いよいよ歳末選挙とてかまびすしいことである。
あまりうるさい奴には絶対に投票しないのである。
結局入れたい奴もいないのである。
丸谷才一つながりで、上田哲『歌ってよいか、友よ』(1978 講談社)出してきて読み出したら面白くて読了してしまった。
選挙の季節に再読したのは偶然だけれども。
1978年12月に第一刷で手元のは翌年7月の第四刷である。帯に「絶賛!!ベストセラー」とあるけれど、たしかにそうだったのかもしれない。
それにしても上田哲、現在の評価はどうなのだろう。記憶ではその晩年にはもはや過去の人的な扱い(マスコミの)だったような気がするが。
日本社会党の最後の一人、社会党にこだわり、非武装中立にこだわり、『戦後軍拡60年史』を遺して逝った執念の人。というより一般的にはアクが強くて目立ちたがりで、やたら弁はたつけどなんかウラがありそう、みたいなイメージだった気がするが。
本書は、いたるところにそんな自己誇示調というか、上昇志向を言葉巧みに理屈付けしているとしか思えんような、なんとも鼻白む、まあ政治家になるような奴の文章だな的な表現が散見する。(だいたい表題自体が、どうもなあ、であるが。)
にもかかわらず面白いのは、やはりその時代も人も濃い青春期のゆえだろうなあ。いまどきはこんな青春はなかなか送ろうたって送れはしない。
旧制新潟高校から始まって、卒業後大学進学はせずに(主に経済的理由から)小学校教師となり、(新制)高校教師となり、高校教師をやりながら京大に入学し、NHKに入り、教師時代の教え子と結婚し、やがて、かのポリオ根絶キャンペーンの主役となって、映画のモデルにもなる。筆者17歳から33歳までが描かれる。その行く所々で獅子奮迅(筆者の言を信じれば)、旧制調で言えばシュトゥルウム・ウント・ドランクであります。
というわけだけれど、なんで丸谷才一つながりかということですが。
冒頭近く、旧制新潟高校の青春が語られるわけだけれど、戦後すぐ食糧事情のひどく悪い寮生活において炊事場から米一斗が盗まれるという事件が発生する。なんやかんやがあって犯人4人がみつかるわけだけれど、これまたなんやかんやあって、とある月の深夜、全寮制がグランドに集められる。そこに現れるのが寮総務の丸谷才一、羽織袴に威儀を正した彼は一場の演説を行い、やがて鉄拳制裁、つまりは犯人たちをはじからブン殴るわけだ。青春の丸谷才一、権威をカサに着る強圧的人物としての記述は他にも。
なんか、ソレっぽいな。
ところで、丸谷の『裏声で歌へ君が代』ってのはこの数年後に出るんだけど、『歌ってよいか』ってのに呼応した、ていうのは違うでしょうな、モチロン。