ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

真面目な〝俳句の話〟ですよ!

2019年11月30日 | 俳句

 今日で11月も終り、明日からはいよいよ〝師走〟ですね。ああ、また必死で走らなくっちゃ…アッという間に年末になりそう!だってもう1月も2月も既に予定が入っているし…まるで止まらないジェットコースターに乗っているみたい。イヤダッ…

 さて、先日せっかく佐々並吟行に行ったんですから、俳句の真面目な(?)話でも少し書いてみましょうか。

 今回も午前中それぞれの吟行地を見て回って、昼食場所に着いたのが12時30分。それから食事ですからだいたい終わったのが13時頃。それからの30分で5句投句です。以前にも書いたことがありますが、投句前の30分でいちから作句しようとするのは、余程のベテランでない限り無理なこと。だから、吟行している間の2時間ほどを歩きながら、また見ながら、これを詠もうと思うものをせめてそこそこで2,3個は見つけておくことです。もちろん季語だけを見つけるのではダメ。そのものの状態や雰囲気、感じや印象とか…その見たものをどういう風に表現するかが問題なんですから。ただものだけを並べたんでは、〝ああ、そうですか〟という説明の俳句になってしまいますものね。

 今回の吟行句会に出て来た句材はというと、もちろん「萩往還」が多くて、これは「往還」や「街道」だけでもいいし、「お成り道」ともいいます。そこから「石畳」も出て来ますし、「御建場跡」や「一里塚」なども。

 佐々並市(いち)に来れば、「宿場町」ですから「御茶屋跡」や「陣屋跡」、漆喰の「白壁」や「虫籠窓」「冬座敷」、「廃校」もありましたし、廃れてはいましたが「豆腐屋」や「鍛冶屋」なども…。神社へも行きましたので、「鳥居」「石段」「手水鉢」「格天井」なども出ましたね。

 季語としては、目に見えるもので「紅葉」「落葉」「木の葉」「散紅葉」「銀杏落葉」「山茶花」「柿」「花八手」「冬椿」「新豆腐」「返り花」「枯紅葉」「冬紅葉」「枯尾花」「小鳥来る」「冬木立」「木の実」など。

 時候や天文の季語としては、「小春(日)」「冬ぬくし」「冬浅し」「冬日」「冬日和」「冬近し」。その他に「水涸る」や「冬支度」などもありました。実際はもう冬なのですが、まだ晩秋の感じが残っていますから、そこは厳密にはいいませんが、春や夏ではいけないということはお分かりでしょう。

 ではこういうものを眼前に見て、そこに何を感じたか…。俳句は17文字ですから、季語と素材を組み合わせれば、大体半分以上が埋まってしまいます。残ったところをどう把握(実感)して繋ぐかが勝負なんですね。ここを煮つめていって最後にまとめて仕上げればできあがりです。

 まあ、言葉でいえばそういうことになるんですが、…やっぱり初心の時は難しいでしょうね。でも、やればできますし、慣れてきますと、この吟行で作るという緊張感が却って好きだという人もいますから。いうなら昔の剣術家が諸国に出て他流試合をするようなもの…いや、ちょっとヘンなたとえだったかしら?しかし、そもそも句会というものがそういうものだったんです。たまにはいろんな結社の人がいるような句会にも参加して句を投げ込むんですから…もしかしたら一刀両断のもとに裁かれるかも知れませんし、思いがけずに賞賛を浴びるかもしれませんよ。そこがおもしろい。それを即吟でやるのが吟行ということなんです。

 先日の馬酔木の鍛錬会で投句した私の一句。〈……日を噛みこぼす鬼瓦〉ですが、その上五の季語が最後の最後まで決まらず、〆切の5分前にやっと決めて出しましたら、思いがけず主宰から褒めていただきました。気分はヤッターですよ。

 さて、みなさんだったらこの上五に何を持ってきますか?もちろん秋の季語ですよ。さあ、考えてみて下さい。答えは次に…ね。

 写真は、先日ときわ公園に行ったときに撮った鴨たち。殆どがヒドリカモの雄と雌、鼻が白くて黒いのがオオバン、最後のはカンムリカイツブリ…これはなかなか近くに来ないし、すぐに潜ってしまうので、やっと撮りましたが…み~んなピンボケ、ゆるして~!

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佐々並吟行〝佐々並市(いち)〟です!

2019年11月29日 | 俳句

 昨日は午後から俳画教室でした。画題は来年の干支の〝ねずみ〟。大きな朱の盃に手を掛けて酒を呑もうとしているねずみの絵です。色は朱だけであとは墨のみ。特に大きな盃を一筆で書くのが難しくって、それだけを何度も書き換えてしまいました。

 一色だけの掠れと濃淡で…それがうまくいけば、今度はバランスが…、そこまでうまくいっても最後の一本の線でダメになったりと、やはり気を抜くと失敗します。これも精神的な集中力の訓練になりますね。

 私は前回欠席しましたからそのお手本の〝シクラメン〟も書きましたので、ちょっと疲れました。

 さて、前日の続き…佐々並吟行の、いよいよ〝佐々並市〟です。

 ここ佐々並は、赤瓦の町家が佇む萩往還のかつての宿場町です。萩市が出しているパンフのキャッチコピーに次のように…

 佐々並は、近世以前から長い年月をかけて地域の自然と共に育んできた暮らしの営みが息づく美しい山里です。そして萩往還の宿場町・佐々並市には、近世の町割りが良く残り、茅葺民家や明治以降の石州赤瓦の街並みが周囲の棚田などと一体となって宿場町の風景をよく伝えています。かつて、お殿様が休憩をとり、維新の志士達も駆け抜けた山里を、あなたもタイムスリップ気分で巡ってみませんか。

 ところで、〝佐々並市〟とは「ささなみいち」と読み、萩往還の宿駅を果したところ。慶長11年(1606)に藩主が休憩する「御茶屋」(おちゃや)が設けられたことにより、上ノ町から中ノ町を経て、西岸寺に至る久年(くどし)までの62軒からなる街並みが一挙に成立しました。農業を営みながら宿を提供した家も多く、上級武士が休息した「御客屋」(おきゃくや)や人馬や駕籠の調達を行った「目代所」(もくだいしょ)として使われた建物が現在も残されています。このように宿駅当時の景観を色濃く残していることが評価され、平成23年6月に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

 

 また、幕末には吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、坂本龍馬など、維新の志士たちが萩往還を通り、佐々並市で休泊しました。高杉晋作率いる騎兵隊らと藩の保守派が戦った「大田・絵堂の戦い」では、脇戦として佐々並市も戦場となり、12軒の家が焼失しました。その当時に建て替えられた家が今も残っています。

 ここの名物は〝豆腐〟で、ささなみ豆腐といえばおいしいと昔から有名でした。かつて伊藤博文がここの豆腐を気に入って東京へ出て来るように再三誘ったが、「土地の名物がなくなる」といって断わったことで有名な豆腐屋が以前来たときはあったのですが、今回は廃業されていました。1800年頃からの8代続く老舗でしたのに…残念!

 久し振りに吟行に来ましたが、やはりその衰退は…家は残っているのですが空家が多くて淋しい限りでした。こういうものの保存というのも非常に難しいものがあるでしょうね。

 今回初めて「貴布禰(きふね)神社」にお参りしました。知ってはいましたが、階段を見上げて…〝ああ、止めとこう〟と。数えたら139段あったんですって!でも紅葉がとってもキレイでした。特に〝散紅葉〟や〝銀杏落葉〟が…。ちなみに、どちらも冬の季語ですが、〝銀杏散る〟は秋、でも〝紅葉散る〟は冬ですので気を付けましょう。要するに散る状態か散ってしまった状態かの違いです。余りの美しさにSさんなどは銀杏の絨毯に寝転がって句を考えていましたよ。

 神社を下りるとき棚田の景色が…

 最後は、もちろん〝ささなみ豆腐〟。維新の志士たちも宿泊したという創業約260年の「はやし屋」さんの豆腐コース料理です。これにまだ熱々の豆腐ステーキが出ますよ。

 ああ、美味しかった、もうお腹いっぱい!デザートのプリンは後のコーヒーと一緒に出して貰って、いよいよ句会です。5句投句のしめて60句。さあ、どんな句が出たでしょうか。それはまたのお楽しみ!


 

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佐々並吟行・六軒茶屋です!

2019年11月27日 | 俳句

 昨日は最高気温16度、曇りのち晴れで、まあまあの吟行日和でした。

 このM教室にはとっても頼りになる人がいるんですよ。キャンピングカーを運転して全国を駆け回っているkさん。去年初めて乗せて貰って吟行しましたが、今年も快く引き受けて下さり…参加12人でしたので、この車に8人、もう1台の車に4人…

 9時集合して、さあ出発。目的地は萩市の佐々並地区なんですが、その前に途中にある萩往還の一ノ坂に設けられた休憩所、六軒茶屋跡に寄りました。

 萩往還というのは、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道です。 萩往還には旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられていました。その茶屋の中で、萩往還最大の難所、一の坂(一番険しい坂の意味)にあったとされる茶屋が六軒茶屋です。 ここは昔六軒の農家があり、佐々並から山口に家があったのはここだけでしたので、往来の旅人の良い休み場となり、軒先を茶店にして旅人をもてなしていたことから六軒茶屋と呼ばれるようになりました。

 この六軒茶屋跡(一の坂駕籠建場跡)には、名前の由来となった6軒の茶屋の他、藩主の休憩所である駕籠建場(藩主の駕籠を降ろして休憩する場所)がありました。現在は、山口県文書館に残されている「山口一の坂御建場差図」を元に、平成22年(2010年)に一の坂駕籠建場や石垣・石畳などが復元されています。

 ここを過ぎて、もう少し萩往還の石畳を行くと、石で積み上げた一里塚があります。ここは萩往還の中間地点で、 萩、唐樋より6里、三田尻船場より6里と示されています。

 私たちは時間がないのでここで引き返し、また車に乗って、目的地の佐々並へ出発しました。このつづきはまた明日に…。

 

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令和最初の宇部市〝俳句の集い〟で~す!

2019年11月26日 | 俳句

 昨夜は疲れが溜まっていたのか…眠くてねむくて、早くにダウンしてしまいました。

 実は昨日も句会でしたし、今日は朝からまた吟行なんです。このところ出ずっぱりの感じ…大丈夫なのかしら、わたしのカラダ、ガンバレ!

 まあ、そんなこと言っちゃあおられません。今日の添削と資料をやっと仕上げましたので、日曜日にあった〝俳句の集い〟の報告を…。前日の快晴と打って変わって、朝から小雨でした。

 募集句数は例年並みで、学生の部が145句、一般の部合計236句でしたが、「まちじゅうアートフェスタの部」と「ときわ公園の部」が増えていますので、全体的には増加かな?

 選者は朝11時に集合、本日の席題と詠み込みを決定します。その結果、席題は「神楽」、詠み込みは令和にちなんで「令」になりました。

 12時受付開始と席題の発表。句会は13持からです。

 開会の挨拶が済み、いよいよ「学生の部」から入選発表と講評が始まります。選者はいつもは5人なんですが、今年はH先生が欠席なので、私の担当は「一般の部」の講評です。

 では、学生の部の入選句は以下です。応募は小学生から中学生まででしたから、「くもの糸」と「夏の川」が小学生でした。

 特に「西の窓」の句などは、大人顔負けですね。暑さを凌ぐのに〝ふうせんかずら〟を植えてあるのでしょう。秋とはいってもまだまだ西日が強い…西日といえば晩夏の季語なので重なります。それを言わずに連想させるなんて…どうです?ああ、昨年から始まった「学校賞」もありましたが、昨年と同じく「宇部市立藤山中学校」の受賞でした。

 優秀賞  こんにちは土から春がはえてきた    中村 來未

 入 選  夏の汗夢が希望に変るまで       喜久田圭輝

      くもの糸細くてとうめいすごいなあ   浅井 啓貴

      夏の川コケがキラキラ泳いでる     高山 優希

      西の窓ふうせんかずら風にゆれ     上田 旺典

      ゆかた着て今年の青春つかみとる    齊藤 奏奈

 午後からは席題の選句が終ったあと、「一般の部」他の入選発表と選評です。では優秀作品の5賞はというと…

 宇部市長賞    動物園へ点字ブロック冬ぬくし   西村 紀子

 宇部市教育長賞  暑き日や地蔵の眉の揺らぐほど   家入 隆夫

 宇部市議会議長賞 芋の茎ひたすら剥きぬショパン聞き 永崎 早苗

 宇部文化連盟賞  負うた子の寝息の重さ榠樝の実  山崎喜代子

 (株)宇部日報社賞 バッハ聞く椅子にどっかと終戦日 保田 尚子

 他に一般の部の入選6句、ときわ公園の部の特別賞5句、まちじゅうアートフェスタの部の特別賞2句でした。ちなみに、一般の部上位3人は私の教室の人、他にそれぞれの部で入選が5人…うわあ、大感激ですよ!特に初心者の方が殆どで…ウレシイ悲鳴でした。

 その後、席題の結果発表ですが、やはり「令」は少なくて、「神楽」が2倍以上でしたね。その「令」の句で、またまた私の生徒さんが最高得点で入賞されました。オメデトウ!他にも2人入賞…。ということは、5人中3人が我が教室の人ということ。エヘッ…

 席題の部優秀賞  単身赴任終はる辞令や冬ぬくし  宮本 博子

 ああ、これで今年の市の〝俳句の集い〟も無事終わりました。やれ、やれ…〝じゃあまた、来年ね〟と、選者の先生方と別れて外へ出ると、雨もすっかり止んでいました。ハイ、これでオシマイ!

 写真は、会場と学生の部入賞者の記念撮影の様子です。

 

 

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今富ダム湖畔紅葉ウォーキング

2019年11月24日 | 俳句

 今日の天気は?曇りのち雨の予報ですが、朝からどんよりと雲行きがよろしくありません。午後からは宇部市芸術祭「俳句の集い」なので出かけないといけないのに…わたくし多忙なんです。その様子はまた、終ってからのお楽しみにして…今日は、昨日のことを書かなくっちゃ!だって昨日一緒に歩いた方に見て下さいねと約束したんですから…

 昨日は今日と打って変わって雲ひとつなく、何とも気持ちの良い天気でした。寒いと思って着込んでいったのですが、すぐに脱いで…これではそのうちもっと暑くなりそう。

 さて、〝うべの里アートフェスタ〟も終盤に近づいてきましたが、その一つとして、〝今富ダム湖畔紅葉ウォーキング〟のイベントが開催されました。それに主人や友人たち4人で参加したんです。ここには以前桜ウォーキングの時にも来たことがあります。

 万倉(まぐら)ふれあいセンターに9時10分までの集合。受付を済まして9時30分出発でした。まあ、ビックリ、なんと人の多いこと!市の開催ですので…100人はいたかしら。おまけにこの23日は、この地域の〝万倉天神祭〟と〝楠こもれびの郷 秋の収穫祭〟が同時に開催されていましたので、みなさんそれも目的で…もちろん私たちもですけどね。

 さあ、センターで先ずラジオ体操から…当然山口弁のラジオ体操ですよ。

 いよいよ、出発…長い列になりますので、最初は中程で歩いていましたが、〝わあ、こんなところにお寺が…銀杏がキレイよ!〟〝ヘエッ、神社もある…なかなか風情のあるところやね~〟〝お地蔵さんも庚申塚も。この紅葉最高!〟などとおしゃべりや句材の収集に余念がありません。それでとうとうビリッケツになってしまいました。

 開催の最後尾責任者という市の若い方と話していると、いつの間にか俳句の話に…〝やらない?面白いわよ〟と。そうするうちにダムが見え始めました。でもこうやっていろいろ話ながら俳句にも興味を持って頂くのが一番楽しいです。

  野葡萄の青い実がとてもカワイイ!

  ダムに着くと、紅葉が今一番の見頃でした。更に湖畔を一周すると、クサギの実もまだ…。白嫁菜や冬苺、秋薊や薬師草なども…。

 ああ、くたびれました!往復約8.5キロを2時間半、しめて18,564歩のウォーキングでした。終りに近づきフウーフウー言っていると、あとセンターまで1.5キロだと標識も出ていますし、〝さあ、ぜんざいが待ってるよ。もう少しだ、ガンバッテ!〟と励まされて…もう足はパンパンになって根をあげそうでしたが、なんとか最後まで頑張りました。ヤッター!

 ご褒美のぜんざいの美味しかったこと。サイコウで~す!ありがとうございました。食べているとき、お世話して下さった市の職員の方の話されているのを聞いて、またうれしくなりました。〝紅葉もキレイだったし、道々俳句講座を聞きながら歩いたので、あっという間だった〟なんて。他に俳句をやってみたいという方にも出合ったりして…ああ、これでメデタシ、メデタシです。

 この後、万倉天神祭と収穫祭へ行ったのはもちろんですが、その話はまた明日にでもね。これ俳句の集いに行く前に書いていたのですが、写真が間に合わなくて…遅くなりました。

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東北大震災の〝閖上の記憶〟

2019年11月22日 | 俳句

 今朝もまたウレシイ電話が…宇部市芸術祭の俳句に入選しましたと。すると、今度は夜にもまた電話が…エエッ、一体何人入選したの?とビックリです。これはもう行ってからのお楽しみですね。まあ、何はともあれメデタイこと。

 午後からはフラダンスへ。その出かける前に少し心が暗くなって滅入ることがありました。実は身支度するのに洗面所へ行ってみると、守宮(やもり)の赤ちゃんが死んでいたんです。これは先日、お風呂に入ったとき、洗い場にお湯を流すと、スーッと黒い影が…アレッ、蜘蛛?いや、コオロギかしら?と思って、よくみるとカワイイ守宮の赤ちゃんでした。死んでるの?とちょっと触ってみると、頭をもたげてこっちを見ています…確かにそんな気がしたんです!

〝やもくん?いややもちゃんかしら。どこからでてきたの?〟と聞いても、もちろん答えるわけナイデスワネ。きっと寒くなってここは温かいからいいと思っているんだと、そのままにしておきました。翌朝息子が〝守宮の子飼ってるんか?〟と聞くので、〝いいや、まだ生きてた?〟と聞くと〝うん、動いてたよ〟と。それで安心していました。

 最初見つけたとき、一瞬外に逃がしてあげようかと思ったのですが、まだ小さいんだし外の方が危ないかもと…それが却ってアダになったようです。守宮の子は浴室を出てから外に出るドアの前で息絶えていたんです。きっと外へ出ようと思ったんでしょうに…。

 この守宮の子の生と死に私が手を貸したような気がして、あのとき外に出してやっていたら、もしかしたら死なずに済んだかも…と。その時ふと志賀直哉の『城崎まで』のいもりの場面を思い出していました。なぜこんなこと、今書くかって?と、思うでしょう。

 実は先日の〝東北の名湯 3日間〟の旅で、「閖上(ゆりあげ)の記憶」を訪れたことと重なったからなんです。この旅は、まだ行ったことのない日本三景の一つ〝松島〟と〝五色沼〟を見ることにあったんですが、それ以上に心惹かれたのは、この「閖上の記憶」を訪問すると書いてあったからなんです。

 2日目の朝、ホテルを出発して東北大震災の被災地・閖上地区を語り部の方の案内でめぐり、嘗ての震災がどんなものであったかをこの目でしっかり見て、体感することだったんです。

 この「閖上の記憶」とは、認定NPO法人地球のステージが運営する津波復興祈念資料館です。閖上とは、宮城県名取市の名取川の傍で、5,000人以上の方々が住んでいた町だったのですが、2011年3月11日の東日本大震災によって今は全て更地になっていました。

 この資料館が出来たきっかけはというと、閖上中学校の犠牲者14名の遺族会が慰霊碑を中学校敷地内に建てたのですが、周りには何もなく野ざらし状態であったので、2012年4月22日、認定NPO法人「地球のステージ」と日本国際民間協力会(NICCO/ニッコー)が協力して、慰霊碑近くの更地に「閖上の記憶」を建てたのです。

 「閖上の記憶」という名称の由来は、次のように書かれていました。

 自分たちが確かにそこに生きてきた「記憶」、そして津波によって多くのものを失った「記憶」、 それは感情を伴って心の中で大きな場所を占めています。 しかし、そこに乱れがあると人はなかなか立ち上がれず、そこから前に進めません。 記憶と感情を整理し、心の中に少しでも平穏を取り戻すことで未来へ向けた意欲が出てきます。 この世に二度と行けなくなってしまった場所があって良いはずはなく、 二度と語れなくなってしまった話があって良いはずがありません。 自分の記憶や感情に向き合い、その人にとって大切な「記憶」を整理するための場所として「閖上の記憶」という名称としました。

  ここでは先ず震災当日の映像を見せて頂き、その後実際に震災に遭われた語り部の方の話を聞き、さらに外に移動して、近くにある日和山や慰霊塔などを案内して頂き、見学しました。辺り一面更地で本当になにもありません。中にぽつんと見えたのが日和山で山上には神社もあったのですが、いまは仮のお社がありました。でもこの山に避難したとしても今回は全部呑み込まれてしまったんですよ。
 
 
 
 
 
 その時の語り部の方のことば…〝なぜ自分だけで逃げずに、周りの人に声を掛けて一緒に避難しなかったのか。1時間以上の余裕があったんだから説得すれば300人は助けられたはずなのに…、クヤシイ!〟と。それでその記憶を忘れないために語り部になったのだと…切々と語られる真実には胸が痛くなりました。次に慰霊碑に行くと、同じ名字の人が10人、15人と並んで刻まれているのを見れば、それは家族であったり、親戚であったりと、…あの震災さえなければ今もみんな元気に生きているはずなのに…この衝撃は義母の実家の墓を見たオドロキと同じ、更には沖縄の摩文仁の丘の戦没者名が刻まれている〝平和の礎〟を見たときの胸が潰れるような思いに通じるものでした。この下の写真の大きな碑には嘗ての津波の被害が書かれているのですが、それは3メートルのものだったと。
 また、なぜ今回のようにこの地区が壊滅状態になったかというと、みんな津波はここには来ない…来るのは三陸海岸の方だけだからと、だれも警報が鳴っても逃げようとせずに、そのため逃げ遅れて亡くなった人ばかりなんです、と語り部の方が悔しそうに…、せっかくの碑があってもみんなが忘れていたから、それが生かされずに…だから今度はしっかりと伝えていきたいと、語られました。
 
 
 
 
 

 日和山の被災前と被災後の写真です。石の鳥居が根元から折られています。

 この松の木の横に伸びた枝のところまで、約10メートルの津波がきたんですって。

 この慰霊碑の白い塔の高さが今回の津波の高さだそうで、手前には現天皇・皇后両陛下が皇太子・皇太子妃の時に慰問に来られてお詠みになった歌碑が建っています。こんなに晴れた日に、眩しいくらい…。震災からもう8年以上は過ぎたのに、ここではやっと道路が出来た状態で…家々が建って昔の写真のようになるのはいつのことでしょうか。〝ガンバッテ下さい〟と祈るほかできませんでした。

 ここの活動継続のため、寄付金を募ったりボランティアグループで作られたものを販売していましたので、私もここに来た記念と寄付のため、ストラップを二つ買いました。一つは自分の記憶のため、もう一つは娘か息子へと思って…。帰ってからその閖上の話をしてあげて、このストラップいる?と息子に聞くと、うん、貰うよと言ってくれました…アリガトウ!

 人の生死には時々紙一重のところがあります。右に行くか左に行くかと…これは自分で選択するしかないのですが、そういう時にもし関わることがあるとすれば、私は絶対生の方へ関わりたいと思います。だから、守宮の子にも生の方へ手を貸してあげたかったあ~。ごめんね。許して!合掌。

 

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小野田吟行〝竜王山〟

2019年11月21日 | 俳句

 今日もいい天気で、あの歌舞伎の三人吉三じゃないけれど、〝こいつぁ朝から縁起がいい…〟という気分でした。

 実は今朝見かけない番号の電話を、??と思って出てみると、〝先生、ありがとうございます!市の芸術祭で…〟〝エッ、何か賞を貰ったの?〟〝はい、まちじゅうアートの部で特別賞を頂きました。〟と、ウレシイ報せでした。昨日も吟行会に参加している人から受賞の報せがあったと、聞いたばかり…〝オメデトウ!〟ヨカッタ、よかった!

 電話の彼女は他のところへも応募していて、そこでも佳作を貰いましたと。〝なぜ教室の時言わなかったの?〟〝言おうかと思ったんですが、ちょっと恥ずかしくって…〟なんて、奥ゆかしい! いいことはどんどん教えてよね!

 先日、市の芸術祭の俳句の選考会は終ったんですが、作者名は知らされていませんので、分からなかったのです。本人はもちろんのこと、私も生徒さん達の結果がいいとウレシイですよ!これで、今度の24日の〝俳句の集い〟が楽しみになりました。ヤッター!

 さて、昨日の吟行のつづき…〝竜王山〟へ行きましょうか。

 この山陽小野田市のランドマークでもある竜王山は、瀬戸内海に面し、高さ135.69メートルの山です。360度の展望に恵まれて、山陽小野田市、宇部市の市街地はもとより、関門橋や四国、九州、国東半島が一望できます。自動車登山道、歩行者登山道、フィールドアスレチック、パーゴラ、広場、園路、モミジ谷などが整備され、展望台も設置されていますし、また約10,000本の桜のほか、つつじや紅葉など約5,500本が植栽されていて、八大竜王宮、子持御前、耳観音などの人文遺跡もあります。毎年春には、さくらまつりが開催されますし、また、中腹には100サイトを備えたオートキャンプ場もあるんです。

 「せとうち夢海道50景」にも選ばれていますし、初夏には珍しいヒメボタルが幻想的に輝きます。また、秋には「旅する蝶」の名で親しまれているアサギマダラがたくさん飛来し、県内でも有数の豊富な山野草のある山で、季節毎にはその観察会なども開かれているようです。桜の時は駐車場が少ないので、なかなか見に来られないのですが、一山がピンク色に染まってそれはそれはキレイなんですよ。

 山頂下の駐車場には、金毘羅宮の石の祠があります。

 頂上には展望台と烽火台がありました。展望台に上がると四方が見渡せて、1枚目は宇部市街を、2枚目は周防灘から関門海峡を…。関門橋も見えましたし、国東半島も…

 山頂を下るときにお地蔵様と亀の墓がありました。そのいわれも…

 少し下ると耳観音があって、行ったことのない人が多かったので、そこに寄りました。深さ3m、広さ2mあまりの垂直の土窟があり、土窟の形状が耳の穴の形に似ていることから大事にされ、いつしか聖観音を祀って、小堂が建てられ、「耳観音」と呼ばれるようになったんですって。読経・祈念して土窟に入り、土窟内を清掃すれば耳病が治ると伝えられ、現在でも耳観音を訪れる人は後を絶たないそうです。私は以前に土窟入ったことがありましたので、今回は主人が代表で入って見てきましたが、暗くて写真が撮れなかったと。入口に比べて中は意外と広かったような気がします。

 耳観音の境内に木瓜(ぼけ)の返り花が咲いていました。やはり〝ボケ〟なので、ぼけてますね。下のは〝ヒメヒサカキ〟の花です。

  まだ少し時間がありましたので、近くの小さな刈屋漁港へも。こじんまりとしたいい漁港ですよ。

  その後、昼食と句会の会場がある「きらら交流館」へ、12時に着きました。この交流館のある「きららビーチ焼野」は、海水浴やマリンスポーツ場として市内外の人に親しまれ、「日本の夕日100選」にも選ばれているビュースポットなんです。この日は17時8分が日没で、見ることは出来ませんが、今度また見に来たいと思っています。実は竜王山からの夜景は、「日本の夜景100選」「日本夜景遺産」に認定されているんですよ。

 今回は人数が少ないので、5句投句の計35句を特選1句並線6句選で行いました。やはり吟行すればそれなりの句は作れます。良い悪いは抜きにして、先ずはたくさん詠む習慣をつけることが上達の秘訣ですね。さあ、みなさん、ガンバリまっしょ!

 

 

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小野田吟行〝本山岬〟

2019年11月20日 | 俳句

  今日は天気予報通りよく晴れていましたが、外に出ると寒い!最高気温が14度ですもの、仕方がありませんねえ~。でもこれだけ快晴で風も余りありませんからきっとだんだん暖かくなるでしょう。大丈夫!

 いつも通り9時に集合して出発です。今回は欠席と現地集合の人がいるので、5人の車1台で出かけました。行く先は、近場で山陽小野田市。宇部からは30分弱で本山岬へ到着。現地集合の2人と合流して早速吟行開始です。

 先ず本山岬公園にある「金毘羅宮」へ。ここの狛犬さんはナントお化粧をしていてビックリ!眼と赤い口がとても印象的でした。今まで何度も来ているのに…全く気が付きませんでした。もしかしたら最近出来たのかしら?もう一つ気が付かなかったことが…「蛇神様」が祀ってあったのです。昔からこの辺りには〝ハミ〟、蝮(まむし)のことですが、たくさんいたんですって。オオコワッ!よ~く拝んどかなくちゃあ…。右が蛇神様で、左は観音様なんですって。

 この岬端の展望台からは対岸の九州が見えるのですが、木が生い茂ってちょっとしか見えませんでした。空気が澄んでいたら確かに関門橋が見えるはずなんですけどね~

 次に、周防灘に突き出るように海に面している岬の海岸へ下りていくと、自然が作りだした奇岩〝くぐり岩〟があります。古墳時代にこの地域で盛んに作られたタコ壺が打上げられていることもあるそうですよ。満潮の時は無理なのですが、ちょうど潮も引いてくぐり岩まで行って岩を潜ることが出来ました。よく晴れていたのにやはり潮風は冷たくて、頬を刺すようでした。でも対岸の九州もよく見えていて、〝あれが関門橋?〟などと言いながら次へ向いました。

 次に向ったのは、JR西日本の小野田線支線(通称・本山支線)の終着駅の「長門本山駅」。車止めに向かって左側に単式ホーム1面1線のホームを持つ海の見える駅で、来た列車がそのまま折り返すだけの構造となっています。かつてはここも炭坑で賑わった時があったのでしょうが、もちろん無人駅。自動券売機等の設備もなく列車も一日3本だけ。以前は駅舎があったのも取り壊され、今は待合室とホームのみとなっています。しかし、駅の向こうにははるか一面にキラキラと輝く周防灘が開け、風が吹けばそれに乗って潮の香りが…目の前の家には蜜柑が黄色に熟れていました。こんなひっそりとして長閑な駅は、きっと鉄道マニアにはたまらないのではと思ってしまいました。ちなみに電車が通るのは、朝の7時台に2本、夕方18時台1本の3本で、恐らく通学でしょうね。自転車が2,3台置いてありました。

 次は桜の名所でもある「竜王山」へ行くんですが…。でも、もう遅くなりましたし、疲れていますのでつづきはまた明日にでも…。ではオヤスミナサイ!

 

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兼題は〝初霜〟

2019年11月19日 | 俳句

 昨日の雨でぐっと冷え込み、今日の最高気温は15度、最低気温も7度と。やっと(?)冬らしくなりました~。アハッ…

 このところどこかへ出かけたりすることが多くて、ブログもその観光名所の報告のようになって…〝これ俳句のブログじゃないの?〟なんて言われたりして、〝まっこと〟そうですよね。ゴメンナサイ!

 では、今日は俳句の話に戻りましょうか。先週東北へ出かけて振り替えをしていたところの俳句教室を今日しました。兼題は〝初霜〟で、初冬の季語。

 この季語はけっこう難しかったみたい!なぜかというと〝初〟がくせ者なんですよ。〝初〟がなくて〝霜〟だけならば、三冬…即ち冬の間ならいつでもいいということなんです。〝初〟が付いたばっかりに、その冬の、初めて降りる霜なんですから、そうそう何度もあることではないんですよね。普通〝初〟を付けると新年の季語になりますが、このように「初霜」や「初花」「初秋刀魚」「初時雨」のように、そのものが初めての物という意味で使われる季語ですので、十分に考えて、それらしく詠まねばなりません。

 今回はみんなどうしたんでしょう。ちょっと考えただけでもヘンな句が多かったですね。例えば、〈初霜を蹴って…〉とか〈初霜の音を…〉とか。〝何か勘違いしてない?〟と聞くと、??? 〝大霜や強霜ならいざ知らず、蹴ったり、音がしたりなんて、あり得ないんじゃない?〟と。すると、やっぱり私の想像した通り〝霜柱〟の勘違いでした。他にも〈初霜を踏む足楽し…〉がありましたが、これもきっとそうでしょう。

 また、〈初霜や尻跡残るすべり台〉という句が出ていて、結構点が入っていました。そこで採った人に、〝これ時間はいつ頃だと思ったの?〟と聞くと、〝早朝です〟〝じゃあだれの尻跡?〟と言うと、〝小さい子供の…〟と。ほら、おかしくありませんか。何とも思いません?そんな早朝に小さい子供がすべり台で遊んでいるなんて…ましてや霜の降りている寒~い朝ですよ。母親なら、霜が溶けて暖かくなってから遊ばせるでしょうし、朝ご飯も食べさせないと…

 ほら、矛盾が見えてきたでしょう。だから作者に〝これ実景?〟と聞くと、〝社宅の公園のすべり台なんですが、想像して…〟と。そうなんです。これが頭で作るということなんですね。

 では、今目の前に〝初霜〟が降りていなければどうすればいいのでしょう。そうそう今見てるものだけを詠むというわけにはいかないでしょうからね。だからいつでも何でもしっかりと見ておくことが大切なんですよ。今すぐには必要なくてもどこで生きてくるか分からないのですから。

 そこでこの句は〈初霜や日の差し初むるすべり台〉として、〝今年初めて霜がうっすらと降りているすべり台に、朝日が差し始めてきらきらと輝きはじめる〟という写生の句に直しました。

 ところで、次の句が歳時記にありました。〝初霜〟というのはこんなものでしょうから、参考にして詠んで下さいね。

  初霜のあるかなきかを掃きにけり      鷹羽狩行

 明日は、今日以上に寒くなるそうなんですが、実は吟行に行くんですよ。しっかり着ていかなくっちゃ!では、また…

 写真は、常盤公園の椅子に子供の遊びが書いてありました。子供の頃よく歌ったりして遊んでいましたので、どれも懐かしい!

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第28回〝UBEビエンナーレ〟へおいでませ!

2019年11月18日 | 俳句

 今日は久し振りに朝からしとしとと…でもそんなに寒くはありません。却って生暖かいという感じです。

 昨日の二俣瀬の文化祭が済んだ後、常盤公園で9月29日~11月24日まで開催中の「第28回UBEビエンナーレ」(現代日本彫刻展)を見て帰りました。

 実はこのビエンナーレが2年毎の開催なので、それに合わせて宇部市芸術祭〝俳句の集い〟でも、「ときわ公園の部」の句を募集しているのです。それで投句された作品をみると野外彫刻などを詠み込んだものがたくさんありましたので、選句のために今年の受賞作を見に行ったのです。やはり彫刻などは説明だけでは分かりませんし、また実物を見ずに選句するのは作者の方々に失礼ですものね。

 句に登場していたのは、「夢枕(石の枕)」や「虹色の椅子」、「くらげ」などが多かったんですが、実際に作品を見て、手で触れてみたり、座わってみたりと…。やはり吟行と同じですよ。テレビや写真で眺めていても、それは視覚だけですもの。気温や風や太陽の光…水や土の匂い、人の声も…子供たちが彫刻に乗ったり、潜ったりする姿も…ああ、赤ちゃんの泣き声や乳母車、車椅子など、などと…、ほら、み~んな頭で考えただけではダメでしょう。やっぱり出かけないと!

 俳句というものは基本的には現場での実感を詠む方がいいと、私は思っていますが、でもそれが出来ないときも多いですよね。そういう時のために、行ける時にはあちらこちらへ行って、その見聞や体験、思い出などをい~っぱい詩囊(しのう・詩人が詩を作るもととなる詩想や感情をたくわえておく袋)に蓄えておくことです。そうすれば、もし動けなくなったとしてもそこから詩を紡いで作ることもできるんですからね。

 まあ、人はそれぞれですから好きなように作っていいのですが、たくさん選句していると、これ何となく匂う??ので聞いてみますと、〝実はテレビで観ました〟と。そんなに上手に詠めなくってもいいから実感の籠った句の方に私は惹かれます。

 では今年の〝UBEビエンナーレ〟の受賞作品をご紹介しましょうか。説明は省きますので、見て感じて下さ~い!

 ①「ク・ラ・ゲ・だぞー」  仲田 守     毎日新聞社賞

 ②「collecting view in the well」  四方謙一     山口銀行賞

 ③「Plantronica Ube」  岡田健太郎     宇部興産グループ賞

 ③「曲率のシンフォニー」  加藤 淳     宇部商工会議所賞

 ④「風路」  川村秀彦     島根県吉賀町賞

 ⑤「みんなで微笑む(虹色の椅子)」  志賀政夫     島根県立石見美術館賞

 ⑥「夢枕」  平田 茂     ※俳句に一番よく詠まれていましたが、残念ながら受賞作ではありませんでした。

 ⑦「森の掟 The law of the forest」  伊藤嘉英  ※これは「第27回UBEビエンナーレ」での宇部興産株式会社賞でした。子供たちが出たり入ったりしていましたので、私も中へ…まるで〝天の川〟を見るようでした。先日の吉部の彫刻、これも以前に賞をもらったものでしたが、〝じいちゃんの鼻の穴に宇宙があった〟を思い出してしまいました。

 ⑦「はじまりのはじまり」  三宅之功     大賞(宇部市賞)

 この作品も見上げるほどに大きいですよ。高さは3メートル50センチ、重さ4トン。卵型の彫刻にステンレスのプレートとコケをあしらい、「生命の誕生とその始まり」を表現したものだと。作者の三宅さんは、「この会場に作品を設置してから、コケに飛来した植物の種が付き、もう育ち始めている。枯れてしまうのも成長するのも運命。今日から宇部の地で命が込められて作品が成長していけば」とも。

 以上、受賞作品と私が気になった作品を載せましたが、撮り忘れているものがありました。山口県立美術館賞の「雲の上にあるもの」という関 玄達さんの作品です。ゴメンナサ~イ!また行った時に撮りますね。

 でも彫刻というのは、見る角度によって全く違って見えたりしますし、大きさが分からないとその作品のメッセージも伝わらなかったりと…。私の下手な写真では作品の良さを十分伝えられていないと思います。やっぱり実物を見ることですね。是非興味のある方はおいで下さいませ。もうすぐ終りますが…、でもまた再来年もありますからね。入場無料ですよ。

 ちなみに今年の「現代日本彫刻展」では、日本を含む42ヶ国318点(国内229点/海外89点)の応募の中から選ばれた15点が野外彫刻として展示され、入選の40点は「入選作品プラン展」として、ときわミュージアムに展示されています。やはりプランの模型だけでは作品の本当の価値は分からないような気がします。でも実作するとなると大変な作業になるんでしょうし、費用もかなり掛かるのでしょうからね。展覧会終了後、上位受賞作品はまちなかや公園・学校等に移設され、市内では常時200点の歴代出品作品を鑑賞することができるんですよ。

 夕方まで日が照っていたのが急に翳って来て、風も冷たくなりましたので、早々に帰途につきました。出口への路の電線に、きっと鳩でしょうね…群れて止まっていました。人も疎らになって何だか寒そう…!

 

 

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二俣瀬の文化祭で~す。

2019年11月17日 | 俳句

 今日は晴れ時々曇り…宇部の最高気温は18度と。日に日に冬らしく…というよりまだ「小春」ですから、昼間は凌ぎ易いんですが、夜になるとやっぱり寒さがこたえるようになりました。

 昨日より我が家の大きな榎(えのき)と楠(くすのき)を伐採してもらっています。だから、車の出入りが出来ずに困るのですが、以前の一番大きなクロガネモチを伐ったときはもっと大変でした…

 主人は先々のことを考えて決断したことなので、気持ちはよく分かるのですが、私はその木の無惨な姿を見ると何だか申し分けなくて…だって大木にはそれぞれの木の精が宿っているような気がしてならないからなんです。春には芽を出し、夏には葉を茂らせて、秋にははらはらと木の葉を散らし、冬の北風には裸になって耐えている…それはやっぱり〝生きている〟からでしょう。それを人間の勝手でむげに…ゴメンナサイ!許してくださいと、こころで叫んでしまいます。

 今日も帰ってみると、全部伐られて家がスッポンポンになり、何とも寒々として見えます。この土地を買ったのは、この木たちが気に入って買ったはずなんですが…本当に昔は小さな森のようなところだったんですよ。もう、何にもなくなって…寂しい。ウエ~ン…

 でも、私たちが歳を取って年々弱っていくのに、木は反対に益々大きく枝を伸ばして成長していき、全く手に負えなくなったらと…それはよ~く分かっているんですけどね。

 さて、午後は二俣瀬の文化祭へ。昨日展示した作品の撤収もありますが、バザーのうどんやおでん、お寿司など、いつも遅く行くので食べたことがなくて、それで早めに行きました。おいしかったですよ!

 また、この地区は宇部市のはずれなので農家が多く、他所の文化祭にはない〝農産物品評会〟などというのもあるんですよ。最後はそれを販売するのですが、朝から入札というのがあり、昼頃行ってもみんな売約済みの札が貼ってあります。だからいつもただ眺めるだけで、残念なんですが、…

 今年は目当ての里芋がなかったと、俳句教室の仲間も悔しがっていましたが、ナント…品評会には出さずに〝里芋のつかみ取り〟というのに全部出してありました。それも両手に一杯ですからね…値段は被災地への義援金として200円でした。これはお得!もちろん買いました。ないといって悔しがっていた仲間に教えると、残念ながらもうなかったそうな。

 この教室は人数が一番少なくて寂しいのですが、でも展示はなかなかよかったですよ。下の写真のように、句に合う〝徳利と盃〟を用意したりして…、いろいろ工夫を凝らしていました。句は〈今年酒据えて龍馬を語りたし〉です。

 私も色紙2枚と短冊1枚を展示しました。句は、短冊が〈花浴びて七百段はまだ半ば〉で、色紙は〈矛杉の月をかかげて祭果つ〉と〈三寸の仏に出合ひ磴涼し〉です。俳画は〝剣玉〟と〝紫陽花〟でした。エヘッ…

 その他の展示などの中に、なかなかステキなものがありましたので…田舎なのでさすがに自然が豊かですよ。

 ①〝秋を活ける〟 ②サルトリイバラのリース ③老爺柿(ろうやがき) ※老爺柿は中国原産の柿で、老鴉柿とも書かれます。食用ではなく、観賞用として人気がある柿で、雄雌異株なので両方が無いと結実しません。可愛い実が付くので盆栽などの題材としても人気が高い木です。 ④⑤サネカズラの実(ビナンカズラともいう)⑥アマランサス (紐鶏頭) ※アマランサスはハゲイトウの仲間で、ヒユ科ヒユ属の一年草。中南米の熱帯高地では歴史の古い栽培植物で、 穀物および野菜として利用されてきたんだそうです。

 

 

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馬醉木鍛錬会で思ったこと!

2019年11月15日 | 俳句

 昨日の夕方、羽田から宇部へ⒙時40分頃到着、19時過ぎに家へ帰りました。着いた途端の第一声、〝宇部は寒~い!なんでこんなに寒いの~。東北より寒いわ!〟と。そうなんです。福島県から宮城県の〝東北の名湯 3日間〟の旅へ友人と出かけていたんです。

 初日と2日目は、東北には珍しいほどのよい天気で、コートも着ることなくて寒さを忘れるほどでした。3日目だけは雨でしたが、これも大したことはなく朝方わずかに傘をさしたものの、だんだん雨が上がって、東京へ着くときはもう快晴でしたもの。ちなみに、この夜の宇部の最低気温は4度だったんですと。ビックリぽんですよ。

 さて、さて、旅のことはまた長くなりそうですので、ちょっと置いといて…

 先日の馬醉木鍛錬会のことで書いておきたいことがありましたので、それを書きますね。

 句会の第1回目は5句投句で初日の17時30分締め切り、第2回目は次の朝7時までに3句の投句でした。吟行したのは幸兵衛窯、虎渓谷山永保寺、多治見修道院の3箇所でしたから、このどこかの句ということになるのですが、さてどこが一番多かったと思いますか?

 私はてっきり窯元が多いと思ったのですが…。寺の句だけはやはり古くさくなるしどこにでもあるものですからやや少なく、窯元と修道院とが同じくらいでそれぞれ100句以上も出ていました。それ以外では、〝恵那山〟や〝恵那峡〟などがちょっと。ということは、もうお分かりでしょう。吟行句会というのは吟行地での嘱目詠だということです。だから関係のない句はないはずなのですが、でもどこにでも通用するような一般的な句では誰も採ったりしません。今見てきてまだ目に焼き付いている印象的なもの、また確かに見たはずなのに自分が見過ごしてしまったもの、また、これを詠もうとあれこれ考えたものの句にできなかったものなど…、ああ、これ!と、そんな句にはやはり点が集まりましたね。

 だから吟行句会では、しっかり見ること、そして欲張りすぎないことが肝要です。3箇所で5句投句ならそれぞれの場所で視点を(ターゲット)を2,3に絞ってしまうこと。そうしないとあれこれ目移りしてどれも曖昧になってしまうし、時間切れにもなります。更に吟行している間に7割ほどはまとめておくことですね。宿について投句するまでの時間はせいぜい30分足らず、1から全部をまとめるには余裕がありません。7割方できていれば、それに合う季語を吟味して完成させますと、そこそこの句はできると思います。また、どこかひとつに偏ったりせず、まんべんなく詠む方がいいでしょう。

 次の日の投句は悩みますよ。前日に詠まれた句材や詠み方はもう二番煎じになりますので、余程視点を変えるか、独創的な表現を用いるか、でなければまだ詠まれていない句材を探すかしかないんです。だから、ちょうどこの日、ホテルの傍の湖で花火大会(これは台風などで延期されて、たまたまこの日になったんですって!)が開催されましたので、みんな〝ヤッター!〟と、大喜びなんですよ。おまけに朝起きてみるとあたり一面が霧に閉ざされて何にも見えない状態なんです。(この恵那峡のホテルはその霧で有名なんですって…)これも俳人にとっては〝シメター!〟です。霧は秋の季語ですからね。しかし、花火は夏の季語ですからそのままでは使えませんが、そこが作者の腕の見せ所なんですけどねえ…

 実際に第2回目の投句数195句数の、3割近くが〝花火〟と〝霧〟でしたよ。残りはさまざまな句材がでましたが、季語では「竜淵に潜む」や「火の恋し」などの珍しい季語も。前日はなかった「茸飯」(ホテルの食事に出ました!)や「夜長」「星月夜」などにもかなり点が入っていましたもの。〝花火〟の句では殆どが「秋の花火」となっていましたが、中に一つだけ感心したものがありました。花火は事実ですからそのままにして「秋収め」をメインの季語として使ってあり、なるほどと思いました。ちなみに、2日目私は誰も取上げていなかった〝鬼瓦〟を詠んで、主宰に採って頂き褒めて貰いました。エッヘン!なんちゃって…

 要するに俳人は新しい物好き、ひいては好奇心旺盛ということでしょうか。だからどこかへ出かけて行って句を詠むのも、日常を抜けだして見逃しているものを見直す眼を養うためだったり、即吟を積み重ねることによって集中力(瞬発力)を高めるためだったりと、俳人や歌人…いや、創作を旨とする分野においてはどこであっても必要なことではないかと思っています。

 今日も句会でしたし、明日も句会です。いろいろと溜まって滞っているものが山ほど…。さあ、また、ガンバリマッショ!

 写真は、宇部空港から我が家へ帰る途中、19時頃の月です。確か12日が満月で、福島の露天風呂から友人と眺めたっけ…

 

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馬醉木鍛錬会・多治見修道院

2019年11月12日 | 俳句

 いよいよ最後の吟行地、〝多治見修道院〟です。前の虎渓山〝永保寺〟からバスで15分足らずのところにありました。着いた途端あまりにも美しいその外観に見惚れましたよ。

 この多治見市にある神言修道院は、1930年(昭和5年)カトリック神言修道会(神言会)の、ドイツ人宣教師モール神父によって、日本人司祭と修道士の育成を目的に設立されました。当時は、外国からの宣教師が大勢ここに来て、日本語の勉強をしながら修道生活を送り、また、キリスト教を宣教するためにも派遣されました。

 中世ヨーロッパを思わせる外観の本館は、建坪1,000坪で地上3階。地下1階のバロック様式の木造建築です。設立後30年間は日本における神言修道会の本部として機能しましたが、神言会の宣教の拠点が名古屋市に移されてからは、併設の修練院を中心に神言会の神学生の修練の場所となっています。建物は白い壁と2つの勾配を組み合わせた赤いマンサード屋根、そしてドーマー窓が見事なバランスで配置されています。

 中に入ると、正面中央に祭壇があり、半円形ドームの天井に鳩と、周囲の副祭壇の壁にキリストの生涯を描いた10枚の壁画(フレスコ画)があります。天井に近いステンドグラスからは軟らかい光が差しこんで、しばらく祭壇の前の椅子に座っていると、とても神聖な気持ちにさせられました。

 

 また、3千坪もの広大な畑で育てられている葡萄は、醸造された後に「修道院ワイン」となります。設立当時からミサで使うために葡萄栽培をしていて、多治見産のワインとして広く親しまれているそうです。ここに着いた時、確か入口でワインを販売していましたが、あとで聞くとすぐに売切れたんですって。葡萄畑ももう殆ど収穫された後でしたが、アアッ、摘み残しの小さな葡萄を見~つけた~…??? その葡萄畑を抜けて奥の方へ行くと、修道院の墓地があり、全てが寝墓で、外国人に混じり日本人の洗礼名もかなり。この墓地には、宣教師としての使命を全うされた神言会司祭や修道士の方々が永遠の眠りについておられます。もう夕方も近くなって、写真を撮っている私の影がこんなに〝足長おばさん〟になってるでしょ。アハハ… 葡萄畑の写真は撮り忘れたので、お借りしました。ゴメンナサイ! ちなみに、寝墓というのは、辞書には載っていないのですが、クリスチャンなどの西洋の墓で、俳句ではよく使うんですよ。他に十字墓と言ったりもしますが…。  

カトリック多治見修道院

 

 更に修道院の裏庭には、世界中から巡礼者が訪れるという南フランスの聖地「ルルドの洞窟」の一部を再現したものがあります。言い伝えでは、1858年に聖母マリアが18回にわたりルルドの洞窟に出現され、そこから奇跡の水が湧き出たといわれていますよね。

 

 

 これで馬醉木鍛錬会のことは終りです。今からまた14日まで出かけますのでお休みします。どこへ行くのかって?それはナイショ!帰ってからのお楽しみで~す。では、また… 

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馬醉木鍛錬会・虎渓山〝永保寺〟

2019年11月11日 | 俳句

 昨日は、天皇陛下の即位に伴うパレード「祝賀御列の儀」が午後から行われました。コースとなった皇居から赤坂御所までの沿道には平成時(約11万7000人)を上回る約11万9000人が集まり、天皇、皇后両陛下はオープンカーに乗られて、笑顔で手を振って応えられたんですって。というのは、実はLIVEではなく後からのニュースで見ましたので。

 でもテレビで見て、なんとお美しいこと!あのティアラ姿の皇后陛下の笑顔…やはり〝雅子さま〟と呼びたいなあ~、ご成婚の時のパレードのお姿と重なって、見てる方もちょっとシアワセな気分になりました。いつまでもこの笑顔を…お幸せに!

 ところで、余分な話…来年から2月23日が天皇誕生日で祝日になりますよね。ちょうど日曜日ですので、次の24日が振替休日。それがどうしたかって?それが実は私の誕生日なんですよ。ということは、いつも前日が休みになるということ!ウウン、でももう関係ないか…だってサンデー毎日なんですものね。アハッ…

 では、馬醉木鍛錬会のつづきを…次の吟行地の〝永保寺〟へ。窯元へ行くのにも坂を登らなくてはいけなかったんですが、この永保寺は坂を下らないといけなかったんです。〝行きはよいよい帰りはこわい!〟ですよ。だから〈修行の坂…〉などと詠んだ人がいたっけ~。でも、今回参加されておられる亡き水原春郎先生の奥様は現在92才かな?…みんなと一緒に行動されて、杖も使わずにしゃんしゃんと歩かれたんですよ。とてもお元気なんで、みんな見習わなくっちゃね~と。

 この〝永保寺〟は、鎌倉時代(1313年)に開創された、小高い虎渓山に佇む禅寺。正式名称は臨済宗南禅寺派 虎渓山永保寺。「虎渓」の名前の由来は、夢窓疎石がこの地を訪れた際、中国 蘆山の虎渓の風景(現在は世界遺産)に似ていたことに由来すると言われています。 鎌倉末期に建てられた「観音堂」と「開山堂」は国宝に指定され、池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されています。11月下旬には樹齢約700年の大銀杏をはじめとする紅葉が見事で、多くの市民や観光客が訪れ、本来は観光地ではないのですが、多くの人々に癒しの地として開放されているところなんです。下の写真はパンフより紅葉したときの様子。

虎渓山永保寺大銀杏

 紅葉は僅かに始まったぐらいで…大銀杏はまだ青々として聳え立っていました。庭園内の一番の名勝は、〝無際橋(むさいきょう)〟という、池の此岸(煩悩にまみれた世界)と彼岸(煩悩から解放された世界)を結ぶ橋。無際とは限りのない永遠という意味で、此岸も彼岸も表裏一体ということを表しています。

 

 国宝の観音堂、 正称 水月場。鎌倉時代の正和3年(1314年)に、夢窓国師により建立されたといわれる日本で唯一現存する仏殿です。須弥檀上には聖観世音菩薩坐像が祀られているそうです。

 観音堂の前の庭園には無際橋の「臥竜池」があり、その池の淵には梵音巖がそそり立ち、岩の間から一条の滝が流れ落ちています。源流は虎渓山に広がるシデコブシの群落地付近の湧水といわれ、澄んだ水が池を満たします。庭を見下ろす岩の上の六角堂には千体地蔵が祀られています。

 同じく国宝の開山堂は、 正称 無相堂。足利尊氏の寄進により、室町時代の文和元年(1352年)に建立されたとされます。祠堂には夢窓国師と仏徳禅師の塑像が安置され、その背後には仏徳禅師のご遺骨が納められていますと。どちらも中は拝観できませんので外観のみです。

 他にもいろいろと見るものはありましたが、この坐禅堂の塀が変っていましたので、何という塀なのか聞いてみても誰も知らない!〝築地塀〟でいいのではと言う人もいましたが…。すると〈瓦土塀…〉と詠んでいる人がいましたよ。

 時間も迫ってきましたし、まだもう1箇所吟行しないといけないので、フーフーいいながら坂を登りました。行く時にも気が付いたのですが、登り切ったところに、〝冬桜〟か〝十月桜〟?が咲いていました。これは八重ではありませんので〝冬桜〟の方でしょう。春にもまた咲きますので、〝四季桜〟ともいいます。ああ、疲れた~。

 

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馬醉木鍛錬会・多治見の〝幸兵衛窯〟

2019年11月10日 | 俳句

 本日も晴天なり…でも、最高気温19度、最低気温11度とちょっと寒いかな。風がない分気にはなりませんが… 午後になって少し日が翳って来ました。

 あちらこちらで文化祭が…私は昨日その展示をしてきました。今日は撤収の15時までちょっとヒマなので、ブログを書いています。でも、主人は地元の文化祭で一日中〝陶芸体験教室〟のお世話で、タイヘンよ。

 でも昨日は忙しかった!あっちこっちへ行ったり、句会は二つ、おまけにPCの調子が悪くなるなんて…何とかクリア出来てホッとしました。でも、今朝は喉の様子がヘン…こりゃあ大変!この忙しいときに風邪なんてとんでもありませんよ。すぐ嗽して…クワバラ、クワバラ…

 先日の馬醉木の鍛錬会のこと、〝書くから読んでね~〟とみんなに宣伝してきたのにまだ手つかず…そろそろ書かなくっちゃと思って、やっと書いています。

 10月27日(日)・28日(月) 岐阜県の多治見を中心に吟行して、恵那市の「恵那峡グランドホテル」で、2日間にわたっての句会でした。

 11時30分名古屋駅集合、貸切バス2台で吟行したのは、先ず多治見焼の「幸兵衛窯」。次に「永保寺」、最後が「多治見修道院」でした。

 〝幸兵衛窯〟は、文化初年(1804)、初代加藤幸兵衛により開窯され、まもなく江戸城本丸、西御丸へ染付食器を納める御用窯となります。流麗精緻な染付の優品を手掛けた二代、中国宣徳染付の研究に没頭した三代、名人気質の四代のあとを受けた五代幸兵衛(1893~1982)は、青磁、金襴手、赤絵、天目など中国陶磁をはじめ幅広い技法を駆使し、昭和48年には岐阜県重要無形文化財保持者の認定を受けるなど、現在の幸兵衛窯の礎を築き上げた、いわば中興の祖といわれています。

 六代の加藤卓男(1917~2005)は、古代ペルシャ陶器の斬新な色彩や独創的な造形、釉調に魅力を感じ、西アジアでの長年の発掘研究を経て、滅び去った幻の名陶ラスター彩の復元をはじめ、青釉、三彩、ペルシャ色絵など高い芸術性を持つ異民族の文化と日本文化との融合に成功しました。一方、昭和55年に宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元制作を委嘱され、約9年の研究の末、「三彩鼓胴」「二彩鉢」を納入。これらの功績により、平成7年に国指定重要文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

 七代加藤幸兵衛は、父卓男のペルシャ陶技を受け継ぎ、独自の作風を展開して陶芸界で活躍。現在、幸兵衛窯は七代幸兵衛の指導のもとに二十余名の熟練職人を擁し、品格ある和食器の制作を志しているんだと。

 陶房は日曜日でしたのでお休み…作陶のようすが見学できずに残念でしたが、古陶磁資料館や工芸館、加藤卓男の特別展示室やギャラリーなどを見せていただいて、満足、満足。特に初めての〝ラスター彩〟やペルシャ色絵のペルシャンブルーが目に残って…一つぐらい買って帰りたかったんですが、そうは安くはナイ!諦めました。古陶磁資料館は、展示物もさるものながら、建物が約200年前の古民家を福井県大野市より移築したもので、3階建ての構造となっており、入館した途端に吹き抜けの太梁の大きさと数に圧倒されました。建物南側には桃山様式の半地上式穴窯が築かれており、現在でも年に三、四回焼成されているそうですよ。

 第一回目の句会には、この窯や焼物の句がゾロゾロと…俳句は早い者勝ちで、先に詠んだ方が勝ち。似た句材で詠んで、発想も似たり寄ったりなら、後からの人は引き下がるしかないんですよ。でも、こういう吟行句会は同時に見て、同時に投句するんですから、発想…要するに視点や切り取り方がまず独創的でないと見過ごされます。投句数325句中同人は10句、一般は3句選ですもの…おまけに選句時間が少なくて、30分もあったかしら?とにかく必死でしたよ。だって、私は同人選の結果を披講(ひこう・句を読みあげること)するというお役目も頂戴していましたので。これは初めてだったし、そちらの方が気になって…

 まあ、一回目の句会だけでしたので、終って一安心!喉がカラカラになっていたので、冷たい水を頂いたのがなんとも美味しかった!ああ、こんな場で点が入るのなんて…まあ、事故に遭うぐらいのものと考えれば、当たらない方が当然でしょ。あたれば〝もうけもの〟ぐらいに思たらいいんですよ。じっくり評価するほどの時間はないんですから。後からよく見ると、こんなにいい句があったのに~と、反省することしきりです。

 初心の時は句会で点が入らないと、もう行きたくないなどと言って、落ち込みますが…何のことはありません。みんな似たり寄ったりなんですから。いい句の隣にあったからパスされたり、後半は選句で疲れて見る方がおざなりになったりとか…まあ、いろいろありますからね。もし秋櫻子先生がいらっしゃったらと…以前聞いたことがあります。他の人の選は問題じゃないと。どんなに高得点の句でも、秋櫻子先生だけの1点が値打ちがあるのだと。

 やはり、見る目のある人に選ばれたい…これは何にでも通じることでしょうね。また、人のすることなんだから好みもあるし、ある選者は子供の句は絶対採るとか、母ものは採らないとか…いろいろ聞いたことがありますよ。初心の頃県の吟行句会に初めて参加したとき、ある選者の選句が最初の1,2枚目だけに偏っていて3分の2以上は1句もなし…エエッ、なんで~と思ったことがあります。聞いてみるとあの選者はいつも全部見ないで最初の方だけ見て選をするのよと教えられ、ガッカリしたことがありますもの。だから早く出すに限るんですって!プンプン…

 しかし、俳句大会などの選は事前投句がほとんどですから、間を置いて何度も読み返して選句できますのでそんなことはありません。が、それでも1000句以上あると緻密にというわけにはいきませんし、ある程度のレベルの句なら後は選者の好みの問題になります。だから、選などあまり気にせず自分の詠みたいものを詠んで、入選しなければ〝選者に見る目がないんだ!〟ぐらいに開き直っていればいいですよ。エヘッ…

 ああ、また長くなってしまいました。これから出かけないといけませんのでこれでオシマイ!つづきはまたね。

 写真は、幸兵衛窯。なぜか中国か?の石像が迎えてくれました。中にたくさんの琵琶の展示がありましたが、これは七代目の楽器コレクションだそうで、ガンダーラ?やシルクロードの古い琵琶もありました。実はこのペルシャンブルーの猫が欲しかったんだけど…。

 〝ラスター彩〟とは、焼成した白い錫の鉛釉の上に、銅や銀などの酸化物で文様を描いて、低火度還元焔焼成で、金彩に似た輝きをもつ、9世紀-14世紀のイスラム陶器の一種。ラスターとは、落ち着いた輝きという意。(Wikipediaより)光によって色が変るというのですが、写真では上手く撮れませんでした。

コメント (2)
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