天気予報では昨日が雨で今日が晴れのはずが、ずうっと降るような降らないような天候が続いて、夜更けすぎ、凄い勢いの雨音となる。あまりにも雨音繁くて時々目覚める。なんで今頃、全然時雨れるカンジではない。
谷川徹三『自伝抄』にも出てきたけれど、昭和初期に雑誌『振興科学の旗のもとに』が若い知識人に与えた影響は大きい。三木清と羽仁五郎が組んで興したこの雑誌の出版元が鉄塔書院(鉄は旧字)で、労働争議で岩波を逐われた小林勇が昭和4年から、岩波に復帰する昭和9年まで、足掛け6年間やっていた出版社。(社名は幸田露伴の命名)
というわけで、先日御城下の図書館から借りてきた本のお話にようやくなるわけだけれど。もっとも、特にたいした話もない。
岡書院、梓書房、鉄塔書院とも、どれもみな堅牢な造本である。これほどしっかりした本は最近はないのではないか。梓書房の『秋風帖』が昭和7年で定価1円五十銭、213ページ。鉄塔書院の『念珠集』が昭和5年で定価2円330ページ。当時の岩波文庫星三つと四つである。ちゃんとしてるなあ。
そのうちの、斎藤茂吉『念珠集』をパラパラと読んでみる。(ほんと最近パラパラとしか本が読めない。)
島木赤彦臨終記から始まって、父親の思い出、自身の幼年期や旅の記録等々、巻末記にあるとおり雑多な短文の積み重ねではあるが、どれも力が入ってちゃんとしている。
後半のかて物、飢饉の記はことにちゃんとしていて、最初の赤彦臨終の様子も胸を打つ。
とまあ、そんなわけである。旅の記録では「遍路」という一篇。熊野の山越えの途中、一人の老いた遍路に出会う。すでにそんな山道を歩く者など稀で、自身たちも酔狂だと自嘲しているのに、ただ一人行く遍路は信州諏訪の人間で一生を遍歴して歩いているというわけでもなく、故郷にはちゃんと妻子があるのに信心のためだけに歩いているというハナシ。ちゃんとしてる、のかなあ。大正十四年八月の話し。
というわけで、岡書院関係は、また後日。
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