四国遍路の旅記録  三巡目 第4回 その3

 一本松先、集団登校の傘

遍路道での出会い     (平成22年4月9日)

夜来の雨は降り止む気配も見せず、予報では今日一日雨の模様。
女将さんの見送り、ポンチョを被って宿を発ちます。
松尾峠に向う道。色とりどりの傘、小学生の集団登校。「おはよー、おはよー」の弾んだ声。

この松尾峠越えの道。実に多くの順打ち遍路とお会いすることができたのです。老若男女、15人以上(それ以上は数え忘れました)
2番目に会った年配の男性。
松尾峠の休憩小屋で。話していると、何やら横柄な口の利き方なので
「もう、何回もお回りですか・・」と聞くと 「あんたの歳より多くなー」 
「それはすごい・・」 「どうも疑っておるなー、これを見ろ」
とリュックから納経帳を出す。
一面真っ赤。そうか、これが見せたかったのだなー。嫌な遍路。

松尾峠への道

松尾峠

宿毛湾を望む

 峠を下る

峠からの下りでお会いした3番目の人がTさん。
顔を合わせたことはありませんでしたが、インターネットのある遍路サイトで何度か言葉を交わした人。
先達の資格も取得され、この時期6巡目の通し打ちをされることも知っていました。でも、私はこの度は88札所の巡路は殆ど歩いていません。この日だけといっても言いほど・・。そんな日に会えるとは・・。
こういうことを、遍路仲間ではお大師さんの「おはからい」というのでしょう。
話をしているうちにすぐ分かりました。
「・・もしやTさん・・、私、枯雑草です・・」 
Tさんはまだ60前ですから、とってもお若い。全身白づくめの姿(カッパも透明)で、颯爽と歩く姿は感銘を受けるほどです。
話は尽きませんが、納め札を交わしてお別れしました。

雨で霞んで、峠道から見る宿毛湾も茫としていました。
その後も数分毎に遍路に出会いました。
出会い毎の短い会話。中年の方も若い方も、特に女性は溢れんばかりの笑顔で応えていただきました。雨の中だけど、この遍路道を歩くことが楽しくて仕方ないというように・・。

今日の宿は、宿毛市街の南、小筑紫。39番札所延光寺への往復を含めると37kほどになります。
強くなった雨の中、宿毛市街のコンビニで雨宿り。どうするか考えていました。
「絶対、電車かバスに乗っただろうー」
はいはい、お代官さま、お察し通りでござんす。延光寺への参り、バスに乗りましたです。

延光寺山門

延光寺で

39番札所延光寺にお参り。
山門を入った所に、竜宮からの奉納の梵鐘を背負ってきたという赤亀の像。山号、赤亀山の由来ですね。
大師が加持して湧出したと伝える眼洗い井戸。ペットポトルに水を汲んでいる女性。「孫がねー、目が悪くてねー・・」
「どうぞ、どうぞ、私のもんじゃありませんけんど・・」
江戸時代の寂本「四国遍礼霊場記」を見ると、山の上に鎮守五社、拝殿があります。本堂の裏に見える小高い丘辺りかなーと想像します。
でも、十町ほど行くと奥の院と滝もあると書いてあります。聞きませんね。この辺り開発も盛ん。消えてしまったのでしょうか。残念なことです。

宿毛市小筑紫は、ちょっと寂しい港町。丘の上に立派な天満宮があります。地名の筑紫と天満宮、何かいわれがありそうな気配です。
古い宿に口数の少ない女将さんがひとり。客ひとり。寂しい一夜でした。



不思議の国、再訪     (平成22年4月10日)

大月の朝の道

雨は止みましたが、カラッと晴れという空模様からはほど遠く、雲の多い肌寒い一日でした。
でも、今日は待望の月山神社に参り、その周りの素晴らしい海の道「不思議の国」に出合える日です。
宿を出て国道321号を歩きます。大月の宿に泊った二組の夫婦遍路と相次いですれ違います。
大月の宿の前にあるへんろ小屋。素朴な竹造りで、2号小屋ですからもう相当古さが目につきます。そろそろ改築の時期かも。
姫ノ井から国道を離れ、赤泊に向う静かな道となります。
赤泊の音無神社の前に「赤泊太刀踊」の案内板があります。壇の浦で敗れた平家の落人が神社を祀り、踊りを伝えたという話です。
全国に平家の落人伝説は残っていますが、この話、地理的条件からも信頼できるものに思われます。
やはり、ここはそんな不思議の国です。
浜に向う道、道傍の一軒家から声がかかります。みかんのお接待。逆打ちだと、浜から上る遍路道の入口が分かり難いだろうと心配して下さる。
山と樹木に囲まれた道から、突如眼前に拡がる浜の様は感動的なものでした。
暫く、丸い大きな石ばかりの浜に打ち寄せる波を眺めていました。

音無神社


浜への道

赤泊の浜

やはり、山に上がる遍路道の入口は分かり難い。昨夜の雨で水嵩の増した川を、靴の上までたっぷり濡らして渡ります。
ジグザグに上る遍路道。木の枝に、大月の小学校の生徒さんが掲げた励ましの札が続きます。ほほえましく、ありがたいことです。

元気よく歩く

遍路道を出て・・

眼下の潮騒


月山神社

月山神社大師堂


月山神社ご神体 月石

大師堂の天井絵

正午前、月山神社に着きます。

この神社、明治の神仏分離までは守月山月光院南照寺という神仏習合の修験の霊場であったと言います。
神社の本殿は明治22年の建立。それ以前の寺の建物は幕末期(安政5年頃)のもので、明治の神仏分離で大師堂に転用されたものと言われます。
本殿の右に位置する宝形造りの大師堂は、よく見ると三手先組の斗拱、象頭木鼻、蟇股や向拝部の虹梁にも彫刻が施され大変手の込んだ建物であることがわかります。
今回初めて、格子の間から天井を拝見、幕末・維新期の絵師、弘瀬友竹(金蔵:あの絵金!)、河田小龍、宮田洞雪などが描いたものと言います。驚くほどの色鮮やかさで残っているのです。
江戸時代の初め月山を訪れた澄禅は「四国遍路日記」に次ぎのように記しています。
「御月山ハ、樹木生茂リタル深谷ヲ二町斗分入テ其奥ニ巖石ノ重タル山在リ、山頭ニ半月形ノ七尺斗ノ石有、是其仏像ナリ、誠ニ人間ノ作タル様ナル自然石也。御前ニ二間ニ三間ノ拝殿在り。下ニ寺有、妻帯ノ山伏ナリ住持ス、千手院と云。当山内山永久寺同行ト云。・・」
幕末に伝わる寺名とは異なるものの、修験の寺であったことには違いない・・ 
時代が少し下った寂本の「四国遍礼霊場記」には、月山図とて絵図が載せられています。
それに依ると月石の下に二間、三間の「大師」、少し離れた道(寺山道)傍に二間四間の「寺」とあります。澄禅が「拝殿」と言うのが「大師堂」かと・・、寺は大きな建物で敷地も今より広かったように思えます。
「霊場記」には次のような次のような伝えを載せています。
「此月石むかし媛の井といふ所にありしを、一化人ありて、此所に移し置けるに次第に大くなりてさまざま霊端あるにより、人みな祈求せる事あれば、応ぜずといふ事なし。媛の井の所の人は精進せざれども参詣す。余所の人はかたく精進せざれば必ずあしゝといふ。」

また「南路志」には次の記述があります。併せて追記しておきましょう。
「或記云 月山、自然のミカヅキの白石、右大左小 巖上に在す、誠ニ神代の神造にして希代の霊石也。里人云、昔忠義公(二代藩主)此地ニ本堂新に御建立有しかとも、再度まて火災にかかり其後ハ御造営も止りける。
・・一条房家 此寺の持仏堂の扉に二首の歌を自筆にかかせられ今に残りぬ。「我こころまことの道に入ならバ祈るねがいの叶はさらめや」 「西東 出入り月の山ここにつひのすみかやここちなるらん」 」 
(当時(江戸期末)には月石は2基と認められていたのだろうか。現在は昭和末の道路拡張で出てきたものを含め4基確認?)


四国遍礼霊場記 月山


社務所は今回も無人。ここで、ご朱印をいただくのは奇跡みたいなもののようですね。宮司さんは隣の大きな家で守月さん。(月守さんと思っていましたが守月さんでした)
月山神社を出て、山道に入る所、川を渡ります。
増水した川に、またたっぷりと靴を濡らすことに。
月灘の街から小才角(こさいつの)の海岸へ。
海岸の岩に砕ける波、岩の上の鳥たち、岩を包み込む流れ。
岩に当った波は、おそらく多くの気泡を飲み込むのでしょう、鮮やかな明るい青色を呈するのです。空を映した青色ではなく、波自体の色の反映です。見飽きることのない、海辺の絵巻です。
今日は曇り空。それが抜けるような青い空であれば、海もまた違った表情を見せることでしょう。引き込まれるような見事な色で・・。
よく、無限の水平線に感動する・・と言われますが、それも晴天の海でのことでしょう。でも、曇天のもとでの海もまた違った魅力をもっていることに気付かされます。


 おつきさん ももいろ・・


だれんいうた あまんいうた・・

さんごを抱いた少女の像。
「お月さん ももいろ だれんいうた あまんいうた あまのくち ひきさけ」
少女の逞しくもやや憂いを含んだような表情とともに心を打つものがあるのです。
この少女の像を立てた人々の意図は、思いはどこにあったのでしょうか。

叶崎 


叶崎

小才角の海 


小才角の海


小才角の海


 
小才角の海

 
小才角の海

やがて叶崎(かなえざき)。
海崖の上の白い灯台です。
灯台の傍まで行きます。この灯台、明治44年、あの足摺の灯台に先だって建設されたもの、当然現役です。

15時頃には叶崎の宿に入ります。
気っ風の良さで評判の女将さんは腕を痛めて入院中。でも近所の奥さんの手伝いで食事は出ます。話好きのおじさん。気のおけない宿です。

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コメント
 
 
 
昨年秋 (やすし)
2010-05-01 21:36:28
私は昨年秋に宿毛市内から叶崎まで歩きました。風が強い日でしたが午後からは晴れてすばらしい海を見ることができました。
遍路道から赤泊浜から谷間の遍路道へ岩に赤ペンキで印がありましたが半年もすると消えてしまうのでしょうか。私たちはこの赤泊から展望台へ上る道で間違えて違うところに出てしまいましたが、今でも無事だったことが不思議です。叶崎は猫が一杯いましたね。
 
 
 
やすしさん (枯雑草)
2010-05-02 07:11:35
こんにちは。
浜の岩に赤ペンキの矢印、振り返ってみると
ありましたね。この時は前日の雨で川が増水
してて、どこを渡れば・・でちょっと迷いました。
山道を登ったところから、車道に出る道は、
いくつかあったような気がします。
そうですね。叶崎には、猫がたくさん・・
思い出しますね。しかし、この辺の海は素晴らしい
ですね。
 
 
 
自転車親父さん (枯雑草)
2010-05-03 13:47:08
こんにちは。
自慢はいいのですが、人を見下したような
態度の人、たまにいるんですね。それも、
先達とか僧籍を持たれた人の中にも居ます。
遍路も一般社会も一緒ですね・・。
 
 
 
ピンピンシニアさん (枯雑草)
2010-05-09 22:09:30
こんにちは。
88ケ所の札所間の道でも、逆打ちだと道標
は見つけづらくなり、けっこう迷います。
でも、たくさんの順打ち遍路に会えるメリット
はあります。
叶崎付近の海岸。四国の中でも、ここはやはり
特別の海岸です。
 
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