感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
私の好きな遍路道(1) 阿波
遍路が広く一般の人々のものとなってくる江戸時代中期以降、多くの人が歩いた道、それは信心の道でもまた生活の道でもあったでしょう・・、そんな道を歩いてみたい。それが私の願望でした。
そして、そんな道に会うことができました。
阿讃国境の峠を越えて、阿波の1番札所からほぼ順打ち廻りで、讃岐の88番札所、番外大瀧寺まで、どちらかと言うと古道、旧道、土道に偏した独断のお気に入り遍路道を紹介させていただきます。同時に地図も確認いただければ幸いです。
なお、該当する遍路日記はできるだけ最近の代表的なものを選びました。
阿波
赤線:土道 青線:舗装道 数字:札所番号
1、大坂峠越えの道。 地図:阿波「大坂峠付近」
引田の先坂元より大坂峠を越える道(歩道)は三筋あります。新しい方から大正10年の開設、超ヘアピンカーブの車道。明治8年開設の旧道。これが今の遍路道です。それ以前の道筋は古道と呼ばれます。峠の手前、不動明王の辺りで旧道に併さります。文化庁「歴史の道百選」にも選ばれた道ですが整備は不十分。鎌でも持たないと全区間の通過は不可能でしょう。でも、丁石仏も残る唯一の峠越え道。旧道も含め推薦です。(遍路日記は「平成28年春その1」をご覧ください。)
阿讃国境の多くの峠道は阿波と讃岐の人々の生活と文化が行き交った道です。このことは平成28年春「阿讃国境の峠道」で書きました。大阪越はその最東端の道でもあります。
2、大山寺への参道、観音道。 地図:阿波「大山付近」
「阿讃国境の峠道」をご覧ください。大坂越の西、今も多くの遍路が讃岐から阿波に抜ける道として通る境目峠越(日開谷越)に至るまでに黒谷越、一本松越、大山越、宮河内越など枝道をを含め7つの峠越えの古道がありました。これらの道はその一部が遍路道として利用されたことはあっても、阿讃を渡る遍路道とはなりえませんでした。(現在最も一般的な大山寺参りの遍路道は大山越古道の一部を辿ったものと思われます。)
番外大山寺および奥の院への参道として最も魅力に富んだ道は泉谷より上る「観音道」と呼ばれる道です。奥の院まで往復すると13.8kと神宅より上る現在の一般的な遍路道より相当長くなりますが、時間に余裕のある向きにはお勧めします。
江戸時代後期以降開設、比較的最近整備された道ですが、地元の方々の熱心な管理に支えられていることもこの道に魅力を加えています。
(該当遍路日記は「平成28年春その2」)
3、10番から11番へ、吉野川を渡る道。 地図:阿波「鴨島付近」
10番札所切幡寺から11番藤井寺へ行く道。大野島橋と川島橋という二つの潜水橋で吉野川を渡り、その間の川中島「善入寺島」の道。
初めての遍路の多くが「ああ、四国だな・・」と感動する道ではないでしょうか。私もそうでした。
潜水橋を渡る自らの遍路姿を高台から見るシーンを思い描きます。できれば、古の粟島渡船場跡にも寄りたいものです。
(該当遍路日記「3巡目第2回その2」他)
4、焼山寺道その周辺。 地図:阿波「藤井寺・樋山地付近」「焼山寺付近」
言うまでもなく四国遍路随一のへんろころがしの道。
基本的には尾根を辿る道ですが、今の道以外に旧道があったことは意外に知られていないかもしれません。そのため思い違いも生じます。例えば、長戸庵の手前に大師水という水場がありますがこれは新道の上。大師の時代はもちろん真念の時代もこの水場は無かったものと思われます。石堂の辺りは中腹に沿うのが旧道。
柳水庵の豊富な水、浄蓮庵の感動的な大師像、左右内の集落の梅の頃の美しさなどなど忘れ得ぬこと様々の遍路道です。
この道に交差する古道(地元の方の命名「麻名尾根古道」)があることもあまり知られていないことかも。
梨の木峠から焼山寺道旧道に入り長戸庵。三村境で旧道を離れ石鎚山、寒風峠を経て忌部山へ。石鎚山には鎖場、その北は今は廃村、伊予河野氏の一族が移り住んだ樋山地。歴史の証人のような素晴らしい道が地元の人々によって維持されているのです。遍路日記「平成27年春その後」をご覧ください。
5、地蔵越、あずり越の道。 地図:阿波「徳島北部・地蔵峠付近」「あづり越付近」
17番井戸寺から18番恩山寺へは徳島市街を通る遍路が多いと思われますが、市街地の西の小高い山、地蔵峠、あづり峠を越える道もよい道だと私は思います。
地蔵越の道は、車の往来がけっこう多い車道で土道が途切れるのが残念ですが、峠の最高点まで登れば天保2年の立派な地蔵に会えます。以前、毎朝参拝し清掃をすることを日課にしている91歳の矍鑠とした老人と出会った時のこと思い出します。
峠を下り潜水橋を渡れば、あづり越の道へ。峠には文政10年の大師宝号塔がありますが、古くから多くの遍路が通った道では無かったようです。しかし、地蔵越に続けて歩けば趣のある便利な道であると感じさせられます。あづり峠へのアプローチは付近の道路整備により以前とは変わっているようです。地図も最近と思われるルートに書き替えておきましょう。(該当遍路日記は「3巡目第1回その2」)
6、取星寺への道、阿千田越。 地図:阿波 「立江寺、取星寺付近」
19番立江寺から奥の院取星寺への道は、その一部を旧土佐街道の峠道、阿千田越が充てられています。地元の方の努力により古道の雰囲気を残す楽しい道となっています。
もっとも旧土佐街道の主道は山越えの不便さから、後には東の山裾を迂回する営倉経由に付け替えられたと言われます。いわば初期の旧土佐街道の名残り道なのです。
今は阿千田の峠の切通しの上を車道が走っており、取星寺へはこの道を経由するのが便利ですが、私はそのまま峠を下り旧土佐街道を左に分けて右の細道を進み、新四国仏の88番から1番へ辿り寺に至る道筋をお勧めします。この新四国仏は力の籠った大層立派なもので天保5年から25年をかけて建立されたもの。
なお、阿千田越の西にはもう一つの峠越え古道の古毛越があります。(阿千田越の遍路日記は「平成24年春その1)
7、大龍寺を越えて、復活したかも道、いわや道。 地図:阿波「鶴林寺付近」「大龍寺付近」
20番鶴林寺から大龍寺に行く道は、もう真念の時代には大井を経て若杉谷川に沿う道(古道は右岸の道)が開かれていたようですが、その昔は加茂から尾根を上る道であったようです。このかも道は、平成24年、公認先達歩き遍路の会、地元のへんろ道の会などが市、町の協力を得て整備しました。その道は大龍寺を越えて、いわや道、平等寺道にまで繋がりました。
いわや道は大龍寺から阿瀬比に下る古くからの道。途中に龍の窟、不動の窟などの岩窟がありましたが、昭和30年代にセメント会社に売却され姿を消しました。悔やんでも悔やみきれぬことではあります。いわや道の26丁地蔵より左に道をとると石灰石採掘場の崖に29丁地蔵が残っているようです。
26丁から繋がる平等寺道の尾根越えの部分の道は、いわや道を阿瀬比まで繋げるために後に造られたものと思われます。
かも道は一宿寺の横より上ります。この道には大師像や観音の石室などが遺されていますが、特に貴重とされるのは室町時代の貞治年間の標石を再利用した丁石があることです。この四国最古の標石は、この道と鶴林寺の上り道にしか見られないものです。
かも道を上り大龍寺に詣でれば、足は自然にいわや道、平等寺道へと導かれます。下った阿瀬比の専念庵薬師堂、その周囲の大日如来像、庚申塔、徳右衛門標石など目を見張らせます。このお堂は現在の県道からは少し外れていますが、いわや道の終点の位置にあったものと思われます。
(これらの道の該当遍路日記は「平成27年夏」)
8、平等寺から薬王寺までの古道を辿る。 地図:阿波「平等寺付近」「小野付近」「由岐付近」「木岐・久望付近」「日和佐付近」
鶴林寺から土佐国境までの古道(江戸時代の遍路道)については、ある古地図の赤道に依ってそのルートを推定しました。(平成28年春その3「阿波の昔の遍路道」)
そのうち、鉦打から日和佐までの今の遍路道が山側の道(主として国道55号)と海側の道(主として県道25号)の二つがあるように、古道もまた山側と海側の二つの旧土佐街道の道筋です。上記の国道、県道と旧土佐街道とは近接してはいても、特に山越の道などで異なっています。それが古道として残された道を生む理由なのです。
古道の道筋を紹介することは現在の遍路道とは異なる道を推すことにもなり躊躇があります。古道好きの我儘とお許しください。
なかには私がその一部しか通行していない道も含まれています。通行はあくまで自己責任で、また不通箇所に当たれば引き返す・・よろしくお願いします。
まずは海側の古道を含むルートの紹介。
平等寺の先、月夜御水庵を出、西側の尾根道の月夜坂。地蔵、遍路墓、徳右衛門標石のある鉦打に下る。享保4年の薬師如来のある薬師堂の先より鉦打坂。この道は通行困難。県道を南下、貝谷より貝谷坂、松坂を越し田井へ。田井ノ浜を廻り苫越坂。この道通行困難。木岐の街、白浜の県道を経て昔「大坂」と呼ばれた旧山座峠越え、恵比須浜へ。小田坂を越え北河内へ、そして日和佐。
白浜からは「俳句の小径」、新山座峠を越ええびす洞を巡る海岸の道が今の遍路道。この道は輝く海、寄せる波を見る風景絶佳の道、旧山座峠越、小田坂越は古道への拘りでしかないかもしれません。
なお、恵比須浜先より日和佐に出る尾根道「後山越」も古道です。
次に山側の古道ルート。
海側の道を小野で分岐、星越峠は今も遍路道。その先、北河内谷川の右岸に沿うのが旧土佐街道。国道55号、一ノ坂トンネルの前まで、古道は荒れた所もありますが大方通り抜けることが可能です。
これらの道の該当遍路日記は「平成28年春その4」 「平成24年春その2」他です。
9、日和佐から牟岐へ、丹前坂、横子坂、ゲダノタオ 地図:「日和佐付近」「山河内付近」「辺川・白沢付近」「牟岐付近」
日和佐から牟岐まで、今の遍路道は専ら国道55号ですが、旧土佐街道は山河内までは二つの道筋があったようです。丹前峠を越える道と横子峠を越える道。 丹前坂は丹前の玉木八幡神社の横から上ります。峠付近に荒れた所がありますが道筋は確かです。 横子坂は峠に地蔵と徳右衛門標石が並んでいます。残念なのは上りの道筋は古道ではなく、荒れた林道を辿らなくてはならないこと。 山河内から牟岐に行く国道55号とは別ルートがゲダノタオ越えの道です。古くからの主道ではないようですが、今は「四国のみち」。峠を越えて見える青い海には感動します。
(該当遍路日記は「平成24年春その3」 「3巡目第2回その3」)
10、海部の峠道、土佐国境の峠道、馬路越、居敷越、甲浦越。 地図:阿波「海部付近」「甲浦付近」
牟岐から浅川までの「八坂々中 八浜々中」と言われる変化に富んだ小さな山と浜の道もよいものですが、ここでは海部の二つの峠越えの道、馬路越と居敷越を推しておきましょう。特に馬路越は旧土佐街道の主道の一部であり、まさに馬も楽々通ったであろう石垣を築いた広い道が残っています。ただ、道筋は一つではなく、古い道に迷い込まぬよう注意が必要です。 居敷越。峠まではよく整備された道、やや荒れた下りと出口の不明瞭なこと。しかし、順打ち方向では迷うことはないでしょう。 土佐国境の峠道が甲浦越(古目峠とも呼ばれる)。ここも旧土佐街道の主道です。私が通った数年前は良く整備された道でしたが・・
(該当遍路日記は「平成24年春その3」他)
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