ブログもだんだんめんどくさくなってきたぞ。ツイッター本格的に考えるか。
それにしても寒い四月の始まりで、野に出る気持が昂じてこない。
大きい町の大きい本屋にはちょっと前の新刊もちゃんとあるな。
中公文庫で『堺利彦伝』2010年改版。初版は1926年改造社で、中公文庫では1978年に最初に出てる。(ということが奥付の前に載ってる。)
堺が五十代半ばを過ぎての回顧録。二十八歳で萬朝報入社あたりまで。まだ社会主義者となる前の半生が綴られている。
「序」に、
私は「日本共産党事件」のため、禁錮十月(未決通算百二十日)の刑を受けるべく、今日入獄します。その前に、この自伝を全部書きあげる腹案でありましたが、ヤット前半だけしかまとまりませんでした。
とある。
結局自伝としては前半部のまま、後半は書かれずに終わったらしい。
豊前豊津の士族の子として生まれた堺は(旧制)中学を首席で卒業した秀才であり、第一高等中学(後、一高)にも難なく合格し後の栄達を約束されたかにみえたが、早々にドロップアウトしてしまう。その原因が、人生に対する煩悶とか主義に目覚めて、とかいうのではなく、酒色におぼれて放縦な生活から抜け出せなくなった為、というのが好感触である。以後、ひたすら貧乏と放埓な暮らしの中で、中途半端な文学青年、政治青年として職も住処も転々する。そのなかでもどうやら士族であるという意識は常に自恃としてあったらしく、この辺が明治の青年である。
幼少の頃の記憶も詳細で面白い。文章が読みやすくてうまい。
中学で初めて英語を習うあたりで、「マテマチカル・ジョーガラヒー」という調子だった旨でてくるが、前者はわかるとして、「ジョーガラヒー」とはなんだろう?(というようなことをツイッターで呟けばいいのか?)
荒畑寒村が「先師のおもかげ」という一文をよせており、解説を黒岩比佐子が書いている。
黒岩さんが亡くなったのが発行日の一月後くらいのはずだから、ほぼ絶筆のようなものだったか?(調べてないけど)
その解説の題名が「人間の運命」とあり、その結語が胸をつく。
思いがけない転機、出会いとすれ違い、偶然と必然――。本書を読み、その後の堺利彦の生涯を知ると、さまざまな感慨がわき、想像をかきたてられる。人間の運命ははかりしれないが、だからこそ「生きる」ということは不思議で面白いのだ。
この文章を書いたとき、彼女には自身の死期についてどれだけの自覚があったのだろうか。そのとき自らの運命について何を思っていたのだろう。
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