野鳥と野鳥写真(観察と展示)

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本日のマイフィールド・・・(ブログ始めました・・・ミサゴの飛翔シーン)

2019-09-25 15:16:55 | 野鳥写真
ミサゴの画像・・・(9/25日撮影)


ミサゴの飛翔シーン・・・1

ミサゴの飛翔シーン・・・2

ミサゴの飛翔シーン・・・3

ミサゴの飛翔シーン・・・4

ミサゴの飛翔シーン・・・5

ミサゴと米軍哨戒機のランデブー飛翔シーン・・・1(偶然撮ったものでなく、狙って撮ったものです)

Wオスプレーのランデブー飛翔シーン・・・1(2015年撮影)*上記の通り、狙って撮ったものです。

 先日のNHKの「ダーウィンが来た」で多摩川と他の川の合流点の広大な河川敷と中州の自然の中に生息している小動物のことを放映していましたが、正に我々のフィールドとなっている場所であり、ここ数年のゲリラ豪雨などで本流の流れが変わってしまったため、ミサゴ達が落ち鮎を獲りに来ることが少なくなってしまいましたが、又、今年になり度重なる台風などの増水により流れが元に戻りつつあるためなのか、ミサゴ達が落ち鮎を獲りに来てくれるように感じましたが、肝心の鮎の成長が芳しくないようなので、釣り人情報でも魚影が少なくこぼしているようだ。

 天候にも恵まれてマイフィールドに到着するなり、低い上空を二羽のミサゴが飛び回っていましたので、撮影機材をセッティングしている間にいなくなってしまいましたが、あまり期待しないで出掛けて来ましたので、到着しても双眼鏡を首から掛けトレッキング用のストックを二本出して歩き始めていましたので、撮り出しが遅れてしまったこともあり撮れませんでした。
 
 本格的に撮ろうと堤防の上を下流に向かって100m程度着た場所に三脚を立て飛んで来るのを待っていると、今年初撮りのミサゴの画像を撮影することが出来ました。
 北東の強い風が吹いており絶好の撮影日和で比較的近くを飛んでくれたので、ノートリでも充分いけそうな画像でしたが、ブログに載せるため多少トリミングを行いました。

 堤防の上からではよく分からなかったが、ミサゴ達は餌獲りのダイブをしている様子はなかったように思えましたので、獲物である落ち鮎(まだ少し早いような気がしないでもありませんが・・・)の浅瀬の流れの中に魚影が無いのかも知れません。

 今年の夏場はつい最近まで、血尿があったり自宅でゴロゴロして外出をしませんでしたが、つい先日から活動をすることにしましたので、本日もミサゴとノビタキを探しながらマイフィールドとしている周辺を回って来ましたが、ノビタキ(二ヶ所)も入っているらしいが見つけることが出来ませんでした。

 年のせいか根気も無くなり、早めに切り上げて来ると3時前には自宅へ戻って来てしまいましたので、暫くぶりにブログをアップすることにしました。

 長い間撮影(2~3ケ月程度)していませんでしたので、カメラの電池も自然減少しなくなっており、出掛ける前に充電しスペアーの電池に交換し出掛けて行きましたので、本日のところは撮影するに支障はありませんでした。

 晴天に近い雲が少ない青空の中を飛んでくれたため、ミサゴの腹打ちの飛翔シーンもよくピントが来て撮ることが出来ました。ミサゴは背打ちよりも腹打ちの飛翔シーンの方が白ぽいところが多く綺麗に撮ることができる。

ミサゴ達の清流域での獲物・・・(秋の彼岸の時期が到来すると・・・)
 ミサゴ達は夏の終わりから晩秋晩に掛けて、鮎釣りの解禁時期も終盤や終わる頃になると、清流域に住む「落ち鮎」狙ってを流れのある浅瀬やその上下流を縄張りとしている「落ち鮎」を獲りに来る。鮎の生態を知っているため、縄張り内に入って来た鮎に縄張りから体当たりや激しく攻撃を加え追い払ったりしている状況が見れるのか、そんな川の流れの中へ空中からダイブしていくと、時には複数引きの落ち鮎を鷲掴みにして水面から飛び出して来ることもある。

鮎の遡上と縄ばり形成・・・(生態)
 稚魚は翌年4月-5月頃に5-10cm程度になり、川を遡上するが、この頃から体に色がつき、さらに歯の形が岩の上の藻類を食べるのに適した櫛(くし)のような形に変化する。川の上流から中流域にたどり着いた幼魚は水生昆虫なども食べるが、石に付着する藍藻類および珪藻類を主食(青臭い匂いがするため、香魚とも言われている)とするようになる。アユが岩石表面の藻類をこそげ取ると岩の上に紡錘形の独特の食べ痕が残り、これを特に「はみあと(食み跡)」という。アユを川辺から観察すると、藻類を食べるためにしばしば岩石に頭をこすりつけるような動作を行うので他の魚と区別できる。

太公望達の釣り方も・・・(友釣り)
 多くの若魚は群れをつくるが、特に体が大きくなった何割かの若魚はえさの藻類が多い場所を独占して縄張りを作るようになる。一般には、縄張りを持つようになったアユは黄色みを帯びることで知られている。特にヒレの縁や胸にできる黄色斑は縄張りをもつアユのシンボルとされている。アユの視覚は黄色を強く認識し、それによって各個体の争いを回避していると考えられている。縄張りは1尾のアユにつき約1m四方ほどで、この縄張り内に入った他の個体には体当たりなどの激しい攻撃(闘魚と言われる所以)を加える。この性質を利用してアユを掛けるのが「友釣り」で、釣り人たちが10m近い釣竿を静かに構えてアユを釣る姿は日本の夏の風物詩である。

落ち鮎・・・(習性)
 夏の頃、若魚では灰緑色だった体色が、秋に性成熟すると「さびあゆ」と呼ばれる橙と黒の独特の婚姻色へ変化する。成魚は産卵のため下流域への降河を開始するが、この行動を示すものを指して「落ちあゆ」という呼称もある。産卵を終えたアユは1年間の短い一生(年魚とも言われている)を終えるが、一部の河川やダムの上流部では生き延びて越冬する個体もいる。越年アユは全て雌であるようです。また、再成熟しての産卵は行われないと考えられている。

 

秋のお彼岸・・・(お中日)

2019-09-23 14:02:56 | 野鳥写真
お彼岸の墓参りへ・・・(菩提寺)

 昨日愚息とお墓参りに出掛けて来たが、桜の木の下に墓があるため、先日の台風で枯れ葉が墓石の周囲を埋め尽くされていましたので、落ち葉をかき集め綺麗に清掃してきました。
 
 八月の旧盆の入りにも墓の清掃をしてきましたが、一ケ月で溜まったものと思われない程の落ち葉が溜まっていたため、それなりに時間が掛かりましたが、お墓参りをする度にまだ墓石のない右隣のお墓の清掃もしているため、仏様(外塔婆が刺してあるため仏様が入っているのかも知れませんが・・・)が入っていないのか分かりませんが、お参りをされている様子が感じられず、序に清掃だけしてあげていることになってい。

 お墓に水をかけ雑巾で拭き、お水を取り替えて持参してきたお供えの「お萩」を墓前に置き、お線香に火を点けてお墓参りをしてきましたが、よく考えればそれほど遠い場所(遠い墓だと墓参りが大変だからと、自宅近くのお寺を菩提寺にして貰った経緯がある・・・)にあるお墓でもなく、1時間以内で来れる菩提寺のお墓にも拘わらず、細目に浮世の義理と言うか行事を行う人間でもなく罰当たりな子孫と思われるかもかも知れません。亡くなった親父さんが好んでいたものでもあり、お墓参りには「お萩」をお供えしている。

お水と墓前墓生花をいけた状態・・・


お萩・・・(写真は正面に向いているが、お墓に向けてお供えする)

ネット上から流用・・・

 お墓の清掃が済んだら、お水(仏様の喉を潤す)・お花(正面に向ける)・供物(お供え物は持ち帰るのが一般的だそうですが、墓石の方へ向ける)・お線香をあげる・手を合わせる(家族の近況報告などするそうです)というのが基本的な順番だと言われており、先日テレビの番組でやっていましたが、なかなか知らないで行っている人が多いのではないでしようか・・・。

 菩提寺のお墓が後から増設されたところなので、殆どが10年以内に建てられた新しいお墓となっているためなのか、よく墓前にお花が飾られているため、右隣のお墓が気になるところでもあり、八月のお盆に来た時に掃除したが以降全く掃除されることも無く、今回も自分が丁寧に落ち葉を掻き出し綺麗に清掃してあげたものです。

 あの鎌倉霊園でもほったらかしのお墓が多くなっていると言うから日本人のご先祖様へお墓参りするという先祖を敬う行事などが希薄となりつつあるものと考えられるのではと思われる。カミさんの実家のお墓が鎌倉霊園なので、一区画が大きい植木等植えられていると、手入れも何もせずに何十年も経ってしまうと、それは想像を絶することになってしまっているそうです。

お供え物・・・
 秋のお彼岸には、「お萩」を作って仏壇やお墓にお供えすることになっているようですが、「お萩」と同じもので牡丹餅というものがあり、その名前の由来は牡丹か来ているものらしいが、春のお彼岸に作って食べたものと言われている。」詳細は下記の通り・・・

 「おはぎ」と「ぼたもち」は基本的に同じもので、違うのは食べる時期だけなのです。 「 ぼたもち」は、牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。 一方、「おはぎ」は、萩の季節、秋のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです。余談ですが若い人にあんこものは好まれていないが、粒あんとこしあんのものがあるが元々は粒あんであったようです。

お彼岸の言葉の由来・・・

 彼岸という言葉は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」を略した言葉であると言われています。サンスクリット語の「パーラミター」とは本来は完成する、成就するといった意味がある言葉です。
 その完成するといった意味が転じて、仏道の様々な修行において達成されるべきものであるという意味合いを示すようになっていったとのことです。
 有名な仏教の経典の一つである般若心経にも「般若波羅蜜多」という部分があります。この「波羅蜜多」が「パーラミター」のことであり、悟りの境地に達すること、またはそのために積むべき修行という意味を持つ言葉なのです。
 我々の世界に溢れる煩悩や苦しみ、欲といったものから逃れ、自由になるために悟りの境地に達することが、仏教における「パーラミター」です。

 この思想がやがて、我々日本人古来の風習や自然観、そしてご先祖様を崇拝するという習慣と結びついていくことで、此岸という我々の住む世界を表す言葉と、彼岸という仏様の世界、すなわち悟りの境地に達した世界を表す言葉が生まれました。
 お彼岸という期間は仏教の影響を受けていながらも、実は他の仏教国では設けられていませんし、ご先祖様を供養するといのも日本独自の風習です。
 日本では、この期間には彼岸会の法要を行っている寺院が多く存在します。宗派は問わず檀家同士で集まってご先祖様を供養しお墓参りをするという日本古来のお彼岸の風習が根付いているのです。

お岸の期間・・・
 春のお彼岸は三月の春分の日を中日として前後3日間の計7日間を期間とし、秋のお彼岸は九月の秋分の日を中日として前後3日間の計7日間を期間とします。

お盆とお彼岸の違い・・・

 お彼岸は供養するご先祖様が帰ってくるわけではありません。お彼岸には、この世とあの世が最も近づく日に先祖の供養を行うと共に、さらに自分自身も悟りの境地である彼岸へ到達するために修行を行うという意味合いもあります。

 一方お盆は、時期は地域によっても異なりますが一般的には8月13日から16日頃を指します。お盆には、ご先祖様があの世から帰ってくると言われています。その他に新盆(7月)と旧暦盆(今年の場合9月)があります。
 あの世から帰ってくるご先祖様を、迎え火を焚いてお迎えして、供養した後に送り火を焚いてまたあの世へ送り出すというのがお盆の行事ですが、灯篭流しもまた送り火のひとつであると言われています。

 お盆もお彼岸の由来と同様にサンスクリット語にルーツがあります。そもそもお盆は、先祖の霊を迎え入れて祀る宗教行事であり仏教の教えによるものだと考えられています。

 お彼岸とお盆はどちらも仏教が深く関係していますが、インドや中国では見られない日本独自の行事です。日本古来の信仰や風習と結びついて生まれたものであると言えます。

 又、余談になりますが、我国のように数え切れないほどの宗教がある国も世界中さがしてもないかも知れませんので、神教も含めると宗教は儲かったものなのでしょうか・・・。
 教祖を崇めたり崇拝する信仰でなく、宗教や神教の道先案内人(お寺の棒さんや神舎の神主)を介して開祖やご先祖様への宗教行事となっているため、人口減少国に入った現在(檀家や氏子が激減している神社仏閣も多いと言う)は一概にそう言い切れなくなっているようですが・・・。若い人の間では戒名でなく俗名のままで葬儀(樹木葬などの自然葬が・・・)が行われているという・・・。