野鳥と野鳥写真(観察と展示)

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冬鳥達が待ち遠しい時期・・・

2017-11-18 20:56:53 | 野鳥写真
写真展が終わり、ホッとしているところですが、又、真面目に野鳥撮影に出掛けホットな野鳥達の写真の投稿とブログを更新していきたいと思いますが、11月は冬鳥の情報も未だ疎らな時なので、当面は長い文面のブログになるかと思います。

明日は、長野県岡谷市のイスカとオオマシコ情報を投稿予定です。

 12月に入ると各地から多くの冬鳥情報が入って来ると思われるが、諏訪湖のオオワシ(グル)にも23年目の出会いもしたいし、岡谷市の山地のイスカ達にも会ってみたいし、又、新潟県上越市の朝日池へリベンジで行って見たいし、冬季の長野県や雪のある上越は雪道対策や防寒対策もあるが、真冬の時期だからこそ出会える北の国から渡来して来る猛禽や水鳥達がいるため、雪のない首都圏から出向くとちょっと大袈裟かも知れないが、命懸けの遠征の鳥撮りとなります。

 若い頃、転勤で雪国経験があるからこそ、雪の怖さが分かっているため、四駆やスタットレスタイヤを履いているからいいと言うものでもありませんし、本当の雪の怖さは首都圏出身者には分かりっこないし、「山本リンダ」の「どうにも止まらない!」の歌のとおり、足をブレーキに乗せただけで止まるまで滑り続けるため、甘く考えていると取り返しのつかないことになり兼ねないことになります。

 昨年、長野県から中央高速・上信越道を走り、新潟県に入り、戻りは北陸道から関越道経由で戻って来ると、春先から初夏の湯沢IC周辺の車窓から見える景色が一変しているのに、あまりにも変わった雪景色に一緒に行った仲間が驚いていました。

 高速道路脇には、1.5~2.0mの雪が除雪車で押し寄せられており、又、雪が積み上がっていたり、騒音防護柵のように山に雪が積もっているのとは程遠い、あまりにも多い雪で山が雪でお膝部連れて居るように一面が真っ白な雪の世界なのに、雪国経験のない人には想像をはるかに超えたものと見える筈です。

 東北の豪雪地の雪国を経験していたり、若い頃に湯沢へスキーに通っていたため、懐かしい景色が走馬灯のように思い起こせましたが、キスーも止めてしまい最近では鳥撮りで湯沢方面(松之山・秋山郷・栄村等)に来ることが多くなりましたが、春から夏場の時期だけ訪れていますので、暫くぶりの雪を懐かしく思われたが、運よく使用した高速道路上には積雪はなく、夏タイヤでも走れるくらい真冬としては珍しく快晴の天候が続いていました。

 とは言っても一度天候が崩れると、雪国では雨でなく雪となり、天国から地獄へと変わってしまうため、完全な雪対策をして出て来ないと痛い目に遭ってしまいますので、たった一人の不注意で高速道路が大渋滞となったりするため、雪をなめると想像を絶する大変な大事故となります。

約50年前と現在の越後湯沢物語・・・

 当時は第一次スキーブームの真っただ中で、マイカーにキャリアーを取り付けスキーを乗せて走るのがステータスみたいなところがあり、関越道が開通してなかったため、国道17号線がスキー客で大混雑して夜中中走って朝にスキー場に到着しても、若いからと言えフラフラな状態でスキーをしても上達せずに、アフタースキーばかりしていたことを思い出します。

 当時の若者の定番みたいなもので、お酒を飲んでマージャンをして何しにスキー場に来たのか分からなかったことをシーズン中に何度もスキー場通いをしましたが、一般道を走って疲れに湯沢に来ただけで、再び大混雑の中を首都圏に戻ってきましたので、若気の至りというか全然スキーが上手くならなかった。

 東北の秋田に転勤になってから、未だ幼稚園に行き始めた子供と一緒に本格的にスキーをやりましたので、上達しブ滑降でなく直滑降で滑ることが出来るようになり、首都圏に戻て来た時には大分上達しましたので、越後(湯沢の各施設)や長野(志賀高原)・群馬(武尊・万座)のスキー場へよく出掛けて来ました。

 そんな中でも越後湯沢と志賀高原の麓の渋温泉には、暮れから正月をスキー場で家族と過ごし、正月明けに東京へ戻って来ると言う生活を何年も続けたことも今ではいい思い出となりました。
 現在は渋温泉の奥に地獄谷温泉に日本ザルが温泉に入ることで人気のスポットなり外国人の観光客が大勢来ているようですが、当時からサルが温泉に入っていましたが、我々が泊まっている長野県の有形文化財の木造三階建て旅館(金具屋旅館・小石屋旅館・臨仙閣ホテル等)が志賀高原の各スキー場から近かったため、よく泊まったがどの旅館も窓を開けたりすると、サルが窓から部屋に入って来てしまい何度も大騒ぎしました。

 スキー―ブームも落ち着くと、金曜の仕事帰りにスーツを着たまま、上越新幹線に乗り込むと頭の上(帽子)から足の下(スキー)までオールレンタルのスキーヤーが人気となったこともあったそうですが、長続きせずに自分もウイスキーを飲み過ぎてスキーじゃなくてウイスキーの樽のような体となってしまい、何十年もスキーを滑っていませんので、直近のスキー場情報は全く分からなくなってしまいましたが、現在は何処のスキー場もスノボーが多いと言われているようです。

 又、越後湯沢が温泉とスキー客を誘致するためにリゾート化が進み、当時温泉付きのリゾートマンション等の建設がされ販売されましたが、購入者の高齢化が進むと越後湯沢は首都圏からは遠く乱立しているリゾートマンションも空き部屋が多くなり、現在は大変な状況となっていると言われているが、中古のリゾートマンションがタダみたいな販売金額になっても誰も買う人がいないと、持っている人達が売ることも出来なくなつており困っているらしい。

 田舎に高速道路が通ると、都会との間の時間が短くなるため、便利になると同時に温泉客が泊まらずにその日のうちに戻ってしまうことになるという、一番いい例が越後湯沢位の距離(200km未満)にある温泉地と言えるかも知れません。

 真冬の時期は、雪の心配があるために泊まる客がいるかも知れないが、春夏秋の行楽シーズンの時には、2時間で首都圏に替えることが出来るため、わざわざ高いお金を出して泊まるよりも帰りに美味しい夕ご飯を食べて戻ってしまうというような旅行上手な観光客が多いのかも知れません。

 我々は湯沢ICから更に一般道を走り、松之山温泉や秋山郷へ行くために泊まることが多いが、それでも目的地に着いて目的が達成できれば泊まることがないかも知れませんが、殆んど目的のもの(野鳥のアカショウビンとハチクマ等)が直ぐに見つけることができないため、探し歩くと言うことになってしまい、昨年は松之山に四回も出掛けて来ると八泊し、今年も松之山と秋山郷に二回出掛けて来ると4泊もしてしまいました。

 自分は若い頃からどんなに越後湯沢とその周辺に縁があるのか分かりませんが、これ程湯沢に通うことになるとは思いもつきませんでしたから、越後湯沢にリゾートマンションでも購入しておけばよかったと思うことがありますが、もうそれほど来ることはなくなると思いますので、今が越後湯沢のリゾートマンションの最安値のため、チャンスかも知れませんが物件が古いため、修繕費などのランニングコストが掛かると言われているので、安くても買うことはありません。

 川端康成の小説の一説の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」と関越道を新潟方面に走って来ると、関越トンネルの手前(群馬県)とトンネルを走り抜けた向こう側(新潟県)では、天と地獄のような銀世界が広がっているのに驚いた人が多いと思われるが、山の稜線が曇りの日には見えなくなり、銀世界が何処までも続き真っ白な雪に春の雪解けまでの長い期間、白い雪に時に翻弄されることになります。

 雪国生活者だったので、雪国の大変さは住んだ者しか分からないことがあり、毎日降り続ける何にも役に立たない雪を退けて家から出ると、玄関先から道路までの生活する歩く道の雪かきをしないといけない、又、車の車庫や駐車場も同じように雪かきをしないと車が出ることが出来ないため、只モクモクと雪かきをしているのが雪国の人達の朝の光景です。

 雪の重み1mx1mx1m=1m3が約1トン(天気の良い日に下の雪が解けて凍っているため)と言われているため、屋根の上に降った雪を放置すると大抵の木造住宅は雪の重みに耐えれなくなり、押し潰されてしまいますので、天気が良くなると雪下ろしが必要不可欠な雪国の作業があるが、危険を伴い毎年豪雪地では雪下ろし中に滑って落ちたりすると何人もの死人が出ている。越後湯沢や十日町市の松之山温泉は、国内でも有数の豪雪地のためそんなところです。

 現在では、各地域までトンネル工事が施され、陸の孤島とは言えないかも知れませが、一晩で1mの雪が降ると除雪作業も儘ならなくなると、高速道がある湯沢でも陸の孤島となり兼ねないところなのです。十日町市松之山温泉はアウトです。