路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

滾るとき湯口も湯気も揺れにけり

2011年04月19日 | Weblog

 本日晴天、昨日ほどではないが仕事してると汗をかく。

 なんだかプリンターの具合も悪くなって、こうなるとワシには何もできない。拱手傍観以外することがない。しかし次々不具合になるなあ。風呂は何回かに一回奇跡的にボイラー動くときがあって、でもすぐにダメになって、そのちょうどいい時にあわてて湯をはってはまたすぐに止める、というのを何度も繰り返してようやく一回入れるようにする。まあ、そんな調子だ。

 なんだかミョーに疲れた一日。花粉のせいもあるかもな。体中と体の周りがずうっと粉々してるカンジ。

                 

 暗くなるころより久しぶりの雨。夜半ときに激しく音立てて降る。風もまじってこれまた久しぶりに寝付かれず、朝まで寝たような寝ないような。

 朝になっても、まだ雨。

 


白木蓮が指さすあたり季の境

2011年04月18日 | Weblog

 まだ春には早いような気がしてたけど、今日は春だな。
 知らないうちに、山吹色の山吹が咲いてるし、石楠花色の石楠花が花開こうとしている。桜はまだだけど、桜餅も鶯餅も柏餅も食べて今日は朝から大福も食べた。もっともワシ的にはどれも同じではある。
 そんなわけで空色の青空の日曜日、朝からケッコウがんばったぞ。

 午前中から耕耘機ガラガラ押して畑へ行き、選挙カーに負けないくらいガオンガオンと地面をひっくり返す。もうスギナの奴が出かかっていたが今年はなんとか討伐したい。先日芋は植えたから今度はネギだな。その前にもう一度くらい耕耘機かけるといいだろうか。ヒバリが鳴いてた。(ような気がする)

 そのあとは片付けと引越しの続き。もう余計なものばかりどんどん出てくる。ホコリもたくさん出てくる。紙を燃やすと煙もボコボコ出る。本を一輪車に乗せて運んでると、老人クラブの総会から帰ってきたホロ酔いのお隣さんにあう。胸に桜一枝さして、本がいっぱいだねえ、と言われる。あとでその桜の枝をもらう。桜ってホント桜色だな。

                          

 パソコンは治ったのだけれど、従来のようにするにはまだナニヤカヤ(ナニヤくらいか)しなければならないらしい。メンドクサイものである。
 というようなわけだったけれど、夜になって風呂がどうやらダメらしいということがわかる。ナニヤカヤである。便利なものは不便である。豊かな暮らしで貧しくなる。被災地を思えば贅沢も言えない。

 花粉、相変わらず激しい。

 


春の闇辛夷いくつか落ちにけり

2011年04月17日 | Weblog

 梅は咲いたけど、桜はまだまだだな。やはり桜咲かないと春という感じがしない。
 春の一歩手前。

 峠を越えて配達に行く予定なのだけれどその前にどうしても済まさねばならないことがあって、少しイライラする。用事は寺に関することで、先日から電話してるのだけれど、そのたびに要領を得ない。怖い声のオバサンが出て、今日は大きな法事があるからダメだとか、若いアンちゃんみたいのが出て、今誰もいなくてわからんとか言う。ホントにこの寺の坊主どもは癪に障る。

 で、3時過ぎるころに出かける。
 驚いたことに峠を越えると桜満開である。やはり学校系はどこにも桜があってきれいだな。全山まるまる桜という所があって、てっぺんに花見客がこぼれそうになっている。帰り道をいつもと変えて大学前を通ってみると学生たちがビニールシート敷いて宴会していた。
 で、そのまままっすぐ行ったら某古書店前に出たのでこれは寄らねばと思い道路の反対側にある市営駐車場へ入ろうとして入れなくなる事件発生。入り口の券売機にカード取り出し口がなくて、ポールも上がらないのである。どうやら近くの市民会館で駐車券を買ってきてチェックインしろ、ということらしい。知らない人間には非常に不親切である。仕方がないのでバックで戻って、(後ろから来ていた車が親切に後退して車列にいれてくれた。) 古書店はあきらめる。
 腹が立ったので(?)途中のブックオフへ寄ってみたけど、なんだか棚に目が入り込めないかんじで何も拾えなかった。

              

 まあ、そんなこんなであるけれど、帰ってきたらやっぱり春の一歩手前。
 で、そんな春先の気分、の気分のカンジの曲、なんだったっけなあ、ということでコレに行き着いたのだけれど、なぜか鹿のお嬢さんのスライドショーになっておる。
 このお嬢さん、ワシ的にはなんかビミョーということだけれど、横顔なんかは確かに美人かもしれない。 

春の手紙 大貫妙子(多部未華子ver)


 今日もしばしば揺れる。

 とりあえず、春はまだか。

 


いつしかに春の時計のまた動く

2011年04月15日 | Weblog

 とりあえず冬眠鼠様の労苦をもってネット開通。パチパチ。

 しかしテレビもネットもない暮らしは本当に時間が増える。とりあえずテレビ各社は輪番で放送休止すべし。(何度も書いたけど。) テレビ撲滅がまずは国民福祉、ことに精神安寧に効果あることは必定である。それなくして節電を言うなかれである。

 というわけで、この間本でも読んだかというと、そうでもなし。唐木順三『現代史の試み』とかツバメに借りた、エーと坂本某先生の米百俵のナントカというのとか。とりあえず次回用に唐木の『日本人の心の歴史』上下は机上に乗っかってるけど。今まさに読むべきは唐木順三だと思うんだけどね。イチオウね。

                     

 まあホントはテレビ全然見てないというわけでもなくて、(ナンノコッチャ) もうすっかり通常モードにしらっとなってる民放各社であるわけだけど、あいかわらずコダマでしょうかなCMのなかで、やってくれるゼさすがサントリーの、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」の冒頭複数芸能人で歌ってるやつ、なかなかいいな。
 「上を向いて歩こう」は個人的な思い出もまつわるし、「見上げてごらん・・・」は夜学生のために作られたとも聞いているが、まさに時代の感じをよくつかんでいるな。
 それが今になってひどくピッタリくるのはなぜか。わかるようなわからんような。ともかく、サントリー宣伝部には今も人材がいるらしい。

 それにつけてもやっぱり坂本九。上を向いて、見上げた空で散っていった人を思う夜更け。

 で、ワシ的には、この時期聞きたくなる一曲としてコレ。

花の街 - 小鳩くるみ

 「すみれ色してた窓で、泣いていたよ街のかどで。」
 昭和22年のこの哀しくも美しい曲、おそらくは鎮魂のメロディーならむ。

 

 


白梅に少し紅梅にじませて

2011年04月08日 | Weblog

 テレビもパソコンもない、というのがこんなにもいいということにもっと早く気付くべきであった。何よりも時間が急に増える。いかに今までテレビの奴隷であったあったことか。

 このところモロモロ処分して、毎日何かを捨てている。いいなあ、わが理想の最低限のものしかない暮らしに一日でも近づくようにドンドン捨てるぞ。

                      

 『秋月悌次郎 老日本の面影』再読して面白かった。
 あとがきで、筆者が佐々木忠綱に出会った話が書いてある。ただの老人とあったみたいな話になっているけれど、1980年時点で佐々木は生きてたんだな。佐々木に関してはそのうちワシが論文書く予定だけど、(嘘だけどね)ひょっとしたらワシ自身この本で彼のことを初めて知ったのかもしれない。

 さて、次は何を読むか。

 


地中より礫の記憶余寒かな

2011年04月03日 | Weblog

 パソコンを起動しようとしたら、耳元で蚊の鳴くような音がしだして、やがてそれが湯の沸騰するような音に変わり、ついには空襲警報発令のごとき音声になったままとまらなくなった。で、画面は一向に起動しない。音ばかりでなんにもでてこない。仕方なく強制終了して再起動しても同じである。それを数回繰り返して、何度目かになにか文字らしきものが出てきたと思ったら、要するに起動する気がないので誰かになんとかしてもらいなさい、ということらしい。マイッタナア。
 で、今はもう一台の方でパコパコやってるけど、こっちも調子悪いからなあ。

 それにしても寒いぞ。4月にこんなに寒くては、ほんとどうなるんだ。

 という中、畑へ行ってきた。半日かけて耕運機掛けてきた。今年は頑張るぞ、といつも思うな、今頃は。
 夕暮れ、耕運機カラカラ押しながら帰って来ると、おお寒い。カンゼン木枯らしである。ピューピュー言っておる。手が悴んでガチガチいう。こんなことではまきものなど当分出来ないだろうなあ。春は来る気があるんだろうか。

 コッチのパソコンでは画像アップできないらしいし。

 疲れたはずなのに夜眠れない。で、夜中にセーダイに腹壊す。

 寒いせいだ。

 


蕾越し帽子の人の通りゆく

2011年04月02日 | Weblog

 4月になったけれど、相変わらずな相変わらずである。相変わらず腰が据わらない、というか、ハラに一物も手に荷物もなし、というような文字通りよくわからない状況である。ま、要するにただのグータラであるな。

                       

 テレビを撤去したらとたんに夜に見るものがない、という情けない状況になって、仕方がないので本でも読むかと、架蔵本を眺めて、松本健一『秋月悌次郎 老日本の面影』を引っ張り出してくる。もう20年以上前の本で版元の作品社も今はない。導入部に秋月とハーンとの交情が置かれていて、ああそうだったと思ったりしたのだけれど、副題もそこからきていたのか、と今頃になって思い至るまぬけさ。そうなると面影と「悌」もかけてあるのかと思ったけれど、「おもかげ」は「俤」だよなあ。などということなど思いながら頁を開いてみたものの、ほんの数頁で眠くなってしまう。
 春のせいばかりではないな。

 そろそろ野に出なくては。

 


朝夕に丘の桜を確かめぬ

2011年04月01日 | Weblog

 なんだか4月になるというのに寒いなあ。
 どうも昨年から天変地異を予言するような天候であった。

 テレビを引っ越して、原則(?)テレビのない暮らしに歩を進める。なくなってみると受像機というのはけっこう場所ふさぎであったことがわかる。あとは本当にすっきりする。
 だいたい今回の災害報道だって節電をいうならテレビがまっさきに輪番で放送休止すべきであろうに(ということは以前書いたけど)結局どこも深夜までの電波の無駄使いを繰り返し続けた。公共広告ナントカだってアレ流す意味がよくワカラン。御用学者としたり顔キャスターの小賢しく最終的に理解不能なナニサマ解説はどっか一局やってれば充分だろうに。

                      

 

 ほんとは久しぶりにユーチューブで春らしい曲アップ(?)しようとしたのだけど何回挑戦してもうまく埋め込めない。なんでだろう。ユーチューブの側の何かか、ワシのパソコンがダメなのか。たぶん後者だろうな。