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尊厳死

2013年12月29日 | 心境
尊厳死法案、現実味…自民PT、議論要請へ
いざ自分や家族がその立場に立ったら・・・本当に難しいですね。

下世話な話、回復の見込みのない終末期の医療には、ものすごくお金がかかります。医療費はもちろん、入院すれば部屋代もバカになりません。長期化すればそれこそ百万単位、もしかしたら千万単位を覚悟しなければいけません。特に今は医療技術が格段に進歩しているので、積極的治療を望めば、おそらく昔に比べ格段に延命率は伸びているのだろうと思います。ただ、それで回復の見込みがあればまだしも、それだけ払って良くて「現状維持」・・・実際は保険でカバーされている分もあるので、個人の支払いだけでなく、延命するだけのために莫大な国民のお金を使っていくことになります。
もちろんお金の問題だけでなく、人の命を左右する場面でそれをどう扱うかは、慎重に話し合わないといけません。本人は既に意識がない場合もあるでしょうけど、仮に「もう死にたい」と言っても、安楽死は殺人行為になってしまうため、治療は行わざるを得ないわけです。ちなみに、今回の「尊厳死」とは安楽死でなく、延命措置を行わない、または途中で治療を止めることを言うそうです。治療法自体は選べるので、リスクをとってでも積極的治療を行うか、自然に任せて悪化した事象のみ対応していくかは選択できますが、現状では「悪化しても対応しない」ということはできないので、手を尽くしてできるだけ延命させると言うのが今の方向です。しかし「そこまでしてでも生きたくない」と、意識のある時に意思表示していれば、そのまま「尊厳死」させるということを認めよう、というのがこの法案というわけです。

個人的には、家族や皆にそこまで迷惑をかけてまで生きたくはないなあと思っています。しかし、実際その立場だった場合、家族だったらやはり手を尽くして欲しいと願うのではないかとも思います。自分も逆の立場だったらおそらく決断できないでしょう。いくら本人の望みでも、手を尽くさなかったことで死期が早まることを、残された遺族は絶対後悔するような気がします。現状、この法律が“ない”ことによって、「このまま死なせる」という選択肢は選ぶことができません。実は、それが救いになっているのではないか、とも思うので、自分は今の所、この法案には賛成できません。
今月、祖母が入院し、それこそ上記のような場面に遭遇しました。高齢なので手術に耐えられないかもしれないし、持ってもまず元のようには回復しないだろうと言われました。幸いまだ入院中ですが、仮に今点滴を止めてしまえば2~3日も持たないわけです。ただ、病院に見舞いに行くようになって、祖母の様子を見るたびに「生きようとする意志」のようなものを感じ、絶対に命を粗末にするような真似はしたらダメだなあと決意を新たにして帰ってきています。

意味のない「生」などありません。延命の上の死もまた尊厳死なのでしょう。

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