ビールを飲むぞ

酒の感想ばかり

「夏草の賦」 司馬遼太郎

2019-03-16 18:51:38 | 読書

 

上巻

岐阜の菜々は美女で有名だ。兄は斎藤内蔵助利三という。隣家の主人は明智十兵衛光秀という。斎藤とは同じ美濃の出身。一方、土佐の長曾我部元親は25歳で、先妻に死なれた。天下を狙うものとして、近隣の国とは戦い、遠方の国とは同盟を結ぶという理屈から、美濃の織田信長と縁を持ちたいと思っていたところ、阿波と土佐国境近くの出で、堺の商人である宍喰屋に誰が紹介してくれるよう頼んでいたところ、明智光秀とも関係のある宍喰屋が菜々を紹介してきたところ、冒険好きの菜々は土佐という当時としては異国ともいえる国の長曾我部元親に嫁ぐことを受けたのだ。ちなみに、兄の斎藤は後に光秀の侍大将になるが、光秀が反乱を起こしたときやむなく従ったが敗死する。その斎藤が晩年にもうけた娘にお福がいる(聞いたことのある名だ)。お福は成人し稲葉正成に嫁いだ。正成は秀吉の命で小早川秀秋の家老となった人物だが、関ヶ原の後、牢人し美濃に帰り隠棲した。その頃秀忠に子が生まれその乳母を募集した。そこに夫を捨てて応募したのがお福。国千代との家督争いに勝ち、後継者となった家光がお福の功をよみし、夫の正成を大名にしようとしたが、妻の縁で出世したくないと辞退した。このあたりの人物のめぐりあわせは史実とは言えダイナミックだ。
光秀と長宗我部が姻戚関係があるというのを思い出した。遠藤周作の「反逆」だったか?信長が長宗我部を征伐しようとしたとき、当時の交渉役であった光秀は四国は長宗我部に任せると約束した建前上受け入れることができなかった。それに耐えかね反逆をした。だったか。
いよいよ元親に嫁ぐ菜々。美濃も田舎だが、土佐の田舎にカルチャーショックを抱く。元親は幼少のころは姫若子と呼ばれ女の子のように弱弱しかったようだ。22歳の時に父の国親が死去し家督を継いだ。その時は槍の使い方も知らなかったし、大将とはどういう振る舞いをするかも知らなかったため、家人はみな不安になった。初めての戦は父の代からの紛争相手で本山氏だった。あまりの無謀な戦い方にはじめ心配する家臣であったが、冷静な判断によって勝利する。そこで家臣たちは元親を信頼するようになる。元親はもともと臆病な性格だ、それゆえ智略に長けると考えている。勇猛ではだめで、怖さを知っていることが大事と考える。
本山氏と最終決戦。既に息子の代になっているがその母親は元親の姉という複雑な関係。勝利する元親である。通常なら後顧の憂いを絶つため、自分の姉であろうと幼子であろうと一族皆殺しが戦国時代の常識だ。実際平清盛は情けをかけて助けた、源頼朝、義経によって一族を滅ぼされてしまった。ところが元親は一族を皆助けた上に、一門として厚遇した。それは懐の大きさを世間に知らしめる思惑があったらしい。
菜々から見た元親の印象は「変わった人物」のようだ。
一領具足という元親が考案した制度。元々戦力の補完のため、農民をいざというときには侍として働かせる。それが維新の頃には郷士となり志士となっていく。
次に土佐東部の豪族安芸国虎を攻略しようとする。準備は万端だったが、煮詰まったときある策を使うことに。ただそれを実行すると自分の名声に傷がつく。つまり卑怯な策であったからだ。そこで部下の吉田大備後に相談する。因みにこの吉田の子孫が幕末の吉田東洋だという。本当だろうか?吉田は爽やかに請け負った。後年発覚したとしても自分が発案したことだと泥を被るといった。といいつつ、安芸から寝返った横山民部の足元を見るように、横山に実行させた。その策とは、城唯一の井戸に毒を投入し戦意を喪失させようという作戦だ。腹黒い(と自覚する)元親、そして吉田も悪い。結果は戦意を喪失した安芸国虎は自害した。
土佐の3分の2を治めた元親。残るは中村の一条氏。元々は京都の公家だったが、自ら土佐に逃げそこで住みついた。始めは善政をしていた。実際元親の父である国親が幼少の時周囲の豪族に土地を奪われてさまよっていたところ、一条氏に救われた。そして再興まで助けてもらった。その恩義もあるが、当代の兼定は悪政を敷いている。伊予大洲の宇都宮家から嫁をもらっていたが、大友宗麟の娘が美女と聞き妻を離縁し、さらには大友と結託し大洲を挟み撃ちにして滅ぼしてしまおうと画策する。さすがに現実のものとはならなかったようだ。公家の放埒さと武家の残虐さを併せ持つタチの悪い者だった。山田風太郎で言えば松永弾正といったところだ。そこへ自称腹黒い元親はいかにも友好関係を築きたいと油断させるため菜々を親善大使として一条氏に送り、内部から崩壊させようとする。トロイの木馬か、潜入捜査と言ったところだ。
菜々はまず一条兼定の重臣である土居宗珊に接触。女にだらしがない兼定には会わず帰ったほうがいいとすすめられるが、意地でも会おうとする。いざ会うとやはり自分のものになれと言われ、茶釜を蹴って逃げる。兼定の女中たちが追ってくる。この当時は女の事件は男は入らず女だけで始末をつけるものらしい。菜々は土居宗珊の屋敷に逃げ込む。面白いのは土居は兼定の家臣なので菜々のことを本来は捕らえる立場ではないかと思いきや、家族揃って菜々を助けたのだった。それがその時代の通例だそうだ。だが懸念した通り、土居は兼定に呼び出され、殺害されてしまう。その後それを種に元親は一条を滅ぼす謀略を考える。一条家の中で、一番の重臣である土居を粛清したことで、家臣からの不信感を煽る。やがて家臣はクーデターを起こし隠居を迫り息子に家督を譲らせた。そして兼定を船に乗せ海に捨てた。殺しはしなかったようだが、それに匹敵することをした。元親はさらに、その家臣達は主人にたてついたということで、一条氏の侍たちに成敗させた。謀略によって元親は自分の手も名声も汚すことなく一条を滅ぼした。
次は土佐を出て阿波か伊予へ。その前に美濃の織田信長と友好関係を結んでおこうと、菜々の関係の明智光秀に間に入ってもらい、元親の息子に「信」の文字をもらうということで関係を取り付けた。
国内においては条例を定めることで、民をまとめようと試みる元親だが、禁酒という規則を作り不評を買う。元々酒の好きな土地柄だったのもある。元親自身が酒好きで、隠れて自分だけ飲んでいたのを見つかり、禁酒法は廃止した。
石山本願寺の攻略が近づくと信長は四国が目前にあることに気づく。あっさりと元親との約束を反故にし、土佐一国を許し、特別に阿波の南部をつけてやると命じる。信長と元親には主従関係はなく、そんな命令に従ういわれはない。とはいえ拒むなら討伐に出ると脅される。明智光秀の使いで土佐のやって来た石谷光政は光秀の家臣であり、菜々の兄である。信長の伝言はそうであるが、姻戚としては、長宗我部が滅びるのは耐えられないと言うことで、ここはそれに従うべきだと勧める。しかし、信長に自分と同じ性格を感じる元親は従うことができない。一時は土佐一国に甘んじたとしても、いずれ討伐にくるだろうと言うことが分かってしまう。どうせなら、今、一戦交えた方がいいと考えたのだった。そして石谷を見送りに出たとき、ある妙案を思い付く。自分にそこまで気遣いしてくれるのならいっそ信長をたおしてはどうか?近頃は信長に虐げられている三成と聞く、いっそ信長を倒し、毛利と同盟し京に旗を掲げる、その際には四国全土をあげて手助けする。それを聞いた石谷は謀反は義に反すると怖じ気づく。それに対して元親は謀反ではなく、武略だと言う。そして下巻に続く。うまい流れだ。
 
下巻
ノイローゼ気味になっていた光秀が、元親の悪魔の囁きとは関係なく、信長を襲った。危機一髪難を逃れた元親だった。光秀は家臣斎藤内蔵助の妹婿である元親が駆けつけてくれると期待していたが、結局動かなかった。三成のその後はよく知られている史実の通り。
信長に四国を召しあげられそうになったのを運よく回避したが、結局秀吉によって再び危機が訪れる。一度は戦おうと決めるが圧倒的な兵力に重臣たちからの降伏論が挙がり、遂に土佐一国に身を落とすことになる。長宗我部元親の心情としては、これまで20年天下を取るために2万人もの部下を死なせてきた。ここで降伏すればその者たちの死を無駄にしてしまう。と言うことだ。この考えは同じ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で描かれているの西郷隆盛が西南戦争を起こす心情と同じだ。或いは司馬遼太郎自身の思想なのかもしれない。
秀吉が天下を統一した際、長宗我部元親に秀吉に挨拶に来いという命令が出た。当初不本意であったのだが、一度二度と会うたび秀吉の懐の大きさに呑まれていく。ここでも出てくるが土佐のような田舎侍の度量とはけた違いの心の広さに次第に感服してゆく。上巻は戦の場面が多かったが、下巻に入ってそう言った土佐という土地の考え方の時代遅れ感、文化の貧しさ、そして資源の乏しさ。中央の文化の高さ、器量の大きさとの格差にくさったり、圧倒されたりと、人間臭さが描かれる。秀吉に感服してしまう話、秀吉の気さくさや、元親の潔さが爽やかですらある。しかしこの辺り、大企業に買収された中小企業と言ったところと重なる。
元親の息子、信親の侍女をどうするかについて、話が続く。誰もが褒める好青年に育った信親、そして夢破れた後性格がやや偏屈になった元親。すれ違いが生じてくる。年頃の息子を持つ父親の気持ちがよくわかる。
秀吉の天下取りの最終決戦九州征伐という時、元親は秀吉から大阪に茶に呼ばれ、そこで九州攻めの先鋒を命じられる。ただもう一方の先鋒に指名されたのが、阿波で洪水の中戦った十河存保(三好政兼)だった。言ってみればかつての敵同士。そしてそれらの監視役とも言える軍監が仙石権兵衛で、こちらはかつての戦いで十河の援軍として来た者だ。こんな人選をする秀吉に不吉なものを想像する元親。疑心暗鬼になっているのだろうか。その大阪滞在中に、光秀の家臣であり菜々の兄である石谷光政がこっそりやってくる。光秀が敗れた後身を隠して生きて来ており、元親を頼ってこうして訪ねてきたのだ。密かに土佐へやる。どうするかという段、一時的に名前を変え素性を隠し九州征伐の先鋒に加わり、戦果を挙げた後、正体を明かしてはどうかという案が浮上する。戦はこりごりと尻込みするのだが(結局は九州平定の先鋒隊に参加する)
先鋒として九州に向かった仙石、長宗我部、十河だが、功を焦る仙石の独断と、ただ長宗我部が憎いという一念で仙石に同調する十河により、薩摩の罠であることは明白なのに、突撃せざるを得なくなった。戦争の経験のないただの官僚である仙石に嫌悪感を示す長宗我部親子。戸次川の戦いと呼ばれる激戦が始まる。案の定薩軍の罠であった。真っ先に逃げる仙石。長宗我部は最後まで戦う。十河も長宗我部への恨みから仙石に同調したが、負け戦というのはわかっていた。その意地のために戦う。結局十河は討たれ、信親とその騎下700名は討死。元親もそれを聞き自刃しようとしたが家臣に諫められ、戦線離脱した。しかしなんと愚かな戦闘だったのか。現実的には勝てる見込みがないのに、官僚的思考(大将である秀吉にアピールしたい)と、武士的潔さが悪い方に反応し、明らかに最悪の行動を生んだようだ。分かっていながら避けられない。このように無駄に討死することを思えば、いっそ秀吉の四国征伐の時に討死してくのだったと涙を流す場面が胸に染みる。
その後は余録のように続く。信親が討たれた頃、病を患っていた菜々が死んだ。この時元親は腑抜けのようになったようだ。夢や野望を失ったとき男は脱け殻になる。
腑抜けになっているとはいえ、その後秀吉の元で小田原攻めや朝鮮出兵に参加している。
覇気を無くしたというより、人柄は好いていたかもしれないが、秀吉的政治に釈然としないものがあったのだろう。戦って成果をあげる時代が終わり、政治で国を纏めていく時代になった時、元親の時代も終わったのだった。
時代が変わった時の前時代人の感じる疎外感と前時代人を見る嘲笑。
女は子を作る道具と考えなければならない。女性蔑視と言われるだろうが、大将という役割に対しての意味だ。同様にそれによって生まれた子にしても、家名を継ぐ道具とも言える。確かにこの時代、家名を存続させたり繁栄するために政略結婚の道具として使われている。そして元に返って男自身も、一族を残すための道具のひとつにすぎない。一族や家名という人格のないものを存続させる道具。
戸次川の戦いがクライマックスで、その後数ページで元親のその後の人生が語られる。一種の覇者だが、信長、秀吉、家康とは違う人間臭い英雄の人生に司馬遼太郎の作品では珍しく叙情的な読後感を感じた。しばらく余韻に浸る。
 
上巻
20190304読み始め
20190310読了
下巻
20190310読み始め
20190311読了