路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

去る夏の鴨居に並ぶ古人影

2011年09月18日 | Weblog

 ずうっと降りたくているんだけどねえ、みたいな天気。いっそ降って欲しいんですけど、と思いながら一日過ごす。結局雨らしい雨ともならず、気温下がらず、蒸し暑い。

 三沢勝衛著 河角廣編『風土産業 -新しき日本のためにー』続き。
 最初部分の目次だけ写してみれば、
 「風土の意義  大地と大気の接触面ー風土」から始まって、
 「風土の生成」「風土性の究明」「風土の活用」などと続く。
 前半では、地形、地質、土壌、などの地質学的見識の講義が続くが、やがて指針植物、土壌反応、などから、風土の活用、地方振興の真髄、風土産業の選択、などと社会科学的要素が強くなる。例示される風土産業は、信濃川沿岸のチューリップ、山形のラミー、柏原の鎌、鯖江の鍛冶、等々。なんだか上から下から、右から左から、東から西から、全部まとめて圧縮したような本である。著者の精励孜々ぶりだけはよくわかる。

 扉裏に献辞が。
 「小著を田園に、工場に、はたまた街頭に、実際に働き、実際に労苦する青年に贈る」
 戦後すぐの時代を彷彿させるが、このとき著者はすでに没後十年たっているから、これは編者のものだろう。
 そのすぐ後に、序、として編者の文が続く。末尾に、昭和二十二年五月三日 門人 河角廣 の署名。河角は、地震学の東大教授。(例の関東大震災69年周期説、のセンセイですね。)
 その冒頭。
 「わが国は今未曾有の艱難に際会して居る。
  併し歴史は我々を力づける。国敗れて山河ありの感慨は我が国の事ではない。わが国民は既に情勢激変の衝撃から自己を取り戻しつつある。由来我が国程天災の多かった国も稀であるが、我等の祖先は立派に之に耐へ通した。吾々もこの禍を転じて福となす力は祖先から受け継いで居る筈である。吾々は明治初年の我等の父母。祖父母よりも遥かに良い境遇にある。然も過去の誤れる主義政策の桎梏は今や取去られたのである。勇気を取戻し、道義に立帰ろう。」
 やっぱり、戦後だなあ。

 と、そんなこんなで、夏も逝く、か。

 

 


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