野鳥と野鳥写真(観察と展示)

野鳥観察や野鳥写真展等を写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

お盆休みの行事・・・(新盆と旧盆)

2019-08-15 16:51:42 | 野鳥写真
サシバの木止まりシーン・・・


サシバの止まりもの・・・1

サシバの止まりもの・・・2(空抜け)

・新盆と旧盆の違い・・・(7/13~15、8/13~16)

全国的にみると八月に行われる旧盆が主流ですが、7月15日(中日)を中心として行われる新盆が主流の地域もあります。このように、お盆の時期が新盆と旧盆で異なるのはなぜでしょうか。
 お盆の時期が異なる理由は、明治時代に行われた改暦が関係しているようです。改暦は明治時代に暦の国際基準化を目的として行われましたが、改暦に伴って日本の各行事は30日(一ケ月)遅れとなり、もともと旧暦の7月15日に行われていたお盆も、改暦後には新暦の8月15日(お中日)に行われるようになりました。

 現在、新盆(七月盆)は東京を中心とした一部の地域のみで、大多数の地域は旧盆(旧盆の八月盆)です。東京は新盆、その他は旧盆と、お盆時期のずれが定着した理由は諸説あります。
 例えば、農業が盛んな地方の7月は農繁期で忙しいため、1ヶ月遅らせてお盆を行った説などですが、 なお新盆と旧盆の内容自体にほとんど差はありません。新盆・旧盆だから行事や風習の内容が異なるのではなく、地域による差の方が大きいと考えられます。

 前述でも触れた通り、新盆の地域は東京をはじめとした一部の地域のみです。具体的には、多摩地区の一部を除く東京、函館、金沢の旧市街地が7月にお盆を行っています。 新盆の地域では、7月15日を中心にさまざまな祭りが行われます。基本的には7月15日ですが、前後の土日にずれる場合もあります。

旧盆の地域・・・(東京と一部地域を除くほぼ全国で行われている)
 8月にお盆を行う地域は、新盆の地域と変わり盆の地域(旧暦の7月15日にお盆を行う地域など)を除くほぼ全国で、日本では旧盆の方が一般的でありスタンダードと言える。
  旧盆の地域の多くでは8月15日をお盆の中心と考え、8月13日から16日までの4日間にお盆の催しや風習が行われます。京都のように8月7日からお盆始まりを迎える地域もありますが、8月15日が中心であることに変わりはありません。中日(奈良の大文字焼きの行事)や最終日(京都の大文字焼きの行事)に大文字焼き等を行う地域もあり、お盆の風物詩になっているところもあります。

・旧盆休みの帰省ラッシュ・・・(23区はガラガラ)

 毎年、夏のお盆の時期(旧盆休み)になると帰省ラッシュが始まります。お盆は、全国各地で先祖の霊を迎え入れ、また送り出すための盆踊りや祭りが開催される時期です。そのため、お盆といえば夏の風物詩、というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

 東京都内の23区が空っぽのようになる夏の風物詩ともいえるお盆ですが、地域によって時期が異なることをご存じの通り、お盆は前述の通り、7月のお盆である新盆(7月盆)、そして8月のお盆である旧盆(8月盆)の2つがあります。今回は、新盆と旧盆の違い、新盆の地域と旧盆の地域についてご紹介しました。

 今年のお盆も終わりましたが、年に一度お盆に付いて考えてはどうかと思いましたので、普段忙しく日常生活をしているとまた今年もと何も考えずに新盆や旧盆を迎えて暮らしているため、全国には我々が知らないお盆の行事があるのかも知れませんが、自分のようにほぼ全国を転勤して歩いて来た者にとって特徴的なお盆の行事を見ることが出来ました。

 秋田県(東北六県の旧盆の行事:秋田竿灯・山形花笠踊り・仙台の七夕・青森ねぶた)・長崎県(旧盆行事:爆竹に鳴り精霊流し)・福岡県・沖縄県(旧盆行事:エイサー)・奈良県(京都奈良の旧盆行事:大文字焼き・東大寺や興福寺群の万灯篭祭・奈良大文字焼き)・岡山県等を転勤で歩いていたので、大抵の旧盆行事は見たりしているが、富山県の風の盆だけは都内に出張してきた踊り子さんのグループの踊りを見ただけなので、一度本場でも見たいと思っている。

・菩提寺・・・(鎌倉建長寺派のお寺)他に京都南禅寺派とか建仁寺派や東福寺派等がある。
 我家の菩提寺は神奈川県内にある臨済宗の鎌倉建長寺派の流れをくむお寺さんですが、毎年施餓鬼供養が旧盆に菩提寺で行われお寺さんが新しい塔婆を頂きお盆の時に墓前にお供えしているため、今年も13日に菩提寺に出掛け墓掃除をしてきました。

 自宅のあるところは東京都下の七月盆の新盆が行われている地域なので、毎年お盆を二回行っているようなことになって入るがお盆と春夏の彼岸時期になると墓前の掃除やお参りに出掛けているが、こじんまりとしたお寺さんで境内には市の天然記念物の巨木があったり、山門を二つ潜って入って行くと本堂の周りに引き石が引き詰められて綺麗に整備されている。天然記念物の巨木の洞にアオバズクとコノハズクが棲みついているが、コノハズクだけは見ることが出来ない。

・沖縄のお盆の日程は旧暦で行う・・・(四年間の単身赴任していた)

 我々のような内地人(ナイチャー)から見ると沖縄人(ウチナンチュウ)の人達の年行事が中国と同じ旧暦によるものが多いため、盆の入りを「ウンケー」と言い、中日は「ナカビ」ですが、最終日の送り盆を「ウークイ」と言われるなど、本州のお盆と全く別のもののように感じました。

 そなことで自分のように本州(首都圏)から沖縄に来た者にとっては全てが新鮮ですが、中国と同じように沖縄ではお盆が旧暦で行われます。沖縄のお盆もそのひとつで、旧暦七月十三日~十五日(一ケ月ずれている八月十三日~十五日)がその期間となるため、全国的なお盆とお盆休みとは時期がずれてくるのが特徴です。

 旧暦七月十三日、沖縄のお盆の初日に当たる「ウンケー」では、ご先祖様を自宅へ迎える行事が行われるのが一般的。ご先祖様の魂は仏壇ではなくお墓にあるものとされていますが、七夕でご報告したので今回のウンケーは門前で大丈夫。

 翌日旧暦七月十四日の「ナカビ」は、漢字で書くと「中日」の通り。沖縄のお盆三日間の中日で、そのままの意味合いです。この日は位牌のある家はそのまま、位牌を持たない家がある家を何件か一日で回るのが風習のようです。
 缶詰や食用油、お米など、使い勝手が良く長持ちするものや最後に親族で分け合いやすい個包装された、賞味期限の長い菓子などが喜ばれる傾向にあります。ウンケー、ナカビ、ウークイの御願の詳細は、それぞれの記事で細かく記しますので、前述や下記を参考にしてみてください。

 そして最終日となるのが旧暦七月十五日の「ウークイ」です。この日が最も重要な日で、沖縄のお墓行事には欠かせない重箱料理のお供え物「ウサンミ」も、この日は登場します。ご先祖様をお見送りする日なので、ウークイの御願は夜遅くに行われるのが特徴のようです。

・エイサーの演舞が開催される・・・(沖縄の旧盆行事)

 今では誰もが知るようになりましたが、エイサーとは沖縄や奄美大島(元々沖縄の離島だったが、返還時期がズレたため鹿児島県に帰属しているため、琉球文化が残っている)では旧盆の時に行われる踊りのことです。
 地域によっては三日間通しで行われるところがあれば、ウークイの日のみに行われたりと様々のようです。この旧盆に向けて一ケ月前以上から練習を積み重ねてきた青年会が熱い演舞が披露されます。
 地元の青年会などが太鼓をたたきながら練り歩く「道ジュネ―」が夜な夜な見られる。道ジュネ―では各地域の青年団や青年会の方とのエイサー合戦が見られることもある。

・東北秋田のお盆の奇祭・・・(西馬音内盆踊り・・・日本三大盆踊り)

 祖霊たちを送る盆の八月十六日。出羽の山並みに日が沈むころ、 羽後町西馬音内に寄せ太鼓の囃子が鳴り響きます。 やがて、着飾った子供たちが、篝火のたかれた本町通りで音頭の踊りを披露し、三日間にわたる盆踊りが幕を開けます。 およそ七百年前に始まったとされる西馬音内盆踊り。昭和十年(1935年)の東京での始めての公演をきっかけにして形式が整えられ、五十六年には、高い芸術性を有する民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されました。 伝統の技はしっかりと受け継がれ、磨き上げられ、新たな歴史を刻んでいます。

 櫓の上で奏でられる勇壮な囃子と野趣に満ちた歌声が佳境に入るにつれ、踊りの輪も広がっていきます。 編み笠や彦三頭巾で顔を隠した踊り上手たちが加わり、あでやかな端縫いや藍染めの衣装が篝火に浮かび上がります。 明治四十年(1907年)の滞在中、偶然目にした俳人・河東碧梧桐は「初めて絵になる盆踊りを見た」と記しています。 しなやかな手振りと足運びが織り成す魅惑の曲線美。豊かな実りを願い、祖霊たちと一体となり、一心不乱に踊り続けます。 囃子方、踊り手、篝火が繰り広げる夢幻の世界に観客は酔いしれます。


秋田県羽後町西馬音内盆踊りの画像(インターネット上の画像使用)

・踊りの内容・・・
 野性的な囃子に対し、優雅で流れるような上方風の美しい踊りの対照が西馬音内盆踊りの特徴です。踊りには音頭とがんけがあり、がんけは、月光の夜を飛ぶ雁の姿を踊りから連想した「雁形」、仏教伝来の「観化」、現世の悲恋を痛み、来世の幸運を願う「願生化生祭り」がつまって「願化踊り」と呼ばれたとの諸説があります。がんけの歌詞、節回しには哀調が漂い、本来、娯楽の踊りでなかった事を物語るのではないでしょうか。

・余談・・・(郡上八幡踊りにも似ているが・・・)
 当時、好色であった君主がうら若き美しい踊り子を連れて行ってしまうため、顔を隠し目だけ出して踊るようになったとも言われるが噂が本当なのかは定かではありません。

・郡上おどり・・・(日本一長期間行われる盆踊り)


郡上おどりの画像・・・(日本三大盆踊り、他に阿波踊りがある)・インターネット上の画像使用

「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもので、江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。

 そんな歴史背景から郡上おどりは誰もが、つまり観光客も地元の人もひとつ輪になって踊るという楽しさがあるのです。 ここに郡上おどりは「見るおどり」ではなく「踊るおどり」といわれる理由があ ります。男の踊り手が多いのでも知られている。

 7月中旬から9上旬にかけて30夜以上にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏は踊りと共に始まり、踊りと共に終わります。会場はひと晩に一ヶ所づつ。

 これは町内あちこちでの縁日祭りにちなんでおこなわれるもので、新旧入り交じった感じがしないでもないですが、そのうちの多くからこの町に残る伝統や風習を垣間見ることができます。なおクライマックスの徹夜おどりは、8月13、14、15、16日の4日間です。
 

名栗湖のクマタカ達・・・(巣立ちには少し早いかも・・・)

2019-08-06 17:46:27 | 野鳥写真
クマタカの幼鳥の画像・・・(6/26日撮影)


営巣木の中のクマタカの幼鳥・・・(初お目見え・・・羽をバタつかせていた)

クマタカの幼鳥の様子を見ながら出掛けて来たが・・・(空振りを予測して行くが・・・)

 現地に到着するちょっと前の10:30分頃に営巣木の周辺を給餌に来たクマタカが飛んだと言っており、その後我々がいる頭の上を飛んで餌捕り場の方へ飛んで行ってしまったらしく、一度もクマタカ達を見ることも無く思いっきり空振りで15:00頃に戻って来ました。

 余りない程の天候と稜線がくっきり見え適度の風が吹いており靄が掛かっていない好条件の撮影日和でしたが、到着後戻るまでの間一度も現れることはありませんでしたが。唯一順光側から狙っているため、背中が山になっているところから日陰となっており、湖の外周道路や湖面には上昇気流が発生しているためなのか風が常に吹いていたりするので、涼しいところに座って待つことが出来るだけがいいところかも知れない。

 同行した仲間を拾って昼食の調達するためにマクドナルドにハンバーガーを買いに行った店舗の中が日曜日なのか、カウンター前に並んでいるお客さんが多く待たされてしまったため、10:30分に遅れたのが空振りになってしまった原因となってしまいました。
 
 長野県栄村移住からずーっと大型の猛禽類(イヌワシ・クマタカ・ハチクマ等)の空振りが続いており、本日も待ちながらも出て来てくれる気もしなく案の定空振りでしたが、特に大型の猛禽類等は必ず撮れるものでないことは充分分かっているものの薄ら重い撮影機材を片付けながら空振りには情けなくなってしまいます。

確率の高い野鳥撮りは情報収集がキーとなる・・・

 確立りの悪い野鳥撮りが比較的多いのは仕方ないと思っていても、毎回毎回空振りが続くと心が折れてしまいストレスにも成り兼ねないため、撮れる確率をよくするための現地情報収集(仲間内からの情報を参考にしたり、子育て中の幼鳥がどんな滋養協なのか等・・・)を行うなどして行くことにしているが、生き物だから仕方がないとか出来るだけ言い訳にしたくないと思っている。

 待ち時間が殆どの野鳥撮りは撮影時間だけ考えると極僅か時間なので、誰にも腹を立てることも出来る訳でもなく、ただ現れるのを待っているだけで、少ないシャッターチャンスをどう生かすことが出来るのかが大事なことなのです。
 
 たまにこんな待ち時間を無駄にしていてもいいものかと考えなくも無く、考えても仕方がないので、惰性だけで続けていることも無くはないが、人生も終盤になってしまい貴重な時間をこのままでいいのかと考えることもある。
 
 しかしごちゃごちゃした町中の一角でなく、大自然に囲まれている中で同じ趣味を持つ仲間達と待っている時間帯に雑談(目的の被写体の野鳥のことやその他の野鳥達の情報交換等)も決して無駄だとは思いませんが、時にはコンビニなどで買って来たおにぎりやパンを自然の中で食べると一味も二味も違うものです。

 キャンピングが流行っていると言われている昨今、我々は毎日のようにキャンプに出掛けて来ているようなもので、時々はキャンプ用品を利用しガスコンロに鍋をかけお湯の中に即席ラーメンを入れたり、又沸かしたお湯でカップ麺を食べたり、コーヒーを飲んだりすることもありますが、昨年からインスタントライス(さとうごはん)をレンジでチンをしたものを持って行き、サバ缶やイワシ缶(みそ煮がベスト又お新香も小分けし試算している)を持参し食べるとコンビニ弁当程度のクオリティー(カップスープも持って行くと寒い時には温かく食べられる)で食べることが出来るためよく行っている。
 インスタ糸ライス(さとうのごはんは一度温めると元に戻らないため、多少冷えても食べられるが冷えないように座布団や被服に包んて置くと、温かさが残っている)おにぎりやパンに比べると数段美味しく食べることができる。

 数日前に営巣木から飛び出した幼鳥が手前の谷合を飛び反対側の山の斜面の木に止まったと聞いていましたので、本日も営巣木から飛び出さないかと期待しましたが、全く動きはありませんでしたので営巣木の中にいるのか、巣の中でなく何処かの木に止まっているのかも分からないため、何も分からないまま待ち続けているので、不安が増す鳥撮りとなってしまいました。
 
 つがい達(オスメスともよく餌獲りを行い給餌をしているようだ)は子育て上手なのか、幼鳥が潤沢に給餌を受けているように思えるが、幼鳥が巣立ち近くになると多少営巣木の周囲(飛び回ることが出来るため)を動き回るため、巣に戻っているのかが分からないために(営巣木は見えているが、巣の中にいるのかが全く分からない)より幼鳥が何処にいるのかが分かり難くなります。

こんな年になり自分のことだけでなく、他人の役にもなって行きたいと思っている・・・

 後悔先に立たずとはよく言ったもので、無駄な時間は戻って来ませんので、何故野鳥撮りをしてしまったのかと悔やみ公開することも少なからずあり、違うことにもっと時間を掛けることが出来たのでは後悔もありますが、リタイアした時にはいろいろやりたいことがありましたが撮影機材に大分投資してしまいましたので、体や持病とも相談しながらもう暫くは続けて行きたいと思ていますが、一応の目標として75歳としています。

 その先のことは分からないため、75歳になった時に考えればいいのかなと思っており、自分の健康年齢を少しでも伸ばしていけることが出来ればラッキーなことになるかも知れません。

ガン定期検診・・・(検査結果を見る度に安堵する)

2019-08-02 18:19:13 | 野鳥写真
今年の観音寺のブッポウソウ達の画像・・・(未投稿分)


アカゲラがブッポウソウの里に現れる・・・

ブッポウソウ・・・

ブッポウソウ達・・・

ブッポウソウのフライキャッチ・・・

ブッポウソウ・・・(温泉裏のブッポウソウの里)


オオアカゲラがブッポウソウの里に現れる・・・1

オオアカゲラがブッポウソウの里に現れる・・・2

オオアカゲラがブッポウソウの里に現れる・・・3


前立腺ガンの定期検診・・・(月一の通院)
 
 長生きの国の中年から年寄りの男(男:平均年齢が81歳超え)がかかるリスクが高いと言われている前立腺ガンなので、前立腺ガンでないにしろ前立腺の病気(肥大や硬化)にかかるリスクは50%とも言われており、又その半分のガンだとも言われているため、男の約1人/4人が前立腺ガンになるとも言われるが、自分がガンを発症した6年前に比べるとガンの治療法(治療薬等もいろいろ出来ている・・・)が進んでいるとため、怖い病気ではないとも言えるかも知れません。

 「130超えたら高血圧という何処かのゴマ麦茶」というテレビCMがありますが、「50歳超えたら一年に一二度のPSA値の検査」をすることで、前立腺ガンを含む前立腺の病気の早期発見が出来るため、2,000円程度の個人負担の採血検査で分かりますので、定期健康診断のつもりで行うといいと思います。
 
 現在では前立腺ガンも恐ろしい病気ではないと言われるが、飽くまで早期発見がポイントとなることは言うまでも無く、ステージ3とかステージ4とかになってからだと、他の部位に転移しているとややっこしいことになってしまい、自分は大丈夫とか高をくくってPSA検査もしていないでいると、進行の遅いガンと言われているが分かった時には、取り返しが付かないことになっていないことも考えられるため、健康診断のつもりで採血検査を受けるべきと思いますが、前述の通り(ステージ3やステージ4になっていると・・・)急に致死率も高くなるガンになってしまいます。

 自分の家系はガン家系でないから前立腺ガンにはならないと言う人もいない訳ではなく、自分がそうであったように前立腺ガン(ガン家系)は遺伝や血統に関係なく、今の前立腺のPSA値がどんな状態なのか調べて知っておくことが大切だと思います。
 
 我々日本人(男の平均寿命が80歳を超え)が長生きになったため、近年前立腺ガンが多くなったと言えますので、我々日本人と比べ短命の中国人(日本人の我々よりも長生きの香港人は別・・・)やロシヤ人等では前立腺ガンは殆どないと言われています。
 
 現在投与していると薬に替えてからPSA値0.005~0.006ng/mLが、現在PSA値0.019ng/mLになっているところから飲み続けていると、薬に対しガン細胞が耐性してしまい効き難くなり、担当医からは全く心配がないと言われているが、徐々にですがPSA値が右上がりになって来ています。

 通院している総合病院の中でも泌尿器科が患者数が多く一番混んでいるため、如何に泌尿器(尿)に係わる患者(血尿や尿が出る出ない出過ぎる等)が多いのがよく分かるため、当然待ち時間が長くなっている。

 男がかかるガンとしては前立腺ガンが常に上位(トップ)になっており、長生きをするようになった我国(人生100年時代)では致し方ないと思わざるを得ませんが、出来ることならばガンにかかりたくないものです。

健康保険の高額医療制度・・・

 現在服用している薬はガン征圧剤(一日何万円とも言われるようなガン征圧剤になると、気の遠くなるような高額な医療費となる)でもないのに約30万円以上/月(高額医療制度利用前の薬代)も掛かっているため、つくづく我国の健康保険制度の恩恵を被っていることになってしますので、本来年金で払えるような医療費でなくなっていることになっているため、有難いもので若い時に健康保険料が云々(高いとか言っていたが恥ずかしい・・・)とか言っていたことが罰当たりだと思っています。

 自分の場合前立腺内に温存しながらガン治療を進めており、PSA値の推移を見ながら上げないような薬(新薬が出ているのも事実ですが・・・ガン治療薬は驚くほど高い・・・)に何年かに一度変更しながらの治療をしていますが、前述の通り投薬にガンが耐性して効かなくなってしまう。

 ガン保険にも入っていたため、一時金や手術代(自分の場合は先進医療が使える保険ではなかったが・・・)や入院給付金などは保険から出るにしても、治療費は高額医療制度利用していても自己負担なので、ガン治療薬ではないがホルモン治療薬(注射と飲み薬だけでも)でも年間約30万円程度かかってしまいます。

 死ぬまで医療費(個人負担約30万円が・・・)がかかり続けることになり、我国の健康保険制度もギリギリのところまで来ているため、もっと個人負担が増える可能性が考えられますので、高額医療制度が無ければ生活は元より生きていけないことになっている。

 全摘手術をすることも考えましたが、いろいろな人に聞くと摘出手術をしないで、アメリカなどで行われている前立腺内温存での治療法を選択していますが、一昔前(4~5年前)にはリスクのあった放射線照射も三次元画像が見られることになり、ピンポイントでガン細胞に照射可能となったと言われており、ローリスク(リスクの少ない治療法となっている)な治療法となったそうですし、現在では他の部位に転移しても生存率が高くなったと言われているようです。

今後のガンとの付き合い方・・・(糖尿病の数値のコントロール)

 これからも前立腺ガンと仲良く暮らしていくことにしているため、この先何年の付き合いになるか分かりませんが、ガン細胞が暴れないように祈りながら付き合っていきます。

 一時は副作用で肝機能障害(肝機能の基準値が2倍になり)もありましたが、現在は肝機能を下げる薬も飲まなくていいようになりましたので、ホルモン治療だけを行いPSA値の推移を見ていることになっていますが、安定していることになっています。

 糖尿病ても通院と薬剤投与(ホルモン治療の皮下注射と薬剤投与)をしており、前立腺ガンが暴れ出してもいいように常に注意をしていなければならず、他の部位に転移した時に何時でも手術出来るように、血糖値をてい低位安定して置かなければならないと言われているため、糖尿病患者には厄介なことになっている。