長州大工の心と技 その7 大須伎神社、南光坊、西山興隆寺

                                                                                                                                
長州大工の心と技 目次
  長州大工の心と技 その1 まえがき
  長州大工の心と技 その2 河崎神社、住吉神社、早虎神社
  長州大工の心と技 その3 永徳寺大師堂、総森三島神社、高森三島神社
  長州大工の心と技 その4 山吹御前神社 炷森三島神社
  長州大工の心と技 その5 永田三島神社、川崎神社
  長州大工の心と技 その6 伊予神社、金毘羅寺
  長州大工の心と技 その7 大須伎神社、南光坊、西山興隆寺 (この記事)
          
大須伎神社

大須伎神社は、延喜式神社名帳に載る今治越智地区の7社の内の一つ、いわゆる式内社です。祭神は少名比古那命他ずらり。
嘗て蒼社川の傍の平地にあり川の氾濫により流失、今は小高い丘の上にあります。四国霊場57番札所栄福寺の近くですが遍路でこの社に寄ったという人を聞いたことはありません。
大正2年、丘の上に移った神社の拝殿の棟札に棟梁越智菊太郎、彫刻師門井友祐の名があるといいます。大正に入り門井友祐の活動の舞台は今治に移ってきたようです。
拝殿正面の唐破風上部の装飾瓦には龍、鶴そして逆立ちしたような獅子が踊ります。前拝上部にも二匹の獅子が踊っています。渦巻き流れる水と菊が刻まれた水引虹梁の上には中国の仙人説話に依る「蝦蟇仙人」
「瓢箪から駒」と言われる彫刻が展開しています。
彫物に埋め尽くされたような拝殿。この頃の門井友祐に対しては村人もその人の思うがままにさせたのであろう・・と言われています。

神社境内


拝殿


拝殿前拝


拝殿水引虹梁上の彫刻


拝殿前拝部


本殿




南光坊大師堂

南光坊は御存じ四国霊場55番札所です。私も遍路の時を含め5、6度お参りしているのですが、この宝形造の大師堂の建物については心やすまるような安堵感を感じさせていただいたことはあっても、建物を囲む彫刻に惹かれることは、確か3巡目の時、優れた長州大工がこの大師堂の建設に係わったことを知った以降のことであったように思います。大正5年、門井友祐はこの大師堂の建設に彫刻師として参加しています。しかしこの彫刻はあからさまに自己を主張することがない・・
お堂の木材は黒く焼けて彫刻を沈ませていることもあるかもしれません。明治30年代以降、門井友祐はもっぱら彫刻師として普請に参加してきていますが、それ以前は棟梁としてまた兄宗吉棟梁の下で建物全体のバランスということを考える立場にあった。そのことが主張し過ぎない彫刻を生み出している原因でなないかという識者もおられます。そういうことかもしれませんね。
正面の水引虹梁の蟇股の龍(あっ、逃げだした!)、木鼻に波に鳥の籠彫り、正面は蓑亀の籠彫り、手挟みの彫刻。壁四面の中備には十二支、その上を蓮などの植物が飾ります。

大師堂


お詣り


大師堂正面


木鼻の籠彫り


木鼻の籠彫り



木鼻の籠彫り


海老虹梁と手挟


戌、上部は蓮





午、巳、辰


卯、寅









西山興隆寺仁王門

西山興隆寺は四国霊場番外別格霊場の内、私も何回目かの訪問です。この愛媛における長州大工の足跡を追う旅の最後にこの興隆寺を訪れることができたのは幸いでした。
赤いみゆるぎ橋を渡って右に折れると美しい石段の向こうに仁王門が現れます。感動の一瞬・・
仁王門に心を残し先ずはお詣り。静寂の石と緑の道を進むとあまりうまいとは思えぬ法螺の音が聞こえてきます。
石段を上がると本堂の縁で法螺を吹く若い女性。「この寺で仕事しとるんよ・・」本堂前の納経所で納経のお仕事。参拝者は間遠い、その間は法螺の稽古という塩梅のよう。
「今年の紅葉は早いよう・・もうその辺黄色が掛かっとるが・・」それから仁王門のこと、門井友祐のこと話をしました。やはり仁王門の彫刻はこの寺にとっても自慢の種。
門井友祐が仁王門の彫刻を彫ったのは大正7年のこと。その彫刻は仁王門の空間という空間を埋め尽くしています。神社の拝殿や本堂といったものの様式としての制約から解放されて、それは跳ね回り、飛び回っているようでした。
正面中央の龍を始め、その昔永田三島神社や炷森三島神社の本殿を飾った中国の仙人説話の主題も形を変えて現れます。裏面の唐獅子、鳥。中央内部の天女・・など。できるだけ写真を貼っておきましょう。
この仁王門の彫刻は友祐の兄宗吉の三男長一(耕雲)との合作であるとされ、正面内部の天女の像などは耕雲の作と見られています。
門井友祐の四国での仕事はこの後、大正10年の今治真名井神社拝殿の彫刻で終わりを告げることになるのですが、門井家、いや長州大工としての心と技は門井宗吉の次男浅一(鳳雲)三男長一(耕雲)に引き継がれ、彫刻師、彫刻家として生きていったことを歴史は証明しています。

この辺で江戸時代末期から大正時代まで、愛媛における長州大工の足跡を追った旅を終わることにしましょう。

仁王門への道


仁王門への道


仁王門


仁王門から続く参道


仁王門を仰ぐ


仁王門左方


下中央龍、左上鉄枴先生、右上蝦蟇仙人


唐獅子


上瓢箪から駒


蝦蟇仙人


鳥たち


鳥たち


水鳥


唐獅子


天女


唐獅子


唐獅子


植物と鳥






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