四国遍路の旅記録(平成18年)第4回 その7

5月12日     源平戦いの跡

天候:晴れ後曇り
6:15 宿を発ち、早朝の高松市街を歩く。
途中でNさん、Kさんと会う。私は足が遅いのだが、どういうわけかこの二人と一緒になることが多い。これは、88番結願所まで続く。
屋島への登り道、多くの観光客とすれ違う。
屋島御加持水食わずの梨という大師に因んだ霊場を通る。食わずの梨は、大師が梨を所望するが、農夫が「食べられない梨だから」と断る。すると以降本当に食べられない梨になってしまったという伝説があるところ。
似たような話、確か高知の方でもあったなー。あっちは芋だったかなー。ケチするとバチが当るんだなー。

9:15 84番屋島寺に着く。
今日は珍しく天気がいい。それもあってか、この寺の広い境内、鮮やかな色の本堂、開放感は一入である。
白髭、半ズボン姿のオーストラリア人遍路に会う。金剛杖ではなく、仙人が持つような曲がった杖を持っている。話は全部英語、それも早口だから殆ど理解できない。笑って調子を合わせるだけ。

屋島の展望道をNさんと半周する。晴天のもと、島々の重なる瀬戸内海の青さが一際美しい。
屋島からの下り道は、おそろしく急な山道である。片目の視力が弱い私の最も苦手とする道。一歩一歩、亀の如く進む。
その横をマシラの如く駆け抜けるのは果たして・・オーストラリア人だ。
足元は何とゴム草履。何か訳のわからぬ奇声を発する。「つー ふぁーすと・・」と返すが、届かず、瞬く間に姿を消した。


御加持水


屋島寺への道


屋島寺山門


屋島寺本堂

屋島より見る瀬戸内海

屋島より五剣山を望む

屋島を下ると、源平の屋島の戦いに因んだ旧跡が多い。
義経の身代わりとなって討ち死にした佐藤継信の墓、安徳天皇社など。
壇ノ浦に近い、洲崎寺に寄る。
ここには、江戸時代の「四国遍礼道指南」の著者、僧真念の墓がある。
これは昭和48年、近くの牟礼町南三味で発見され、ここに移された。
周りの石に「現在の88ヶ所の札所番号は真念法師が付けたもの・・」と刻まれている。えっ、そうだったのかと思いあたる。

五剣山の中腹にある、八栗寺への坂を登る。
歩道に並行してケーブルカーがあり、駅の前で数人の遍路が待っていた。
11:30 85番八栗寺に着く。
ちょっと不思議なのは、山門の前に歓喜天の鳥居があり、これをくぐる。寺の境内の中ほどにお社もある。
本堂でお参りして大師堂に向っていると大勢の団体遍路。先頭の案内人が納経帳を乗せた一輪車を押している。「これはいかん」と納経所にとって返し、先に納経を済ませる要領の良さ。(ズルか?)

屋島を下る(遍路はNさん)

佐藤継信の墓

安徳天皇社

真念の墓

歓喜天の鳥居(八栗寺)

八栗寺山門


たくさんの遍路さんが来る

八栗寺本堂

八栗寺を下り、六万寺にお参りする。
ここは行基の建立になり、六万の小仏像が安置してあったとか、源平合戦の折、安徳天皇のご在所になったとか、由緒ある古寺である。
今はちょっと寂しい佇まいだが。
讃岐牟礼から海岸に沿った道を行く。平賀源内記念館・住居を過ぎ、地蔵寺に寄る。
14:25 86番志度寺に到着。
門前でまたまたSさんに会う。今日はこの近くに泊まるという。

Nさんと同行して、長尾寺に向う。道の左方、岡の上にハリウッドばりのオレンジタウンの看板。緑の中に点在する住宅。新しい街なのだろう。
途中、玉泉寺(87番奥の院)に参る。盛りはまだだが、藤の古木が見事である。お参りのおばちゃんからみかんを1個いただく。

16:15 87番長尾寺に着く。広い境内のお寺である。
荷物をベンチに置いて納経所に行くと「あれあなたのリュックでしょ、置いておきましたから」。意味わからず、曖昧にお礼をいう。
明日の女体山越えの道の様子を聞く。「今は子供達のハイキングコースになってるぐらいだから、そんなにきついとこじゃないよ」と仰る。
ベンチに戻ると、「長尾寺名物甘納豆入りおはぎ」が置いてある。改めて納経所に向って頭を下げる。これが、なかなかうまかったのだ。

六万寺

平賀源内記念館

志度寺門前

志度寺本堂

志度寺大師堂の絵

長尾寺山門

長尾寺

16:45 門前の民宿ながお路に入る。Nさん、Kさんも一緒だ。
同宿は二人の他に、何と民宿岡田さん以来のMさん。
今日88番で結願し戻ってきたという。この人は足が速い。さすがに歩き過ぎで足を痛められた様子だが・・。
夕食は、Mさんの結願祝いを兼ねて盛り上がる。

本日の歩行:49679歩

本日お参りした札所

第八十四番 南面山   千光院    屋島寺
本尊:十一面千手観音菩薩
宗派:真言宗御室派
開山:鑑真
鑑真が唐より奈良に向う途中、霊場を開いたのは屋島北岸であった。
大師が訪れ現在の南嶺に一日で堂を建てようとしたところ、間に合わず日が沈みかけた。大師は日没を遅れさせ、堂を完成したという。

第八十五番 五剣山   観自在院   八栗寺
本尊:聖観音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開山:空海
この寺のある五剣山は、昔五つの峰があったが、宝永三年の地震で東の二峰が中腹から崩壊した。
大師が求聞持法を修したとき、五振の利剣が空から降ってきたため、五剣山と称するようになったとも伝える。
大師が唐へ留学に行く前試として焼栗八枝を植えたことが寺名となったという。

第八十六番 補陀楽山  清浄光院   志度寺
本尊:十一面観音菩薩
宗派:真言宗善通寺派
開山:藤原不比等
天武天皇の時代、大臣藤原不比等が建立したと伝えられる。伝説多い古刹である。

第八十七番 補陀楽山  観音院    長尾寺
本尊:聖観音菩薩
宗派:天台宗
開山:行基
讃岐国司を務めた菅原道真は、当時の住持・明印と詩友だった。このため菅公の自画像を鎮守とした。
建久3年 静御前と母が参詣し、宥意に就いて剃髪したという話が伝わる。母が讃岐出身であったため、この寺で剃髪した話もあり得ることである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )