四国遍路の旅記録(平成18年)第4回 その6

5月11日     お接待の心

天候:曇り時々雨
6:45 宿を出る。
白峯寺への坂道をKTさんと登る。この人は野宿主体だから、荷物は20k近くなる。
普段からリュックにおもりを入れて歩く鍛錬をしているという。
逞しい体付き、ワシとは心がけが違うワイ。
突如、猛烈な勢いで山道を登ってくる若い男がいる。
山道を登り切った休憩所でKTさんと3人で少し話す。北海道から来ている。リアカーを引っ張ってまわり鉄道の駅などで寝ている。札所に行ってもお参り、納経はしない。昨夜は駅に寝ていて3時間も警官に問い詰められた。「へんろしてまわっとるのにアッタマきたベ」と怒っておる。
KTさんが私の耳元で囁く。「この男ちょっと変だ、かかわらんほうがいいぞ」。
うーん、このところこういったちょっと外れた遍路、増えているのかもしれない。考えさせられることである。

雨で足元の悪い道を通って、9:00 81番白峯寺に到着。
寺に隣接して、崇徳天皇白峯陵がある。ここにもお参り。
Nさん、KさんRさんも相前後して到着。オランダ君もいる。「おーす」手を挙げてあいさつ。山道途中の東屋で野宿したようだ。

白峯寺への道(遍路はKTさん)

白峯寺

白峯寺

白峯寺の石塔

谷川を渡ったり、けっこう荒れた山道を82番に向う。
横の道からひょっこりSさんが現れる。「よくへんなとこであいますなー」。これから白峯寺に向うという。
途中、夫婦遍路に合流したり、小学生の一団に会ったり。先生が山道の植物の説明をしている。子供達は現れた遍路に気をとられ、一斉に「こんにちは・・こんにちは・・」。賑やかなこと。

県道に出たところ、高松付近の瀬戸内海が遠望できる。
11:00 82番根香寺着。
ここの本堂はちょっと変わっている。回廊を一周してお参りする。

根香寺への道

高松付近の海が見える

根香寺山門

根香寺

ここから、別格札所香西寺を目指して山道を下る。
山道の途中、高松の街の向こう美しい瀬戸内海が見える。
88札所以外の道に入ると、遍路マークは急激に少なくなる。
香西寺までの間、私が見つけたのは1箇所のみ。従って迷いに迷う。おそらく2、3kは遠回りしたであろう。道を聞こうにも通る人もいないのだから。
13:20 別格19番香西寺にたどり着く。
新しい本堂を建設中でお参りできないのは残念。

広い県道177号を行く。遠くにちらっとKTさんの大きな荷物を見た。
鬼無の駅の傍を過ぎ、田舎道に入る。
道を曲がったら、ちょっとした広場でオランダ君がコンビニで買った食物を拡げて休憩しているのに出会う。
「きょうは、どこまでゆくのー」
遍路地図の一宮寺あたりを指して、「このへん・・」と言う。野宿できるとこあるのかなー。

香東川の河川敷きの道を歩く。
KTさんが追い付いてきて、15:50 83番一宮寺に到着。
じき、オランダ君も到着。KTさんは、オランダ君と一緒にこの近くの東屋で野宿することになったという。「よかったねー」、オランダ君、ニコニコしている。
一宮寺には、地獄の釜音が聞こえるという石の祠がある。悪人が首を入れると扉が閉まって、首を挟まれる。団体遍路がひとりひとり試している。
ワシは品行方正じゃが、ひょっとしてということもある。決して試したりはしない。

私は、この先さらに5k歩き、高松市街のビジネスホテルに泊まる。18:00ビジネスパーク栗林に着く。

香西寺へ、山をくだる


高松市街と瀬戸内海


香西寺

一宮寺山門

一宮寺

一宮寺の遍路

本日の歩行:54033歩

本日お参りした札所

第八十一番 綾松山   洞林院    白峯寺(しろみねじ)
本尊:千手千眼観音菩薩
宗派:真言宗御室派
開山:円珍 空海
流罪の末に客死した崇徳院を、荼毘にふした場所である。陵もある。
天皇中心の近代国家としてスタートするため、明治政府が最初に行ったことは、崇徳院ら朝廷のため怨みを呑んで死んでいった人たちが祟らぬように祀り直すことであったという。このあたり、こういった霊場が数多くある。
寂本の四国遍礼霊場記には、「四方中央の五峰となっている霊場のうち、西にあるものを方位の色をとって白峰と呼んでいる。東の方位は青で象徴されるので、東に青峰があり、根来寺(根香寺)となっている。」との記述がある。

第八十二番 青峰山   千手院    根香寺(ねごろじ)
本尊:千手観音菩薩
宗派:天台宗系単立
開山:空海
智証大師が千手院を、弘法大師が華厳院を創建。これを併せて根香寺と号した。後白河上皇の祈願寺。
牛鬼と呼ばれる怪獣が人々を苦しめていた。弓の名手・山田蔵人高清が本尊に祈願し退治に成功したという。門前に、怪獣の像がある。

別格第十九番 宝幢山  香西寺
本尊:延命地蔵菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開山:行基
行基が刻んだ仏像の身中に弘法大師が尊像を刻み納めたという。ボケ封じの寺として知られる。現在、新しい本堂を建設中である。

第八十三番 神毫山   大宝院    一宮寺
本尊:聖観音菩薩
宗派:真言宗御室派
開山:義淵
義淵は行基の師に当たる。当初は大宝寺と称した。讃岐一宮田村神社別当。空海以前は法相宗だった。
境内に薬師如来を祀る石の祠がある。台座の下に地獄へ通じる穴があり、地獄の釜音が聞こえる。心がけの悪い者が首を入れると、扉が閉まるという。


コラム「出会い」  お接待について

 

前回までの遍路の旅であったのと同様、今回の旅でも、それはそれは多くのお接待を、戴いた。
しかし、四国の方々が、我々遍路に対してどのような気持ちで接待をされるのだろうか。私はその気持ちに応じて、接待を受けるに値する遍路なのであろうか・・、など接待を受ける度に、いくらかの戸惑いを感じることが多かったのも事実なのです。

四国における接待の風習は、背中に南無大師遍照金剛と墨書し、金剛杖を持つ遍路は、弘法大師の化身、あるいは同行者であり、遍路に接待することは、お大師さんに接待すると同じ功徳があるとする信仰にもとづくといわれる。
さらば、遍路は皆、大師の化身と見做していただけるほど立派・・、いや、少なくとも宗教的心情の片鱗でも持ち合わせているのであろうかと思ったりする。
亡くなった子供の写真を首から提げてお参りしている遍路にもお会いしたことがある。また、外見にはそれとわからぬが、亡き妻の菩提を弔うことが目的で、四国を歩く人と同宿したこともある。
しかし、私がお会いした多くの歩き遍路は、そういった明確な動機を持つ人ではない。無論、私を含めて。
こうした多くの歩き遍路よりも、お坊さんや立派な先達に率いられ、札所で声を合わせ熱心に読経するバス遍路の方が、宗教性という面ではづっと優っているのではないかと思わせられる。
この日会った人のように、自らは遍路であると意識しながら、お寺にお参りもしない、その地の人に自分がどのように映っているか、迷惑をかけてはいないか、そんなことには全く頓着しない歩き遍路は、最近増えているのではないだろうか。

四国と本州が三つの橋で結ばれ、交流が繁くなるに従って、四国の人の遍路に対する心情も変わってくるであろう。
暑い陽光の照り返すアスファルトの道で、スポーツドリンクをお接待いただいた若い人と話しをしながら、つい聞いてみた。
「大変失礼なことを聞きますが、どうして私のようなものにこうして接待していただけるのでしょうか・・」
「お大師さんのごりやくを期待しているわけじゃないですよ。こうやって汗を拭きふき歩いている人が少しでも楽になってもらえれば、自分の気持ちがすっきりするじゃないですか・・」。

歩いていると、子供達から「こんにちはー」と声がかかる。
すれ違う人の暖かい視線と励ましの言葉をいただく。
軽トラとすれ違う。運転している人は、片手を挙げて明らかに私に向って合掌している気配なのだ。
遍路道をゆっくり歩いていて、また、道傍の石に座って休んでいるとき、現れたお年寄りが、心を開いて、自らの信ずるものを静かに語られる。
こういった心のお接待は、金や物の接待にも増して有難いものと思わせられるのである。
四国を歩かせていただくことの最大の喜びは、このあたりにあると感じる。

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