四国遍路の旅記録  三巡目 第2回 その3

「暮れがての山路を辿る夏へんろ」   平成21年10月9日

体調不良で出直しを挟んだ、三巡目第2回後半の遍路の旅。
前回で徳島県の南端、古目峠を越えたのですから、高知県から始めても良さそうなものですが、どうした訳か23番薬王寺の手前、由岐(現美波町由岐)からスタートです。
自分でどうした訳か、なんて言っちゃいけません。説明が必要ですね。
理由はいくつかあるのですが、その一つは、由岐のすぐ先木岐にある「木岐夢ギャラリー」に寄ること。
大阪の遍路仲間のKさん(女性、遍路仲間といっても四国で会ったり、一緒に歩いたことありませんけど・・)が、ある遍路サイトの掲示板に、夢ギャラリーでフランス刺繍展が開催されるていることを書き込んでおられました。
今は、夢ギャラリーのお世話もされているNという女の方。以前、この近くの遍路道に面した家に住まわれ、前の道を通りかかった多くの遍路にお世話をされておられたとのこと。Kさんも遍路で歩かれた時、Nさんにお世話になったようで、結願後の感激の再会もあったとか・・。そんな人の繋がりなんですね。


 ねっとり優しい由岐の海

鉄道に沿った道を行く遍路

11時40分、由岐駅に下りたのは私ひとり。
すぐに田井の浜を廻る道。ねっとりとした優しい海が迎えてくれます。
ここより、23番薬王寺まで11.5k。美しい海と岩と、それに豊かな山道まである素晴らしい道。私は、これまで二度歩かせていただいていますが、もう一度歩こうと思った理由は、これも一つ。
今晩は日和佐駅近くに宿をとったのですから、寄り道をして、ゆっくり行かなければなりません。

鉄道線路に沿った道を、ひとりの女性遍路がゆっくり歩いています。
東京の方。以前、広島の学校を出て、市内の大きな病院にも勤めたことがあるとか・・。同郷の人と聞くと、やはり親しみを感ずるものです。
屈託ない笑顔が、人の心を楽しくさせます。
私が先行して、寄り道をしていると、追いついてくるという格好で、薬王寺までに3度お会いします。
薬王寺では一緒のお参り。
「へんろでひとりで歩いていると、とっても人恋しくなるものですね・・。楽しかったです。また、お会いできるといいですね・・」と言っていただきました。
・・でも、会えませんでしたけどね。
(この人、薬王寺の境内におられる観音さんに何処か似ていた・・なんて後で思い返しました。)


夢ギャラリー

話はちょっと戻ります。
木岐駅の近く、探し当てた夢ギャラリーは、それは立派な古民家でした。
聞けば200年は経つという。江戸時代の廻船業の豪邸。
仏間であったろう室には、何代もの旦那さん、奥方さんの肖像画が並んでいたりします。
展示されているフランス刺繍の作品。和風にアレンジしたものも多くあり、グループ「沙羅の会」の楽しい雰囲気が伝わってくるようでした。
受付の品の良い女性。
「へんろのお世話をしていた人、それはNさんですよ。もうすぐここに来られますよ。それとも、お宅に行かれますか・・すぐ近く「ウエルかめ」の幟がある家ですよ・・」
「いえ、いえ、私が直接ご縁をいただいた方ではありませんけー。よろしゅうお伝えを・・」

白浜の畔を通り、海岸に沿った気持の良い山道に入ります。
道の両側、たくさんの木柱に俳句が書かれています。ふと目にとまった一句。
平成21年度入選作
暮れがての山路を辿る夏へんろ」 
作者の名も記してあります。Nと・・。きっと間違いなくあのNさんの句です。
遍路への優しい心遣いが伝わってくるではありませんか。Nさんに、この山路でお会いできた気がしました。

 俳句の道


山座峠付近からの海


恵比須浜

釣り人、大浜海岸を望む

えびす洞

えびす洞の潮騒

県道に戻り、山座峠から再び山道の下りです。
恵比須浜を廻る道で、続いて2回のお接待。手作りのお賽銭入れ、アメが二つ入っていました。2回目は、5円のお賽銭たくさん、それにゆでタマゴ。おばさんの優しい表情が心に残ります。

やがて、えびす洞。
巨大な岩塊に開いた海洞は迫力満点です。釣り人の姿もちらほら。
岩の狭間で波が騒ぐ様にしばし見とれます。
ウミガメの産卵地として名高い大浜海岸。
浜の手前、楠の大木に囲まれた日和佐八幡神社。明日から祭りです。大勢の人が準備に余念がありません。神輿が海に入るそうです。
浜に面した店でアイスクリン。食べ終わると「へんろさん、お接待です・・」と言われます。納札を置いてお礼を言ってでます。
街の人は皆どこか嬉しそうに、遍路の挨拶に応じて戴けます。
始まったばかりの連続テレビドラマ「ウエルかめ」の舞台となっていることも、街の活気に大いに貢献していると思えます。
もう、23番薬王寺の門前です。

大浜海岸(ウミガメの浜)

祭りの前

薬王寺山門

薬王寺本堂

 薬王寺の観音

日和佐の街


追記 「空海の思想とお大師信仰の関係について。」

薬王寺では厄坂と呼ばれる石段の一段ごとにお賽銭(一円玉)を置きながら厄を落として歩む慣わしがあります。このことについての司馬遼太郎の思い(「空海の風景」中央公論新社)を追記として加えておきましょう。
若き空海が歩んだ室戸への道をタクシーに委ねながら辿った司馬遼太郎は薬王寺について次のように語っています。
老運転手の言葉を「お大師さんのころ、人里はこの日和佐まででしたやろか」と記したのち・・
「・・薬王寺はちょうど縁日であった。石段を登る者は、一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。・・なかには壮漢が小さな老女をかるがると背負いどちらも石のように無表情な顔でのぼってゆく。背中にとまっている老女が一枚ずつ軽い硬貨をこぼしていた。そして言う・・
空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、その没後千二百年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海の何がそうさせるのかということになれば、どうにも筆者が感じている空海像が浦の黄土色の砂の上から舞いあがり、乱気流のかなたで激しく変形してゆくような恐れをおさえきれない。・・」
四国遍路を始めたあるいはその途上にある多くの人が感ずるこの矛盾について、司馬遼太郎はこのように語っているのです。





峠を越えて見た青い海   平成21年10月10日

この春には、日和佐から薬王寺の向いに見える日和佐城に上り、千羽海崖に沿った崖上の道を通って白沢まで歩きましたが、その先、峠を越えて南阿波サンライン下の旧道を通って牟岐までの道は断念しました。
その折、山河内の打越寺のご住職から、この山越えで牟岐まで行く道が、昔の遍路道であるとの言葉をいただいていますし・・どうしても通ってみたかったのです。・・執念ですなー。

7時、宿を出て日和佐駅に向います。初めて歩く山道を含む道であり、できるだけ余裕をもって、という気持ちもあり、何度も歩いた、日和佐から1駅先の山河内までは電車を利用する(9分ほど)ことにしたのです。
偶然の仕業とは言え、ちょっと奇跡見たいな出会いがありました。
駅の到着した電車から遍路姿の男が降りてきて手を振って近づいてくるじゃありませんか。
なんと、初巡の遍路で、18番恩山寺から23番薬王寺まで、その道の殆どを同行し、その後、高野山までも案内いただいた大阪のYさんなのです。
「いやー、こんなところで・・」と手を取り肩を抱き合わんばかりの再会。
電車が動くまで数分の間です。
Yさんは、何巡目かの遍路を、電車とバスで廻っているよう。
広い日本で、多くの時間の中で、こんな出会いってあるものなのですね。

 秋の鉄道(山河内駅付近)

白沢の道標

山河内駅で電車を降り、人影の無い打越寺にお参り。
ここより牟岐まで13kの行程です。
白沢(はくさわ)までの道1.4kは、この春通ったばかり。見かける殆ど全てのものが記憶の中にあります。
白沢の「牟岐駅・・」と書かれた四国のみちの道標。この前で、行くか、止めるか・・悩んだこと、思い出します。懐かしい道標です。
家がポツン、ポツンと見える田圃の中の道はすぐに山道へ。
先日の台風の所為でしょう、山道の上は杉の大小の枝いっぱい。歩き難い。
杉の大木が根ごと倒れ、道を塞いでいるところもあります。
その先、谷川に沿う道は消えていました。今は殆ど水の無い谷ですが、台風の雨は、道を流し去ったのでしょう。石や木を越えて、谷の地形に沿って上ると、やがて擬木の階段が現れほっとします。
前方を大型動物のしっかりした足音と黒い影が過ぎります。私は目が悪いので確とはしませんが、おそらく鹿です。
道は急坂となり、空が開ける気配。いよいよ峠は近い。
(峠と言いましたが、四国のみちの道標には、常に「頂上」と記されています。標高449.5mの無名山の頂上直下、標高410mほどの所を通る道ですから、頂上でよいのかもしれません。)
白沢から2k、峠です。
峠には石仏がおられます。ありがたいものです。思わず合掌します。
昔の旅人にとっては、もっともっとありがたいものに映ったに違いありません。
「薬王寺二里、東牟岐七十丁」と刻まれています。
右に大島展望地0.5kの標記。でも、ここからでも木の間越しに海が見えます。
峠を越えると、目の前いっぱいに広がる青い青い海・・。実は、これを一番期待していたのですよ。
少し下った所で、その期待は実現しました。
本当に涙が出るほどの美しさで・・。
青い海には島影も。きっと、大島、津島、出羽島と呼ばれる島々です。

峠への道

峠の石仏

峠を越えて見た海

峠から1.7kで、南阿波サンラインと交差します。
この道は、時々轟音とともに過ぎるオートバイとスポーツカーの道。

ここから牟岐に向う古くからの道。道の左手にはいつも海が・・。美しい海と島があります。
道が海から少し離れても、段々畑や田圃のむこうにはちゃんと海が控えています。基本的に一車線の簡易舗装の道。車は殆ど通りませんから、あまり左に寄って歩かないことです。ガードレールなんかもありませんから・・。
離れてポツン、ポツンと民家があります。畑があります。電気牧柵を廻らした畑も目を引きます。猪の被害が多いのでしょう。
こんもりとした木の下の陰には、小さなお社や地蔵尊。南無地蔵菩薩、南無大師遍照金剛、赤い幟がはためいています。
ひょっとしたら、何十年か昔、日本の何処にでもあったような道を歩いているのではないか・・と思わせられるのです。そんな懐かしいような、楽しい道行きです。
でも、今は遍路の歩く道ではありませんから、たまに道に出ている人にとって、遍路の姿はちょっと戸惑いの対象なのかもしれません。挨拶しても、素知らぬ顔がかえってくることが多いのです。 


牟岐への道から


牟岐への道から


牟岐への道から


牟岐への道から

村の地蔵尊

牟岐近くの海


蔭栗道という所から、四国のみちは南へ、牟岐少年自然の家を経て海岸の道となりますが、私は牟岐への最短ルート、大平間の集落の間を通って行きます。
3kほどで牟岐川を渡ると、牟岐の駅前です。

行程、私の遅足での所要時間を整理しておきます。
山河内~白沢:1.4k、15分。白沢~峠:2k、70分。峠~サンライン交差:1.7k、45分。 サンライン交差~牟岐:7.9k、120分。合計13k、4時間10分でした。
なお、所要時間には休憩等を含んでいます。
山河内から牟岐まで、国道55号を通る現代の遍路の道は9.5k、所要時間は半分程度でしょうけれど、この昔の遍路道、とってもいい道だと思います。
この道、今は「潮風そよぐみち」として宣伝され、人々をハイキングに誘う道でもあるのです。

                                     (10月10日 つづく)
(追記) 山頭火の句碑について
牟岐の街への取りつき、昔、関集落と呼ばれた所に種田山頭火の句碑があります。かつてここに「長尾屋」という宿屋があって、昭和14年山頭火が泊まっています。
実は最近、NPO藤田賀子さんのもとで遍路道を歩いた藤井さゆりさんの日記に句碑のことが書かれているのを見て、私もこの句碑に出合ったことを想いだしていました。
藤井さんの素晴らしい日記に出会い、私もそこに刻まれた句と、句に付された山頭火の牟岐についての日記の一部をここに写しておきたいと思いました。

しぐれてぬれて まっかな柿もろた
「途中、すこし行乞、いそいだけれど牟岐へ辿り着いたのは夕方だった、よい宿がみつかってうれしかった、おち゛いさんは好々爺、おばあさんはしんせつで、夜具も賄いもよかった。風呂に入れて三日ぶりのつかれを流すことが出来た。御飯前、数町も遠い酒店まで出かけた、酒好き酒飲みでないと、たうてい解るまい。」
                                      (令和2年2月追記)

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コメント
 
 
 
自転車親父さん (枯雑草)
2009-10-21 06:57:23
こんにちは。
遍路日記の方まで、お付き合いいただいて
恐縮です。遍路日記を掲載すると、多くの
アクセスを戴くのですが、これは、ある遍路
専門のサイトで紹介させているためのようです。
今回の海辺の写真を「写真日記」の方へ再掲
します。そちらもよろしく。
 
 
 
Unknown (とっと)
2009-10-21 20:11:22
枯雑草様こんにちは。
曼荼羅オフ会以来お久しぶりです。

あの浜でお賽銭入れのお接待、小さな峠を越えたところの、90歳のおばあちゃんの五円玉いっぱいとゆで卵のお接待、うれしかったですね~
私も頂きました。

それと、木岐夢ギャラリー。
私も9月に行きましたよ。Kさんが紹介してましたから、必ず寄ろうと思ってました。
いや~良かったですね~

最近はすごい歩きをしていますね。うらやましいですね~
かなり大変なときもあるようですが、お体をお大事にしてくださいよ。
お互いからだが元手ですから(歩きへんろにとっては)(^^)


 
 
 
ありがとうございます! (basil_o)
2009-10-21 20:18:14
枯雑草さま

夢ぎゃらりーの画像、ありがとうございます!
いい雰囲気でしたでしょう?

奇跡?の再会をなさったYさんは、私もお目にかかったあのYさんですか?すごい奇遇ですよね。

それにしても豊かな歩き遍路です。
私もあやかりたいのですが・・・いや、言い訳は止めましょう。実現するかしないかは、きっと己の意思の強さにかかっているのですから!

半年前に比べると、五来重氏の文章の響き方が遥かに違う、今日この頃のワタクシでございます。

 
 
 
とっとさん (枯雑草)
2009-10-21 20:43:45
こんにちは。
いらっしゃい。曼陀羅オフ会では御世話になり
ました。
あの浜でのお接待、とっとさんも受けられたのですね。
懐かしいですね。夢ギャラリーもよかったですね。
最近は体調も良くなく、体力低下も著しい・・。
仕方ないけど悩みですね。このあと、大変なことに
・・。今でも体中がイターイ。
 
 
 
basil_oさん (枯雑草)
2009-10-21 20:50:58
こんにちは。
いらっしゃいませ。夢ギャラリ-良かったですよ。
それに峠道でNさんの俳句に会えたこと・・これ
もね。
Yさん、あのYさんですよ。奇跡みたいですね。
峠を越えて牟岐に行く道、予想通り素晴らしい道
でした。でも、女性一人で歩くには、ちょっと
寂しすぎる道かなー。
では、では・・・・。
 
 
 
ワクワクします (クマタカ)
2009-10-22 14:49:16
白沢から峠を越えて牟岐に至る道。いい道ですね。写真を見ていると、自分がそこを歩いているような錯覚さえ浮かんできます。ぜひ歩いてみたいです。

薬王寺から牟岐へは、日和佐川を遡って支流の山河内谷川に入り打越寺に至るのが旧来の道で、昔のへんろ石に刻まれた最御崎寺までの里程はこのルートで測ったものだ、と聞いたことがあります。
今回の道はその一部に当たるのでしょうか。
 
 
 
クマタカさん (枯雑草)
2009-10-24 09:19:26
こんにちは。
ようこそ。この道、とてもいい道です。是非
通ってみてください。
薬王寺、日和佐川、山川内谷川、打越寺の道は
日和佐トンネル(横子峠)開通前はメインルート
だったのでしょうね。一方、横子峠には「東寺まで
・・」の標示があるのに対し、ここで紹介した峠には
「東牟岐・・」の標示しかない・・。ひょっとする
とこの道、遍路のメインルートでは無かったのかも
しれませんね。
 
 
 
ピンピンシニアさん (枯雑草)
2009-10-25 09:40:40
こんにちは。
四国では、こういった奇跡みたいな出会いが
けっこう起こるのです。山道でNさんの俳句
に出会ったのもそうです。
ほんとに、偶然ではなく必然だったのかも
しれませんね。
 
 
 
Unknown ()
2009-10-26 15:32:12
★こんにちは。
★前ページ、前々ページ、味読させていただきました。そこで感想を一つ『こりゃ、四国巡礼というのは、枯雑草さん、よほど体調と相談をされて出向かなければ大変だな…』と、あらためて思いました。
★枯雑草さんのように強い意志が無いと出来ない旅ですね。
 
 
 
玉清さん (枯雑草)
2009-10-26 19:40:16
こんにちは。
遍路日記にまでお付き合いいただき、恐縮です。
そうなんですよ!!。もうちょっと前だったら
よかったのですが、何せ寄る歳なみ・・、
体調が完全な時ってなかなか無いんですね・・。
いつまで、歩けるか、それが問題です。
 
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