感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
夏の田園、茅葺屋根の家








広島の市街からそれほど遠くないこの地、志和(現東広島市志和町)に、多くの
茅葺き屋根の住居が残されていると聞いた。ああ、前に紹介した「酒造蔵のある
村」、同じ場所です。6年前の調査では、15棟の茅葺き民家が確認されていたと
いうことですが、当時も放置状態にあった4棟を除き10棟足らずが残されていま
した。何といっても、住居として実際に住まわれているものであることが、貴重な
ことです。維持保存には、大変な苦労がいることでしょう。でも・・、
緑の濃さを増した水田の稲の向こうに茅葺き屋根の家を見るとき、何と美しく、
そして何故か懐かしい風景を見たという思いを拭うことができませんでした。
(暑い夏の日中、燃えあがるような田圃の中の道を歩く。
「この辺に茅葺き屋根の家がたくさんあるって聞きましたが・・」
こんな昼、田に出ている人は殆どいない。たまたま水の見回りに来た人を見つけ、
聞く。丁寧に道を教えていただいたうえ、「夜来れば、蛍が見れるがのー・・
是非・・」と、熱心に宣伝をされる。村の人は、茅葺の家や里山や蛍を求めて
やってくる人を待っているのです。
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茅葺は物凄く手間がかかるようですね。
家族だけではとても出来ません。
業者を呼べば金がかかるし、いや業者はいないし。
結局地域の人たちの共同作業で葺き替えをするのですよね。
そこに一つの共同体が成り立っているのですね。
今の都会は共同体ではありませんからね。
犯罪も増えるわけです。
中には屋根の上に赤いヒメユリが咲いていたり草が生えていたり。今はほとんど見ることは出来ません。屋根葺き職人がいなくなったからだと思います。今は記憶の中にだけ我が家の茅葺き屋根が残っています。
茅葺の家 珍しいですね。
秦野には トタンを被せた家が少しありますね。
「蓑庵」 は 唯一の茅葺かも?
田園風景と茅葺屋根のある家の風景に
ホッとする気持ちはコンクリートジャングルの中に居るからか?特に強く思いますね。
維持の難しさから現代の瓦屋根に移るのも仕方の無い事ですが少しずつ消えていくのも寂しい思いがしますね。
広島の日本風情を楽しませて頂きました!
久し振りですご無沙汰しております。
まだまだ広島は暑いようですね、当方は大分涼しくなって来ました。
残暑のぶり返しもこの分だと大した事はないでしょう。
茅葺屋根見事ですね、まだ生活しておられるようですが立派な屋根です。今は葺き替えも大変でしょうが
軒下の葦ずの立て掛け夏は涼しそうです。
枯雑草さんのブログはいつも見させて頂いています。
そうですね。毎年1軒分の茅を育てる。例えば
20軒が共同で1軒の葺き替えを毎年行えば、
全ての家が20年に1度葺き替えられる・・と
いった仕組みになってると聞きました。ここでは
辛うじてこの仕組みは保たれているようです。ただ
茅は遠方から持ってきているようです。大変な
ことですね。
私の故郷は新潟でした。
家も歴史があり私が住んでいたころは茅葺屋根の曲屋でした。築200年経過した家でした。家は昔からの地主でした、小作人が多くいました。
今私のパソコン室に全紙に伸ばした写真があります。毎日眺めながら子どものころ屋根で遊んだ思い出が蘇ってきます。
今度パソコンにアップしたいのですが検討中です。
nanbuyaさんの故郷も茅葺きの家でしたか。
懐かしいですね。茅自体も無くなったし、
村から若い人が去り、茅葺きの技術の継承
ができなくなったこともあるでしょうね。
それより何より、家自体の造り方が変り
ましたからね。
そうですね。茅葺きは煙の燻しが必然ですね。
この地方でも、炊事や暖房はガスや電気や油
になってしまってますから、基本的に条件の
一つは欠落してしまったということですね。
そうですね。もう全国、茅葺きの家は保存建物
を除いて殆ど見られなくなりましたね。
この村でも、数少ない茅葺きにトタンを被せた
ものが目につきます。
そうですね。こういう風景、ほっとする
ものを感じますね。でも、社会の仕組み
とも生活の仕方とも遊離してしまった
茅葺きの家・・。寂しいけど、ノスタルジア
だけかもしれませんね。
ご無沙汰しています。
ご訪問ありがとうございます。
東京周辺は、随分涼しくなったようですね。
こちらはそれほどでもありませんが、もう
秋の気配です。
このところ、ブログに貼るネタ不足に苦労
してます。へんなもので恐縮です。
驚きました。kenさんの故郷の家は、地主さん
で築200年の曲屋だったのですか。重要文化財
クラスですね。さぞ立派なお家だったことでしょう。
その写真があるのですか。ぜひ、拝見したいもの
です。
話は違いますが、広島県にも昔曲屋があり、その
保存建物の写真も撮ってきました。そのうち貼り
ますね。
この景色はどこかで出会ったような、いつか住んでいた様な・・・
何だかそんな思いがしてきます。
実際に、人が住んでるのですね。
自分がこっちで見た藁葺きの家では、愛媛にある『真鍋家』が1番印象に残ってます。
田んぼの中に、藁葺き屋根の家!夜には蛍!!絵になる場所ですね。
>どこかで出会ったような、いつか住んでいたような・・
ほんとにそんな感じですね。現代の生活にも、社会
の仕組みにも合っていない茅葺き屋根の家、でも
維持しようと一生懸命な幾人かの人がいるんですね。
不思議なことかもしれませんね。
ここは、実際に住まれている家、ということが
貴重ですね。
真鍋家は、古いもので重要文化財ですよね。
立派でしょうね。一度見てみたいものです。
昔の日本の生活がそのまま残されている、懐かしい風景です。
屋根の葺き替えは村でやっていましたね。
毎年交代のようでした。萱もたくさんありました。
今は記念に残っている家だけですね。お手入れが大変そうですが。
3枚目の草がぼうぼうに伸びた写真、なんか郷愁をそそられます。
そうです。盛夏でした。田圃の中の道は
暑かったですよ。でも、都会の道と違って
緑の田圃の傍はどことなく穏やかですね。
昔の生活を思いださせる、懐かしい茅葺き
の風景でした。
auntieさんのお宅も茅葺きだったのですか。
それでは、懐かしい風景でしょう。
屋根の葺き替えは、村中の共同作業で行う
のですよね。今は茅もなく、そういう村の
仕組みも無くなって、維持は大変でしょう。
よく、維持されているものだと驚きます。
最近ではかやぶき屋根のおうちは見かけなくなりましたね。
田園の中のかやぶきの家は懐かしい風景です
子供のころよく連れて行ってもらった母の実家がかやぶき屋根でした。今では宅地化でどこを見ても1件もありません
★世界遺産として保護されている白川郷とは、また異なった身近な生活感のある風景ですね。お住まいになられている方は、その維持が大変でしょうが…。
そうですね。首都圏では、保存建物以外
茅葺き屋根の家、まず見ませんね。
遠い遠い昔の幻みたいなものです。
私にとっては、懐かしい風景なのです。
白川郷などの立派な保存建物と違い、普通
の家として使われているということが貴重
ですね。維持は大変な苦労でしょうが・・。
広島県でもこういう場所、もう数えるほど
しかありません。ここは、意識的に残して
いるのですね。生活の中に何をもとめるか
・・住む人々の意識に拠ることだと思います。