感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
四国遍路の旅記録 二巡目 第4回 その3
平成20年3月27日 篠山神社一の鳥居の元まで
朝の田圃の傍の道
延光寺
第39番札所延光寺に向う道すがら。
輝く朝日は、その断片を水を張りかけた水田の上に落としていました。
7時前の境内は、誰もいません。いつもにもなく、声を大きくあげて般若心経を読みます。そうしていると、心は何やら晴れ渡ったような気分になってくるのです。
宿毛市街に向う道、1巡目では、ここは39番に往復したところ。ラーメン屋や眼鏡屋や明治の偉人の生家跡、それらの佇まいまでよく憶えています。行きづりに見ただけなのに、不思議なもの。
市街を抜け、松尾峠に向う道に入ります。峠道にかかる前までのアプローチがけっこう長いのです。4kはあるでしょうか。山道になったり、里の道になったりを繰り返します。でも、私はこの道、好きな道です。
山には山桜、池に張り出したたわわな桜花、ああ、蓮華の畑も見えます。
農家の間の道を行けば、子供達から「こんにちは!」と元気な声がかかります。
菜の花畑のなかに入って、ついつい遊ぶ・・遍路。
山の桜
池の桜
蓮華畑
菜の花畑で
松尾坂口番所(関所)跡があります。
峠を越えれば伊予の国。江戸時代、土佐藩はここで人の出入りを厳しく取り締まったといいます。
峠道に入ったところに、子安地蔵堂(通夜堂)があります。きれいに掃除されています。良い季節であれば、寝袋持って、何人かとこういうお堂に泊まれば、楽しいだろうなーと思わせられます。辺りには、鳥の声も満ちているところです。
峠道は、きついけれど、昔からの通商路、よく整備されています。
峠には新しい大師堂があります。近在の有志、遍路宿の女将さん、それに全国から来た若い遍路が何日も泊まりこんで、その建設に協力したと聞きます。よく話しにでてくるお堂なのです。
今日もお堂と周辺の清掃のため、おじさんとおばさんが峠に上がってきていました。
「きょうはどこまで行くかねー」
「一本松の先の札掛宿まで・・。明日は篠山にお参りするつもりで・・」
「そんな宿あったかなー。篠山はたいへんだ・・、確か山北に民宿が出来たと聞いたが・・」(山北は篠山の登山口に近い。ここに宿があれば、篠山参りも相当楽になる。)
松尾峠
松尾峠より宿毛を臨む
篠山神社一ノ鳥居
札掛の宿
峠を下り、一本松の街を通り、早くも午後2時過ぎ、篠山神社の一の鳥居の元、札掛の宿に着きます。
女将さんがニッコリとお出迎え。
この札掛という地名、各所に残りますが、遍路が札(昔は木の遍路札)を掛けてお参りした場所に由来します。この地は、その困難さから篠山詣りを果たせなかった遍路が、ここに札を掛け篠山を遥拝して去った地という・・その名残りだという。
今夜はもう一人泊まり客。篠山に上って下りてくるという。6時前、食堂の方から女将さんの声。「ちょっと、きて・・」
食堂の窓から宿に近づいてくる遍路の姿が見えるのです。
「きた、きた・・・」 女将さんうれしそう・・。
この人が東京のOさん。宿毛からバスで篠山登山口にできるだけ近い所まで来て、こちらに下りてきたという。なるほど、そういう方法もあったか・・。
話好きの人で、3人で鍋をつついて、篠山のこと、その他その他、話しに花が咲く。
本日の歩行: 37383歩 地図上の距離: 23.6k
平成20年3月28日 「道しるべ」 篠山神社への道
田圃に朝日が
(今日は、日がな篠山詣り。全部「道しるべ」欄とします。)
5時40分、外はまだ真っ暗。背中にはお借りした小さなリュックに、朝、昼分のおむすび4個。額にはこの日のために調達したライト。女将さんの見送りを受けて勇躍出発。
今回の区切りでは、おそらく足に一番働いてもらわなくてはならない日であろう。
1065mの山の上下を含む30kの歩きです。
広域農道を行くと、田圃の水が朝日に輝き始めています。
篠南(ささな)トンネルを抜け、5.8kで県道332号に入ります。
すぐに小中学校が。この学校の名前、おそろしく長いので有名。因みに「高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小学校」といった具合なのです。
篠山遠望
登山口の鳥居(二ノ鳥居)
鳥居後方の二体の地蔵
へんろ道道標
県道に入って3.2k、御在所の篠山橋を渡ると、左手に篠山神社二ノ鳥居があります。篠山登山口です。
鳥居後方に二体の舟形地蔵があります。左は元文五庚申六月吉日(1740)光背に「従是寺迄五十丁」と刻まれます。(この道が古くからの遍路道であることの証しです。)右は明治19年の地蔵。
宿を出てちょうど2時間。
急坂を登り始めます。
最初のカーブにへんろ標石があります。これ以降神社まで標石をみることはありません。
10分ほどで林道と合流、墓地があります。まもなく林道と別れ左に進みます。
かなり急な道が続きますが、やがて道は尾根筋にあがり、展望も開け、緩やかな道となります。
480mの三角点があり林道を左に分岐する地点より急坂となり、一挙に780mまで上る。
道は平らとなり、篠山荘(町営の無人の山小屋)の白い壁が見えてきます。県道と交差、駐車場とトイレがあります。
登山口からここまで2時間15分。(時間はすべて休憩時間も含む)
ここまでの地道は、想像したよりづっと良く整備されていて歩き易いもの。
落葉をしっかり敷き詰めた柔らかい道。椿の花が眼前に現れ、慰めてくれたりするのです。
私には、むしろここより山頂までの石の階段主体の道が厳しく思えます。
浮石に乗らぬこと、濡れた石に滑らぬこと。特に下りは慎重に。
篠山荘から37分で観世音寺跡に着きます。
300坪ほどの平地で、片隅に荒れた僧侶の墓があり、昔日の面影を偲ばせます。
これより上はネットが張ってあり、ゲートを開けて入る。ミヤコ笹を鹿から守るための処置。
そこより17分で山頂篠山神社に到着。10時50分、登山口から3時間10分でした。
お参りする手も合わないくらいの寒さ。風も強い。神社裏には不思議な水を湛えた池、伊予国土佐国境標石も。
心配いただいた宿の女将に到着を電話。(電話は通ずるのだ!)
絶景を鑑賞する間もあらず、11時5分早々に下山に移ります。同じ道を下り、登山口到着は14時20分。
所用時間は、登りとほぼ同じ3時間15分でした。
(追記)篠山信仰について
篠山の古い伽藍記録には「熊野三所権現廟」とあります。また、山頂直下の観世音寺(別当寺、現廃寺)ゆかりの鰐口鐘の銘に正長、応仁の年号が見られることより篠山信仰が中世以来のものであることが認められているのです。
登山口正木の庄屋蕨岡家は、山頂の篠山権現の神職を勤めており、蕨岡家は熊野行者であったか、あるいは密接な関係にあり、篠山先住の天狗(地神)を退け熊野信仰に代わったことを伺わせるとされます。このことは、蕨岡家に「戸たてずの庄屋」の伝説を生むとともに、弘法大師信仰も加えて、江戸時代における大師一尊化と遍路の大衆化への道を開いたと言われるのです。
椿のお迎え
落葉を踏んで
山頂への石の道
国境石
山頂の篠山神社
山頂の池
観世音寺跡、僧侶の墓
帰路、県道332号の途中、権現町に曹洞宗、白翁山 歓喜光寺があります。
篠山神社下に寺跡の残る観世音寺は明治初年の神仏分離により廃寺となったもので、歓喜光寺に遷座して御篠権現として祀られたという。
境内左手に大師堂がある。ちょっと不思議な感じの寺です。
歓喜光寺の大師堂
帰り道は、広域農道の入口を間違ったりしたけれど、16時50分、宿に帰り着きました。
宿の食堂から歩いてくる遍路の姿が見えたでしょう。
窓に小さく女将さんの姿が見えます。こちらの姿を認め庭に出たりまた入ったり。
杖を大きく振って「ただいま・・」
女将さんの心尽くしのお迎え、ありがたいもの。
本日の歩行: 55264歩 地図上の距離: 30k