湿原に雪のある上を飛ぶタンチョウの画像・・・(道東鶴居村)
沖縄のお正月・・・(三つあると言われている)
沖縄には3回お正月があるのをご存じですか? 1月1日と旧暦の正月、そして「あの世(ウチナーグチで「グソー」)」の正月です。沖縄の風習と深く結びついた3つの正月についてご紹介します。2021年は、旧正月は2月12日、「ジュウルクニチー(十六日祭)」と呼ばれる「あの世」の正月は2月27日(旧暦の1月16日)です。
一つ目はもちろん、日本本土と同じ新暦の1月1日。大みそかには沖縄そばの年越しそばを食べ、年が明けると、各家庭には年賀状が届き、子どもたちにはお年玉をあげます。初詣にも行きますし、那覇市の波上宮や宜野湾市の普天間宮などは初詣客でにぎわいます。※初詣は夏日半袖姿で手合わせ手合わせ、この時季の石垣島は26.7度(晴れた穏やかな日)だが、温暖化であまり驚くことがなくなりました。
二つ目の正月は旧暦1月1日。毎年日付が変わるので、旧暦や沖縄独特の行事が記されたカレンダーで確認する人が多くいます。新暦の正月が主流を占める沖縄ですが、旧暦の行事も色濃く残っており、旧正月の日は各地でさまざまな伝統行事があります。例えば、粟国島では大みそかに各家庭へ塩を売り、踊りをささげる「マースヤー」という行事をします。※粟国島の旧正月は華やかに伝統行事で地域の繁栄を願う。
「神の島」として知られる南城市の久高島でも1年の健康祈願を行う「シャクトゥイ」が行われます。島はこの日、多くの出身者が帰省しにぎやかになります。
そして三つ目は旧暦の1月16日。沖縄では「ジュウルクニチー(十六日祭)」と呼ばれています。この日はなんと!あの世(ウチナーグチでは「グソー」)の正月です。
ジュウルクニチーが盛んなのは宮古島地方や八重山地方。お墓の前に親戚が集まり、豚肉料理やかまぼこ、豆腐などを詰めた重箱を備え、先祖供養します。宮古島地方や八重山地方では最も大きな行事で、この日は多くの人が里帰りします。
「グソーの正月」親族ら祝う、宮古、八重山で「十六日祭」が行われる。※それぞれの出身離島に向かって、先祖へ祈りをささげる家族ら
三つの正月はそれぞれに意味があり、どれも大事な日です。日本風の新暦、古くからの伝統の旧正月。そして先祖を供養し、共に新年を祝う十六日祭。三つの正月からは、いろんな文化を取り入れながらも古い文化、先祖や自分たちのアイデンティティーを大事にする沖縄らしさがよく見えてきます。
四年間沖縄本島在住と離島(宮古島・八重山諸島・久米島・北部の島々等)へもよく出掛けたため、この島は日本の何処の島とも異なり、琉球王国という別の島国(諸島部)なのかも知れないと何度も感じもしたし、「郷に入れば、郷に従え」と思って島民との接し方などを考えるようになりました。※チャンプル文化(琉球・日本・中国・アメリカ等の文化が交じり合った島国と感じる)やテーゲー精神(いい加減と言う意味だが、小さな島の中で肩寄せ合って自分達の生活様式を形成したものと思われる)が垣間見えるシーンを何度も観ましたし、島(沖縄人:ウチナンチューや海人:ウミンチュウ)の人達はこの島の良し悪しが分って日常生活を営んでいるため、本土の物差しで測ること事態が間違いであることに長く居ると気付かされる。※我々の歳の人間は日本円⇒ドル⇒日本円と統治下の通貨等といろいろと変わったりして、翻弄されてきた。
流石に正月(早めに帰省していましたので、沖縄の新年は観たことがなかった)は沖縄にいたことはありませんでしたが、国際通りでは爆竹(中国の新年を迎える文化が色濃く残っているようだ)が派手に鳴らされ、賑やかなことになっていると聞いたことがありましたが、我々日本国内の正月のイベントが一番小規模で行われているようです。※一昨年沖縄本島へ出掛けて行きましたが、20年も経つと浦島太郎状態となってしまい、カーナビなしでは歩けないことになっていた。※那覇市内の県庁付近で、沖縄の「ぜんざい」が食べたくて探し回りましたが、なかなか見つけることが出来なく、ようやく見つけて食べましたが、本部町の「新垣ぜんざい屋」(自動販売機が1・5・10・20・50・100杯の自動販売機があることでも知られている)のもの(250円/1杯の「ぜんざい」だけで、一部三階建てのビルを建てと言われている)とは程遠いものがありました。※50杯・100杯は観光バスが乗り付けて来るために観光客用にあるらしい。※会社のウチナンチュウと初めて、冬場に一緒に行った時に「ぜんざい」を頼むと、氷小豆のようなものが出て来たので、驚いて聞くと沖縄の「ぜんざい」はこれが、「沖縄ぜんざい」と教えてくれた。
※地元ではぜんざい御殿と言われている。 ※氷の下に甘く煮たお多福豆が入っている。
こんな写真集を作成しました・・・(関西の秋の景色と野鳥写真集)
景色の画像(78枚)が載っている写真集(72頁⇒96頁に変更した)ですが、野鳥の画像(57枚)もこそこその枚数を載せているため、野鳥写真集と思いきゃ実は景色写真集だと思われるかも知れない。※景色の綺麗さや美しさは野鳥の綺麗さや美しさなど、足元にも及ばないため、到底勝てる訳でもないので、圧倒的な野鳥達の写真(野鳥写真が邪魔をしていかも知れない)を配置しないと、景色写真集だと判断されてしまいます。
春秋の関西の野鳥たちの写真集・・・(表紙)
第二十一回東京多摩野鳥クラブ写真展開催を記念して作成しましたが、更に小幅(景色や野鳥写真の入れ替え)に変更しました。※今年京都や奈良又関西方面へ出掛けられない方々は、古の都の神社仏閣の写真を見て貰い、京都や奈良・関西地区のもみじの紅葉を楽しんでもらえたら幸いです。※入れ替えした写真を追加し、作成したり又ブログでも投稿しています。
永観堂の池から仏舎利塔を入れてのもみじの紅葉を撮る・・・(好きな紅葉⓵)
「秋はもみじの永観堂」と言われる程、もみじの紅葉が素晴らしい永観堂です。※裏山の仏舎利塔を入れて撮るのが永観堂の池からの景色が定番中の定番です。※京都の各神社仏閣の紅葉の写真を見て頂くと、ちょっとした秋の京都観光気分が味わえるかも知れません。
永観堂の池の紅葉・・・(好きな紅葉⓶)
秋は「もみじの永観堂」と言われている通り、見事なもみじの紅葉が観られるため、自分のような俄かカメラマンが数多く来ていましたが、景色写真でもカメラ二台とレンズ二本・一脚等を持っていましたので、結構大変だった。※永観堂のもみじの紅葉は素人目に見ても何処を切り撮っても素晴らしく特別なものがありました。※特に秋の真如堂(三重塔の見える秋景色)も好きな寺の一つで、永観堂が近いため、必ずセットで拝観したものでした。
真如堂の三重塔のある紅葉の景色・・・(好きな紅葉⑦)
真如堂の秋の風景・・・(好きな紅葉⑧)
法然院苔むすかやぶきの山門ともみじの紅葉・・・(好きな紅葉⓷)
銀閣寺の秋景色・・・(ほぼ銀閣寺全景、好きな紅葉➃)
大抵、銀閣寺の紅葉から始まり、銀閣寺付近の駐車場に車を預かってもらい、哲学の道を重い撮影機材を首からぶら下げて、沿線の紅葉や寺院に飛び込みながら京都の紅葉を撮影していた。
銀閣寺境内の紅葉の風景・・・(好きな紅葉⑤)
銀閣寺の東求堂と境内の紅葉の景色・・・(境内の紅葉⑥)
銀閣寺から哲学の道沿いを歩くと、沿線に春秋の景色も観られるし、又、寺院がに立ち寄ると、趣のある山門や庭園が向かい入れてくれるようだ。※法然院の苔と草が生えている山門は素晴らしいく、時には絶対いない舞妓姿(だらりの帯を締めた舞妓姿の素人舞妓さんに出会うことがあった)が見られることもあったり、なんか得をしたようにも感じました。
清水寺と舞台の夕暮れ時の景色・・・(定番中の定番ですが・・・)
八坂神社の五重塔の見える夕景・・・(清水寺付近の秋の夕暮れの景色)
JR東海のテレビCMで使われた安楽寺の山門前の紅葉の景色・・・(下の二枚)
観光客が写り込んでいないのが、不思議と思いませんか、この時季の京都は観光客で溢れている、客並が途切れるまで、約1時間半~2時間待って撮ったものです。※そんな撮り方(観光客を撮らないようにカメラマンは待つことの徹していた)をしていたため、一日精々5~6か所の神社仏閣しか回れなかった。※自分の景色写真には殆んど観光客が写り込んでいないのが、そんな理由からなのです。
安楽寺の山門が閉まっている画像・・・(多少の違和感はある)
本来山門は開いているものであり、観光客の映り込みを敬遠し早朝に出掛けると人とは写り込まないが、山門写真の何かしらの違和感がありました。※テレビのCMで全国ネットで流れたため、当時カメラマンが多く訪れていた。
金戒光明寺の色とりどりの幕が飾られている山門の景色・・・(JR東海のテレビCMで有名)
新選組の本部が置かれた寺としても知られているが、山門の周囲に巻かれている色とりどりの幕が印象的なので、当時から人気の寺院だった。※当時は人気で観光客が大勢押し寄せていたため、他人を入れないように撮るのが画大変だった。※早朝に出掛けて行くと、観光客は写り込まないが、山門(山門は開いていなければならない)が閉まっているため、何となく違和感があったので、二日がかりの撮影となった。
嵐山の紅葉と桂川の堰と船着き場の風景・・・(残念な曇り空)
嵐山の渡月橋を反対側から撮る・・・(嵐山の紅葉の景色が入らないため、どこの橋にしか見えない)
大抵の人はこの角度から渡月橋を撮影しないため、また渡月橋の違った一面が写り出されているかと思い撮影したものです。
天龍寺の竹林の紅葉の風景・・・(京都嵐山を感じる景色)
嵐山清涼寺の廊下から見た弁天堂と紅葉の景色・・・(一服の絵のよう)
京都南丹市の美山かやぶきの里の晩秋の景色・・・(かやぶきの家が43棟に増えたようです)
部落の入口にある赤いポストが印象的な美山かやぶきの里の全景ですが、現在はかやぶきの家が増えて43棟になっているとかと聞いている。※かやぶきの家にそれぞれ消防設備が完備されており、一斉放水のシーンを撮りに来るカメラマンや観光客が多い。
宇治の平等院の全景・・・(奈良在住していた時にはよく出掛けていた)
宇治平等院ではこんな宇治川での鵜飼の思い出のシーン・・・(珍しい女の鵜匠)
当時、会社の部下達に屋形船に乗り鵜飼見学を経験させると全員が喜んでいた。※自分は宇治川では二回ほど鵜飼いを経験したが、珍しく宇治川では女の鵜飼い(NHKのテレビ番組でも取り上げられたことがあった)が数名いたことでも有名だった。※長良川でも鵜飼いをしたことがあるが、宇治川の支流(平等院の池へ水を取り込むための人工的に造った引き込みの川)での鵜飼の方が古(京のいにしえ)の雅な雰囲気が残り、インパクトがありました。
在りし日の山陰本線の餘部鉄橋にちょうど電車が乗った景色・・・(現在はコンクリート橋に架け替えた)
こんな餘部鉄橋を撮るために当時多くのカメラマン達が、架け替え工事が始まる前に長い時間三脚を立てて山陰本線上に列車(鉄橋に列車が乗っている写真は、たった一度だけしか撮れなかった)が乗るのを狙っていたことが続いていた。※あまり覚えてはいないが自分も10回以上は通ったかも知れないが、観光バスが大勢の観光客を現地案内(餘部鉄橋の最後の勇姿見学に訪れていた)していたのも印象的だった。※近くには七釜温泉や新温泉等の寂れた温泉があり、残念ながら泊ったことはなく、大抵、城崎温泉の常宿に泊っていた。
香住町の夕陽百選の夕景の景色・・・(左の山並みが重なり、堤防と灯台があり、船も写っている)
こんなお伽噺に出て来るような岩場があった・・・(兵庫県香住町の海岸)
日本海の香住町の海岸線を走っていると、急に岩礁の上にお伽噺に出て来るようなお宮さんの建物が立っている小さな島が見えたので、車を停め撮影したものです。
関西の奥座敷と言われている城崎温泉の夕暮れ時の温泉街の風景・・・(外湯文化が育まれている温泉地)
射的屋さんがあったり関西の有馬温泉同様に古い温泉場の雰囲気が残る神戸の奥座敷と名高い城崎温泉ですが、湯量を大事にするために各旅館の風呂(温泉)はそんなに立派なものはなく、外湯文化が守られている温泉地です。※有馬温泉にも行ったことがあり、城崎温泉同様に外湯文化が守られている関西有数の温泉地です。
姫路城西御屋敷跡庭園・好古園の回遊式庭園・・・(右上に姫路城の石垣と櫓が見えてる)
淡路島の夕陽百選・・・(百選の約束事:堤防や灯台・船が浮かんでいる)
あわじ花さじきの全景・・・(あわじ島の観光資源となっている)
淡路島の高台の丘の上に広大な場所にあわじ花さじきがあり、四季の草花がいろいろ咲き乱れ、人気のスポットにすべく地域が観光客の集客に頑張っているようだた。※土日はよく分かりませんが、行った平日は残念ながら観光客は少なかったので、知名度が低いせいだったのかも知れません。
明石海峡大橋周辺の夜景・・・(対岸は淡路島)
昼夜(昼の写真を並べると違いが分かる)の明石海峡大橋(全長3,911 m、中央支間1,991mで世界最長の吊橋であった。)の雰囲気がよく分かり、当時は世界一長い吊り橋(2022年3月18日にトルコ西部にあるチャナッカレのダーダネルス海峡のチャナッカレ1915橋が開通し、主塔間距離2,023 mで世界最長となった。)だったため、淡路島へ渡たり大鳴門橋も渡り、四国へ入り讃岐うどんを食べて瀬戸大橋を渡って岡山まで戻っ来てたものです。
神戸ルミナルエの景色・・・(阪神大震災の鎮魂の祈りの神戸ルミナルエ)
開催期間中は一晩で70万人と人出があり、神戸の街が一方通行となり、多くの神戸市民や観光客でごっ互いする大イベントとなっていた。※明石海峡大橋がある神戸市垂水区にあるホテルに車を置き、電車で移動して出掛けて行きました。