感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
四国遍路の旅記録 二巡目 第4回 その4
平成20年3月29日 御荘の宿
観自在寺山門
観自在寺の仏
観自在寺
今日は、第40番札所観自在寺にお参りして、そのちょっと先、御荘(みしょう)の民宿磯屋さんに泊まります。
札掛の宿から僅か7.5kの距離。この宿に泊まるにはちょっと理由・・というか思いがあるのです。
1巡目にこの宿に泊まりました。同宿した名古屋のYさんは、先立たれた愛妻に出会うための旅でした。Yさんはその後奥様とのこと、遍路のことを綴った本を出版された。(八神和敏「旅立った妻に、ごめんね、ありがとう」)
よほどその夜のことが印象に残ったのでしょう。優しい女将さんのこと、もうひとりの同宿者大阪のOさんとともに、私の名まで実名で登場するのです。
本を贈られてからはがきの遣り取りも数回。宿に行ってもYさんに会える訳ではない。でもね・・・これがこの宿に泊まる理由。
それにしても時間を持て余します。この辺りには天義鼻とか、石垣の里外泊とか、名勝地も多い。折角だからとバスターミナルに行き、路線と時間を調べる。この辺のバスは通学が主目的、今日土曜は運休が多い。ダメだ。
たまたま明日は雨という、テレビから流れる予報の声を聞いて、結局、これより遍路ルートを10k進んで、内海の海岸(室手海岸)を見ておくことに落ち着く。
三つ、可愛く並んだ島「三つ島」(正しくは三ツ畑田島)を含む、室手海岸の風景は巣晴らしかった。のんびりと拡がる春の海でした。
内海からバスで戻り宿に着きます。
宿にはYさんの本が置かれていました。
女将さんは、私の記憶は曖昧であったようです。でも、当時のことを語りあっているうちに女将さんの心とも通じ合うものがありました。女将さんと、もう一人の同宿者神奈川のMIさんとともに、楽しい夕食でした。
室手海岸
室手海岸
室手海岸
「コラム」 遍路の宿の女将とご主人
遍路にもいろいろな形がある。基本的に宿に泊まって歩くという典型的なひとり歩きの遍路に限ってみて、遍路と四国の人との出会いは、どういう場があるだろうか。
札所や遍路道の途中で、お接待という形であるいは、立ち話しという形で一瞬の、多くの場合、まさに一期一会の出会いがある。
札所の寺や宿坊での、遍路と僧侶との出会い。これは遍路の本来の有り様から言ってももっとも重要なものであろうけれど、そういう機会は極めて少ない、というのが現実のようである。
そこで、宿の女将やご主人と遍路との出会い。これは接する時間の長さ、そしてひょっとしたら一期一会ではないかも・・と思わせる点も含め、遍路と四国の人との最も大きな接点となりうるものではないか、と思えるのである。
もちろん、宿の中には、ビジネスホテルや、旅館であってもご主人や女将は事務的に客に接するだけといった所もある。こういう宿を好む遍路も増えているとは聞くが、人との出会いということからは埒外にある。
この度の区切り打ちでも、たくさんの宿にお世話になった。典型的な四つの宿を選び、その女将やご主人について、思うところを記しておきたい。
個々の宿の批判になったり、女将やご主人の身の上探索になってはならないことは承知している。この日記は時間を超越している。これまで出てきた宿もこれから出てくる宿もふくまれる。記述から、あの宿と想像できるかもしれないが、詮索しないで欲しい。私の書いておきたいことはそこにはないのだから。
民宿A:古くから民宿を経営している高齢のご主人と女将。民宿B:ここも古くからの民宿であるが、未亡人の女将がひとりで切りもりしている。民宿C:遍路をしていた四国外在住の女性が、数年前に開業した宿。民宿D:やはり遍路をしていた四国外在住の男性が昨年開業した宿。
民宿Aのご主人と女将のことについては、既に書いたからもうバレバレであろう。評判の良い宿であるが、疲れた遍路には過剰の心遣いではないかと危惧するところもあった。が、さにあらず。
近くの海で魚介が獲れなくなったことを愁い、森が死んでゆくのを悲しみ、これからどう生きていけばいのか、的確に語られる。宗教的なものではない、実際の生活のなかで掴んできたものと思える。
夕食のビールを傾けながら、ご主人と女将さんの表情を伺い、いつまでも聞いていたい話であった。
民宿Bも評判のよい宿。偏に女将さんの屈託の無い性格である。安心してまた泊まりたいと思わせられる。
自ら運転する車で荷物や人を2、30k先まで送り届ける。また、ご一緒にドライブしたいですな。
四国以外の人が、遍路宿を開業するのは大変な苦労が伴うだろう。25kから30kを隔てて、前の宿から次の宿に客を紹介するネットワークができている。
新参者は、既存の宿が集中する場所から離れた中途半端な場所でしか開業できない。
既存の宿のお手伝いなどして、遍路道や霊場の保全活動にも参加してお仲間として認めてもらわなくてはならない。それでも、新しい宿の新しい遣り方に対して強い口調で批判されるのが常である。
民宿C、宿泊人なしの日が多いであろう。台所から漏れてくるかなり前の流行歌の鼻歌と猫をたしなめる声、何処と無く寂しさを感じたものである。がんばれ、女将さん。
民宿Dの主人も事情は同様であろう。直接利害に係らない遠く離れた宿にパンフレットの配布を依頼している。
まだ若い主人、遍路仲間からの口コミ支援が多いようだ。型破り風なところもあるご性格とお見受けしたから、あっと驚く展開もあるかもしれない。がんばれ、若主人。
本日の歩行: 31779歩 地図上の距離: 15.9k
平成20年3月30日 山は遠いし柏原はひろし・・
予報通り朝から雨。
内海まで歩いたというと、女将は「戻って泊まっていただいたんだから・・」と、内海まで車で送ると言って聞かない。
同宿のMIさんの荷物も内海まで運んで、知り合いの旅館に預かってもらうという。
女将さんとドライブ、でも15分、あっという間だ。
でも、内海の海岸は表情を一変させている。昨日歩いて見てよかった。
内海の旅館の前で、カッパを着て柏坂遍路道を目指す。女将さんには、いつまでも手を振っていただく。
この柏坂遍路道、けっこう急な登りが3k近くも続くきつい道です。
峠までは野口雨情の歌が、また峠から下りは、柏坂にまつわるよもやま話の看板があり、歩きを慰めてくれます。
書き留めた野口雨情の歌のいくつか・・。
・雨は篠つき波風荒りよと 国の柱は動きやせぬ
・松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら
・遠い深山の年ふる松に 鶴は来て舞ひきて遊ぶ
・山は遠いし柏原はひろし 水は流れる雲はやく
終りの歌、1巡目のときより心に残っています。
柏坂
柏坂
柳水大師
摂待松跡
馬の背
宇和島の海岸(由良半島)の眺め
柳水大師、清水大師を過ぎ、つわな奥展望台、宇和島の海岸が美しい眺望ポイント。
残念ながらの雨中であるが、全体が雲海のような墨絵の世界、それなりの見事さです。
よもやま話の看板、必ずしも旧い話ばかりではなく新しいものもあります。それにしてもエッチなものが多い。人間から性を除くと何も無い・・というほどに重要事。当然のことかもしれないけれど。
(追記)「高群逸枝、柏坂にて」
八幡濱から始まった高群の四国遍路旅。柏坂、つわな奥からの展望は逆打ちで初めての広い「海」であったろうか・・大正7年7月22日雨の日、その興奮を綴っています。
「「海!」・・・・私は突然驚喜した。見よ右手の足元近く白銀の海が展けている。まるで奇蹟のようだ。木立深い山を潜って汗臭くなった心が、ここに来て一飛びに飛んだら飛び込めそうな海の陥し穽を見る。驚喜は不安となり、不安は讃嘆となり、讃嘆は忘我となる。暫しは風に吹かれながら茫然として佇立。」 (娘巡礼記 高群逸枝 岩波文庫)
山桜 の咲く里
菜の花
雨中の鷺
遍路道が国道56号と交差する所、国道を一人の遍路がやってきます。
これが所沢のMさん。昨年1番から挑戦したが、途中で故障入院。帰宅してからは、毎日10kを歩いて足を強化、万全を期してのリベンジとのこと。
「じつは私も所沢のMというとこに住んでたことありましてね・・」
「あーMね。水天宮さんの辺ね、よく歩きまわっているとこですよ」
東京の周辺の小さなエリアのローカルな話、四国の道の上で花が咲く。
私は、番外霊場満願寺に寄るため、津島の畑地の峠の前でお別れ。
峠を越えて満願寺までの道は、雨は小降りになったとはいえ、やたらと長い。
満願寺にお参り。有名な二重柿(柿の中にもうひとつ小さな柿がある)の木も見ました。でも、お参りの人もいなけりゃ、お寺も無人。
折角来たのに・・。お寺の人と話をしたかった。虚しいもんだ・・。
満願寺
満願寺の二重柿
桜ちらほらの岩松川の河畔を歩いて3k、コンビニで夕食を仕入れ、ビジネスホテルに入ります。
河畔の桜
岩松川の畔
本日の歩行: 38743歩 地図上の距離: 20.6k