が震えた。
涙が流れた。

「安らかに」などの簡単な言葉で片付けられない。
「辛かっただろうね」
「無念だっただろうね」
と、胸が痛む。

ご命日を4日後に控え、手を合わせて祈らせていただいた・・・。