四国遍路の旅記録  三巡目 第2回 その5

お大師さんのお助けを戴いて   平成21年10月12日

今日は、最御崎寺を出て25番津照寺に参り、その後、昔26番金剛頂寺の奥の院であったという池山神社に行き、戻って金剛頂寺に参る予定。
この三巡目第2回の遍路の旅は、更にあと2日ほど、高知まで行くつもりでありましたが、この日が今回の終りになろうとは、神のみいや、お大師さんのみの知りなさることであったでしょう。

最御崎寺から七曲りの車道を下ります。ここから見ると、緩い弧を画いて伸びる室戸の海岸と、密でもない、それといってそれほど疎でもない街家の並びは、ひとつの感動を誘って迫ってくる風景をつくっているのです。
この日は殊更に美しい海と空でした。
岬を廻る赤い腹の貨物船まで見えるのですから・・。

最御崎寺を下る遍路


最御崎寺を下る道から、(室戸の海岸と街)


最御崎寺を下る道から、(室戸岬の向う)


最御崎寺を下る道から、(室戸岬を廻る船)

津照寺の石段

1時間少々で25番津照寺です。
この港町の一角に押し込められたような、狭い寺の本堂に上る急な石段は、上り下りの参拝者が「ごくろうさん・・」と声を掛け合う場所です。

津照寺から西へ2.6k、元川に架かる橋の手前から、川に沿って北上するのが池山神社への道です。
西川、奥郷(おうごう)という小さな集落を経ます。
車、バイク、あるいは歩いている幾人かの人と会います。
皆、口を合わせたように「西寺(金剛頂寺のこと、地元では西寺と呼ばれます)に行くんかぁー。道間違えちゅうがよ・・」と言われます。
さすがに奥郷近くでは「池山はん行くがかぇ、道荒れちゅうがよ・・」などとなります。

西川、奥郷への道

奥郷の一番奥にある家を過ぎ、少し行って右に橋を渡った所が登山口と聞いています。
私は、橋の方向をそのまま暫く行き、左へ尾根に上るルートが登山道と勘違いをしていました。
空きカンが吊るされた標識らしき所を強引に上ります。藪漕ぎ数十分。道はありません、ついに諦め。
集落の家まで戻り「ごめんくだせー・・」 
暫くしておばあさんが出てきて「橋を渡ってじき左の道を行っと。草が生えてろうけど道はあるがでよ・・」
手前勝手な解釈はいけませんなー・・。1時間のロスです。

池山神社への道

最初の2k弱が山の斜面を斜めに尾根に上る急坂です。
先日の台風の所為か、木の枝が沢山落ちています。足の上がらない年配者にとっては、下るとき、これに足を引っ掛け転倒する危険は大きいのです。できるだけ道下に落として進みます。
急な斜面を強引に斜めに削った道では、その路肩の殆どは流されています。
谷の上方、大石小石の場所は特に危険です。多くの道(または道らしきもの)が交差しており、数箇所ある「池山行」の標示も必ずしも適切な位置とは言えません。とにかく、尾根筋を目指して上ります。
下りの時を考えて振り返り、目印になるものを頭に入れたつもりだったのですが・・。

河内の集落を望む

登山口から2k以後は、緩い上り下りの尾根の道。
樹木が開けて、右下に室津の河内の集落が見られるところが一箇所。
右に河内に下る急坂の道を分けてすぐ、池山池が見えてきます。
感激の瞬間です。
池の水はあるかないかの状態。全面水生植物に覆われていますが、その向こう杉の大木が数本、それに囲まれて石積みの池山神社があるのです。
私は、まるで「もののけ姫」の神の森の一場面でも見るような、神々しさを持って眺めたものです。この池に棲むという白蛇の伝説を確信させます。
神社の祭神、大海命(おおわだのみこと)は、今は山の下の里に降ろされているといいます。しかし、ここが自然が形作った幽玄の地であることに変わりはないように思えました。

(追記)池山大明神について
「南路志」の金剛頂寺の項に次の記述があります。(意訳)
「池山大明神は古来 金剛頂寺の奥院と伝える。北東方へ山行二里余、頂上に池がある。南北二町、東西一町半程で広さ五百余畝、深さ7m程。今は過半が沼となり水草が茂っているが、夏冬ともに水がある。池の中に島がある。元来山王権現、高祖大師、善女龍王を合祭するという。古い記録にある。」


池山池の向こうに

池山神社

池山池(私の金剛杖)

池山池の水

池山神社

ここまでの行程と所要時間を整理しておきます。
国道55号(旧道)の元橋から奥郷の登山口まで3.1k、40分。登山口から池山神社まで3.8k、2時間30分でした。なお、登山口での最初のロス時間は除いています。

神社からの帰り道。おそらく登山口までの3分の2は過ぎた地点、注意したにもかかわらず、道を間違えたようです。
左下がりの小石の道で谷側の置き足を間違えました。づるづると流されます。止まりません。
数十m滑落。前を見ると大岩があり、その先は見えません。「ヤバイ・・・・」  
5mほど宙を舞ったでしょうか。肩から谷に叩きつけられました。
額から血が、腕からも・・。
恐る恐る足と手を動かしてみます。動きます。骨折はないようです。
リュックは背中のままですが、金剛杖と菅笠はづっと下の方に見えます。でも、これこそお大師さんのお助けを戴いたと思いました。
頭のすぐ傍、チョロチョロと音を立てる水を口に含み、傷口を洗い、応急処置。
携帯電話を出して見ますが、不通地域。
この下の川の傍に道があることは地図で確認済みです。その道が、川のこちら側であることを念じながら、谷を這うように下りました。
川の道は奥郷に通じています。集落まで1.5kほどの地点のようでした。

奥郷に着いて時計を見ると、池山神社を出て2時間30分経っていました。
ここから金剛頂寺までは3kほど。十分歩ける距離でしたが、気力は萎えていました。
民家の前で声をかけ、タクシーを呼んでもらいます。
「池山はんに行く人、年に2、3人は見掛けますよ。上った人が下りてくるがを、何とはなし畑でみちゃうがや・・」
大変お世話になりました。
タクシーの運転手。「こがなげに遍路さん乗せたのは、十年に一度くらいぜよ・・。河内の方ならけっこうあるけどねー・・」

金剛頂寺に着いたのは4時40分。
お参りしていると、宍喰の道の駅で会った人。
「どうしたの。えらい汚れとるが・・」
「いやいや、お恥ずかしい次第で・・」

宿坊の奥様からは随分心配していただきました。
「池山神社へは遍路は行かないことになっているのですよ。へんろ地図にも載ってないでしょう・・。でも、まあ、いい修行をされましたなー」と慰めていただきました。
風呂の中では、傷だらけの体で話題集中。夕食のテーブルでも、またそうでしたが、私は全く食欲がない・・。
ビールだけ飲んでおりました。

室戸岬の影を後に

痛む肩をさすりながら、翌日は念のためと近くの病院へ。
室戸岬の影と輝く海をぼんやり眺めながら、不動岩まで国道55号を歩いて、奈半利までバス。そして、御免まで鉄道。

私の三巡目、第2回の遍路の旅。トラブル続きの旅。決定的なトラブルを最後に終りを告げたのでした。

                                       (平成21年10月) 

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