路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

もどかしく口篭ること野菊咲く

2011年10月27日 | Weblog

 いい天気。
 いい天気なのに、ヤッカイなことで半日某所に閉じ込められて、エライさんと慣れぬハナシをせねばならぬ。仕方がないが、貧しい一介の町人としては疲れることと、その後の自己嫌悪がうっとうしい。

              

 北杜夫の死亡記事で朝日の社会面では辻井喬がコメントしてた。これちょっと意外。同年で東京の坊ちゃん、つながりなのか、それともほかに関係があったのか。近年の動向についてはまったく知らないから何とも云えんが。

 もっとも、辻井喬、本名堤清二は北杜夫の松高時代の親友、二人のT、のうちの一人、だとちょっとの間だけ思い込んでいた時期がある。正解は堤清二ではなくて、堤精二、御茶ノ水女子大名誉教授の国文学者であるわけだけれども、紛らわしい名前があったものである。(精二のほうは放送大学の初期の教授でもあった。)
 というわけで、北杜夫と二人のT(堤精二と辻邦生)の鼎談が弥生書房の雑誌「あるとき」に載っていて、これは多分出版されていない貴重なものであろうから画像とともに抄出する。

 といきたいわけだけれども、この昭和53年一年間だけ発行されていた雑誌をワシは確かに持っていて、他にも串田孫一とか吉野せい、とかの連載があって薄いけどナカナカな雑誌だったけれど、つい先だって思い切って他の紙類と一緒に無料で引き取ってもらえる所へ出してしまったのでした。あーあ、こうなるのだったら取っとくんだったなあ。

 というわけで、仕方がないので、もう一人のT,辻邦生との対談集、『若き日と文学と』(昭和49年 中公文庫)の表紙裏の著者紹介の写真、若き日の今は亡きお二人の写真を載せときます。
 辻邦生、イケメンだなあ。

             

 同書から、北杜夫の一言だけ引用。


 北  だから、若いころの意識と、死ぬ前の意識とが、結局は一人の人間を支配すると言うの。ぼく、死ぬ前に、もう一度、たとえば松本のあの希薄な香りに満ちた、それゆえに荒涼たる孤独感に包まれるような気がする。


 報道によれば、北杜夫は死ぬ前日までは普通に元気だったらしい。死の直前、はたして、彼を松本の香りが満たしていたかどうか。
 御冥福を祈るのみ。


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