久しぶりに青空となった。
冬の青空はきれいだ。
鳥居つながりで、松本清張『或る「小倉日記」伝』(角川文庫)を出してきた。
初版は昭和33年だが、持っているのは平成9年のリバイバルコレクションの一冊。
標題作の他、父系の指、菊枕、笛壷、石の骨、断碑、が収められている。
どれも初期の清張の情念が煮えたぎっているような傑作ぞろいである。この人は学者になりたくて、それを許されず(社会に)、仕方がなく作家になって生涯その憾みを持続させ続けた人ではなかろうか。
収載のうち、「石の骨」に主人公が敬意を持つ人物として鳥居龍蔵が引用されている。(作中では、宇津木欽造)
主人公が何度も読み直した文章として、「ある老学徒の手記」のなかの東大辞職の顛末の部分が固有名詞だけ変えてそのまま引用されている。
主人公のモデルは直良信夫。
学歴を持たない傍系学者の老残が胸を打つ。
なんといっても胸苦しくなるのは森本六爾をモデルとした「断碑」であるなあ。
やはり学歴を持たない考古学者とその妻の短い一生を、同じような境遇の清張が時々筆を抑えきれずに痛哭している。
性ケンカイ、学問にとりつかれて自己も他者も赦さぬままに憤死していく主人公とその妻があまりにも哀れである。
ことに考古学というような学問は在野の無名な民間学者たちの研究があって、その堆積の上に初めて体系が築かれる学問ではあろうが。
おそらくは今でも、休日のたびに穴掘りに出かけて、家族からはひたすら疎まれている研究者たちが日本全国にたくさんいるに違いない。