四国遍路の旅記録 二巡目 第5回 その4

平成20年10月12日     三角寺、奥の院(仙龍寺)行きつ戻りつ(続き)

(仙龍寺からの帰路、雲辺寺道を探して堀切峠まで来ました。その続きです。)

堀切峠手前150m付近で、予期せず薄汚れたへんろ道看板を発見。右の山道に入ります。100mほどで峰の地蔵がありました。正に目指す雲辺寺道。
ここより真北平山に降りる道があるはず・・。確かに石の道標はありますが、草に覆われ道は定かではありません。強引に藪漕ぎして150m、史跡土佐街道御茶屋跡に達します。
「この場所は土佐藩主山内候の参勤交代道中の休み場であった・・・」の説明石版。雲辺寺道は土佐街道と合流して平山に降りていたのでした。
石版は新しいものですが、訪ねる人もないのでしょう。全てが草に覆われていました。
けっこうな悪戦苦闘の末、残念ながら、この先、平山への道は発見できませんでした。

峰の地蔵

土佐街道お茶屋跡

堀切峠に戻り、大きく蛇行する平山への車道を辿ります。
後から軽自動車が来て停まります。
「どこいくかね?・・」平山というと「そりゃ遠い・・乗せてあげたいけど、脳梗塞のレハビリ中でなー、ブレーキがよう踏めんのじゃ・・」「お気持ちだけで・・、歩きますから・・」車は去る。
平山への道半ば過ぎたあたり、その車が再び戻ってきます。
「やっぱり、乗せてやる・・」こうなりゃ、断るわけにはいきません。
「わしはバスに乗っとってな、運転はプロなんじゃが、ただ右足がのー・・」助手席でおじさんの話を聞きます。
押し問答の末、結局平山を過ぎおじさんの家まで。
「ばあさん、でかけとるようじゃ・・」にもかかわらず、家にあがってお茶までご馳走になってしまいました。

歩いて平山まで戻り、東海図版の地図にある三角寺口までの「江戸時代の遍路道」を歩いてみました。
ここは平地だし人家も多くあります。歩く遍路は滅多にいないのでしょう。「どちらにゆくのー」と声がかかります。
「ここは古い遍路道だと聞いたもんだから・・」と言うと「いやー、なーんにも残こっとりゃせん。ああ、道標があったかなー」
確かに、街路の外れ、天保の年号のある道標、それに中務茂兵衛165回目のへんろ石がありました。・・それのみ。
三角寺口より約2.5k三島の街外れの民宿に着きました。

本日の歩行   43049歩   地図上の距離: 19.1k    電車: 11k


平成20年10月13日     箸蔵寺へ、この壮大な金比羅さんの奥の院

三島の民宿を出てコンビニで朝食。別格14番札所常福寺(椿堂)に参ります。
「歩きですか・・」 ここでは、歩き遍路ということで納経料をお接待していただけました。「あの・・」少しは電車やバスに乗ってるんだけどなー。ちょっと気が咎めましたが黙っておきました。

別格14番常福寺(椿堂)

ここより国道192号、県道267号を経由して別格15番札所箸蔵寺(はしくらじ)に向います。
寺下まで約26kの行程です。退屈で足の痛くなる舗装道歩きですが、後半県道に入ると、青い吉野川の水の色に慰められます。
さすがに吉野川。こんな上流でも水量はたっぷりです。緑の囲まれた両岸。吊橋も見えます。

15時、箸蔵寺を望む山の麓に着きました。
寺は標高630mの山の頂上近く500~550mにあって、ロープウエイで行くこともできますが、やはりここは約2kの山道を歩いて上らねばならぬでしょう。歩き・・ですからね。

箸蔵寺山門 


 山門の仁王と草鞋

 
 山門の草鞋

急坂のかなり荒れた山道です。途中、三好高校の山地農場の傍を通ります。強烈な堆肥の匂いに耐えます。
上り口から45分ほどで山門(仁王門)。立派な仁王とそれに、巨大な草鞋に驚かされます。
山門から参道、その後に続く石段の壮大なこと、長大なこと。両側の石柱に寄進者の名が並ぶ。全国各地の在住者、北海道の地名、それにその昔外地と呼ばれた地名まで見られます。
ロープウエイで上がった人は、この石段を見ることはありません。ここだけでも、歩いて上がった価値はあるというものです。

 
箸蔵寺の石段

 箸蔵寺の石段 



 箸蔵寺の石段

 
箸蔵寺の石段

本坊の傍を通り本殿に参るには、さらに急で長い石段を上ります。
山門からゆっくり歩いて30分。
この寺の本尊は金比羅大権現。従って本堂ではなく本殿と呼ばれています。また、あの琴平の金刀比羅宮の奥の院と呼ばれる所以です。
現在から見れば、ちょっと不思議な形のお寺。
当然、若干の引用も含まれますが、箸蔵寺に関する講釈を記しておきたいと思います。
寺の縁起によれば、天長5年(828年)弘法大師の開創と伝えます。
箸蔵の山頂に漂う不思議な瑞気に導かれて登られた大師が金比羅大権現にめぐり会われ、済世利民の神託を授けられたという。即ち「箸を挙ぐる者我誓ってこれを救はん」。箸の挙ぐる者とは国民の全ての意。これが寺名の由来ともいう。
わが国に仏教が伝来して後、仏、菩薩を本地(真実の身)、日本の神を垂迹(仮の身)(垂迹を権現ともいう)とする考え方が支配的となってきます。本地垂迹即ち神仏習合の形態に移行するのです。
一方、金比羅は、サンスクリット語でワニを意味するクンビーラの音写で、後に薬師如来に従う十二神将の筆頭、独立して海上交通、漁師の守護神と祀られてきたという。元々は外来の神なのです。
神仏習合の動きは、空海が唐より真言密教を招来した時期と重なります。真言密教の教えは、これら神仏習合の動きを全て包含する壮大なものであったようです。
これが、先に記した大師と金比羅権現の出会いとしても象徴されたものと思われます。
明治初年の廃仏毀釈に際し、神社に変ることによってそれを逃れた琴平の金比羅宮。それに対し仏教の寺の形態を維持し得たこの箸蔵寺。どういう理由があったのでしょうか。

別格15番箸蔵寺本殿


 箸蔵寺本殿 

箸蔵寺本殿 


 箸蔵寺本殿

箸蔵寺本殿

箸蔵寺御影堂

本殿他、主要建物は、最近、国指定重要文化財にも指定されたといいます。
金比羅大権現を祀る本殿の正面を飾る恐ろしい天狗の面、過剰とも思われるような軒先の華麗な木組み、彫刻。渦巻く流水、その中にあのワニ(ワニザメ)の姿も見えます。
それらを仰ぎみる時、様々な社会の、そして宗教の変遷のなかにあっても、多くの人々の心の拠り所となってきた力を感じないわけにはゆきません。
素晴らしいお寺にお参りできたことに感謝します。南無大師遍照金剛。

山道を下り、今夜の宿を探します。なかなか見付かりません。
近くの人に聞いてやっと分りました。何故か「今夜、泊まるのー」とやや不審顔。
宿は駅の傍、看板もないのです。
泊り客は私一人。話し好きのお女将さん。夕食の間中、話し相手に付き合っていただきました。感謝です。
「昔は土木関係の人が多く泊まってくれたけどねー。おばーちゃんの代ですよ。今はさっぱり、お寺参りも車だからねー・・」
蒲団の中で、土讃線の1両電車がゴーと来て駅にとまり、声もなくまたゴーと出て行く。ほんとに人の声も気配もしない、その繰り返しを3、4度聞いているうち、夢のなか。

本日の歩行     57282歩     地図上の距離: 29.5k



平成20年10月14日     山村の道の安らぎ、雲辺寺へ

箸蔵寺から66番札所雲辺寺への道は、へんろ地図では県道267号、268号を通る道のみが指定されています。
しかし、県道267号は昨日通った道だしな。地図を見ると、山間の鮎苦谷川に沿った山村を経由する国道32号、県道6号の道に魅力を感じます。
昨日、箸蔵寺への山道の入口に、雲辺寺までの道として紹介されていましたし、私には、こちらが古くからの遍路道であったのではないかという思いもあるのです。

今回の四国では、初めての本格的な雨の朝。雨具の上ズボンにポンチョを被って出掛けます。
国道32号を逆に下って1k、コンビニで朝食を取って後、上り返します。
県道6号に分岐するまでの5.2k、高松に通づるメイン国道でもあって、トラックの通行が頻繁です。幸い上り坂ですから、雨の飛沫をどっと浴びるということはありません。
左側は鮎苦谷川の深い谷です。雲に霞む谷の底に白いものが見えます。流れる水が踊っているのです。
民家とその周囲の小さな畑が山の上に点在しています。深い緑の森の上には、雲が棚引いています。こんな山村の風景、滅多に見れるものではありません。見飽きません。魅せらます。


山上の集落 


山上の集落 


 山上の集落

深い谷の水流

県道6号に入ると人も見ないし、通る車も殆どありません。
山から湧いて落ちてくる水。柄杓が置いてあります。飲める水だという証しです。雨の日だけど、こういう所ではやはり水を汲んで飲んでしまうのですね。
下野呂内の集落、小さな畑。色付いた柿の実の下の墓の向こうには、すっかり刈り入れを終わった田圃も見えるじゃないですか。
こういう道を通りたかったのですよ。願わくば、道の近くの畑に何方か・・。声をかけて、ちょっとお話、したいですね。
残念ながら雨のこと、人影もありません。
野呂内下の集落、道の右側に「右 こんひらみち 左うんへんみち」の標石を見ました。曲がりくねった独特のひらがなの書体。想像できるでしょうか。
こんひらは箸蔵寺のことでしょう。やはりこの道が箸蔵寺と雲辺寺をつなぐ古い道であったようです。

水場

道標




 下野呂内の風景

下野呂内の風景

旧池田町白地、これまでづっと道の左にあった鮎苦谷川の清流と別れ、雲辺寺への上り道となります。
すでに県道268号に入っています。標高910mの寺はもう近くですが、この舗装道の上り(標高差350m、約2.8k)は結構きつく感じます。
箸蔵寺下を出てから5時間30分、12時30分雲辺寺に着きました。   

                           (10月14日の遍路日記、続きます) 

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